黒白の護り手~黒に染まりし運命の娘~

織月せつな

文字の大きさ
35 / 52
香琴国――叢雲 3――

しおりを挟む

 アメリアは夢を見ていた。
 翼が剥ぎ取られるあの無惨な悪夢ではない。
 温かな羊水の中で微睡んでいた。
 目は視えないが、時折胎内に忍び寄る黒いものがあることに気付いた。
 アメリアの身に近付こうとするそれを、白いものが弾き飛ばしていくことも。
 そしてその度に、自分を優しく守ってくれている存在が、ゆるゆると弱っていくことも分かった。

 いいの。がんばらないで。わたしにぜんぶちょうだい。

 日頃から語り掛けられてくる外側からの言葉を理解していた。だから同じ言葉で必死に訴える。

 くろいの、おかあさんにわるいことしないで。だいじょうぶ。こっちにならきてもいいよ。ほら、いっしょにいよう?

 白いものをやんわりと返しながら、黒いものを受け入れていく。
 温かな羊水の中でも、全身が芯から冷たくなっていくようだった。
 けれど不思議と怖いとは思わない。恐ろしいものではないのだ。

「もうすぐ産まれるのですか? 早く会いたいです」

 弾んだ声。
 羊水の中に響くように聞こえて来るのは、お母さんの声。外側から聞こえて来る一つの声は「お父さんだよ」と語り掛けられたからお父さん。他に幾つか高い声や低い声、細いものと太いものに分けられるだけの、誰かは分からない声がある。けれどこの声は、そのどれとも違う、お父さんよりも頻繁に聞こえてきた声だった。

「わたしが必ずお守り致します。生涯かけて大事に致します。だから、安心して産まれて来て下さいね」

 この声が聞こえて来ると、アメリアは決まって声の主へ届かせようと、手をうんと伸ばす。
 この声は誰のものだろう。名前を紹介して貰った筈だというのに、忘れてしまった。
 誰だろう。どんな人だろう。
 夢の中でアメリアは考える。

 はやくうまれるから、もうすこしまっててね。
 わたしもはやくそっちにいきたい。そしたらきっと、えがおでだっこしてね。
 きっとわたし、あなたのことを――。

「――守るから」

 呟きながら目を覚ます。
 少し硬さを感じる温もりに抱かれ続けていた為に、全身が伸びをしたいと訴える。しかし、小さく身動ぎしただけで留めたのは、目の前に傾いだクラウスの寝顔があったからだ。

「……」

 初めて見る寝顔もまた美しく、アメリアは呼吸をひそめながら、暫く食い入るように眺めてしまう。
 辺りは薄暗く、あちこちから寝息らしきものが微かに耳に届いた。しかしそれは音を拾おうとして耳を澄まさなければ聞こえない程に小さい。
 そんな中でアメリアの視界をうっすらと照らしているのは、ふわふわと漂う蛍火のようなものだった。
 光の正体は精霊である。
 鵜丸にいた頃には、特に養成学校付近に精霊は近付かないようで、魔力が込められた玉を割って中にあった力を取り込むことで、精霊の力を行使する演習が行われていたが、鵜丸を離れてからその存在を感じることが出来て嬉しかった。
 鵜丸だけではなく、他の国の養成学校でも、やはり精霊は寄り付かないらしい。
 理由の一つとして考えられているのは、精霊が神子の存在を受け入れていないからだというものだった。しかしそれが何故なのかは、明らかにされていない。
 繭の外から中へ、中から外へと漂いながら、時折休息をとるようにアメリアにくっつくものもあった。
 小さな光たちを精霊と呼ぶが、実際は精霊に育つ前の状態にある。
 力を蓄えては放出し、また蓄えては放出する。それを繰り返すごとに力は増し、大きくなり、やがて他の姿を模倣出来る存在となる。しかし、獣や人に近い姿、または光の珠のままであっても、育った姿の方を人が目にすることは滅多にない。だからこそ、身近な蛍火を精霊として認識されることが多くなったという。

「ふふっ……」

 鼻の頭にとまられて、何だか綿毛に触れられるようなくすぐったさを感じ、思わず笑みがこぼれてしまった。

「……おや。目を覚ましてしまったのですね?」
「! あ」

 クラウスの囁き声に、アメリアは一瞬身を竦め、唇の動きだけで「すみません」と謝って頭を下げる。
 蛍火は、アメリアが身を竦めた際に、またふわふわと漂いながら離れて行った。

「ああ、これは素敵ですね」

 天井部分にあたる方を見上げて、クラウスが呟く。
 アメリアもならって見上げると、たくさんの精霊がそこで身を休めているのだった。

「繭の中で星空のようなものが見られるとは。これは大変貴重な体験をしましたねえ」

 のんびりとした口調で言うクラウスに、アメリアは言葉もなく頷く。

「きっと、アメリアさんに会いに来られたのでしょう」
「私に……ですか?」
「ええ。あなたに翼が戻ったお祝いとして」
「――」

 言われて、だからあのような夢をみたのだと推測する。あれは翼の持つ記憶の欠片だったのではないかと。

「あの……」と声を発してから、今更ながら周囲で眠っているであろう者たちに気を遣うように様子を窺い「翼を奪われても、また元に戻るのですか?」と起きないことを確認してから囁き声で尋ねる。

