孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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六章 探求の魔女アンタレス

123.対決 隠者のヨッド

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隠者のヨッド、大いなるアルカナにおいてNo.9の座を戴く幹部の一人である

彼のアルカナ内での評判はいくつもあるが

『臆病者』『卑怯者』『卑屈な奴』『ビビり』『臆病者』『臆病者』『臆病者』

…どれもこれも侮蔑侮辱の言葉、ヨッドは禁術とされている透明魔術を彼の方から授かった隠密だ、かつては小国のスパイを務めていたこともある生粋の隠密なんだ

そんな隠れ戦う彼を見て、皆そう蔑むのだ、隠れなければ何もできない 真っ当に戦うことのできない汚い臆病者と…、隠密の本質さえ理解しない馬鹿どもにだ


隠れて 忍んで、闇から敵を討ち 誰にも知られないまま事をなすプロフェッショナル、アルカナに属する前…一部では最強の隠密なんて呼ばれたこともあったし、ヨッドもその肩書きに納得していたし自負もしていた

自分こそ最強の隠密、誰にも俺を捉えることはできず 誰にも見つかることはないと

持て囃され 期待されて 頼りにされていた、国を引っ張っているのは自分だと思っていたし周りもきっとそう思っていたことだろう、が…その評価は一晩のうちに覆ることになる

ヨッドの属していた小国が 隣国の魔女大国…『アガスティヤ帝国』に睨まれその領土を取り上げられそうになった時のことだ、国王直々に騎士よりも軍師よりも魔術師よりも大臣よりも 頼りになるのはお前だと言われた

この国難を打破出来るのはお前しかいない、アガスティヤ帝国に赴いて この状況をなんとかしてくれと頭を下げられ懇願された

別に、国王に忠誠はなかったが仕事は受けた、だって 魔女大国を相手に仕事をしたとなれば俺の評価は鰻登りだ、俺は誰よりも仕事をしている 誰よりも評価されるべきだ

お前の仕事は分かりづらいと言わせない、誰もお前を見てないとは言わせない、縁の下の力持ちではなく壇上の主役なのだと 国中に世界中に知らしめてやると俺は勇んでアガスティヤ帝国に赴いたが……



…結果は惨憺たるものだった、俺があの意味の分からん城塞に必死こいて潜入した瞬間…

目の前に 冷たい顔をした女が現れたんだ、姿を消して 気配も消しているのに、そいつはまるで俺がいる事を察知しているかのように槍を抜き…

訳もわからない内にボコボコにされた、手も足も出ないとかそういうレベルじゃない 手も足も出す前にやられた、槍の一振りで四方八方から全くの時間差もなく飛んできた連撃により俺は倒された

後になって知ったが、その女は帝国でも最強の三人のうちの一人と呼ばれる 帝国三将軍の一角 アーデルトラウトという女将軍だったらしい

俺はアーデルトラウトによってスパイ容疑で地下牢に捕らえられた…いわゆる人質だ


俺の祖国は多大な身代金を払って俺を解放してくれたが、待っていたのは針の筵…

国王は俺を呼び出し胸ぐらを掴み、俺を罵った

お前のせいで国難を打破するどころかより一層窮地に立たされた、もうこの国は帝国に飲み込まれる お前のせいだ、この役立たず と…

騎士は言った 臆病者が余計なことをするからだと

魔術師は言った 半端な魔術を使う隠密が功を焦った結果だと

大臣は言った もうこの国にお前の居場所はないと

功名は伝わりづらく失態とは風のように伝搬するもので、その日からヨッドの国内の呼び名は最強の隠密から 仕事一つロクにこなせない負け犬になった

…そしてその数ヶ月後、帝国の手によって国は飲み込まれ 俺の祖国は地図から消えた、結果として国民は帝国の相伴に預かり 元の状態よりもより栄えた…なんて風の噂が流れる頃には、俺は国を出て大陸を渡っていた

俺を送り込んでおきながら無責任に罵った国王を許せなかった 、俺を見下した騎士や魔術師を許せなかった、俺を罵倒した国民を許せなかった、俺から名声と尊厳を奪った魔女大国を 魔女を許せなかった

故に俺は裏社会に蔓延る魔女排斥組織に入り 魔女に復讐を誓った、魔女排斥組織なんて名前はついてるが 所詮は烏合の衆、八千年もの間魔女の台頭を許し続けている時点でこいつらの無能さは知れている

最強の隠密たる俺が導いてやらねばなるまい、俺にはその経験と実力がある、手始めに俺はこの大いなるアルカナのトップに立ってやろうと奮起した、幸いこの組織は実力があればのし上がれるようだし丁度いい

と、意気込み アルカナの幹部を倒し…俺はトップに立とうとした

その結果は九番目だった、下から九番目 二十人以上いる幹部の中で 下からだ、半分にも届いていない 届かなかった

俺の一つ上 No.10 運命のコフ…奴に俺を相手にもしなかった、ただ勝てないだけならいい、アイツは俺と戦わずまるで本気を出さないばかりか

『君は強いね、戦ったら負けそうだし 僕は無視してNo.11に挑むといいよ』…そう言うのだ、ハラワタが煮えくり変えるかと思った、なんだその態度は俺をバカにするようなその態度は!

いやそれだけじゃない!、俺が倒した下のNo.の幹部達も口々に俺を罵った

恋人のザインも女帝のダレットも皇帝のツァディーも…俺を卑怯者と罵った、ただ食い物に毒を仕込み寝込みを襲っただけなのに 卑怯もクソもあるか

おまけにアイツ!戦車のヘット!…アイツ、『こんなちっぽけな組織で上目指してどうすんだよ、俺のことなんか無視して上目指しな 俺は魔女殺せればそれでいいからよ』と…俺の頭を叩いて笑った なんなら部下にしてもいいと、俺の方が強いのに!

