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香琴国――叢雲 3――
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しおりを挟むアメリアは夢を見ていた。
翼が剥ぎ取られるあの無惨な悪夢ではない。
温かな羊水の中で微睡んでいた。
目は視えないが、時折胎内に忍び寄る黒いものがあることに気付いた。
アメリアの身に近付こうとするそれを、白いものが弾き飛ばしていくことも。
そしてその度に、自分を優しく守ってくれている存在が、ゆるゆると弱っていくことも分かった。
いいの。がんばらないで。わたしにぜんぶちょうだい。
日頃から語り掛けられてくる外側からの言葉を理解していた。だから同じ言葉で必死に訴える。
くろいの、おかあさんにわるいことしないで。だいじょうぶ。こっちにならきてもいいよ。ほら、いっしょにいよう?
白いものをやんわりと返しながら、黒いものを受け入れていく。
温かな羊水の中でも、全身が芯から冷たくなっていくようだった。
けれど不思議と怖いとは思わない。恐ろしいものではないのだ。
「もうすぐ産まれるのですか? 早く会いたいです」
弾んだ声。
羊水の中に響くように聞こえて来るのは、お母さんの声。外側から聞こえて来る一つの声は「お父さんだよ」と語り掛けられたからお父さん。他に幾つか高い声や低い声、細いものと太いものに分けられるだけの、誰かは分からない声がある。けれどこの声は、そのどれとも違う、お父さんよりも頻繁に聞こえてきた声だった。
「わたしが必ずお守り致します。生涯かけて大事に致します。だから、安心して産まれて来て下さいね」
この声が聞こえて来ると、アメリアは決まって声の主へ届かせようと、手をうんと伸ばす。
この声は誰のものだろう。名前を紹介して貰った筈だというのに、忘れてしまった。
誰だろう。どんな人だろう。
夢の中でアメリアは考える。
はやくうまれるから、もうすこしまっててね。
わたしもはやくそっちにいきたい。そしたらきっと、えがおでだっこしてね。
きっとわたし、あなたのことを――。
「――守るから」
呟きながら目を覚ます。
少し硬さを感じる温もりに抱かれ続けていた為に、全身が伸びをしたいと訴える。しかし、小さく身動ぎしただけで留めたのは、目の前に傾いだクラウスの寝顔があったからだ。
「……」
初めて見る寝顔もまた美しく、アメリアは呼吸をひそめながら、暫く食い入るように眺めてしまう。
辺りは薄暗く、あちこちから寝息らしきものが微かに耳に届いた。しかしそれは音を拾おうとして耳を澄まさなければ聞こえない程に小さい。
そんな中でアメリアの視界をうっすらと照らしているのは、ふわふわと漂う蛍火のようなものだった。
光の正体は精霊である。
鵜丸にいた頃には、特に養成学校付近に精霊は近付かないようで、魔力が込められた玉を割って中にあった力を取り込むことで、精霊の力を行使する演習が行われていたが、鵜丸を離れてからその存在を感じることが出来て嬉しかった。
鵜丸だけではなく、他の国の養成学校でも、やはり精霊は寄り付かないらしい。
理由の一つとして考えられているのは、精霊が神子の存在を受け入れていないからだというものだった。しかしそれが何故なのかは、明らかにされていない。
繭の外から中へ、中から外へと漂いながら、時折休息をとるようにアメリアにくっつくものもあった。
小さな光たちを精霊と呼ぶが、実際は精霊に育つ前の状態にある。
力を蓄えては放出し、また蓄えては放出する。それを繰り返すごとに力は増し、大きくなり、やがて他の姿を模倣出来る存在となる。しかし、獣や人に近い姿、または光の珠のままであっても、育った姿の方を人が目にすることは滅多にない。だからこそ、身近な蛍火を精霊として認識されることが多くなったという。
「ふふっ……」
鼻の頭にとまられて、何だか綿毛に触れられるような擽ったさを感じ、思わず笑みがこぼれてしまった。
「……おや。目を覚ましてしまったのですね?」
「! あ」
クラウスの囁き声に、アメリアは一瞬身を竦め、唇の動きだけで「すみません」と謝って頭を下げる。
蛍火は、アメリアが身を竦めた際に、またふわふわと漂いながら離れて行った。
「ああ、これは素敵ですね」
天井部分にあたる方を見上げて、クラウスが呟く。
アメリアも倣って見上げると、たくさんの精霊がそこで身を休めているのだった。
「繭の中で星空のようなものが見られるとは。これは大変貴重な体験をしましたねえ」
のんびりとした口調で言うクラウスに、アメリアは言葉もなく頷く。
「きっと、アメリアさんに会いに来られたのでしょう」
「私に……ですか?」
「ええ。あなたに翼が戻ったお祝いとして」
「――」
言われて、だからあのような夢をみたのだと推測する。あれは翼の持つ記憶の欠片だったのではないかと。
「あの……」と声を発してから、今更ながら周囲で眠っているであろう者たちに気を遣うように様子を窺い「翼を奪われても、また元に戻るのですか?」と起きないことを確認してから囁き声で尋ねる。
「わたしは前例がないとしか答えられませんが、そうであって欲しいと願っておりましたよ」
