超量産艦隊

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三一六計画

九九式単座襲撃機

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九九式艦上単座爆撃機は制式化されてすぐに陸軍向けの機体も開発された。
そして九九式単座襲撃機となり制式採用された。
諸元は九九式艦上単座爆撃機と同一である。
そして、この九九式単座襲撃機がかなり重要になる。
日本は大陸において満州地域を地盤とする奉天政府を支持し続けていた。
奉天政府は国民党政府を相手に善戦していたものの、やはり工業力がまるで話にならなかった。
一時は北京を占領していた奉天政府だが、現在は満州地域の防衛に躍起になっている。
陸軍はそんな奉天政府にこの九九式単座襲撃機を搭乗員ごと供与しようと考えた。
所謂義勇軍であるが、既にスペイン内戦に置いてドイツ軍が同様の事を行っていたためさして問題はないと帝国政府は判断した。


九九式単座襲撃機は奉天政府に送られると獅子奮迅の働きを見せた。
対地支援の際は60㎏爆弾を8発抱えての爆撃を行う本機だが、爆撃を終えた後も20㎜機銃や12.7㎜機銃による機銃掃射を行い、また敵戦闘機が迎撃に現れた際には1500馬力という高出力で敵機を引き離し、一撃離脱を仕掛けた。
送られた九九式単座襲撃機は30機程度であったが、3カ月経っても被弾機こそあれどまだ被撃墜機は出していない。
翻って12機の敵機を血祭りに上げている。
それらはソ連から輸入されたI‐16であったが、20㎜機銃の前にはあえなく撃墜される他なかった。
また、これは副産物だが九九式単座襲撃機は軍馬の様に頑丈かつ整備しやすい機体と言うことが判明した。
エンジンの馬力に余裕があったため構造を簡略化したことがここで活きてきたのだ。
「この機体があれば戦闘機なぞ必要ない!」
そう豪語したのは30機の九九式襲撃機の指揮官である加藤健夫大尉である。
九九式単座襲撃機は重戦闘機と言う側面も併せ持っていたためこの発言はある種当然と言えた。


九九式単座襲撃機の活躍は国民党を通じて世界に知れ渡った。
だが、反響はそこまで大きくない。
それは九九式単座襲撃機の機影にあった。
九九式襲撃機は逆ガル翼を採用している。
これがドイツのJu87、いわゆるスツーカの機影と酷似していたのだ。
そのため、欧米諸国は”日本が研究のために輸入したスツーカを奉天に横流しした”という見方が大勢を占めた。
この時はまだ日本の技術が欧米に遠く及ばないと考えられていたのである。
日本の技術者にとってこれほど屈辱的なことは無かったが、日本軍はその真の実力を隠すことが出来たのである。
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