みんな、みんなを俺を下に見る 、俺を認めるような口ぶりをしていたアインもヌンもその目は明らかに俺を見下していた

みんな姿を隠して戦う俺を臆病者という、臆病者だと!俺を!祖国も俺を!組織も俺を!臆病だと中傷する!、俺はもっと評価されるべき人間なのに、口だけじゃない 成果だってあげてるのに…


だが、もういいんだ 今はいいんだ、俺に相応しい屋敷を見つけた 、魔女の屋敷らしいがここ百年近く放置しているらしいし、俺のものにしてもいいだろう、時間をかけて使用人を消して ここを俺のものにして魔女排斥派の拠点にし 俺の組織を作るんだ、そしてここを拠点にこの国を潰してやるんだ、他の奴らはもうどうでもいい

そう誓って二年経ったところで…、ある一報が入る

『アルカナ本部壊滅、運命のコフを始めとした十番以下の幹部は軒並み倒され行方不明』

最初に俺はザマァ見ろと笑った、俺をバカにした奴らやコフやヘットも魔女の弟子に倒されたらしいじゃないか、バカな奴らだ やはりアイツらは仕事の一つもこなせない負け犬なんだ

よし、この屋敷をマレムィカルムに献上しよう…そして俺の新しい組織の本部にするんだ、そうすれば俺もNo.なんぞにこだわる必要はなくなる、そう 行動を始めた瞬間…現れた魔女の弟子が 四人も

エリス…アルカナ本部を潰した奴もいる、こいつらを倒せば 俺はコフより強いことが証明される、だがマズイことに魔女もいる、しかも二人も…気がついている様子はないが 流石に魔女を単騎で倒せるとは思えない

魔女が去るまでこの屋敷の隠し部屋で身を潜めよう、大丈夫 ここに繋がる見取り図も鍵も俺が確保している、見つかることはない 食料もたくさん確保したし…あとは隙を待って

隙を待って

隙を待って

待って、待って 待ち尽くして二週間経った、無い 隙が 魔女には一切隙がない、ともすれば俺の存在に気がついているのではないかと思う程に隙がない

食料ももう尽きた、このままでは餓死してしまう…俺は決死の覚悟で隠し部屋を出て 夜中に厨房に向かい、中にある食料を一心不乱に食いまくった…飢えを抑えるために、無我夢中で…

すると間の悪いことにガキ一匹が 戸棚の陰でクッキー食い始めたんだ、大丈夫 所詮ガキだ 気づきこっない

そう、慢心してると…奴は、デティとかいうガキは 無いはずの俺の気配に勘づき…、そして目が合ってしまった

「目ん玉のお化けだぁあぁぁぁぁっっっっっ!?!?」

ガキは暴れた、戸棚の皿やフライパンをぶちまけながら、バレた バレてしまった、俺としたことがこんな凡ミスで

いや、確かにこの魔術は気を抜くと目が光を反射してしまうという欠点がある、だが…それでも気配も何もかも絶っていたのに、あのガキは俺の何かに気がつき こっちを見たんだ、何故かは分からなかったが

ともかく俺はガラにもなく慌ててしまい、ガキが出るのと同時に部屋を飛び出た…慌ててたさ ここ数年バレてなかったのに いきなりバレてしまったのだから、逃げる時皿を踏み割ったことにも気がつかないほどに慌てた俺は 瞬く間に隠し部屋に戻り、息をひそめることにした

床に耳を当てれば使用人達やあの魔女の弟子のガキ達が俺を探す音が聞こえる

…だ 大丈夫大丈夫、この隠し部屋の存在は誰も知らないはずだし、そもそもここを知らせる見取り図も隠し扉を開ける鍵も俺が持って

「ほらな?開いた、世の中の扉は大体こうすりゃ開けられるって師範が言っていたんだ」

と 一息つく間も無く…隠し扉が破壊された、なんて無茶苦茶な奴!というか何故この隠し部屋の存在を!何故ここにあると知って!、い いや大丈夫だ…何せ

「犯人に告ぐ!きさまの退路は絶った!大人しく投降すれば窃盗罪だけで事が済む!観念しろ!」

部屋に突入してきたのは四人、全員ガキ…魔女の弟子だがガキもいいところ、隠し部屋をどうやって見つけたかは知らないが、俺は見つけられない このインビジブルボディがある限り俺は絶対見つからない

「誰もいないですね」

「ここでなかったか?いやだが隠し部屋がそういくつもあるとは思えん」

「もしかしたら もう逃げてるとか…って臭ッッ!!」

「チッ、当てが外れたか?…」
 
ほら見ろ、ガキどもは俺を見つけられず困惑している、そのままどっかに行け…どっかに

「待ってラグナ メルクさん、居るよ…この部屋に」

すると、厨房で泣いていたチビが…鋭い目つきでこっちを見ていた、なんだ 厨房の時といい俺の姿が見えているのか、このガキは

「私はね、魔力感知が得意なの…気配や姿を消せても、魔術を発動させている時点で微量の魔力流出は免れないよ、居るんだよね そこに」

魔力感知!?そんなバカな!この魔術は魔力の流出もほとんど抑えるはずなのに、何者だこのチビ!

いや…いやそうだ、考え方を変えろ、ここで隠れ続けてももう見つかった以上仕方ない、俺はプロだ 実績あるプロだ、そう こういう時は思考の転換が大切だ

隠れるのではなく、当初の目的通りこいつら始末しちまおう…大丈夫、俺は暗殺だって何回もやってきた こいつらの首搔き切る程度わけない

「へぇ、よく気がついたな 厨房で泣き喚いてたガキンチョと同じとは思えないな」

そして俺は奴らに己の正体を明かした、やはり…あの金髪のガキ 噂のエリスとかいう奴らしい、ここでこいつらを始末する…だが 手元に武器がない、何か刃物でも用意しないと

厨房には魔女がいるらしいし、…そうだ 確かこの屋敷の骨董室には古いダガーが飾られていたはず、あれで事足りる

となれば武器の調達だ、俺はチビを殴り飛ばし 銃を持った女の足を引き、エリスの服を割いた…何故か赤髪の男が慌ててる隙に脇を通り抜け、向かうは骨董室、そこに飾られているダガーを手に取り…魔術で透明にする

よし、これでいい…後は魔女に気がつかれる前にガキどもを始末するだけ、そう思い ダガー片手に廊下を徘徊する、奴らを探すために

(………使用人共がいない、大方ガキ共が外に逃がしたんだろうな、まさか奴ら外に逃げてないよな…)

助けを呼びに行かれたら面倒だな、…なんて思っていると 目の前の角から人影が現れる

「…奴め、どこへ行った」

青髪の女、確か名前はメルク…だったか?、丁度いい 一番丁度いいのが一人で現れた

デティとかいうガキは魔力で俺を察知できるようだし、あの赤髪のラグナとかいう奴はこの屋敷に来た初日に、俺の微かな気配に気がついて振り向いたほど勘がいい

だがメルクは違う、奴は俺を察知できない…まずは奴を殺し 血祭りにあげ、他の奴らが動揺している隙に 全員潰す…

「…どこに…」

(……ここだよ、間抜け)

俺を探して首を動かすメルクの後ろに立ち、ダガーを逆手に構える 間抜けめ、いくらそうやって探しても俺は見つからん…このまま首を後ろから掻っ切ってやる

そう、メルクの肩に手を伸ばした瞬間

「メルクさん!後ろ!」

「っ!」

(何!?)

