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踏み出す為の 9
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穏やかな昼下がりだった。
一台の見慣れた車が門からの通路を通ってエントランスへと入ってきた。
玄関の前まで車が進入できるような迎賓館かというようなツッコミの出来る作りなので、退院したばかりのすっかり弱りきったジョルジュにはありがたい造りだと思う。
俺は到着時間の少し前から飯田さんとずっと待っていて、やがて現れた車と、すっかり痩せ衰えてしまったジョルジュに覚悟していたとはいえども息をのみこんで、ゆっくりと吐き出してから
「ようこそ。
オリヴィエと共にお迎えできないのが残念でしたが、また会えて光栄です。
奥様もようこそ。今日はオリオールの食事をどうか楽しんでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
ほぼ喧嘩別れのようにジョルジュの家で別れた奥さんも付き添いというように隣に寄り添ってジョルジュを支えていた。
「日本からわざわざバイオリンを買いに来ただけだと思ったが城まで買うとは。
これならもう少しふっかけておけばよかったな」
「その分はオリヴィエに投資してますので。良かったらオリヴィエの練習場などもごらんになって行ってください」
「ああ、このマイヤーから動画を見せてもらってる。一度どんな場所か見ておきたかったから楽しみにしている」
そう言ってやっと再会の握手を交わす。
前はあれだけ肉厚だったと思った手の骨と皮だけの手はカサカサで。
重ねた手を離せないでいればジョルジュは困ったようにもう片方の手を俺の頭に乗せて何度も髪を優しくなでるのだった。
「人を見送った事があるのだな」
「祖母の最後を。穏やかな眠りでした」
「そうか。私もそうありたい」
その言葉に自分でも死期が近い事を悟っているのだろう。
困ったように微笑むのは奥様で何とも言えない空気が流れる物の
「さあ、こんな所でいつまでも長話してないで食堂に行くぞ」
仕切るのはマイヤーだ。指揮者故に俺について来いと言う様にまるで自分の城のように案内するのは、多分俺よりこの城の事が詳しいからだと思う。マイヤーがどれだけ入り浸っているのかはオリヴィエの動画を見れば一目同然。それどころかオリオールの動画にも出てきて一緒に最後の試食を楽しむのも既に高齢になっている。
因みに近所の友達と言う設定だけど顔を隠してないのでバレバレだ。出演料はオリオールの美味しい料理と言う事で話はまとまっているらしい。まあ、それでいいのならいいけどと言う所だろうか。
食堂は温かくてテーブルのセッティングも済ませてあった。
俺達の到着に合わせて飯田さんが椅子を引いてくれる。
真っ先に奥様。レディファーストの徹底ぶりに感心しながらジョルジュ、マイヤーと気を配ってくれた。
最後に城主の俺が一枚のアンティークのタペストリーの前の席に座る。
このタペストリーはカールとバーナードに連れられてヨーロッパ中の骨董探しの旅をした時に見つけた物。
美しい紅葉の森の中で結婚式を挙げるそんな意匠。
紅葉のカーペットに見知らぬ樹の下で愛を誓う景色。見知らぬ樹の紅葉した葉っぱと同じ色のドレスを纏う新婦。そして膝をついて新婦の指先にキスをする新郎。その誓いを見守る神父と言う構図はとても温まる光景にも見えたが、カールが言うにはこれから冬を迎えると言う季節、冷え切った関係の貴族の婚姻にはよくある景色だと言う随分皮肉った意図が逆に気に入っていると言う俺のひねくれ具合もいい勝負だろう。
とはいえこの紅葉のけしきはすばらしい。
内容が何であれ、これは素直に美しいからと購入してしまった物をこの季節に合わせて飾る。
たとえこの室内の人間が一切そちらに目を向けなくても俺はこのタペストリーを飾る事ができて一人満足するのだった。
「本日はジョルジュの退院をお祝いしての席となりましてお酒は控えさせてもらいまして果実水とさせていただきます。体が冷えるのが気になるのでしたら暖かな紅茶、コーヒーなど気になさらずに申し付け下さい」
そんな飯田さんの気配りに
