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序章 弱き者のために
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鎌倉にある臨済宗円覚寺派、別名松岡御所とも呼ばれる尼寺、東慶寺。
その一室で、手紙をしたためる尼僧がいた。
まるで自身の魂を込めるかのように文字を書き連ねている。
『・・・東慶寺には、権現さま御声懸かりの寺法があり、会津藩藩主加藤明成の所業は、その寺法を明らかに犯すもの。明成は無道にして理不尽な族でございます。ここに至りましては、幕府も相応の覚悟を持って、お取決めいただきたく存じます。明成の無法を糾すか東慶寺をお潰しになるか、答えは二つに一つでございます・・・』
東慶寺・第二十世住持、天秀法泰は、義母の天樹院こと千姫に宛てた手紙を書いている途中で、一旦、その筆を止めた。
文面こそ勇ましく記してはいたものの、実は天秀尼にも、そこまで強気に出られるほど自信はなかったのである。
相手は四十万石の大藩であり、幕府による別の裁定では、藩主の非は認めつつも出奔した家老、堀主水に家臣の礼を欠いたとして、切腹の命令が下りていたのだ。
しかし、東慶寺を頼って来た堀主水の妻子だけは、何があっても守らなければならない。
天秀尼は、弱気になりそうな自分を叱咤した。
東慶寺には、開山時より伝わる寺法がある。
それは『縁切り』だ。
東慶寺に駆込み成立となった時点で、何者も手出しが出来なくなり、寺の中で足掛け三年、二十四カ月ご奉公を行えば、晴れて縁を切れるという、あの徳川家康も認めた制度がある。
これに則れば、ご奉公を済ませれば、主水の妻という理由で彼女を裁くことができなくなるのは、自明の理。
弱い者の味方となって、理不尽な世の中に立ち向かう。
天秀尼は、自身を襲った不幸な境遇と世間の力なき人々の人生を重ねて、頼って来た人に対しては寄り添い、力になると決めていた。
そうすることが、亡き父、豊臣秀頼の供養にもなると強く信じていたのである。
天秀尼は、幼き頃、僅かな時間だが、ともに過ごすことができた父の大きな背中を思い浮かべるのだった。
自分が入寺する前、まだ、奈阿姫と呼ばれていた頃のことを思い起こす・・・
その一室で、手紙をしたためる尼僧がいた。
まるで自身の魂を込めるかのように文字を書き連ねている。
『・・・東慶寺には、権現さま御声懸かりの寺法があり、会津藩藩主加藤明成の所業は、その寺法を明らかに犯すもの。明成は無道にして理不尽な族でございます。ここに至りましては、幕府も相応の覚悟を持って、お取決めいただきたく存じます。明成の無法を糾すか東慶寺をお潰しになるか、答えは二つに一つでございます・・・』
東慶寺・第二十世住持、天秀法泰は、義母の天樹院こと千姫に宛てた手紙を書いている途中で、一旦、その筆を止めた。
文面こそ勇ましく記してはいたものの、実は天秀尼にも、そこまで強気に出られるほど自信はなかったのである。
相手は四十万石の大藩であり、幕府による別の裁定では、藩主の非は認めつつも出奔した家老、堀主水に家臣の礼を欠いたとして、切腹の命令が下りていたのだ。
しかし、東慶寺を頼って来た堀主水の妻子だけは、何があっても守らなければならない。
天秀尼は、弱気になりそうな自分を叱咤した。
東慶寺には、開山時より伝わる寺法がある。
それは『縁切り』だ。
東慶寺に駆込み成立となった時点で、何者も手出しが出来なくなり、寺の中で足掛け三年、二十四カ月ご奉公を行えば、晴れて縁を切れるという、あの徳川家康も認めた制度がある。
これに則れば、ご奉公を済ませれば、主水の妻という理由で彼女を裁くことができなくなるのは、自明の理。
弱い者の味方となって、理不尽な世の中に立ち向かう。
天秀尼は、自身を襲った不幸な境遇と世間の力なき人々の人生を重ねて、頼って来た人に対しては寄り添い、力になると決めていた。
そうすることが、亡き父、豊臣秀頼の供養にもなると強く信じていたのである。
天秀尼は、幼き頃、僅かな時間だが、ともに過ごすことができた父の大きな背中を思い浮かべるのだった。
自分が入寺する前、まだ、奈阿姫と呼ばれていた頃のことを思い起こす・・・
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