刹那、メルクが後ろを向く、よく見るとあのチビが 物陰に隠れてこちらの様子を見ていたのだ、マズイ 奴は俺の魔力を少しだが感知できる!、デティの言葉に呼応したメルクは虚空から銃を取り出しこちらに…

(ぬぉっ!?あいつ撃ってきやがった!?)

「メルクさん!当たった!?」

「いや、当たれば血が出るはずだ、外したようだ 的が見えないと面倒だな」

連射される弾丸をとっさに避けて、メルクから遠ざかるように廊下を走る ヤバい、嵌められた あのデティってのがいるんじゃ不意打ちはできない、一旦距離をとって出直しを…

(あっ!?)

ふと、廊下の下側に…足元に張られた細かな糸に足が引っかかりプツリと切れるのが目に入る、しまった これは

「そこですね!」

物陰から現れたのはエリスだ、しまった!罠か!糸がじゃない!あのメルクの時点で罠だったんだ、俺をこちらに誘き寄せるためにわざとめちゃくちゃに銃を!

「大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ!」

エリスが詠唱を行い 手の中に風を集める、エリスはダメだ エリスの魔術はどれも広範囲に渡り影響を及ぼす範囲攻撃が多いと聞く、いくら透明になっているかと行っても廊下全域に魔術を撃たれたら避けようがない!

「『風刻槍』!!」

放たれる風の槍は器用に廊下の壁を傷つけないように されど逃げ場を奪うように廊下のど真ん中を飛びこちらに飛んでくる、ダメだ しゃがんでも飛んでも避けられない、防御なんて以ての外…

(っ!、しめた!脇道がある!)

すると俺の側に脇道があるのが目に入る、咄嗟にそちらに飛び込み風の槍を躱し俺は逃げるように走り出す

ダメだ、奴ら俺を潰しにかかってきた!この屋敷には多分似たような仕掛けが山ほどあるはずだ、ここで戦うのは分が悪い!、屋敷の外に出て 奴らが追ってきたところで叩こう!そうしよう!

幸い俺の飛び込んだ道はまっすぐ玄関に繋がる道だ、このまま走り抜け屋敷を出る!こうなっては仕方ない!

廊下を抜けて玄関のホールに着く…よし、後は

と…思ったところで 玄関の扉の前に人が立っているのが見える

「………………」

(赤毛のガキ…ラグナか)

ラグナは玄関の前で腕を組み 立っていた、俺を待っているのか? 参ったな奴は俺の僅かな気配を察知できる…このまま通り抜けるのは危険か?

いや待て、もしかしたらこれは罠かもしれない 引き返したらまた何か罠にかかるかも…、奴はただあそこで見張っているという体裁をとっているだけ、謂わば空虚な威嚇!ならその脇を抜けて玄関に行ってしまえば…

外に出てさえしまえばなんとでもなる、そこから奴らを巻くのも簡単だ

初日は油断していたから気配を察知されたが、俺もプロの隠密 気配なんて更に深く消すことは出来る、気配を頼りに俺を探すアイツは俺に気がつけない

なんなら、正面からダガーブッ刺してやってもいいな、いや そうしよう…ここで一匹厄介なのを潰そう

(……よし)

一呼吸置いて、気配を完全に無とする これで見つからない、用心しつつ…ラグナに接近する

「…………」

よしよし、奴は気がついていない 腕を組んだまま動かない、どうせ一回俺の気配を察知出来たからと油断しているんだ、バカめ 俺をなめるな…

ダガーをゆっくりと構え…ラグナの首元に刃先を向け そして…

「よう、隠者のヨッド…さっきぶりか?」

(なっ!?)

声を上げるラグナ、今 俺の名前を呼んだ?いや…偶然だろ、なんとなく 俺がいる気がして口にしただけだ、場所はバレてな…い…

「まだテメェが見つかってないとでも思ってんのか?、間抜けに俺の前に立って…案外不用心な奴なんだな」

ラグナの視線が俺を見据える、見つかってる!?なんで!?あり得ないあり得ない!俺は間違いなく姿も気配も消しているはずなのに!?

するとラグナは指を一本立てて…ゆっくりと、下を 床を 足元を指差す、それに釣られて俺の視線も下を向くと、そこには

(なぁっ!?ら ラグナの周りに …これは細かく砕いたクッキーか…!?)

クッキーだ、ガキの食ってたクッキー、それが本当に細かく潰されてラグナの周囲に撒かれていたんだ、ラグナを殺すことに意識を持っていかれていた所為か 気がつけなかったが、クッキーを踏み砕いた俺の足跡が…地面にくっきりと残って

(こ、これじゃあ俺の位置が…!)

「場所が分かれば後はこっちのもんだ!」

するとラグナは迷いなく俺の胸ぐらをその手で掴むと、あり得ないくらいの怪力でこれを持ち上げ…

「どぉぉぉりゃぁぁあああああ!!」

投げ飛ばした、扉をぶち破る勢いで 外に、俺の体を 俺はラグナによって投げ飛ばされ、まるで天に引かれた弓の如く遥か彼方まで飛ばされ

「ぐっ!?いてぇっ!」

咄嗟に着地したそこは…砂浜だった、屋敷の外に広がる砂浜、そこに俺は投げ飛ばされてしまった

「ここなら、お前の場所もくっきりわかるぜ」

すると屋敷から降りてきたラグナが不敵に笑い、こちらを見る…砂浜には俺が着地した後がくっきり残ってる、これでは逃げても場所が分かってしまう…砂浜だけは避けていたのに、こんな…

「インビジブルボディ…破れたり だそうだ、エリスの策が上手くいってよかったぜ」

ラグナは一人 潮風に髪を揺らしながらこちらに歩いてくる、その顔はもう勝った気同然…コフやヘットと同じ顔だ、俺をバカにした騎士や魔術師と同じ顔だ!