「あ、玉露お願いします。買ってきた奴あるので封を開けちゃってください」
食前酒の代わりに柔らかな香りと甘みが特徴の物を用意してきた。
決して食事に響かないような柔らかな舌触りに飯田さんは皆様も一度お勧めしますと言って下がり、じっくりと時間をかけてみんなの目の前で玉露を淹れてくれるのだった。
この玉露の為に茶器も揃えてある。
夏に来た時日本の食器を取り扱う店で見つけた陶磁器は完全に衝動買い。
もしここでお茶を飲む事があればと夢を見て買った物だが早速役に立ったと一人ご満悦。
ふわっと鼻を抜けて行く柔らかな香りと甘さなんて一切ないのにさらりと舌を滑り落ちる豊かな味にうっとりとしてしまうのは日本人の習性だけじゃない。
「ほう、これはまた驚きだ。
日本茶は何度も飲んだが、このギョクロというのは今までに飲んだやつとは全く違う」
マイヤーが手放しで褒める様子に
「ああ、これは良い。
渋くて飲めたものじゃないが、これは何と表現が豊かなのだろう」
ジョルジュも香りもしっかりと楽しむ様子に奥様も何となく口を付けたくなかった様子だったがゆっくりと口を付けて、しっかりと全部飲んでいただけた辺り美味しかったと思っていいのだろう。
「玉露は低めの温度、大体70度のお湯でじっくりと蒸らして淹れるから香りも飛ばずこのように甘味を感じます」
「お湯の温度まで計るのか」
驚くマイヤーに飯田さんは
「水は100度で沸騰します。薬缶から一度このような急須に移すと10度下がり、それからお茶を淹れる為の急須に移して80度、お茶を頂くための器に移して70度。そのあと一度温めた急須に移すので70度のまま。玉露を入れる為の理想の温度となります」
「ほう、玉露とは手間がかかるのだな」
「はい、なので今時の電気ポッドにはお湯が70度設定の者があるので大変助かります」
そんな裏話にマイヤー達はついと言う様に大笑いをしてしまった所で
「では前菜と共にお楽しみください。
続きましてサラダとスープもお持ちします。ハロウィンも近いのでかぼちゃのポタージュとオリオール自ら育てたジャガイモのサラダをお持ちします」
まさかの野菜からの手作りと言う案内にさすがのジョルジュの奥様も驚きはかくせれなく、この意表を突いたランチの滑り出しはまずまず成功と言っても良いだろう。
一台の見慣れた車が門からの通路を通ってエントランスへと入ってきた。
玄関の前まで車が進入できるような迎賓館かというようなツッコミの出来る作りなので、退院したばかりのすっかり弱りきったジョルジュにはありがたい造りだと思う。
俺は到着時間の少し前から飯田さんとずっと待っていて、やがて現れた車と、すっかり痩せ衰えてしまったジョルジュに覚悟していたとはいえども息をのみこんで、ゆっくりと吐き出してから
「ようこそ。
オリヴィエと共にお迎えできないのが残念でしたが、また会えて光栄です。
奥様もようこそ。今日はオリオールの食事をどうか楽しんでください」
「ええ、そうさせてもらうわ」
ほぼ喧嘩別れのようにジョルジュの家で別れた奥さんも付き添いというように隣に寄り添ってジョルジュを支えていた。
「日本からわざわざバイオリンを買いに来ただけだと思ったが城まで買うとは。
これならもう少しふっかけておけばよかったな」
「その分はオリヴィエに投資してますので。良かったらオリヴィエの練習場などもごらんになって行ってください」
「ああ、このマイヤーから動画を見せてもらってる。一度どんな場所か見ておきたかったから楽しみにしている」
そう言ってやっと再会の握手を交わす。
前はあれだけ肉厚だったと思った手の骨と皮だけの手はカサカサで。
重ねた手を離せないでいればジョルジュは困ったようにもう片方の手を俺の頭に乗せて何度も髪を優しくなでるのだった。
「人を見送った事があるのだな」
「祖母の最後を。穏やかな眠りでした」
「そうか。私もそうありたい」
その言葉に自分でも死期が近い事を悟っているのだろう。
困ったように微笑むのは奥様で何とも言えない空気が流れる物の
「さあ、こんな所でいつまでも長話してないで食堂に行くぞ」
仕切るのはマイヤーだ。指揮者故に俺について来いと言う様にまるで自分の城のように案内するのは、多分俺よりこの城の事が詳しいからだと思う。マイヤーがどれだけ入り浸っているのかはオリヴィエの動画を見れば一目同然。それどころかオリオールの動画にも出てきて一緒に最後の試食を楽しむのも既に高齢になっている。
