人生負け組のスローライフ

雪那 由多

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一人、二人、そして 9

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 工事二日目。
 ぐるりと屋敷を囲む塀はすでにシーラーが塗り終わり、山間部の気候とは違い朝から下地を塗って乾きの速さから本塗りを始めた時間。
 お昼には飯田さんを雇って皆さんのお昼ごはんの用意をお願いしたその裏で俺は爺と一緒に幾人のお客様と一緒にテーブルを囲んでいた。

「山川稔典みのりです」
 
 小学六年生の子供は緊張しながらも俺ではなく目の前の人物に目を輝かせていた。
 こういったのは慣れているというような少しふくよかになった顔のチョリは
「チョリップチョリッパと言う名前でアヤと同じく動画配信をしております」
 音楽、しかもバイオリン弾きならこの国で指折りのバイオリニストを知らないとは言わない。
 たとえ名前を変えようが誤魔化せるはずはなく
「握手してもらえますか!」
 お子様の素直な感情にチョリはそれぐらいいいぞと言うように気安く握手をしたのは圧倒的経験値の差が理由だろう。
「俺、昔はいやいややっていたけどアヤのフランスの城の動画であんな風になりたいって決めました!」
 まさかあの動画で幼い子供が将来を決める分岐点に立たせてしまったのかと驚きながらも稔典君はあこがれのチョリと握手が出来て嬉しそうにおじいちゃんの顔と自分の手を何度も見たりとまだまだ無邪気さの残る様子に微笑ましい空間が広がっていた。 
 だけどそこはそんな顔をしたことがなかった少年時代を過ごした俺。
 挨拶が終わればそのまま
「じゃあ、挨拶が終わったところで、何かバイオリン弾いてもらおうか」
 チョリは何か言いたげに苦笑する中、さっきまで浮かれていた空気が一瞬で霧散してがちがちの緊張した顔でバイオリンの調律を始め……
 幼いころからちゃんと音楽を学んでいたので耳は良いようできっちりと音を合わせてあの不自然な姿勢のホームポジションを決めてからゆっくりと弓を引いた。

 結果を先に言えばチョリは稔典君をそのままイギリスに連れていく事を決めた。
 爺さんは俺に固定概念を持たせない為に黙っていたが、小学六年生でジュニアの部で賞を取ったこともあると言う経歴を持っていた。
 俺には良し悪しはわからないが、オリヴィエの方が上だな、そんな感想。
 チョリは
「それが当然だ。オリヴィエは彼の半分の年齢でそれ以上に弾きこなしていた天才なのだからな」
 と、マイヤーに押し付けっぱなしの弟子を褒め称えた。
 稔典君は悔しそうな顔をするがオリヴィエと比べられて仕方がないという顔をするも、そもそも俺のバイオリニストの基本はチョリとジョルジュとオリヴィエなのだ。
 世界的バイオリニストと小さな島国の年齢制限された中の一人とでは比べようがない。
「どのみち前もって説明したとおり、稔典君がこのまま音楽の道を進むことは難しいのは爺さんから説明してもらった内容で理解したと思う。
 だから俺はチョリの意見を聞いてこのままイギリスに留学を進める。
 本当ならフランスが爺さんにも安心してもらえるようだが、残念な事に全寮制の学校はフランスにはなく、だったら俺の知人の多いイギリスの方がいいだろうと提案する」
 小学六年生相手にビジネスをするように話せば稔典君は爺さんの顔を見て
「俺、バイオリン辞めたくない。英語だったら英会話に行っているから大丈夫。
 大林さんの弟子になれるなら今すぐにでも行きたい!」
  
 誰もチョリの弟子になれるとかそんな話してない。
 
 なんて突っ込みは誰一人もせずチョリは困った顔をしながら
「一応僕はこの国を活動の場としている。イギリスにはアヤも知る知人にサポートをお願いする事になる。一応あの動画にも居た超一流のバイオリニストだ」
 なんて言えば少しだけ不満そうな顔をするので
「稔典君はバイオリニストになりたいのかい?それとも僕の弟子になりたいのかい?」
 そんな究極の二択。 
 少しだけむっとしたように不貞腐れた顔をするも

「そんなのバイオリニストです。大林さんには憧れますけど目指すはオリヴィエを超える事なので」

 なかなかに高いハードルを抱えるお子様に爺さんでなくとも俺もほっとしたように笑みを浮かべた。
 だけど誰よりも厳しい現実を知るチョリは
「だったら夏休み明けから向こうの授業を開始できるようにご両親を説得してきなさい。小学校も卒業させてあげれないけどすでにもっと幼い子供がこれから稔典君が受けるカリキュラムを既にスタートしている。我々の世界はそういう処だというのを覚悟して、お爺様でも何でも使えるものは使ってすぐにでも行動しなさい。
 今、僕は演奏旅行してないからこれから毎日僕の所に通ってレッスンを受ける事。
 このままなら受かるか受からないかギリギリだから確実に受かるように練習をしよう。夏休み中にオーディションを受けに行けるように精度を上げていくぞ」
 初めて見る音楽家らしい顔だった。
 いや、していたかもしれないけど大体がどこかコミカルな様子だったために、ああ、本当にバイオリニストだったのだと少しだけ感動するのだった。
  



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