お前は隠れられなければ役立たず、隠れてない隠密如き…敵ではない、そんな風に語るようにラグナは俺の前で止まる…

登り始めた朝日はラグナの顔を照らし、彼もまたニッと歯を見せ笑う

(馬鹿にして…下に見て…勝ったつもりか、勝ったつもりか!)

ダガーを握る手が強く震える、俺だって強いんだよ!隠れてるだけで全て上手くいくわけねぇだろ!、戦って勝って俺は今ここに居んだよ!、魔術一つ 技を一つ見切った程度で俺を倒したつもりだと!?、侮るのもいい加減にしろよ

(殺す…)

俺だって暗殺を生業にしていたこともある、国王に依頼されて 暗殺をしたこともある、ナイフの扱いには自信があるし、何より こいつが見えているのは足跡だけ 、振るわれるナイフまでは絶対に見えない

斬るか突くか、上か下か左か右か ナイフとの距離も俺の動きも見ることが出来ない

攻撃は不可視にして不可避なのだ、やりようはいくらでもある…魔術そのものが破られたわけじゃないんだ

「いい加減、顔見せたらどうだ ここまで来たら、顔隠す意味もないだろ…、手前の顔一つ晒せない臆病者に負ける道理はないぜ」

「臆病者だと…」

臆病者…顔も見せない臆病者、過ぎる記憶 俺の魂に刻まれた悪夢、俺の尊厳を踏みにじる言葉、俺の誇りを 隠密たる誇りを侮辱する言葉!、俺が最も嫌い言葉をこいつ!

「ん?応えたか?臆病者、人ん家の屋根裏でネズミみたいに姑息に生きて 不意打ちと騙し討ちしか能のないお前のことを、臆病者と言わずしてなんという?」

「この…」

ギリギリと歯が折れそうな勢いで歯軋りをする、こいつも俺を臆病者と呼ぶのか!こいつもを俺を!、殺してやる ズタズタにしてやる…!、切り刻んで海に捨てて後悔させてやる!俺は俺を臆病者と罵る奴を絶対に許しはしない!

ナイフを構え 腰を落とし屈むように構える、刺し殺す!

「来いよ臆病者…、それとも 身震いして動けないか?」

「ガキが…後悔させてやる!」

駆ける 豹の如く、神速でラグナの元まで走る 足跡は残るが、問題ない ナイフは見えていないし、攻撃の素振りも見えない!避けようがない!この攻撃は!いくら策を弄したって 俺が見えなきゃ意味がないんだよ!

構えたまま動かないラグナの首目掛け、バネのように腰を落とし 跳ね…斬りかかる、取った!首を!殺した!俺を馬鹿にする奴を!魔女の弟子を!、俺こそが 最強だ!

「単調…」

刹那、俺の刃がラグナの目の前で弾かれへし折れる、…防がれた…防がれた!?なんで!見えてないはずなのに!攻撃の位置もタイミングさえも分からないはずなのに!?

「な なん…ごぶがぁっ!?」

「着いた足跡の歩幅を見れば手の長さは分かる 、足跡の深さを見れば踏み込みも分かるし足跡の着いた場所を見れば体幹も 体つきも大体分かる、足さえ分かればどうとでもなるんだよ、武術家をナメるな」

ラグナの拳が俺の顔を捉え歯はへし折れ、血を吹きながら倒れる…なんて重い一撃、鉄槌で殴られたようだ…だ ダメだ…、意識が…魔術が 維持できない…

「安易な挑発に乗って真っ向から一撃で首を狙いにきてくれて助かったぜ いくら砂浜の上とはいえこっちから攻めるのは危険だしな…、それとも 一番言われたくない言葉だったか?」

「ぎ…ぎざま…ゆ…ゆるざん…」

「そうかい、詫びる気は無いから好きに恨め」

「こんな…ガキに…負ける…なんて、クソ…が……」

強烈な一撃は俺の芯まで届き、その意識を刈り取る…俺が最後に見たのは、陽光に照らされ立つ 一人の王の…ラグナの顔であった

……………………………………………………………………

エリスが急いで外に出ると、既にラグナが終わらせていた、彼の前に倒れるのは 小太りで髭を生やした薄汚く禿げ上がったおじさんだった…アレが隠者のヨッドの真の姿、気絶したせいで魔術が解けたんだな

見た目はややイメージと違うが…数年も人から隠れる隠匿生活を続ければああもなるか、ともあれ エリス達は気絶したヨッドを屋敷まで運び その体をグルグルに縛る

この様子だとエリスの策が上手くいったようだ、といっても紐を張って クッキーを砕いただけの単調なものですが

思いついたのは地面に落ちたクッキーのカスと、奴が踏んで行った皿だ、奴の足跡は残る となれば、足跡が見えやすい状況を作ればいい

デティとメルクさんを使い奴をおびき出し、順路に誘い 紐が切れたタイミングで奴が何処にいるかを把握して、魔術を避けるにはホール側の廊下に行かねばならないよう誘導し

クッキー撒いた円の中にラグナを立たせれば完成…単純だが、上手く行ったようで何よりだ

「やはりナイフを持っていたか、警戒していてよかったぜ」

「ってかこれがヨッドの正体?こんな小太りのおっさんだったなんて…、もっとすらっとしてると思ってた!」

「言ったろデティ、幽霊なんて 正体を見ちまえば怖くないってな」

「確かに!」

「……っ…う…うう…」

「む、ヨッドが起きたようだぞ」

屋敷のホールにて椅子に縛られたヨッドが唸りながら目を覚ます、彼には聞かなければならないことがある、故に縛って連れてきたんだ、たとえ逃げようとしてももう逃げられない そう伝えるように囲めば、ヨッドは周囲に視線を巡らせ

