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香琴国――叢雲 2――
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しおりを挟む――熱い。
……否、温かい?
ぼんやりと霞掛かったような頭で、アメリアは思う。
背中に感じる常とは違う何か。それは自身が失った筈の、大切なものだと。
大切な。そんな言葉ではあまりにも軽い表現で。
たとえば腕や足を失ったとしても、ここまでの喪失感はなかっただろう。
何度となく夢に見た、絶望。
魂を丸ごと引き抜かれたような脱け殻となった自分。
――ああ、けれど。まだ完全ではない。
それでも今は、空の水甕に澄んだ水が注がれたように、たとえそれが半分程であったとしても、うち震える程に満たされた思いになる。
「神子……その姿は、一体……」
ラザファムが躊躇いながら声を掛けたのは、息を呑む程に神秘的なものの神聖さを損なってしまいそうに感じながらも、そうしなければアメリアが手の届かない場所へ行ってしまうような気がしたからだった。
まだ幼さの残る顔立ちと、白と黒とで大きさの違う翼とのアンバランスさが、未成熟ならではの不完全な美となって魅了される。
「わ、たし……どうして……」
誰に問わずとも全てを承知している自分がいる筈であるのに、そう感じるのに、自分の中の奥底に身を隠してしまっているようで、我に返った様子のアメリアは、自分がどうなっているのか把握すら出来ていないようだった。
ただ、足元に伸びた影が、背中から生えた翼を主張し、恐る恐る振り返った視界に入り込んだ、漆黒の翼に衝撃を受けていた。
「その翼は、あなたのものです、アメリア様。あなたがまだ生まれて間もない頃に、双翼を削がれ、奪われたのです」
ディルクの言葉に、アメリアの表情が苦痛に歪む。
夢での痛みを思い出し、そしてあれは現実に起きたことであったのだと嘆く。
「何で片方だけ戻って来たの? それに、何で真っ黒なのさ」
「アメリアは、魔族と天遣族の子、なんて言わないでくれよ?」
元の姿に戻ることも忘れて、後ろ足で立ち上がりながらクルトが言い、ラザファムが後を続ける。
「魔族の血など、その身に宿してはおりませんよ」
「!」
バサリ、と羽ばたきの音がして、戻って来たクラウスがアメリアの姿を見つめると、不安そうな彼女を安堵させるように微笑む。
「アメリアさんのご両親は、共にわたしと同じ六翼でした。ですが、お二人とも長いこと封印を守護する為に、その傍におりましたから、魔族の王の放つ穢れを浴び続けたのが原因でしょう。誕生した赤子の翼は、二翼とも黒に染まっておりました」
「――」
クルトとラザファムの眼差しが、哀れみとなってアメリアに向けられる。
「だから、翼をもがれたのか? 穢れたからって」
「いいえ。忌まれた訳ではありません。逆なのです」
「……逆……?」
「ええ。アメリアさんの翼が漆黒であったが故に、それを欲した者たちの手によって奪われたのですよ」
ずっと微かに震え続けていたアメリアの身体が、痙攣を引き起こしたようになり、倒れかかる。
慌てることなく抱き留めたクラウスは、宥めるように頭を撫で、彼女の足から力が抜けているのを感じ取ると、翼を傷めないように抱き上げた。そして。
「困りましたね。アメリアさんを休ませて差し上げたいのですが、ディルクの屋敷は小動物が雨風を凌げるくらいの有様ですし」
普段と変わらぬ調子で言うと、遅れて戻って来たムスタファとロミーが、アメリアの姿に騒ぎ出すのをおさめる。
「フィリーネは、どうしましたか?」
「クモのお姉さんなら、大将がビシャビシャにしたから、怒って糸で繭作って籠っちゃったよ」
「……ああ、それは良いですねえ」
「何が?」
「たまに大将のことが分からなくなるよなー」
