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第9章 東慶寺への寄進 編
第104話 忠長の最後
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徳川家家臣に、水上戦を得意とする小浜光隆という武将がいた。
大坂冬の陣では、九鬼水軍で有名な九鬼守隆らとともに伝法口を攻め、野田・福島の戦いで豊臣水軍を撃ち破る功を立てている。
現在、光隆は所領石高で言えば旗本という立場だが、大阪船出頭という重要な職務を任されていた。
主な仕事内容は、大阪以西の大名が保有する船舶の監察である。光隆が目を光らせている限り、海上の治安は保たれていると言っても過言ではない。
大御所、秀忠からも信任篤い、徳川水軍には欠かせぬ人物なのだ。
その光隆の息子の一人に七之助という者がいる。
温厚な性格にて気配りに長ける優しい青年は、海上の荒々しい任務に適さず、陸地での仕官を求めた。
そこで、秀忠からの推薦で、駿河大納言の家臣となるのだった。
忠長の方もよく気が利く七之助を便利遣いし、何かと行動を共にすることが多い。
春先の新芽が芽吹こうかという季節。
この日も鷹狩りのお供に七之助を連れて行くのだった。
ところが、その途中で運悪く天候が荒れ、小雪がぱらつくこととなる。
鷹は羽が濡れることを嫌い、天気が悪いと飛び立たない習性を持つ。
故に鷹狩りの中止を余儀なくされてしまうのだ。
これで、忠長の機嫌は一気に悪くなり、不穏な空気が流れだす。
肌に感じる寒さと相まって、苛立ちは、どんどん高まっていった。自然と供の者たちにきつく当たり始める。
供の一人、七之助は何とか主君の機嫌を取り戻そうと、休憩できる場所を探した。
すると、一件の民家を見つけることが出来る。
「家主、済まぬが駿河大納言さまの雨宿りのため、こちらに案内しても構わないだろうか?」
「え?駿河さまですか・・・」
その名を聞いて、家主に断る度胸など、当然ない。
程なくして、民家の前に忠長が立つのだった。
忠長は、そのみすぼらしい佇まいに険しい顔をするものの、雪で濡れるよりは幾分、まし。
暖を取れるのであればと、促されるまま中に入った。
ここで、七之助は忠長に温かい汁物でも作って差し上げようと、台盤所の使用許可をもらう。
「駿河大納言さま、今、何か温かいものをこしらえますので、少々、お待ちください」
「おお、早くせい」
忠長の催促もあり、早速、取りかかろうとするのだが、あいにくと竈の火は落とした後だった。
家主が薪なら、家の外にあると言うので、七之助は急いで取りに行き、火起こしに取りかかる。
しかし、濡れた薪への着火は容易ではなかった。
器用な七之助をもってしても、かなり手間取ってしまうのだ。
「七之助、まだか?」
「申し訳ございません。今、暫くお待ちください」
このやり取りを数回繰り返すと、ついに忠長が切れて、癇癪を起す。
胸のざわめきに、七之助が振り返ると、そこには抜刀して、刀を構える忠長がいるのだ。
「だ、大納言さま、落ち着いてください。今、やっと、火が着いたところでございます」
「嘘を申すな」
その一言を言い放つと、忠長は一気に刀を振り降ろす。七之助を正面から、斬りつけたのだ。
袈裟斬りにされた七之助の手は空を掴みながら、その場に倒れる。将来有望と目された青年は、憐れにも、この場で絶命してしまった。
七之助の鮮血が飛び散った民家の中には、悲鳴がこだまする。
倒れた七之助の後ろでは、薪がパチパチと音を立てているのだった。
後日、この話は、涙にくれる七之助の父・光隆を通して、すぐ幕府に伝わる。
そして、ついに大御所である秀忠の耳にも入るのだった。
秀忠は、この話を聞いた時、自身の息子の育て方を誤ったと後悔する。
幼少の頃より、目鼻立ちがよく利口であった忠長を溺愛し、甘やかしすぎたのが悪かったのだ。
ここは、はっきりとけじめをつけなければならないと心を鬼にする。
忠長に蟄居を命じるよう、家光に指示を出した。
家光としても、散々、改善を促した挙句、結果がこれでは、致し方なしと父の判断を支持する。
ただ、やはり、兄弟の情だけは抑えられなかった。蟄居先には、忠長の領地である甲府を指定するのだ。
自領であれば、蟄居とはいえ、不自由も緩和されるとの配慮である。
これで少しでも反省の色を見せてくれればと願うも、残念ながら忠長には、そんな家光の想いは届かなかった。
その蟄居先から届く情報は、忠長の乱行騒ぎだけ。処遇に不満があるのか、忠長の行動は輪をかけてひどくなる一方だった。
これが家光の大きな悩みの種となる。
この様子に秀忠も呆れたのか、自身が倒れ床に伏した時も、忠長の面会だけは許さなかった。
そして、1632年。秀忠が亡くなった際も、遺言から、その死に目に会うことが叶わないのである。
この件が更に尾を引き、忠長の奇行は、ますます度を増していった。
忠長の傅役である内藤政吉を甲冑姿で追いかけまわす。極めつけは、殺害した童子の頭を唐犬に食わせるという話を聞いた時、家光も手の施しようがないと諦めた。
忠長を改易して、身柄を上野国高崎藩に逼塞させる。
そこで、今まで、もっとも避けていた断を下した。
それは、弟忠長に切腹を命じたのである。
忠長がとって来た行動は、家光に苦渋の決断を迫るほど、許されることではなかったのだ。