因みに近所の友達と言う設定だけど顔を隠してないのでバレバレだ。出演料はオリオールの美味しい料理と言う事で話はまとまっているらしい。まあ、それでいいのならいいけどと言う所だろうか。
食堂は温かくてテーブルのセッティングも済ませてあった。
俺達の到着に合わせて飯田さんが椅子を引いてくれる。
真っ先に奥様。レディファーストの徹底ぶりに感心しながらジョルジュ、マイヤーと気を配ってくれた。
最後に城主の俺が一枚のアンティークのタペストリーの前の席に座る。
このタペストリーはカールとバーナードに連れられてヨーロッパ中の骨董探しの旅をした時に見つけた物。
美しい紅葉の森の中で結婚式を挙げるそんな意匠。
紅葉のカーペットに見知らぬ樹の下で愛を誓う景色。見知らぬ樹の紅葉した葉っぱと同じ色のドレスを纏う新婦。そして膝をついて新婦の指先にキスをする新郎。その誓いを見守る神父と言う構図はとても温まる光景にも見えたが、カールが言うにはこれから冬を迎えると言う季節、冷え切った関係の貴族の婚姻にはよくある景色だと言う随分皮肉った意図が逆に気に入っていると言う俺のひねくれ具合もいい勝負だろう。
とはいえこの紅葉のけしきはすばらしい。
内容が何であれ、これは素直に美しいからと購入してしまった物をこの季節に合わせて飾る。
たとえこの室内の人間が一切そちらに目を向けなくても俺はこのタペストリーを飾る事ができて一人満足するのだった。
「本日はジョルジュの退院をお祝いしての席となりましてお酒は控えさせてもらいまして果実水とさせていただきます。体が冷えるのが気になるのでしたら暖かな紅茶、コーヒーなど気になさらずに申し付け下さい」
そんな飯田さんの気配りに
「あ、玉露お願いします。買ってきた奴あるので封を開けちゃってください」
食前酒の代わりに柔らかな香りと甘みが特徴の物を用意してきた。
決して食事に響かないような柔らかな舌触りに飯田さんは皆様も一度お勧めしますと言って下がり、じっくりと時間をかけてみんなの目の前で玉露を淹れてくれるのだった。
この玉露の為に茶器も揃えてある。
夏に来た時日本の食器を取り扱う店で見つけた陶磁器は完全に衝動買い。
もしここでお茶を飲む事があればと夢を見て買った物だが早速役に立ったと一人ご満悦。
ふわっと鼻を抜けて行く柔らかな香りと甘さなんて一切ないのにさらりと舌を滑り落ちる豊かな味にうっとりとしてしまうのは日本人の習性だけじゃない。
「ほう、これはまた驚きだ。
日本茶は何度も飲んだが、このギョクロというのは今までに飲んだやつとは全く違う」
マイヤーが手放しで褒める様子に
「ああ、これは良い。
渋くて飲めたものじゃないが、これは何と表現が豊かなのだろう」
ジョルジュも香りもしっかりと楽しむ様子に奥様も何となく口を付けたくなかった様子だったがゆっくりと口を付けて、しっかりと全部飲んでいただけた辺り美味しかったと思っていいのだろう。
「玉露は低めの温度、大体70度のお湯でじっくりと蒸らして淹れるから香りも飛ばずこのように甘味を感じます」
「お湯の温度まで計るのか」
驚くマイヤーに飯田さんは
「水は100度で沸騰します。薬缶から一度このような急須に移すと10度下がり、それからお茶を淹れる為の急須に移して80度、お茶を頂くための器に移して70度。そのあと一度温めた急須に移すので70度のまま。玉露を入れる為の理想の温度となります」
「ほう、玉露とは手間がかかるのだな」
「はい、なので今時の電気ポッドにはお湯が70度設定の者があるので大変助かります」
そんな裏話にマイヤー達はついと言う様に大笑いをしてしまった所で
「では前菜と共にお楽しみください。
続きましてサラダとスープもお持ちします。ハロウィンも近いのでかぼちゃのポタージュとオリオール自ら育てたジャガイモのサラダをお持ちします」
まさかの野菜からの手作りと言う案内にさすがのジョルジュの奥様も驚きはかくせれなく、この意表を突いたランチの滑り出しはまずまず成功と言っても良いだろう。
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