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香琴国――叢雲 2――
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しおりを挟むラザファムがディルクによって正気に戻されると、彼の声によって意識を取り戻したクルトが、自分が何者かの脇に抱えられていることを知り、ジタバタともがき始めた。
「誰だよ、何するのさ、離せったら!」
見掛けは華奢でも、それなりに鍛えられている身体だと、子供が暴れたくらいでは動じないようだ。
先にいく程にふっくらとしている猯族の尻尾が翼を打つが、気にした風もなく、クラウスは寧ろ興味深げに眺めている。
「クルトくん、大丈夫だよ。拐われたりしないから、ね?」
屈み込んで目線をやや低めに合わせて、見上げながらアメリアが言うと、クルトはぴたりと動きを止め、落ち着いたところで思い出したように小動物――子狸――の姿になって、クラウスの腕から飛び下りた。
「わ、可愛い」
思わず表情を緩めるアメリアに、クラウスも目元を和ませる。
ラザファムは何を思ったのか、口元を拭った後に、それを誤魔化すように頷きながら「うんうん、可愛い可愛い」と同意を示した。
ディルクの放出した波動の効果であろう。ラザファムもクルトも、藤玉蘭の芳香のことなどすっかり忘れているようだった。その代わりにズドンズドンと地が割れそうなまでに揺れることの方が気にかかる。
「そうだ、ムスタファ」
「あの、フィリーネとロミーは……」
二人の声が重なり、クラウスは砂埃や瓦礫までもが舞い上がっている震源地の方向を指差す。
何処にいるのかは先刻承知の上だ。どうしてあのようなことになっているのか、その原因といったものを知りたかったのだが、クラウスが時折自分たちとズレているところがあるということは、アメリアたちにドレスを買ってきた辺りからなんとなく察するものがあった為、そうではないと訂正する気にはならなかった。
「相手は魔物ですから、魔族が二人もいれば問題ないと思いましたが、珍客が現れたようですねえ」
「笑ってる場合じゃないでしょ、お兄さん」
「仕方ありませんね。大切なものも、あちらにあることですし、ちょっと行って来ましょう。ああ、アメリアさんはディルクと、その小さなご友人と共に待っていて下さい。あなたを今疲れさせてしまう訳にはいきませんので」
「……?」
ラザファムには同行するか否かを確認して、クラウスは飛翔し、ラザファムは獣のように手を前足に変えて走り出す。
「……」
「クルトくんっ?」
クラウスの腕から逃れた後、その姿を見上げてぽかんとしていた子狸が、不意にコテンと倒れ、慌ててアメリアが抱き上げる。
「六翼、本当にいた……初めて見た……」
呆けた様子で呟くクルトに、驚いただけなのだと安堵して微笑む。
微笑みをそのままに、姿勢を正してからディルクに挨拶をすると、彼は眩しいものでも見るかのように目を細めて、恭しく膝をついた。
「えっ? あ、あの……?」
始めは、具合を悪くして蹲りかけたのだと思ったが、そうではないことに気付くと、自分も慌てて両の膝をつく。
するとディルクが平伏叩頭してしまった為、アメリアは訳が分からず泣きそうな表情になった。
「わたくしはディルク=カーフェンと申します。このように翼を二翼とも失いましたが、天遣族としてこの叢雲を守護する役目を任されておりました。しかし、守護するどころか己れが身を穢すという不始末。弁明の言葉もございません」
「――」
二翼であったというディルクに、アメリアは胸をおさえる。
何度となく見てきた悪夢を思い出し、その苦痛を越えた絶望を、彼も経験したのだと知って、胸が痛んだのだ。
だが、それでも天遣族であることに違いないというのに、何故ディルクがただの神子でしかない自分にこのような態度を取るのか、理解が及ばない。
「神子ってスゴい人?」
チラチラと未だ子狸姿のクルトが気になって仕方ない様子を見せながらも、ラザファムがアメリアの傍らに並び、繁々と彼女を見つめる。
確かに琥珀色の瞳は珍しいが、人以外の動物……主に猛禽類には存在している。小柄なことも含め、余程偏った好みでない限り、可愛らしいと高い好感度を特に異性に与える容姿をしているが、平伏す程のものでもない。
ならば、とラザファムはアメリアの「スゴそうなところ」を探してみるが、残るは六翼であるクラウスに見初められているようであるところ、だろうか。と、思いついたそれに対しても首を傾げる。
「ディルクさん、私は、その……まだ神子の修練を終えた訳ではないので……どうか、頭を上げて下さい」
「……」
「俺が口挟むことじゃないと思うけど、神子の言う通りにしてあげてよ。じゃないと神子が泣いちゃうよ? もう泣きそうだよ?」
「!」
ラザファムの言葉に、ディルクがハッと顔を上げると、それに驚いてビクリと肩を震わせた反動からか、アメリアの瞳に溜まっていた涙が散る。
「ああ、ど、どうしたら……」
「立ち上がれば?」
おろおろしながら素直に立ち上がったディルクは、尚も助けを乞うようにラザファムを見るが、彼は「自分で考えな」と言うように肩を竦めてみせた。
「ご、ごめんなさい。私、状況が分からなくて」
「クラウス殿からは何も聞いていらっしゃらないのですか?」
「はい……」
コクンコクンと頷いて涙を拭ったアメリアの頭を、ラザファムがよしよしと撫でる。
そして、ぴくぴくと耳を左右に動かしてから、地の揺れがおさまっていることに気付いた。
「向こう、終わったみたいだねー」
クラウスが向かったことで終息――或いは収束――を迎えられたのだとするなら、さっさと行ってくれれば良かったのに。というのが、ラザファムの正直な感想である。
だが、このディルク=カーフェンと名乗った天遣族も謎だ。
クラウスたちがここを訪れたのは、きっと彼に会う為だろう。その彼が翼を二翼とも失っていることも、屋敷を藤玉蘭で囲んでいることも、尋常ではない。
「天遣族の中で、翼を狩るの流行ってんの?」
クラウスの翼を狙って返り討ちにあった、四翼のアーダルベルトを思い出し、ラザファムがそう尋ね掛けた時。
「――神子?」
アメリアがクルトを放り出し、両手を上空へ差し出しながら、フラフラと屋敷の方へ歩き出す。
「おお……」
ディルクが喜色に満ちた吐息を漏らし、見つめる先へ視線を向けると。
「黒い、翼……?」
纏う淡いアクアマリンの輝きは、複合した風と水の精霊のものか。大きさからすると幼子のもののような、一翼だけの小さな翼がこちらに飛んで来る。
そしてアメリアが差し出す両手の先に辿りつくと、輝きが強いものとなって辺りを照らし――。
眩しさに瞑った目を開けた時には、アメリアの背中からローブを突き破るようにして、左右で大きさの違う白と黒の翼が生えていたのだった。
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