「わたしは前例がないとしか答えられませんが、そうであって欲しいと願っておりましたよ」
「じゃあ、ディルクさんのも戻りますか?」
「彼は……どうでしょう。先ず、ディルクの翼がそのまま残されていれば、望みはあるかもしれませんが……」
「――どうして、白い翼まで生えたんでしょう。それに、こんなに大きいなんて……」

 どちらかというと本来のものである純白の翼に戸惑っているらしいアメリアに、クラウスは目を細める。

「聞かないのですね」
「……?」
「何故、黒い翼があなたのものであるのかを」

 俯きかけたアメリアの頬に手を添え、視線を合わせようとするクラウス。

「あなたは何を知ったのです?」
「!」
「黒く染まった翼を、あなたは受け入れるのですか?」
「……分かりません」

 瞳を揺らしはしたものの、逸らすことなく真っ直ぐにクラウスを見つめ返したまま、アメリアは答える。

「ただ、黒いものが私の中に入りたがっていたから、一緒がいいならそうしようと……。そうしたら、お母さんに悪いことしないでいてくれると思って……あ……」

 話しているうちにアメリアの目から涙が流れた。
 クラウスの手がそれを受け止め、柔らかく、それでも微かに苦痛を滲ませて微笑む。

「で、でも、今のは、夢に見ただけで、この翼の記憶が私に流れてきたように思えただけなんです。だから、私ではなく、ええと……?」
「それはあなたが思った通りで、間違いではありませんよ」

 慌てているからか、クラウスの腕の中から抜け出ようとし始めたアメリアを、抱えたまま立ち上がってからそっと下ろす。一瞬足元をふらつかせたが、翼を所持する者が得る効果なのか、クラウスに手を借りるまでもなく立つことが出来た。

「アメリア

 スッとクラウスが片方の膝をつき、頭を垂れる。
 目を見張ってディルクの時のように混乱する彼女を前に、彼は続けた。

「わたしが、この先もずっとあなたのお傍にいさせていただくことを、どうかおゆるし下さい」
「――」
「もう二度と、この約束をたがえることは致しません。わたしが必ずお守り致します。生涯かけて大事に致しますことを、誓います」

 夢で聞いた言葉だ。そう思った。
 クラウスのように貴い存在が、何故自分にかしずくような真似をしようとするのか、何一つ察するものがない。

「赦す、と仰有ればいいのですわ」
「! フィリーネ」

 いつから起きていたのか、繭の中で更にハンモックを作り上げた上で眠っていたと思われるフィリーネが、スルスルと糸を伝って降りてくる。

「うふふ。さすがわたくしのアメリア様ですわ。六翼までも虜になさるなんて」
「そういうことじゃないでしょう?」

 茶化すフィリーネをたしなめるアメリアに、しかし彼女は別のことに気を取られた様子で、アメリアを抱き寄せた。

「どうかしたの?」
「何か来ますわ。皆様、起きて下さいませ」

 フィリーネの声にか、近付いてくる気配にか、クルトを除いた皆が起き上がる。そして繭を躊躇なく破ると、先ずラザファムとムスタファが外へ飛び出した。

「くんくん」

 鼻を利かせる双子をロミーが真似る。
 それにコツンと軽く拳骨で叩いたムスタファは、珍しく神妙な表情をしていた。
 アメリアとディルク、そしてまだ夢の中にいるクルトを、半壊した繭の中に残し、クラウスとフィリーネも迫り来る気配を迎え出る。

「嘘だろ……」

 やがて見えてきた姿に驚きの声をあげたのは、十を下らない数ではなく、自分たちと同じ姿をした者……大神族と思われる獣人であったからだ。
 そして、それを率いてやって来たのは。

「どうやらあなたには警告は無駄だったようですねえ」

 相変わらずののんびりとした口調であったが、クラウスの声には喉元に刃を突き付けるような殺意に似た色が含まれていた。

「あれくらい、どうということもない。容赦しないのはこちらも同じだ、クラウス=ルーツ!」

 折られた翼角が治ったことを知らせるように、四枚の翼を羽ばたかせてみせながら、アーダルベルト=エイセルが大神族たちの頭上で留まる。

「何故、あなたが彼らを率いているのです?」
「決まっている。僕が神族に近い存在だからだ。神族に愛された大神族が僕に従うのは自明の理というものだろう」
「……」

 それを聞いて、クラウスが憐憫を惜し気もなく込めた眼差しを向けたが、アーダルベルトは気が付かない。

「これが、オレたちの仲間……?」

 一方で、自分たちがアメリアたちと一緒にこの国に来ることを決めた、香琴国の大神族との出会いは、双子に強い衝撃を与えていた。

「ファビアンが会わせたがらなかった理由が、これで分かったな」

 育ての親の言葉を思い出し、ラザファムが言う。
 仲間がいるなら会ってみたいと無邪気に願い出た双子に、ファビアンが遺したのは「もう、壊れてしまった」という短い言葉だった。
 何が壊れたのか。仲間としての関係だろうか。そう考えていた答えが、目の前にある。

「全然、可愛くない」

 泣き出しそうに呟いたムスタファの目には、舌をだらりと異様なまでに長く垂れさせて涎を滴らせながら、顔の窪みからギラギラと光る目をこちらに定めた、骨と皮ばかりと言っても過言ではない程に痩せこけ、耳や尻尾の毛が殆ど抜け落ちてしまった者たちが滲んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...