白い目を向ける双子に構わず、小さな黒い翼を凝視したまま動かないロミーに戸惑いながら、フィリーネを案じるアメリアをしっかりと抱え直すと、ディルクとロミーを促して屋敷の方向へ再度向かう。
ラザファムとムスタファが何やらぎゃいぎゃい言いながら後に続いた。子狸姿のクルトを巡っての争いらしく、クルトがキュンキュン鳴きながら逃げる様からすると、まるで獲物を追う獣のようだった。
「クラウス殿。一体どちらへ?」
「繭というものに入ってみたかったのですよ」
「……はあ」
「少々窮屈な思いをするかもしれませんが、出来る限り大きなものを作っていただきましょう」
「クラウスさま、フィリーネのいと、なくならない?」
ウキウキしたように見受けられるクラウスに、ロミーが尋ねると、クラウスは珍しくキョトンとした表情を見せて。
「なくなりますかね?」
ディルクに疑問を向けて困らせる。
しかし、瓦礫と化した屋敷跡に辿り着くより前に視界に入り込んだそれに、クラウスはニッコリと満足そうに笑った。
「うーわ、でっかいなー」
「多分、ここにあった家くらいはあるぞ。姉さん、魔物と戦ってる時からずっと糸出しっ放しだったのに、こんなん作っちゃうなんて、桁が違うよなー」
「んー。格が違うって言いたかったのかなー」
「なー。それかもなー」
追い付いた双子が、繭を見上げながら間延びした口調で会話する。
子狸クルトはムスタファの襟巻きのようになって不貞腐れていたが、巨大過ぎる繭に呆気に取られたようだった。
「フィリーネ、みて。アメリア、かわいい」
放射状の糸で支えながらも、僅かに地上から浮いた雫のような形の繭に近付き、ロミーが中に声を掛ける。
「馬鹿なことを仰有らないで下さいませ。アメリア様はいつでも大変可愛らしいですわ!」
すぐに返された声から察するに、元気いっぱいであるらしい。
「ところで、デカくて長い精霊みたいな奴、どうなった? やっつけたのか?」
一方、フィリーネのことは特に気にしていないラザファムが、繭にはもう興味を失ったらしく、屋敷跡の地下に空いた、彼らの跳躍力をもってしても、飛び越えられそうにない程に大きな穴を覗き込みながら、ムスタファにではなく、どちらかというとクラウスに向けて尋ねる。
「うーんとねえ」
と、ムスタファは一応答えようとしたのだが、結局クラウスを頼りとして視線を送った。
クルトも気になるらしく、ムスタファの頭に乗って答えを待つ様子だ。
「個体ではなく無理矢理複合されたものでしたから、あのままでは浄化は難しいものと思われました。ですから時間を掛けてでも引き離すことを提案したのですが、浄化より、自分たちをあのような姿にさせた者に復讐したいと願われてしまいましてね」
だから、その意志に従ったのだと言う。
意思の疎通が可能となったのは、試しとばかりに浄化を僅かながらでも進められたからで、その分損なわれた耐久性や魔力などを上乗せして、復讐する相手の元へ向かわせたのだそうだ。
クラウスには相手がどういった者かなどを知る由もないのだが、術というものは失敗すれば返るものである。ディルクを魔族へと堕とすことも、アメリアのものである漆黒の翼を奪うことも出来なかった彼らが、放った者の元へ戻るのは容易いことだった。
「やっぱり『キメラ』の奴らが……」
クルトが悔しげにムスタファの頭に爪を立てる。
痛いと訴えて頭から引きずり下ろそうとする手に噛みつかれ、またぎゃいぎゃいとラザファムもまざって騒がしくなった。
「煩いですわよ!」
繭からとうとう顔を出したフィリーネ。その髪も顔も、返り血を浴びて染まった色は綺麗に落ちている。
それからふとアメリアを目にしたフィリーネは、一瞬時を止めたように固まり。
「素晴らしいですわ、アメリア様!」
ビリッと自ら糸を裂いて、頬を紅潮させながら、クラウスが抱えるアメリアに飛び付いた。
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