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心配してくれただけなのに

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 …………引かれた。

『じ、じゃあ……今度はもっといっぱい甘やかして、可愛がって、ください』

 多分あの発言のせいなんだろうけど……何で⁈

『こんなつもりじゃなかったんだ……もっといっぱい愛を囁いて、甘やかして可愛がって、快楽と幸福感だけで満たしてやるつもりだった』

 お兄ちゃんもそう言ってくれたはずなのに。だからわたしもそう望んだだけなのに。恥ずかしいの我慢して、頑張って甘えたのに!正直少し、喜んでくれると期待もしちゃってたのにー!!


 なのにその後のジークお兄ちゃんの反応はというとーー

 わたしが朝の支度を終えて寝室に戻ったら、ジークお兄ちゃんは気まずいのかわたしと目を合わせようとしなかった。更に、手も繋ぎたくなかったからか「先に行っててくれ」と、わざわざ部屋を出る時間をずらし、朝食後も仕事に遅れるからと執務室にも寄らず、「行ってきます」のキスもなく足早に仕事場に向かってしまった。

 ーーか、完璧に避けられてる。



「今日はやけに元気ないじゃん。何かあった?」

 今日は朝からこんな調子で、心ここに在らずな状態のわたしを心配したサアニャが午後、気分転換に庭園でのお茶会を提案してくれた。

 そして今、わたしは庭園の中心にあるガゼボ?とかいう小さな建物の下でサアニャとイダル先生の三人でお茶を楽しんでいる。んだけど、そんな楽しい時間でさえ浮かない顔をするわたしを見て、護衛の為にわたしの後ろに立っているアレクさんが心配して声をかけてくれた。

 あ、アレクさんが優しい!

 実は、訓練場でアレクさんといっぱいお話ししたあの日からアレクさんはわたしと普通に話をしてくれるようになった。と言ってもその内容は事務的というか、淡々としたもので友達としてはいささか距離を置かれているような気がする。

 だから、アレクさんにこんな風に心配されるなんて思ってもみなかったのだ。

 驚いてアレクさんの顔を見たまま固まっていると顔を覗き込まれ、更に心配される。

「大丈夫?やっぱり無理してるんじゃない?」

 やっぱり?無理してる?って、なんのことだろう?わたしには何も心当たりが……あ、もしかして、会議の時のことを言ってるのかな?本当は何があったのか知りたいのに我慢して、無理して気にしてないフリをしてるんじゃないかってこと?

「大丈夫ですよ。無理なんてしてないです。それに……」
「うっわ!んだそれエグぅ⁈」
「へ?……あ、あぁこれは」

 落ち込んでいる理由を素直に言うべきか悩んでいると、後ろからグレンさんの大きな声が聞こえてきた。
 一瞬何のことを言っているのか分からなかった。けどその視線の先を辿ると、それはすぐに分かった。

 グレンさんはわたしがジークお兄ちゃんのことを想い、無意識のうちに撫でていたソコを見て驚いたのだ。そう、昨日ジークお兄ちゃんに付けてもらった項のーー

「は⁈何それ!これは流石にやり過ぎでしょ!いや、今までのも相当だけど……これはない。マジであり得ない!」

 アレクさんがそう言いたくなる気持ちも分からなくはない。わたしも今朝鏡でそこを見た時は想像以上に痛々しい有様に、血の気が引いたくらいだからね。なんなら今も少し痛みがあるくらいだし。

「でも」
「でもじゃない!これは完全なる暴力だからね!暴力!それちゃんと分かってる?」
「う……うん」

 勿論わたしだってそれは分かってる。もしこれをした相手が二人以外の誰かだったなら、絶対に許していない。そして、もしこれが怒りや征服欲から来る単純な暴力を目的としたものだったなら、わたしも受け入れようとしなかっただろう。例えそれが二人からのものだったとしても。

「っでも!これにはちゃんとした意味が」
「チッ、ヴァンパイアなんか信じるからこうなるんだよ……」

 し、舌打ち⁈しかも今ヴァンパイアって言わなかった?ということは、アレクさんはわたしの項に噛み跡を付けたのはクシェル様だって思ってるってこと、だよね?