「これは…くっ!、くそが!離せガキども!」

「話すのは貴方の方です、貴方には聞きたいことがありますからね…マレウス・マレフィカルム…大いなるアルカナの幹部 隠者のヨッド」

「ぐぅ」

ヨッドは縛られた手をなんとか抜こうとするが、無駄だ それはエリスが魔術で作った縄…抜こうと思って抜けるように作られていない

「大人しく答えるなら、危害はもう加えません …エリス達も荒事はしたくありません」

「へっ、誰が答えるかよ!バカが!」

まぁそうだよな、聞いて答えてくれるほど甘くはないと思っている、…するとデティが腕を組みながら不敵に笑いながら前に出ると

「おぉ~やぁ~?、そんな口 聞いちゃっても大丈夫かな~」

「なんだよチビ」

「チビ言うなハゲデブゥッ!!、…おほん ウチのラグナの恐ろしさは知ってるでしょ?、こいつはね理性なんかカケラもなくて言うことを聞かないの…、人間を見ると殴りたくてしょうがなくなる悪癖があるの、このまま反抗的な態度をとると お前はミートパイにされてお昼の食卓に並ぶことになる!!」

「誰の話してんだ?」

「お前だラグナ、大人しく乗っておけ」

「私が指を一つ鳴らせばラグナはあんたを叩きのめすからそのつもりでいてよ!、ラグナのパンチの強さはあんたも知ってるでしょ!」

「ひっ…」

案外デティの脅しが効いたのか、それともラグナの恐ろしさが身に染みたのか、先程までの反抗的な態度もなりを潜める、結果オーライか ラグナの名誉は著しく傷つけられたような気がするが、今はよしとする

「さて、まぁ 脅しはともあれ、あなたは別に好きに答えてくれて構いませんよ、ただしここにいるデティは貴方の心が読めますから、嘘をついても直ぐに分かりますからね」

「えへん」

デティは心が読める…と言うか感情がわかる、嘘をつけばそれさえ感知できる、だから別にヨッドが口先だけの嘘をついてもエリス達には無駄ということだ

「そんなバカな…」

「別に信じなくてもいいですよ、じゃあ聞きますよ…貴方は何かを企んでこの屋敷にいたのですか?、…何かの計画に加担しているのですか?」

「うぐっ…」

エリスの質問を受けてヨッドが顔をしかめる、即座にその視線はラグナに向けられ

「ラグナ」

「え?あ…うがー!」

「ひぃぃっ!?」

そんな視線を受けてデティがパチンと指を鳴らせばラグナも…ってなんですかラグナそのやる気のない脅かし方は、まぁ ヨッドは怖がっているからいいか

「わ 分かったよ…、別に計画なんかには関わってない…ただ この屋敷が俺に相応しいと思ったから住処にしようとしていただけだ」

「何を思い上がって…ここはマスターの物だ!お前の物ではない!」

「落ち着いてくださいメルクさん、…揚げ足をとるようですが 計画には関わってない、ということは 何かしらの計画がこのコルスコルピで動いていると言うことですか?」

「うっ、…そ それは…違う、言葉の綾だ」

ヨッドの言葉を聞いて、チラリとデティを見れば首を横に振る…つまり嘘か、となると やはりこのコルスコルピでアルカナは何かをしようとしていると言うことか

「嘘をついても無駄だと言ったでしょう、じゃあ質問を変えます このコルスコルピで貴方達は何をしようとしてるんですか?、貴方何か知ってますね」

「ち 違う、何も知らない!本当に何も知らない!」

デティのは今度は首を縦に降る、本当のことを言ってるか…何かあるのは知ってるが何があるかは知らない、と言ったところか…

「分かりました、その言葉は信じましょう」

「ほっ…」

「じゃあ質問を変えます、その計画に関わっている幹部の人数と名前 No.そして使う魔術を教えなさい」

「えっ!?そ…それは…」

「それは流石に知ってるでしょう?」

デティは首を縦に振り目配せし『焦っている』と言うことを伝えてくれる、やはり知っているな…、そこさえ分かればエリス達はそいつらとの戦いで優位に立てる、と言うか 得たい情報の本命はそれだ

何かをしようとしている奴らがいて、どれだけの人数で動いていて 何が出来るか、それさえ知ることができれば…

「そ…それは…知らない」

「嘘をついても無駄です」

「そ…れ…それは」

ヨッドは言い逃れをしようと視線を動かし、…ワタワタと嘘偽りを言うが デティの前では通じない、悉く見破られ 看破される、あまりの歯切れの悪さにラグナが動き 前に立つと

「言った方が身のためだ、俺も縄で縛った無抵抗の男は殴りたくはない」

「あ…ぐっ…それは…」

ラグナの睨みを受けてヨッドはワナワナ震える、額には汗が浮かび 顔は青くなり、ビクビク震えオドオド震え ワタワタ震える、怯え方が異常だ…なんだ、何をそんなに恐る、ラグナか?いやこれはラグナよりも…もっと他に

「わ 分かった、言う…言うよ、だから命だけはなんとしても助けてくれ!」

「分かりました…、ではこの計画の主要となる幹部を教えてください」

「ああ、…この計画を この絵を描いたのは」

そう、ヨッドが口にした瞬間 異変は起こる…

「おい、エリス!様子がおかしいぞ!」

「ヨッド…貴方顔が…」

「え?え?…あ」

青い顔が今度は赤く染まり、そこら中から血管が浮き出てくる、様子がおかしい いくら怯えているからって、こんな異常が起こるはずがない、ヨッドの反応を見るに彼も理解していない異常が起こっているのだ

「ま…待て!待つんだ!違う!言わない!言わないから!やめてくれ!俺たち仲間だろ!おい!アイン!待ってくれ!」

「おい!落ち着け!何が起こってる!」

「助けてくれ!助けてくれ!殺される殺される!あの悪魔に!アインに!殺されるぅっ!」

縛りられた体でジタバタ暴れ発狂するヨッドを抑えようとした瞬間、ヨッドの顔がぐちゃりとねじ曲がり…ぼきぼきと音を立て 口が…あり得ないくらい大きく開かれヨッドの目がグリンと白目を剥き…

「離れろ!エリス!」

「きゃっ!」

「お!…お!…おごぉぇぇぇえぇっっ!!!!!!」

ラグナに体を引かれ ヨッドから引き離された瞬間 、ヨッドの大きく開かれた口から液体が飛び出る、無色透明なゲル状の 形を持った液体が噴水のように…どこからそんな量が出るんだと言わんばかりに噴き出てくる、なんだこれ…

「何が起こって…ヨッドの魔術ですか!?」

「分からん、だが…」

「あ!ちょっと!この水…ヨッドの体を…」

とデティが口にした瞬間 エリスは慌ててデティの顔に手を当て、目を塞がせる、彼女には見せられない…

無色透明な液体はゼリーのように固まった瞬間、今度は逆にヨッドの体をその液体で包み込み…、その体を 液体の中で 中で…くっ!

