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香琴国――叢雲 3――
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しおりを挟む「ああ、もったいないことを」
切り裂かれた繭を前に、そう嘆くように言うクラウスの声は聞き流し、フィリーネはアメリアの翼に頬擦りをする。
クラウスにただ水を掛けられたのではなく、魔物の返り血を浴び放題であった彼女が、このような有様ではアメリアの前に姿を現すことなど出来ないと、泣いて訴えたことから、親切心で浄化を行った訳だが、何しろフィリーネは魔族である。聖なる水を滝のように掛けられれば、ただでは済まない。
魔族を浄化するには炎が最適であり、故に八脚たちが焼き尽くされたことは、まだ記憶に新しい。だからといって水ならば平気だろうと、こちらに確認もせずに行ったりなどするから、フィリーネはクラウスに腹を立てていた。
氷を長いことくっつけられていたかのように、肌がヒリヒリと痛みを訴えるが、それだけで済んだのは奇跡のようなものだろう。せめて赤兎大草原で降らせた光の雨であったなら、気分も清々しいことこの上ない思いが出来ていたのに。そう文句を言いたかったが、そんなことよりもアメリアの翼についてを知ることの方が重要だった。
「フィリーネ。早急に繭の修復を」
しかし、クラウスのその声を無視することは出来なかった。
フィリーネはアメリアの従魔であるから、アメリアに逆らえないのは当然のことだ。逆らう気など更々ないが、あるとするならばアメリアへの想いが暴走した時くらいだろう。
だが、クラウスは別格だ。六翼である彼の存在は、魔族の王を封じた結界の守護にあたっているが為に、滅多に人前に姿を現さないことから、天遣族というより神に等しいものとして人族から認識されている。故に、出会った者たちが祈りを捧げることになるのだが、普段はのほほんとした様子を見せ、それが彼の本質であると思えるものだから、つい失念してしまうことがある。
天遣族は守護する者でありながら、従わせる者でもあるのだと。
発する言葉自体に力を宿すその声で、名を呼ばれた後に命じられれば抗うことは難しい。
その力は、共にいる時間が長ければ長い程、効力を発揮する。
魔族の中でも、同様に従わせる立場にあった「女王」に等しい存在であったフィリーネにも、備わっている力ではあったが、クラウスの力の前では遠く及ばない。
それでも渋々修復し、皆を中に入れ終えた頃に「閉塞感が強いので、長居は出来そうにありませんねえ」などと言われた時には、脳天に一撃食らわせてやりたいと心底思った。
「俺、外がいい」
「オレもー」
「僕はもっと狭い方が良かった」
「何ですって?」
アメリアが呆けたように高い天井部を見ているのを気にしながらも、耳に届いた双子と一匹の言葉に、フィリーネは目を吊り上げる。
そうしてからようやく、見慣れない存在に気付いた。
「あなた、猯族ですの?」
「うっ、そ、そうだけど」
蛇に睨まれた蛙のようになりながら、子狸が答えると、アメリアがフィリーネを振り返ってほにゃりと笑う。
「クルトくんって言うの。可愛いでしょう? 色んな姿になれるんだって」
「まあ、そうなんですの?」
猯族がどういったものかを知り得てはいたが、アメリアの笑顔を前に、また、主であることを差し置いて好意を抱いている相手を立てるのは、人も魔族も変わらないのか、知らない振りをして感心した様子を見せるフィリーネ。
アメリアの身体が少し揺れているのは、翼の大きさの違いによるものか。
クラウスはディルクに手を貸して座らせると、アメリアに向かって両腕を広げた。
「さあ、アメリアさん。お休みになって下さい」
「……」
言われてアメリアは辺りを見渡す。繭の中はこれといった凹凸がない為に、床となっている面で横になるしかなさそうだ。少し前までならばそれでも構わなかったが、今は背中から生えた翼を気にして、どうすればよいのかと困ってしまう。
フィリーネが思うように、身体が揺れてしまうのは、左右で大きさの違う翼の所為でもあったが、それ以上に激しい眠気に引き込まれそうになっていたからだった。