「じゃあ、ディルクさんのも戻りますか?」
「彼は……どうでしょう。先ず、ディルクの翼がそのまま残されていれば、望みはあるかもしれませんが……」
「――どうして、白い翼まで生えたんでしょう。それに、こんなに大きいなんて……」
どちらかというと本来のものである純白の翼に戸惑っているらしいアメリアに、クラウスは目を細める。
「聞かないのですね」
「……?」
「何故、黒い翼があなたのものであるのかを」
俯きかけたアメリアの頬に手を添え、視線を合わせようとするクラウス。
「あなたは何を知ったのです?」
「!」
「黒く染まった翼を、あなたは受け入れるのですか?」
「……分かりません」
瞳を揺らしはしたものの、逸らすことなく真っ直ぐにクラウスを見つめ返したまま、アメリアは答える。
「ただ、黒いものが私の中に入りたがっていたから、一緒がいいならそうしようと……。そうしたら、お母さんに悪いことしないでいてくれると思って……あ……」
話しているうちにアメリアの目から涙が流れた。
クラウスの手がそれを受け止め、柔らかく、それでも微かに苦痛を滲ませて微笑む。
「で、でも、今のは、夢に見ただけで、この翼の記憶が私に流れてきたように思えただけなんです。だから、私ではなく、ええと……?」
「それはあなたが思った通りで、間違いではありませんよ」
慌てているからか、クラウスの腕の中から抜け出ようとし始めたアメリアを、抱えたまま立ち上がってからそっと下ろす。一瞬足元をふらつかせたが、翼を所持する者が得る効果なのか、クラウスに手を借りるまでもなく立つことが出来た。
「アメリア様」
スッとクラウスが片方の膝をつき、頭を垂れる。
目を見張ってディルクの時のように混乱する彼女を前に、彼は続けた。
「わたしが、この先もずっとあなたのお傍にいさせていただくことを、どうかお赦し下さい」
「――」
「もう二度と、この約束を違えることは致しません。わたしが必ずお守り致します。生涯かけて大事に致しますことを、誓います」
夢で聞いた言葉だ。そう思った。
クラウスのように貴い存在が、何故自分に傅くような真似をしようとするのか、何一つ察するものがない。
「赦す、と仰有ればいいのですわ」
「! フィリーネ」
いつから起きていたのか、繭の中で更にハンモックを作り上げた上で眠っていたと思われるフィリーネが、スルスルと糸を伝って降りてくる。
「うふふ。さすがわたくしのアメリア様ですわ。六翼までも虜になさるなんて」
「そういうことじゃないでしょう?」
茶化すフィリーネを窘めるアメリアに、しかし彼女は別のことに気を取られた様子で、アメリアを抱き寄せた。
「どうかしたの?」
「何か来ますわ。皆様、起きて下さいませ」
フィリーネの声にか、近付いてくる気配にか、クルトを除いた皆が起き上がる。そして繭を躊躇なく破ると、先ずラザファムとムスタファが外へ飛び出した。
「くんくん」
鼻を利かせる双子をロミーが真似る。
それにコツンと軽く拳骨で叩いたムスタファは、珍しく神妙な表情をしていた。
アメリアとディルク、そしてまだ夢の中にいるクルトを、半壊した繭の中に残し、クラウスとフィリーネも迫り来る気配を迎え出る。
「嘘だろ……」
やがて見えてきた姿に驚きの声をあげたのは、十を下らない数ではなく、自分たちと同じ姿をした者……大神族と思われる獣人であったからだ。
そして、それを率いてやって来たのは。
「どうやらあなたには警告は無駄だったようですねえ」
相変わらずののんびりとした口調であったが、クラウスの声には喉元に刃を突き付けるような殺意に似た色が含まれていた。
「あれくらい、どうということもない。容赦しないのはこちらも同じだ、クラウス=ルーツ!」
折られた翼角が治ったことを知らせるように、四枚の翼を羽ばたかせてみせながら、アーダルベルト=エイセルが大神族たちの頭上で留まる。
「何故、あなたが彼らを率いているのです?」
「決まっている。僕が神族に近い存在だからだ。神族に愛された大神族が僕に従うのは自明の理というものだろう」
「……」
それを聞いて、クラウスが憐憫を惜し気もなく込めた眼差しを向けたが、アーダルベルトは気が付かない。
「これが、オレたちの仲間……?」
一方で、自分たちがアメリアたちと一緒にこの国に来ることを決めた、香琴国の大神族との出会いは、双子に強い衝撃を与えていた。
「ファビアンが会わせたがらなかった理由が、これで分かったな」
育ての親の言葉を思い出し、ラザファムが言う。
仲間がいるなら会ってみたいと無邪気に願い出た双子に、ファビアンが遺したのは「もう、壊れてしまった」という短い言葉だった。
何が壊れたのか。仲間としての関係だろうか。そう考えていた答えが、目の前にある。
「全然、可愛くない」
泣き出しそうに呟いたムスタファの目には、舌をだらりと異様なまでに長く垂れさせて涎を滴らせながら、顔の窪みからギラギラと光る目をこちらに定めた、骨と皮ばかりと言っても過言ではない程に痩せこけ、耳や尻尾の毛が殆ど抜け落ちてしまった者たちが滲んでいた。
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