「がほごごごごごこ……」

「っ……!」

思わず目を逸らす、惨い…ヨッドの体が液体の中で…!、こんな…なんで

「エリス!目を逸らすな!火だ!火を放ってあの水を消すんだ!」

「で でも中にはヨッドが」

「もう遅い!、次はこっちにくるぞ!」

「っ!」

即座に目を戻せば 液体は…そいつは、その水の体を真っ赤に染めて 今度はこちらに狙いを定めていた…、来る!あいつが!やばい…今度はエリス達が!

「ッッ!焔を纏い 迸れ俊雷 、我が号に応え飛来し眼前の敵を穿て赫炎 爆ぜよ灼炎、万火八雷 神炎顕現 抜山雷鳴、その威とその意が在る儘に、全てを灰燼とし 焼け付く魔の真髄を示せ 『火雷招』!!!」

放つ 熱雷の本流を水の怪物に向け放ち 部屋の中で光を踊らせる、圧倒的熱は壁や床と共に水を焦がし蒸発させ消滅させていく…

…後には何もが残らない、跡形も無く…あの水ごとヨッドも消えた、やられた 多分…口封じをされたんだ

「チッ、先手を打たれていたか…、仲間とはいえ容赦なく殺すとは」

ラグナは蒸発した水の後…焦げの中心に残った汚いシミを見て苦い表情をする、あの水…多分別の誰かの魔術、それもヨッドの行動に応じて自動で発動するタイプの、…そんなの見たことないが、そうとしか思えない

「…ヨッドは最後に アイン…と口にしていたな、…ラグナ どう思う」

「どうもこうも、そいつがヨッドの口を封じた張本人で あの水を操ってた奴、そして多分だが…このコルスコルピで計画を進めるアルカナの幹部だろうな」

「だな、…アイン…か、聞かない名前だが 情け容赦する奴には見えん、注意したほうがいいだろうな」

ヘットはそれでも部下には慕われていたし、何だかんだ武器を配ったり配慮はしていた、コフに至っては仲間の為に戦うほどの優しい心を持っていた、だが…ヨッドが口にしたアインは違う

悪魔 …そう呼ばれた存在、アイン…それがこの国でのエリス達の敵、やはりこの国でも起こるんだな 何かが

「情報を聞き出せなかったのは残念ですが、…割り切りましょう」

「そうだな、ヨッドは死んじまったが その件でみんなが気に病むことはねぇよ、…寧ろ あの魔術…ハナからヨッドを殺す為に仕込まれたもんだろうしな」

「違うよ」

え? とエリスもラグナもメルクさんも目を向ける、デティだ…デティが消えた例の液体の跡を見て、難しい顔をしている 違うって…何が違うんだろう

「ラグナ みんな、これ魔術じゃないよ」

「魔術じゃない?さっきの水か?、だがどう見ても魔術に…」

「…魔術だとするならば、エリスちゃんが蒸発させた後にシミが残るのはおかしいんだよ、魔術は役目を終えれば跡形もなく消えるからね…、でも あの水は跡を残した、あれは魔術じゃない」

「魔術じゃないなら…なんなんですか、あれ」

「多分、…魔獣だと思う」

魔獣?あれが?あんな魔獣見たこともないぞ?、というか魔獣だとするなら何故ヨッドはアインの名を口にしたんだ、あの口振りはどう考えてもアインという存在によって引き起こされたとしか考えられない

「その魔獣が何なのか、何で魔獣がヨッドの体内にいたのか…何で意図を持って殺しにかかったのか、アインとの関係性は何か…諸々に関してはわからないけれど、魔獣であることは間違いない、この魔術導皇の名にかけて 保証する」

「……余計謎が増えちまったな」

「ともあれ、師匠に報告に行きましょう 事の顛末を」

「そうだな…行くか」

結果は ややスッキリするものではないが、それでも師匠に報告しておかないと、あと 外へ逃がした使用人の方々にも屋敷に戻ってもらおう、エリス達色々メチャクチャやっちゃったからな…嫌な顔されなければいいけれど


こうして、No.9 隠者のヨッドとの戦いは、やや 血生臭い終わりを迎えるのだった

…………………………………………………………

「そうか、例の透明人間は死んだか」

「はい、エリス達が呆気を取られている間に 液状の魔獣によって…」

「それは見ていた、即座に対応しても無駄だったさ 例の魔獣は奴の体を食い破って出てきた、出てきた瞬間水を消し飛ばしてもヨッドは助からなかった 君達のせいではない」

厨房で待っている師匠にエリス達は報告する、師匠も事の顛末を見ていたようだが…、正直後味は悪い 的だとは言えヨッドが目の前で殺されてしまったのだから

「しかし、妙な魔獣だったな…」

「師匠はあの液状の魔獣に見覚えはありますか?」

「無いな…、人の体内に巣喰い ある一定のタイミングで出てくる魔獣など覚えがない、それに…不可思議だ あの魔獣は明確に何らかの意思と使命を持ってあそこにいた…、そんなこと魔獣がするわけがないのだが」

確かに、ヨッドは死の寸前 『アインに殺される!』と叫んでいた、或いはあの液状の魔獣がアインという可能性もあるが、…少なくともあの魔獣は明確に使命を持ち それに準じて動いていた

そう…アルカナに不都合な情報を抹消するように、アルカナも人間だ 人間に従属する魔獣なんて聞いたことがない、いったい何故そんなことになっているのか…謎は深まるばかりだが

