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11.終わりの幕開け

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蝋燭を灯されただけの仄暗さと、充満する媚香の甘い匂いが、見慣れたはずの部屋を違う場所の様に感じさせる。
今着ている服も普段とは違うものだからなおさらなのかもしれない。

準備を手伝った使用人達が忌々しそうな表情をしていたので、あなたたちか想像している様なことにはならないのよ。と言ってやれたら、少しは胸のわだかまりがとけたのだろうか。
昨晩は最悪な結末が頭をよぎり眠れなかった。
身じろぎするたびにベッドのスプリングが音をたてるのが嫌で、気を紛らわすために自分の髪を手櫛で漉く。
所在なさ気にいると、扉が開く音が聞こえ無意識に身を固くする。

「…お待たせ。」
私と同じ夜着を着た殿下が躊躇いがちに室内に入り、隣に腰掛ける。
私達しかいない部屋はいやに静かで、ベッドの軋む音が虚しく響いた。
キシリと隣の殿下が動く気配を感じ、そちらに顔を向けると殿下の手が頬に添えられる。

真剣な顔の殿下に見つめられ、鼓動が高鳴る。殿下はゆっくり口を開き、
「ここまで来て申し訳ないが、私は君を抱くつもりはない。」と残酷な台詞を言う。

「…そう言われると思っていました。派閥争いをしている中で、万一私が殿下の子を宿してしまったら、さらに複雑な状況になりますよね。」
先程、優しいこの人が困った様に微笑んだときから、こうなることは予測していた。

* * *
イザベラ義兄様から指示を受け、すぐに殿下の私室を尋ねた。私室の前で、もうやり遂げる覚悟をきめたでしょと自分を鼓舞し躊躇せずに目の前の扉をノックした。

「はい。」と中から殿下の声が聞こえる。
「夜分遅くにすみません。ツィーリィです。」と言うと、
「こんな夜遅くにどうしたの?」驚いた様子で殿下が扉を開けた。
私は少し思案する素振りをし、徐に口を開く。

「殿下は、前に辛いことがあれば言って欲しいと仰ってくれました。」
「ああ。」
殿下は静かに頷く。それを見て殿下から視線を外し目を伏せ話す。

「殿下に…シエラ伯爵婦人という思い人が居ると聞いて、胸が今にも張り裂けそうなほど、辛いです。」
悲しそうに、胸が苦しそうに見える様に胸元で手を握りしめる。

「…シエラ伯爵婦人は、そういう人ではない。」
私の迫真の演技が効いた様で殿下が困惑した様に言う。

「っ‼︎思い人ではないなら、何故、殿下は私の部屋へ御渡りをしてくれないんですか?」
本心ではない気持ちを、語気を強く責める様に言う自分が少しおかしかった。

「君が来てまだ、日が浅い。もう少し経ってからと機会を伺っているんだ。」と諭す様に言い頭を撫でられる。

「そんなの嫌です。」
聞き分けのない子供の様に首をふった。

「嫌といわれても…。君は、どうしたら納得してくれる?」優しい殿下はこちらが待ち望んだ問いをくれる。

「今日、御渡りをしていただけたら納得します。」
そう言うと殿下は困った様に微笑み、
「分かった。待っていて。」と言った。
そして、誠実な殿下は約束を果たしてくれた。
* * *

「分かってはいたんだね。」
私の返事を聞いた殿下が安堵した様子で言う

「あと、シエラ婦人のことなんだが…」殿下が徐に切り出したので
「殿下が思い人ではないと仰るのなら私はそれを信じます。」と言うと、殿下が驚く。

「だって、殿下は私との約束を守って、今日こうして来てくださいました。だから誰かから聞いた話ではなく、殿下が仰る言葉を信じます。」
良心が痛むのを気づかないふりをして殿下の顔を真っ直ぐ見て言う。

すると殿下は嬉しそうに笑い
「ありがとう。」と今度は額にキスを落とす。

「もぉ、殿下っ!」またも不意打ちをくらい赤くなっているのが自分でも分かり、殿下に非難の声をあげる。
それを殿下は面白そうに見てから
「キス一つで、そんなに真っ赤なら夜伽はまだまだ先になりそうだね。今日は、よく頑張りました。」と揶揄い、頭を撫でる。

殿下のペースに巻き込まれてなるものかと、
「今日は、これ以上なにかするの禁止です!なので殿下は寝てください!」と言い、自分の膝をポンポンと叩いて殿下を見る。

「…案外、大胆だよね。」殿下がぼそりとつぶやくと、私の膝に頭を下ろす。
シミュレーションとは違ったけれど、とりあえず膝枕できた事にホッとし、柔らかい金色の猫っ毛を撫でる。
すると公務で疲れているのか規則正しい寝息が聞こえてくる。

膝の上で眠る殿下に「ごめんなさい。」と心の中で呟いた。

---

「殿下ぁ、ラヴェル殿下」念のため、名前を呼び、頬を指で突っついて、起きるか確認をする。
突っつかれて、眉間に皺は寄せたが、規則正しい寝息は変わらず深く寝入っている様だ。
自分がこれからしようとしていることの緊張と恐怖で呼吸が乱れそうになるのを、ふぅっと息を吐き出して整える。
そして、左手を枕の下に伸ばし、そこに隠していたものを取り出す。

「今晩の夜伽に実行する」そう指示をした義兄様は私にシルクのハンカチに包まれたある物を手渡した。

受け取ったそれは、義兄様の緻密で洗練された魔法で出来た氷の短剣。
目的が達成されたあと、短剣を叩き割れば水に戻るらしい。
一見すると、氷の彫刻に見えるそれの切れ味を確認するため剣先を指でなぞると、ピリッとした痛みが走り指先からたらりと血が流れる。
短剣の出来栄えはさすがだ。
浅く傷ついた指先はじんじん熱を持つが、血を見たことで頭は冷え冷静になっていく。

あの日、シアー侯爵は普段と変わらない様子で


「ツィーリィ、君にはラヴェル殿下を欲しい。」
と言った。

私達の目的は、この人の未来を摘み取る事でしか達成されない。
そのまま両手で短剣を握りしめ刃先を殿下の喉仏に向ける。
このまま振り下ろせば、一息で終わらせられると思うと同時に胸から込み上げてくるものがあり、目頭が熱くなる。
いつも優しい眼差しをくれる瞳は閉じられ、開く気配はない。
私は、この人の優しさを裏切るのだと思うと良心が痛いと悲鳴をあげる。

悲しい。誰かを犠牲にしなければ、大切な者を救えないことが。

悔しい。理不尽さに抗えない無力な自分が。

でも、もう後戻りはできない。そう自分に言い聞かせ、目を瞑り、一思いに振り下ろた。


刺さった手ごたえを感じる前に、手首が強い力で掴まれ、そのまま後ろに薙ぎ倒される。
ガタッ、バサッと耳元で大きな音が響き、先程まで座っていたはずの姿勢が、仰向けになったことを背中に当たる布団の感触で察する。

まさかと思い目を開くと
「何してるの?」
静かな怒りを宿し、冷ややかに私を見下ろす紅い瞳と視線が交わる。
私の目に溜まっていた涙がはらりと溢れ落ちた。
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