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第一章 寄稿者の失踪

第1話 デザート・ブッフェにて

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  二〇一七年秋 某日

「あんた、何皿目?」
 皿に積まれたケーキを眺めながらまいが言った。
「たぶん十皿目……くらい?」
 月島つきしまかえではマロンのケーキにフォークを突き刺しながら答えた。

「ほんと、よく食べるよね」
 テーブルの真向かいから理恵りえの声も飛んでくる。
「そう? せっかく来たんだから沢山食べないと勿体ないじゃん」
「まあ、元気で何よりだわ」

 楓は新宿にあるホテルのレストランで行われているスイーツブッフェにいる。オータムフェアの期間中で、マロンクリームを贅沢に使ったケーキやタルト、大粒の葡萄が入ったゼリーなど、秋の味覚を次々と頬張っていく。

 食欲の秋など関係なく食い意地が張っているのはいつものことだが、やはり秋は食欲が増すような気がする。

 半年前はこんな贅沢をすることは、決してできなかった。デザートブッフェの料金で一週間分の食費を賄わなければいけないような時さえあった。それが変化したのが半年前。K県にある華月町かげつちょうという町で起きた事件に関わったことだ。

 フリーライターになる前に勤めていた弱小出版社、オペランドの社長である坪川つぼかわ永助えいすけを介して大手出版社である奏明社そうめいしゃの手伝いとしてある事件に関わったが、因果の渦に巻き込まれ、楓自身も九死に一生の体験をするはめになった。

 凄惨な殺人事件は大きく報じられたが、同時期に発生した収賄事件による内閣の責任問題、更には豪雨による各地での被害が深刻になり、事件そのものは次第に埋もれていった。

 それでも華月町の事件については、実際に事件の渦中にいた楓と奏明社編集部の小野瀬おのせ崇彦たかひこの二人が体験したということもあり、短期集中で事件に関する連載をして欲しいと奏明社から依頼された。

 楓の書いた記事は採用され、無事に掲載することとなったが、事件に関わっていると思われた宗教団体サバトについては、プライバシーの配慮から記事で触れることはなかった。

 真相を知るのは、一部の関係者のみである。明るみに出ればそれなりに大きなスクープになると、事の経緯を知る者たちは理解していた。しかしながら、それを提案する者は誰一人としていなかった。

 短期とはいえ楓にライターへの憧れを強く抱かせた本『引船ヶ丘ひきふねがおか事件の真実』を出版した奏明社に連載が持てた、という事実だけで楓の心は踊った。
 もちろん一番心が躍ったのは原稿料が振り込まれた時であったが。

 フリーライターとしてWebの記事などを中心に細々と書いてきた楓にとって、大手出版社の報酬は文字通り桁違いだった。

 とはいえ、連載が終了してしまえば、楓は再びフリーライターに戻ることになる。連載の反響はそれなりにあったので、そこから楓はライターとして引く手あまたになる予定だったが、現実はそう甘くなかった。

 それでも久しぶりに入ったまとまったお金に高揚し、ストレス発散のため思い切ってスイーツブッフェに繰り出したのだ。


「楓はそんだけ身体が細いくせに、神経は図太いよね」
「そんな経験したら、私だったら耐えられないかも」
 連載の時は多くを触れなかったが、舞と理恵には楓が体験した出来事は話していた。
「私だって……大丈夫じゃなかったよ」
 あと一歩のところで燃え盛る小屋の中で焼け死ぬところだったのだ。それだけでなく、自分はこれまでも何度か命の危機に瀕している。

「けど、こうして生きてるし。それならくよくよしてるばっかりじゃいけないって」
「で、助けてくれた王子様とはどうなのよ」
 ドキっとして楓の持っていたカップが揺れ、ソーサーにぶつかった。
 小屋に監禁されていた楓を救ってくれたのは小野瀬だった。

 小野瀬とは連載の時にもやり取りをしていたが、仕事の話ばかりであった。

 連載が終わってからは連絡を取り合っていない。こちらから連絡しようかと思ったが、収賄事件に端を発した一連の問題により、内閣が解散総選挙に打って出ている。その対応で、政治色の強い奏明社の中は連日戦場のようになっているという。自分から連絡して邪魔をしてはいけないと思うと、どうしても怖気づいてしまう。