だが、エリスは思う エリスはNo.10以下のアルカナ幹部を軒並み倒した…、つまり 今回関わっているアルカナ幹部は10以上…あのコフ以上は確定している、エリスが今まで戦ってきたアルカナの幹部達 その誰よりも強いことが確定してしまっているのだ

奴らは危険な禁忌魔術を使う、何がどうなってもおかしくはないんだ

「大いなるアルカナねぇ、この国で何企んでるんだ?またアルクカースやデルセクトの時のように巨大兵器をどっかで作ってたりするのか?」

「あの計画は全てヘットが立てていた、そのヘット無き今 別の人間が旗本に立っている可能性が高い、今までの計画とは 恐らく毛色が違うだろうな」

「はぁ、つまり私達はそれも何とかしなきゃいけないんだよね、ノーブルズに続いて大いなるアルカナまで居るなんて、敵だらけじゃん!この国!」

そうだ、エリス達は目下のところノーブルズを何とかしなきゃいけないんだ、デルセクトの時と違い今から国中を回ってアルカナの影を探す暇はない

すると師匠は…

「安心しろ、奴等もお前達を標的として動くはずだ、いずれ お前達の前に姿を表すこともある、その時に対応を考えればいいさ」

「それじゃあ後手に回ることになりませんか?」

「一度として先手を取れたことがあったか?、奴等の慎重さは理解しているだろう…足掻けば足掻く程ドツボにはまる、今は目の前の問題に集中しろ」

そうだな、師匠の言う通りだ あれもこれもと片手間で物事を片付けられるほど、今のエリス達に力はない 一つづつ 直面した問題を解決するしかなく、今直面しているのはノーブルズ達だ

それに、もしアマルトと和解できたら 対アルカナ戦においても力になってくれるだろうし、万全を期すなら後顧の憂いよりも目の前の敵だ

「お前達も夜通し戦っていて疲れたろう、こんな状態でトレーニングをすれば怪我をするだけだ 今日のトレーニングは中止とする、ゆっくり休め」

「やったー!レグルス様大好きィーッ!!」

それはエリスもですよデティ、ありがたいことに師匠は今日の修行を免除してくれるようだ、はっきり言ってクタクタだ 夜通し考え 夜通し駆けずり回り、ヨッドと戦った後 今からトレーニング、…それは流石に無理だしね

「はぁー、疲れたー、眠てぇ…俺は今から一眠りしてくるよ」

「私もだ…、眠くて仕方ない」

「エリスもですよ、…ああ デティ」

「ん?何?」

ふと、意味から寝に行くぞとどこからかナイトキャップを取り出したデティを呼び止める、寝る前に 今回の一件の幕を閉じる前に、彼女には言っておかねばならないことがある

「ありがとうございますデティ、貴方が敵の存在に気がついたおかげで ヨッドを打倒できました」

「な な そ そんなの、偶然だよぉ~もう」

「そうだったとしてもです、最初は疑ってすみませんでした」

エリスは最初、デティが何かの見間違いをしたと決めつけていた、良い態度ではなかっただろう、…デティがあの場で警鐘を鳴らしてくれたおかげで 敵の存在を放置せずに済んだ、もしあのままエリス達が信じずヨッドを放置すれば…どうなっていたか分からない

彼女には感謝し謝罪しないといけない、するとラグナもメルクさんもデティに向き直り頭を下げ

「ありがとな、デティ おかげで助かった」

「ああ、君が奴の存在に気がついてくれたおかげだ、ありがとう」

「そ そ そそんな!みんなもう!やだよぉ!そんな褒められたら嬉しいじゃんかぁ!」

「今回の一件のMVPはデティですからね、存分に喜んでください」

「むへへへへ、じゃあお言葉に甘えて喜んじゃおうかなぁ!、わーい!みんなの役に立てて嬉しいよー!わーい!」

ピョンピョン飛び跳ねるデティに思わず頬が緩む、またお菓子を買ってあげよう、ご褒美ならば問題はないはずだ、うん そうしよう

「わーい!わーい!」

「おいおいデティ、そりゃいくらなんでも子供っぽくないか」

「ふふふ、いいじゃないか この愛嬌もデティのいいところだ」

「そうですそうです、デティは可愛いから可愛いんですよ」

「ははは、なんじゃそら」

相も変わらず子供っぽく笑うデティを見て、エリス達もまたなんだか嬉しくなって笑い合う、こうして…ヨッドとの戦いは幕を閉じる、いい終わり方ではないがこちらの損害はない ならそれでいいんだ…今は それで

………………………………………………

「はぁー…疲れました 次からは朝のうちに攻めてきてほしいですね、夜通しの戦いはもうしたくありません」

今日は師匠の好意でトレーニングは休みになった、とは言え自由に外を出歩く気にはなれない、眠いのだ…深夜に叩き起こされそこからずっとヨッドの対応に追われていたせいで

…戦いの中という緊張感から解放されたエリスに残るのはただただ重たい疲労と重たい瞼だけ、とりあえず今日は寝よう…仮眠でいい 今は少しでも

そう思い、ベッドに腰をかけた瞬間…違和感に気がつく、そう言えば…

「あ!、この服!ラグナの上着借りたままでした!」

エリスの服を見て驚愕する、エリスの元着ていた服…シャツはヨッドの撹乱によりビリビリに裂かれてしまい あわやエリスは下着一丁にされるところだったんだ、そこを助けてくれたのがラグナだ

彼は優しくエリスに上着を羽織らせてくれて、それからは気にする暇もなくヨッドとやり合っていたから完全に意識の外にありましたけど…しまった、今から返しに行ったほうがいいかな、でもラグナもう寝てるでしょうし

…しかし、エリス最近服を破かれてばかりだな…、学園で破かれたコートは修復中、その下に着ていたシャツも完全にやられた、そのうち裸にされるんじゃないか?エリスは

「皆さんもっとエリスの服を大切にしてほしいですよ、全く…」

はぁ とため息をつきながら己の手を見る、ラグナの上着はエリスには些か大きく こうしていると手は隠れ、指先が辛うじて見える程度だ、…ラグナの体があれから大きくなったのは知っていましたが、こうしているとより一層 彼が大きく立派な一人の男性になったことを感じる