 つまり、今アレクさんは魔王様に向かって舌打ちをしたってこと⁈

 驚き過ぎて言葉が出ない。
 無駄にキョロキョロと周りを見てしまう。でも幸いアレクさんのその呟きはわたし以外には聞こえなかったようで、皆んなアレクさんに注目している様子はない。

 よ、良かった。今のがクシェル様に伝わりでもしたら、不敬罪とかになるところだった。聞こえていたのがわたしだけで本当に良かった。

「はぁ……どうせまた、これも愛だからとか言って軽く許したんでしょ?本当あんたってつくづく……ま、いいや。それ治してあげるから髪退けて」
「え?」
「え?じゃないよ。傷を治すにはそこに触れないとなの。だから早く髪を……あぁもしかして僕が光魔法少ししか使えないから信用してない?大丈夫だよこのくらいなら痕も残らず綺麗に」
「それはダメーー!!」

 わたしはアレクさんから逃げるように、慌てて椅子から立ち上がると、急いで手でそこを隠し、アレクさんの動向に注視しつつ数歩後ずさった。

「は?何急に」
「これは治したらダメなやつなの!」
「はあ⁈何言ってんの?魔王様がなんて言ったか知らないけど、あんたは女の子なんだよ?女の子が身体にそんな傷痕残していいわけないでしょ!」

 そう言うとアレクさんは一歩歩みを進め、手を伸ばしてきた。

「っ嫌、ダメ!消さないで「何をしている」

 急に聞こえてきた低く重たい、明らかに殺意を含んだ声に一瞬でその場が凍りつく。

「だ、団長……っ!」

 その声の主に一番に気付いたのはアレクさんだった。

 わたしはそのアレクさんの発言で、声の主がクシェル様ではなかった事が分かり、少しの安堵を得て顔を上げた。しかし、すぐに再び恐怖を感じ動けなくなる。

 何故なら、ジークお兄ちゃんはついさっきまでわたしの方に伸ばされていたアレクさんの腕を掴み上げ、鋭い目でアレクさんのことを見下ろしていたからだ。

 別にジークお兄ちゃんの怒っている姿を見たのは今日が初めてというわけではない。でも、こんなに怒っているジークお兄ちゃんを見るのは初めてかもしれない。自分に怒りを向けられていないと分かっていても、恐怖せずにはいられない。
 それは他のみんなも同じなようで、誰一人として動くことも言葉を発することも出来ずにいる。

「何をしているのかと聞いているんだ。早く答えろ」

 数秒の沈黙後、ジークお兄ちゃんが再度アレクさんに同じことを問い、答えを急かす。

「ゔっ!ぼ、僕はただ、シイナ様の」

 ジークお兄ちゃんがアレクさんの腕を掴む力を強めたのか、アレクさんの顔が苦痛に歪み、呼吸が浅くなっていく。

 ま、まずい。このままじゃアレクさんが酷いことをされてしまう。アレクさんはただわたしのことを心配してくれただけなのに、このままじゃあの時のイダル先生みたいに、またわたしの不用意な発言のせいでーー

「ち、違うの!アレクさんは何も悪くないの!だからその手を離して!」

 わたしは恐怖で震える身体を必死に奮い立たせて、ジークお兄ちゃんにしがみ付きアレクさんを解放してくれるように頼んだ。

「アレクさんはただわたしの首の傷を心配してくれただけなの!で、でもわたしが大袈裟に拒んじゃって、そ、それで」
「……そうか。悪かったな」

 わたしの話に納得してくれたのか、ジークお兄ちゃんはそれだけ言うと、アレクさんの腕から手を離した。
 しかし、ジークお兄ちゃんの怒りは静まってはいないようで、アレクさんに向ける視線は未だ鋭いままだ。

「い、いえ。治療のためとはいえ、シイナ様の了承も得ず肌に触れようとした僕が悪いんです……け、軽率な行動でした。申し訳ございませんでした」
「治療……まぁ、知らないのなら仕方ないか」

 声を震わせながら深々と頭を下げるアレクさんの姿を変わらず冷めた目で見下ろしていたジークお兄ちゃんは、チラリとわたしの項に視線を向けた後、アレクさんに同情の色を見せる。

「これはコハクが俺の番である証だ。だから、治療する必要はない」
「っ!」

 ジークお兄ちゃんに項を触れるか触れないかという弱い力で撫ぜられ、思わずジークお兄ちゃんの服を掴む手に力が入る。しかしお兄ちゃんはわたしのその反応に気づいていないのか、そこから手を離そうとしてくれない。