「でも、小野瀬さんとはそうじゃないよ」
 舞と理恵は顔を見合わせたあと、まじまじと楓の顔を見つめてきた。
「楓、本当に嘘が下手だよね」

「なによ、もう。そんなことないって。吊り橋効果かもしれないし」
 嘘だった。小野瀬のことを意識していないわけがない。
「吊り橋効果って?」
「あ、えーと。怖い体験をした時に誰かと一緒に不安とか恐怖を共有すると、その人に恋愛感情に近いものを抱いてしまうって心理学」
「ふーん。じゃあ、お似合いってことじゃん。相手二個上だっけ? 楓ももうアラサーなんだから。相手の実家にも行ったんでしょ。私たちより進んでるじゃん」
「ま、このご時世だから年齢で慌てることはないけど、せっかく良い人がいたんなら、うかうかしてると誰かに取られちゃうよ」


 それから舞と理恵は互いの彼氏の愚痴を話し始めた。
 楓は現在二十七歳で、小野瀬は二十九歳だ。小野瀬の実家は華月町にあり──だからこそ編集の小野瀬が取材に駆り出されたわけだが──取材の時に小野瀬家に招かれ夕食をいただいた。

 命を救ってもらい、危険を共にした小野瀬へ特別な感情がないかといえば嘘になる。けれど取材中、楓は一方的に自分の話はよくしていたが、小野瀬は自身のことをあまり多く語らなかった。自分が思うほど、楓は小野瀬のことを実はあまり知らなかったのだ。

「もう一回タルト食べよっと」
 まだ食べるのかと驚きの目を向けた二人を尻目に、楓は立ち上がった。
 皿を取りに行くとき、視界の端に違和感があった。
 そちらを向くと、違和感の正体がわかった。正しくはと呼ぶべきかもしれない。

 どこで売ってるかわからないような柄のシャツを着た天然パーマの男が座っていた。その顔はよく見知った坪川の顔だ。甘党でもないのに、なんでこんなところに。

 楓は柱の陰に隠れて見つめると、坪川の向かいに女性の背中が見えた。派手すぎない白いレースのついたワンピースを着ていて、髪は黒くて長い。若い女性のようだ。

 一旦席に戻り、トイレに行くふりをして坪川の背後から回り込む。坪川の向かいに座っていて、一口大のショートケーキを食べようとしているのは、大人びているが、まだ中学生くらいの女の子だった。

 ──坪川さん……まさか。

 突然、坪川が何かを言って立ち上がった。こちらに振り向きそうだったので、慌ててトイレへ逃げ込む。

 トイレの中に入り、焦る気持ちを必死に抑える。このままでは、このままでは下世話な好奇心が暴走してしまう。気持ちを少し落ち着かせてトイレを出ると、帰ってしまったのか坪川たちの姿はなかった。テーブルには空いた皿とカップだけが残されている。

 ──しまった。見失った。

 事前会計なので、もうその姿はレストラン内にはなかった。
 一旦席に戻る。
「どうした? 変な顔して」
 理恵が楓の顔を見ながら言った。

「さっきそこに前の会社の上司がいたの。上司っていうか社長だけど」
「へえ。偶然じゃん」
「それが、中学生くらいの女の子といたの」
「娘とかじゃないの?」
「違うと思う。坪川さん独身だもん」
「なら、まさかエンコーとか?」

 援助交際エンコー
 一瞬、楓の心を過ったワードだ。いや、いくら普段テキトーな坪川でもまさかそんなことは。
「違う……とは思うけど」
「ま、こんな白昼堂々とブッフェなんて来ないよね。親戚の子とかじゃないの? 東京に出てきてて、遊びに連れてきたとか」

 たしかに、そう考える方が自然だ。下世話な想像をしてしまった自分を恥じる。けど、今までもそんなことはなかったし、話にも聞いたこともないのでどこか腑に落ちない。

 いくら坪川とはいえ好奇心だけでプライベートにまで踏み込んでしまっていいか、楓は思い悩んだ。
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