やっぱり…男の子ですね、体もすぐに大きくなって…

「…な なんだかムズムズしてきますね」

ラグナの服を着ている、さっきまで来ていた服を着ている、そう考えるとなんだか胸の中から言い知れない感情が湧き出てきて、薪をくべた炉のように体は熱を発し始める、やっぱりラグナの事を想えば想うほどに体が熱くなる

うう、どうしてしまったのだエリスは、アルクカースにいた頃はこんな風にはならなかったのに、あの日…あの時 ピエールから助けてくれたラグナの横顔がちらつく度にエリスは悶えるのだ

「…………この服のまま、この手で頭を撫でたら…ラグナに撫でられた心地がするんだろうか…」

い いやいや、何を考えているんだエリスはそんな…そんなことしちゃいけないよ、でもこの服…匂いが濃いのだ ラグナの匂いがムンムンする、ダメだこのまま着続けたらおかしくなる

脱ごう

「……よいしょ…」

服を脱ぎ 目の前に広げる、ラグナの髪と目 それと同じ赤を基調とした頑丈な服

よく見れば服にはあちこちに傷がある、きっとこの服を着てラグナは修行をし 戦いを積み、乗り越えてきたんだろう勝ってきたんだろう、エリスにとってのコートのようなもの、そんな大切なものを預けてくれるとは…

「ラグナ…」

自然と、手は服を抱きしめる…布地に顔を押し付ければ頭の中いっぱいに彼の匂いが広がる、幸せだ

「らぐな…」

その幸せな心地は エリスに微睡みを与え、気がつけばエリスはラグナの服を抱きしめ顔を埋めたまま、ベッドに横になり 体を丸め…目を閉じていた

とても とても良い心地に、瞬く間にエリスは夢の世界に誘われる、意識は沈み 眠りにつく

「むにゃ…すぅ…」



夢を見た…、エリスがあのままラグナ元を去らず アルクカースの大王となったラグナを国王直属の魔術師となったエリスが、支えるんだ…

苦難は多い、敵は多い、立ち塞がる艱難は数え切れない…、なんか ヘットみたいな顔の悪党や ピエールみたいな顔の悪魔 シリウスみたいな巨大な魔神が襲い来るのを…、二人でやっつけるんだ

…ラグナとなら…エリスは無敵だ、誰にも負けない…そして戦いを終えた二人は…むにゃむにゃ

「ら…らぐなぁ、だめ…だめですよ…ちゃんとししょーにいわないと…そんな、…んぁ」

うへへとヨダレを上着に垂らしながら幸せそうな顔で、…一人眠るエリス、その寝顔はまさに幸せそのもの…




そして、エリスが眠ってより暫くして、その部屋の扉が軽く叩かれる

「エリス?悪い、入るぞ?」

返事を待たずゆっくりと扉を開ける、赤髪をおずおずと揺らし エリスの部屋へと入るのはラグナだ

用事は一つ、寝る前に気がついたんだが エリスに上着を貸したままだった、アレは師範に贈ってもらった品だ、だから大切にしたいわけじゃないが いつまでも彼女に私物を押し付けたままなのは迷惑だろうしな

彼女の事だ、もう着替え終わっているだろう…そう考えこうして間をおいてエリスの部屋を訪ねたのだが、こうやって入っても返事がない

「しまった、もう寝ていたか」

ベッドに横になり寝息を立てるエリスの姿が見える、どうやら間を置き過ぎたようだ、態々起こすのは忍びないな…

「どこかに俺の上着置いてないかな、…それだけもらったら退散を…」

そう 部屋をキョロキョロ探していると、ふと ベッドの上で眠るエリスの姿が目に入る、詳しく言うなれば 眠っている彼女の顔と その格好とでも言おうか

「え エリス…!?」

その姿は、下着姿で俺の上着を抱きしめながら眠るエリスの姿、そう言えば下着姿の上に俺の上着を被せただけだった…って!何見てんだ俺は!慌てて後ろを向き顔を叩く

アホか!、よく考えれば寝てる女の子の部屋に勝手に入るなんて非常識極まるじゃないか、なんてバカな奴なんだ俺は…!

「…っ…」

しかし、いやでも瞼に焼きつくエリスの姿 無防備な姿 無防備な表情で、俺の上着に幸せそうに抱きつき眠るエリス、…可愛い

旅の日々で鍛えられ引き締まった体 それでいて触ればマショマロにのようにぷにぷにしていて、気高い強さと愛くるしさの両立した姿、俺が芸術家で あんな絵画を描いたとするなら 多分タイトルは『女神の微睡み』

「ぐッッ…!」

殴りつける、己の顔を 鼻っ柱から拳で叩き目を覚ます、鼻血が出るが構うものか 邪なことを考えるクズにはこのくらいがいい気付け薬だ

はい、今の一撃で俺は全て忘れました、何も見てません 何も覚えてません、よし 寝よう 帰ろう、そして何も覚えていない俺はエリスが起きてからここに来るんだ、そうしよう

ギクシャクした動きで手と足を同じ方向に動かしながら部屋を出ようとした瞬間

「ん…んぁ、らぐな…いかないで」

「えっ!?!?」

思わず振り返る、いやいや 寝言だ!寝言!反応するな!、寝言だから!誘惑じゃないから!止まるな足!立ち止まるな俺!

「ぐぅぅ…」

「らぐなぁ…」

心の耳に栓をして扉を押し開け、外に出る…なんて危ない場所なんだエリスの部屋、まるで魔境だ…、いい匂いもしたし…っ!

「アホか!俺!何考えてんだ不埒者!死ね!死んでしまえ!」

エリスの部屋の外で己の両頬を叩き目を覚まさせる、もう眠れん 眠れる状態ではない、無理に寝たら夢を見そうだ 悪い夢を!

されど煩悩は我が頭を駆け巡る、思い浮かぶのは肌を晒したエリス エリス エリス 、愛する彼女のあられもない姿

もうダメだ、こういう時は走ろう うん、無心で

「……うぅぉぉぉぉお!!!!」

俺はただ一人、叫び声をあげ走り出す、廊下を突き抜け外へ出て波打ち際をただ一人…

ただ ただ、頭の中の邪念を振り払うように…ただ無心で
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