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1 始まりと決意

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「ごめん……君との婚約をなしにして欲しい」

 その言葉に、彼も噂を信じるのねと内心悲しくなった。

 見つめれば、彼は怯えた小動物のように震えだした。そんな姿を見て、思わず溜息が出る。
 ビクリ、と肩を揺らす彼に、私は言葉をかけた。

「……わかったわ。今までありがとう、さようなら」

 そう答えるや否や、彼……つい先程まで婚約者だったヴァリスは青ざめていた表情から一変。嬉々とした笑みともとれる顔を浮かべ、そのまま走り去っていった。

 これで、私の社交的立場において味方となってくれる人はいなくなった。



 私、ユナ・リリーベルは伯爵家長女として生まれた。いずれ家を継ぐ。その為に厳しい勉強やマナーの授業も耐えてきた。
 だが、両親はそんな私より、一つ年下の妹シーカばかりを甘やかす。嫉妬とかではなく、率直な意見だ。

 そんなシーカは、何故か私を目の敵にしている。小さい頃から両親に嘘を吐き、私に罪をなすり付けたりは日常茶飯事だった。そんなシーカの行動も、年を追うごとに増していき、今では社交界の場で妹を虐める悪女とまで噂されるまでになってしまった。

 噂の大元はわかっている。シーカだ。何故わかるのか? 彼女が自分からそう言ってきたからだ。

「お姉さまって、生意気なのよね。私に媚びることもないし……だから、根も葉もない噂流しちゃった♪ まさか皆して信じるんだもの。お姉さま、信用されてないのねっ」
 そうにこやかに話すシーカに一瞬怒りを露わにしかけたが、すぐに無関心を装った。
 シーカは自分が中心でなければ嫌なのだ。少しでも他人に注目が集まるのを嫌っている。

 そして、私を弄ぶのを楽しんでいる。
 だから、彼女の前で少しでも感情を露わにすれば、彼女を喜ばせるだけだ。
 
 表情を変えないユナを見て、シーカは眉間に皺を寄せ表情を歪ませたまま、その場を去って行った。
 彼女の後姿を見つめながら、ユナは小さく溜息を吐いたのだった。


 いつから、シーカは私を嫌いになったのかは定かではない。だが、幼少期からだったのは確かだ。

 別に、噂も苦ではなかった。既に私には婚約者がいるし、シーカは一年後には成人し、家を出なければならない。だから気にもしていなかった。

 彼があんなことを言い出すまでは……。



 自室に戻り、ベッドの上に倒れ込む。ヴァリスに別れを告げられた時はさほど苦ではなかったが、今後のことを考えると苦でしかない。新たな婚約者を探すため、社交界に出なければならない。
 考えるだけでも気が重たい。

 暫くベッドで寝そべっていると、ノックと共に使用人のアイラが部屋を訪れてきた。彼女は私の、唯一の使用人だ。
 昔は他にも何人かいたが、シーカの我が儘や嘘によって辞めさせられてしまった。よって、今ではアイラただ一人だ。

「何? どうかしたの」
「旦那様が書斎でお待ちです。……嫌な予感がします」

 アイラの言葉に、背筋を嫌な汗が伝っていく。彼女の勘は当たりやすいのだ。



「失礼します」
 父の書斎に入ると、そこには父だけでなく母の姿もあった。
 二人とも、食事の際に顔を合わせるくらいしかないのに……。と言っても、視線は合わせてくれないが……。
 そんな二人が、ユナをジッと見つめる。嫌な予感がして、心臓が大きく脈打つ。

「単刀直入に言う。お前にはニールベルグ領のグラヴィス公爵家に嫁いでもらう」
 その言葉に、ユナは目を見開く。グラヴィス公爵家……軍人家系であり、ニールベルグ領にある城塞を守護する役職を代々担っている。
 そんな家に、何故?
「……この家はどうなさるおつもりですか?」
 震える声で訊ねる。信じられない発言に、頭がついて行かない。
「一年早いが、シーカに継がせる。婚約者はヴァリスだ」
 何故? 何故なの?
 疑問だけが頭を占め、説明を求めようと口を開こうとする。すると、それを遮るように父は言葉を発した。

「お前のような悪女と名高いお前を買ってくださったんだ。文句は言わせん」

 ユナに発言すら許さない言いようだ。

 新規開拓と言って手を出した事業が上手く軌道に乗っていなかったのは薄々気付いていた。おまけにシーカの浪費癖が酷くなっていることも知っていた。

 だが、自分を売って家の赤字を帳消しにしようとするとは思わなかった。

「三日後、先方の迎えが来る。それまでに支度をしておけ」
 話はそれだけだと言わんばかりに、ユナにセを向ける父。母はジッとユナを見つめているが、文句は言わせないと言わんばかりの圧をかけてくるだけだった。

 ユナは両親の仕打ちともとれる対応に耐えつつ、静かに部屋を出た。


 父の書斎の扉を閉めると、そこにはユナを待ち伏せしていたシーカがいた。彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

「良かったですね! あなたみたいな悪女と名高い人でも相手として選んでくれる人がいて!」

 言い放たれた言葉に、思わず彼女を睨み付ける。すると、シーカは恍惚な笑みを浮かべながら、ユナを押し飛ばし鼻歌交じりで両親のいる父の書斎へと入って行った。

 ユナは目を閉じ深呼吸をすると、自室へと戻って行った。三日後の迎えまでに、荷物の準備をしなくてはならないから。




 三日後。迎えの馬車が来る当日、荷物の最終確認をしていると、再び父に呼び出される。
 書斎の扉を開け、父の前に立つ。
 恐らく、これが父との最後の会話になるだろう。
 そう、ユナは思った。

「いいか。二度とこの家に関わるな。お前の戻ってくる場所はないと思え」
 開口一番に勘当同然の発言をされ、ユナは胸が痛んだ。だが、そんなことを表情には出さず、「承知いたしました」と言葉を返した。



 迎えの馬車が来た。豪勢な馬車は、ユナとアイラ、そして荷物をキャリッジに乗せても余裕なくらいの大きさの馬車だった。御者に礼をし、キャリッジに乗り込む。

 家族は誰も、見送りには来なかった。

 揺れる馬車の中、ユナは決意する。

 絶対に、嫁ぎ先で幸せになってみせる、と。
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