父、秀忠が亡くなった翌年、1633年。高崎藩の大信寺において、忠長は自刃する。享年二十八歳のことだった。
大坂冬の陣では、九鬼水軍で有名な九鬼守隆らとともに伝法口を攻め、野田・福島の戦いで豊臣水軍を撃ち破る功を立てている。
現在、光隆は所領石高で言えば旗本という立場だが、大阪船出頭という重要な職務を任されていた。
主な仕事内容は、大阪以西の大名が保有する船舶の監察である。光隆が目を光らせている限り、海上の治安は保たれていると言っても過言ではない。
大御所、秀忠からも信任篤い、徳川水軍には欠かせぬ人物なのだ。
その光隆の息子の一人に七之助という者がいる。
温厚な性格にて気配りに長ける優しい青年は、海上の荒々しい任務に適さず、陸地での仕官を求めた。
そこで、秀忠からの推薦で、駿河大納言の家臣となるのだった。
忠長の方もよく気が利く七之助を便利遣いし、何かと行動を共にすることが多い。
春先の新芽が芽吹こうかという季節。
この日も鷹狩りのお供に七之助を連れて行くのだった。
ところが、その途中で運悪く天候が荒れ、小雪がぱらつくこととなる。
鷹は羽が濡れることを嫌い、天気が悪いと飛び立たない習性を持つ。
故に鷹狩りの中止を余儀なくされてしまうのだ。
これで、忠長の機嫌は一気に悪くなり、不穏な空気が流れだす。
肌に感じる寒さと相まって、苛立ちは、どんどん高まっていった。自然と供の者たちにきつく当たり始める。
供の一人、七之助は何とか主君の機嫌を取り戻そうと、休憩できる場所を探した。
すると、一件の民家を見つけることが出来る。
「家主、済まぬが駿河大納言さまの雨宿りのため、こちらに案内しても構わないだろうか?」
「え?駿河さまですか・・・」
その名を聞いて、家主に断る度胸など、当然ない。
程なくして、民家の前に忠長が立つのだった。
忠長は、そのみすぼらしい佇まいに険しい顔をするものの、雪で濡れるよりは幾分、まし。
暖を取れるのであればと、促されるまま中に入った。
ここで、七之助は忠長に温かい汁物でも作って差し上げようと、台盤所の使用許可をもらう。
「駿河大納言さま、今、何か温かいものをこしらえますので、少々、お待ちください」
「おお、早くせい」
忠長の催促もあり、早速、取りかかろうとするのだが、あいにくと竈の火は落とした後だった。
家主が薪なら、家の外にあると言うので、七之助は急いで取りに行き、火起こしに取りかかる。
しかし、濡れた薪への着火は容易ではなかった。
器用な七之助をもってしても、かなり手間取ってしまうのだ。
「七之助、まだか?」
「申し訳ございません。今、暫くお待ちください」
このやり取りを数回繰り返すと、ついに忠長が切れて、癇癪を起す。
胸のざわめきに、七之助が振り返ると、そこには抜刀して、刀を構える忠長がいるのだ。
「だ、大納言さま、落ち着いてください。今、やっと、火が着いたところでございます」
「嘘を申すな」
その一言を言い放つと、忠長は一気に刀を振り降ろす。七之助を正面から、斬りつけたのだ。
袈裟斬りにされた七之助の手は空を掴みながら、その場に倒れる。将来有望と目された青年は、憐れにも、この場で絶命してしまった。
七之助の鮮血が飛び散った民家の中には、悲鳴がこだまする。
倒れた七之助の後ろでは、薪がパチパチと音を立てているのだった。
後日、この話は、涙にくれる七之助の父・光隆を通して、すぐ幕府に伝わる。
そして、ついに大御所である秀忠の耳にも入るのだった。
秀忠は、この話を聞いた時、自身の息子の育て方を誤ったと後悔する。
幼少の頃より、目鼻立ちがよく利口であった忠長を溺愛し、甘やかしすぎたのが悪かったのだ。
ここは、はっきりとけじめをつけなければならないと心を鬼にする。
忠長に蟄居を命じるよう、家光に指示を出した。
家光としても、散々、改善を促した挙句、結果がこれでは、致し方なしと父の判断を支持する。
ただ、やはり、兄弟の情だけは抑えられなかった。蟄居先には、忠長の領地である甲府を指定するのだ。
自領であれば、蟄居とはいえ、不自由も緩和されるとの配慮である。
これで少しでも反省の色を見せてくれればと願うも、残念ながら忠長には、そんな家光の想いは届かなかった。
その蟄居先から届く情報は、忠長の乱行騒ぎだけ。処遇に不満があるのか、忠長の行動は輪をかけてひどくなる一方だった。
これが家光の大きな悩みの種となる。
この様子に秀忠も呆れたのか、自身が倒れ床に伏した時も、忠長の面会だけは許さなかった。
そして、1632年。秀忠が亡くなった際も、遺言から、その死に目に会うことが叶わないのである。
この件が更に尾を引き、忠長の奇行は、ますます度を増していった。
忠長の傅役である内藤政吉を甲冑姿で追いかけまわす。極めつけは、殺害した童子の頭を唐犬に食わせるという話を聞いた時、家光も手の施しようがないと諦めた。
忠長を改易して、身柄を上野国高崎藩に逼塞させる。
そこで、今まで、もっとも避けていた断を下した。
それは、弟忠長に切腹を命じたのである。
忠長がとって来た行動は、家光に苦渋の決断を迫るほど、許されることではなかったのだ。
父、秀忠が亡くなった翌年、1633年。高崎藩の大信寺において、忠長は自刃する。享年二十八歳のことだった。
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