それは、十数年の時を経て戻って来た翼は、ただ融合しただけで、アメリア自身の身体の一部として完全に復活出来た訳ではなかったことから、彼女の力を吸収し続けている為である。
「わたしの腕の中でお休み下さい。微力ながら補助させていただきますよ」
言われて、クラウスがこれまで何度となく自分を抱えたり、触れて来たりしていたことの理由が分かった気がした。
確かにアメリアはフィリーネたちのように速く移動することは出来ないし、体力もそれほどある訳ではない。そういったことからクラウスだけでなくラザファムやムスタファにも抱えられたり担がれたりしていたのだが、クラウスの場合、アメリアから失われていく力を補う為でもあったのだろう。
それは、この翼のことだけでなく、魔族を従魔にするといった無謀過ぎることをなした時から、行われていたことだったのだ。
「ありがとうございます」
申し訳なく思いながら謝るアメリアに、その華奢な少女の椅子代わりになったクラウスは、蕩けそうな笑顔をみせる。
腰掛ける場所もないのに、そうしているかのように浮かんでいる青年を見て、フィリーネは心底悔しがった。
「なあなあ、あんたらって一体何なの? どうしてアメリアから変な翼が生えたの? 何で天遣族が魔族と獣人連れてんの? あと、そこの女は何で指咥えながら僕のこと見てくんのさ!」
クルトが双子の隙間から顔を出しながら尋ねる。
出口がないことから仲良くくっついて座っていた二人の間に入り込み、その窮屈な場所で落ち着いていたクルトだが、自分が何故彼らをここに連れて来たかの目的を思い出した。しかし、頼りとしたディルクはすっかり弱っており、行方不明となった獣人たちと思われる者たちがどうなってしまったのかを知った今、次に何をすべきか考えるより先に、この不思議な一行のことが気になって仕方なくなった。おまけに、繭に入る前からずっと絡み付くように感じる視線も、双子に追いかけ回された時のような危機感を抱いてしまう。
「そりゃ、クルトがおいし……そーんな姿でいるからだろー」
「僕はご飯にならないぞ!」
「うんうん。大丈夫だよ。オレたち友達食わないから」
「赤兎も友達だったから食べなかったぞ」
「でも美味しいの知ってる」
「狸もなかなかな美味さだよなー」
「なー」
「ひぃっ」
「でも友達だから食わなーい。あと、人の姿になればいーのに、何で戻らないの? もしかして実は食われたい?」
「あ!」
双子の会話にタタンッと隙間を飛び出したクルトだったが、その所為でロミーとの距離が縮まってしまい、フィリーネの足元に転がるように逃げてから、少年の姿へと変化する。
「ベ、別に、忘れてた訳じゃないぞ。さっきまでの姿の方が、楽だからってだけのことさ」
そう言うわりには、子狸の姿になってからの方が大変そうであったが、そこを指摘するような双子ではなかったし、初対面のフィリーネとロミーには事情を知る由もない。
「あら。わたくし、こちらのお姿の方が宜しいと思いますわ」
フィリーネが改めてクルトの姿に好感を持ったように微笑むと、ぷいっと顔を背ける様子を目にして、双子は何やら納得したように頷き合う。
「まだ子供だもんなー」
「メリーちゃんの時も、本当は照れてただけなんだなー」
ロミーが表情には出ないものの、佇まいから残念そうにしていることに気付いて一頻り笑ったあと、ラザファムはクルトへの説明を願うように、クラウスに向けて手を振る。
アメリアがとろとろと眠りに落ちていくのを見つめていたクラウスは、チラリとディルクを一瞥した。
「そう、ですね。では、わたしが代わりに説明をさせていただくことにしましょう」
繭の壁に手をつきながら立ち上がり、クラウスの斜め前に進み出る。
「クラウス殿がアメリア様の元へ向かう決断をされたのは、五年程前のことでした」
嗄れていた声はサラサラと流れる小川のような心地よいものとなっており、聞く者に耳障りな印象を与えることはなくなっていた。
思い思いの姿勢で耳を傾けたディルクの話は、アメリアが神子の養成学校に入ったことを聞き知ったことから始まる――。
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