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第6章 悲運の姫 編

第67話 治房の思惑

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抵抗をすることを止めた天秀が駕籠に揺られたまま、連れ去られた最終地は、近江国の坂田郡箕浦さかたぐんみのうらにある小寺。

どのような縁で、この地に潜伏しているのかは分からないが、天秀の目の前にいる男は、間違いなく大野治房と名乗った。

「大阪城内で、お見掛けしたことはございますが、正式に挨拶をするのは、初めてでございますな。私、大野治房と申します」

天秀を上座に座らせているものの、その手足には相変わらず枷がかけられている。
勿論、逃走を警戒してのことだが、およそ主君と仰ぐ者への扱いとは、かけ離れていた。

「私を連れ去った理由は、何でしょうか?」
「無論、今の間違った世を糾し、正しい世に戻すため。奈阿姫さまに一役、買っていただくためです」

予想通りの回答だが、天秀は、もう少し治房の戯言に付き合うことにする。どこで、有益な情報を得られるか分からないのだ。

「正しい世とは、どういう意味ですか?」
「豊臣の世に決まっているではありませんか!」

治房は語気を強める。まるで、こんな当たり前のことを、何故、分からないのかと言いたげだった。
しかし、天秀には、到底、正気とは思えない。

「といっても豊臣恩顧の大名、最後まで残っていた福島さまも減封されました。それに対して、徳川幕府は家光さまで三代目と安定しております。どうやって、転覆させようというのですか?」

「何、徳川に不満を持つ大名は、まだまだ、おります。領土安泰を反故にされた毛利、また、所領百万石のお墨付きを破られた伊達だて島津しまづとて、腹の内では徳川を追い落とそうと考えていることでしょう」

事実と妄想、都合のいい自己解釈を織り交ぜている感じだ。
天秀には、治房が時代に取り残された憐れな人物に見える。

「では、兵も城もないあなたは、どのようにして、その世を糾す戦に参加するのですか?」
「なに、秀吉公、秀頼公より賜った資金が、まだまだございます。それを使えば、城も兵も簡単に手に入りますよ」

二人から、どれほどの大金をいただいたのか分からないが、治房の資金源が分かった。
天秀をさらうために、大掛かりに人を使っている。ただの浪人に、どうしてそのようなことが可能か分からなかったのだが、ようやく謎が解けた。

「それで、私に何をせよというのですか?」
「大戦の総大将となれば、男子が必要です。奈阿姫さまには、豊臣の血を継ぐ元気な御子を産んでいただきたい」

この返答は、予想外だった。思わず天秀は、おぞましいものを見るような目で、治房を睨み返す。

「正気ですか?私は尼僧となる身ですよ」
「それは徳川が決めたことでごさいましょう。何も奈阿姫さまが、素直に従う必要はありません」

何を言っても無駄とは、まさにこのことだろう。治房は自分の考えが正しく、あまつさえそれが豊臣の意思だとまで言い放つ。

「亡き秀頼さまも、淀君さまも、きっとそう望まれているはずです」

治房は、そう言い切るがそんな事はないと天秀は、心の中で叫んだ。
天秀の瞼に焼き付く秀頼は、家のことよりも天秀が生きる残ること、幸せに過ごすことを祈る。そんな人物なのだ。

それは淀君にしても同じ。何も知らない世間の人々からは、心なく悪く言われることもあるが、天秀はとても優しい人だったことを知っている。

そんな二人が、天秀の気持ちを無視するようなことを望むわけがない。
秀頼や淀君の本質を理解していない治房には、永遠に分からないことだ。

不意に治房が天秀に近づいてくる。先ほどの話もあり、危険を感じた天秀は身を強張らせた。
その様子に治房は苦笑いをする。

「私は、もうそこまでの元気がありません。枷を外させていただくだけでございますよ」

ここに来て、ようやく天秀は自由となった。当然、寺の警備には自信があり、天秀が逃げることができないという自信の現われなのだろう。

「ああ、それから、もし好みがあるなら、前もっておっしゃって下さいね。見繕ってごらんにいれます」

到底、受け入れることができない台詞を吐いて、治房は天秀の前を去って行った。
代わって、深恵がやって来る。引き続き、天秀の世話を任されているようだった。
その深恵に一室に案内されると、どっと疲れたように天秀は腰を下ろす。

「夕食までお時間がございます。それまで、何かあればおっしゃって下さい」

深恵には、申し訳ないが、今は何かを話すような気分にはなれない。
話を真に受ければ、命は安堵されるものの、天秀の尊厳は汚されてしまうのだ。

果たして、甲斐姫たちの救助を待っている余裕があるのだろうか?
もし、治房のいう通り、誰かと性交となれば、それは戒律違反となる。

戒律のことを教わってからは、絶対に破ってはならない戒めと決めていた。
破るようなことがあれば、自害する。そう強い決心を抱いていたのである。

それに・・・
『好きでもない人と・・・その時は、舌を噛んで、先に自害するしか・・・』

天秀は、覚悟を決めた。その時の表情が、あまりにも怖かったのか、深恵は何かを察する。

「天秀さま。自裁なんて、考えていませんよね?絶対に、やめて下さい」

深恵が信仰するキリスト教では、自殺は大きな罪とされている。キリシタン大名の中には、罪に問われた際、武士の栄誉である切腹を選ばず、部下に首を落とさせる者までいた。

深恵が心配したのは、宗教上のことなのか、身を心配してのことなのか、分からないが、心優しい彼女のこと、多分、後者の方が強いのだと思う。

「世を乱して、民を苦しめる者に手を貸すわけにいかないの。・・・でも、大丈夫。それは本当の最終手段。そうならないように徹底的に抗ってみせるから」
「それならばいいのですが・・・」

納得しきれていないようだが、再度、天秀が大丈夫と告げると、ようやく笑顔を見せるようになる。

ここから、脱出するにも囚われている深恵の母親も救わなければならない。
万が一、治房の耳に入らぬよう、天秀は声を落とした。

「深恵さん、あなたのお母さまは、どこに監禁されているの?」
「このお寺の土倉に、他のキリシタンの方と一緒に」

山善左衛門の人質も一緒にいるという。母親と年端のいかぬ男の子ということだ。
ただ、そうなると、もし開放しても戦力と考えることはできない。
さて、どうすべきか思案しているとき・・・

「おーい、大丈夫か?」

姿は見えないが、聞きなれた声が聞こえた。
間違いなく、瓢太である。
天秀は、暗闇の中、一筋の光明がさしたと感じるのだった。
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