「え?証?……も、もしかしてその傷を付けたのは」
「俺だ」

 眉一つ動かすことなくそう言って退けるジークお兄ちゃんに、アレクさんの表情が目に見えて曇り、絶望に染まっていく。

「なん、で……貴方はそんな事する人ではなかったはずです。暴力で他人の意思を支配したりしない。他人の尊厳を踏み躙るようなことは絶対にしない!そんな貴方だからこそ僕は!」
「言っただろ?コハクを俺の番にするためだ。確かに俺はコハクを己の私利私欲のために犯し、傷付けた。それも、決して傷付けないと約束したにもかかわらずだ……しかし今は後悔していない」

 そう言うとジークお兄ちゃんはわたしの項に添えていた手を背中に滑らせ、引き寄せる。

「何故なら、コハクもそれを望み受け入れてくれたからだ。喜んでくれたからだ。なぁコハクぅ?」
「んぅっ!」

 そしてわたしを抱き寄せたまま、もう片方の手で頬を撫で、顎を人差し指に乗せるようにして持ち上げ、唇を親指でなぞるジークお兄ちゃん。

 こ、これが世に言う顎クイ⁈や、ヤバい!これは色々とヤバい!身体の密着度とか顔の近さとか、ジークお兄ちゃんのイケメン度とか!ときめきの過剰摂取で頭がどうにかなりそうだ。

「だから、治療を拒んでくれたんだろう?」
「ぅんっ!」

 背中を支えていた手が再び項へと移動し、そこを何度も優しく撫でられる。その度にピリピリとした痛みと共にあのゾワゾワとした馴染みのある感覚が身体を巡る。

「ぁっ、ま、まって!今は」

 この感覚はダメ!皆んなが見てるのに、聞いてるのに!二人以外の人の前でなんてヤダ!

「ちゃんと守れていい子だなぁコハク」
「んっ~~!!」

 み、耳元でその言葉はだめ。

 わたしは力いっぱいジークお兄ちゃんにしがみ付き声が出るのを抑え、上気しているであろう顔を全力で隠した。

 な、なんでこんなことするの?いつもなら人前でこんなことしないのに。これじゃまるでわたしの反応を晒して楽しんでいるかのようだ。

「お、お兄ちゃん。怒ってるの?」
「んー?コハクには怒ってないぞ。俺がコハクを怒るわけないだろう?」
「っで、でも……」
「むしろ褒めてるだろ?いい子だって」
「んっ」

 今度は「いい子」と囁きながら耳に指を這わされ、足の力が抜ける。しかし、ジークお兄ちゃんがしっかりとわたしを抱き寄せてくれていたおかげで立てなくなることもなく、また赤面した顔を見られることもない。

 でも、やだ。こんな状態でみんなの前に居たくない。二人以外の前でこんな気持ちになりたくない。早くこの場から逃げたい。早く、早くーー

「ジークお兄ぃちゃん」

 他人の目を気にしなくてもいい場所に、安心して自分を曝け出せる人と、ジークお兄ちゃんと二人きりになれる場所に行きたい。

 そう願いながら見つめれば、ジークお兄ちゃんはそれだけでわたしの思いに気づいてくれて、わたしの顔を隠すように抱き上げると「次ここに触れようとしたら……分かるな」そう言い残しその場を後にした。



「いいかコハク。どんな理由があれここだけは絶対、俺以外の奴に触れさせてはいけない。分かったか?」
「う、んっ、分かった」

 あの後わたしは、そのままジークお兄ちゃんの寝室まで運ばれ、ベッドにたどり着くや否や早急に口を塞がれた。因みにその間ジークお兄ちゃんからの言葉は無く、またずっと横抱きにされたままだ。

「いい子だ」

 キスはいい子に出来たわたしへのご褒美だったらしく、ふわふわになれるあの甘いキスを繰り返される。そして、その合間にーー

「男は勿論、女にもだ」
「う、うん」

 約束事を教えられる。

「それから、クシェルにもだ。いいか?」
「う……え?クシェ「いいか?」

 一瞬聞き間違いかと思った。だから聞き返そうとした。「クシェル様もってどういうこと?クシェル様はジークお兄ちゃんと同じで特別な人なのに?」って。しかし、ジークお兄ちゃんに言葉を遮られ、光のない目で見下ろされる。

「は、はい」

 わたしはその圧力に負け、疑問を口にすることもできずに、ただジークお兄ちゃんの言葉に従うことしかできなかった。

「フフ、いい子だ」

 すると、ジークお兄ちゃんはわたしのその答えに満足したのか、いつものように優しく微笑み、頭を撫でてくれた。


 ーーあれ?わたしジークお兄ちゃんに避けられてたんじゃなかったっけ?

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