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番外編:これがラストですがなぜか一番リクエストが多かった飯田さんの子供の頃の話を書いてみました。
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飯田薫の幼い頃は飯田家の問題児だった。
別に悪さはしない。
だけど味蕾の異常発達ゆえに食べるものに苦労して、何百年と続く料亭の長男としては致命的な欠陥品だと祖母、親族から母の紗凪は言われ続けていた。
しかし幼い薫には全く意味を理解できず、そして長男の息子ゆえに同年代の従弟妹にもまだ恵まれない環境は件の親族以外からはアイドル同然にかわいがられ薫が好き放題するには絶好の条件であり、三つ子の魂なんとやら。
まさかこの状況が一生の性格に形成となるとはさすがに薫の両親ですら想像もいなかった。
そんな親族に囲まれた中でまだ実家ぐらしだった父の弟、叔父の楓が主な遊び相手になっていた。薫もなつき、夜寝るのはもちろんお風呂も一緒じゃないと嫌だと駄々をこね、トイレにまで追いかける可愛いストーカー時代も当然あって
「楓ちゃん、今日はどこ連れて行ってくれるの?」
「そうだね。鮎が解禁になったから釣りをしてみようか?」
「お魚イヤ。くちゃい……」
鼻をつまみ、匂いを拒絶するように訴えれば
「飯田の子供に生まれて釣り遊びをしないなんてありえないからね。
通過儀礼じゃないけど一度はやらないとね」
よくわからない四字熟語で幼稚園児を丸め込んだ叔父は俺を肩車して物置から釣り道具を手にして強制的に釣りへと出かけさせられる事になった。
「兄さん、薫と遊びに行ってくるね」
「行くのはいいが、支度の時間には帰ってこい」
「もちろん。あ、おにぎりだけもらってきますね」
そう言って炊き立てのご飯から容赦なくおにぎりを五つ作る。
四つは自分の為に、そして一つは食の細い甥の為に。
「楓ちゃん、お塩振ってないよね?」
「ん?もちろん薫専用だからね」
塩を手のひらにつけただけのおにぎりすら辛くて食べられない甥を憐れみつつも人間塩分を取らないと生きていられない生き物。塩結びを作った手のまま塩なしのおにぎりを結ぶぐらいが限界と言う味覚の繊細さにすっかり食べる事をおびえる甥にどうすれば興味を持つのか頭を悩ませる。
こんなにもなついてくれる甥をかわいいと思うし、この甥がいれば結婚なんてしなくてもいいと思う楓だがさすがに跡取りを養子にとは言い出せないのは当然の事。
もし兄弟が生まれ、兄の才能を受け継ぐ子供に育てばその時に言い出せばいいと考えながら薫が保育園で覚えてきた怪しいお歌に疑問を覚えながらも耳を傾けながら山間に流れる木々の木陰が心地よい小川へとやって来た。
薫は山の肥沃な土壌の匂いはもちろん慣れた水道の水ではない小川の匂いに顔を歪めていたが、俺は釣りの準備をして、適当な大きさの石をひっくり返して餌を捕まえる。
それを見ていた薫のぎょっとした顔のかわいい事。
『写真に撮りたい……』
甥のかわいらしさに悶えながらにやにやしつつ針につけて糸を垂らす。
「まだ早朝だから餌に食らいつくはずなんだ」
ふーんと言いながら俺の隣にぴとっと寄り添うようにちょこんと座り、垂らした糸の先を眺める。
子犬みたいな甥っ子のかわいらしさににやにやとしているもすぐにちょろちょろと歩きだして薫の母親でもある紗凪さんが用意した水筒を取り出してほんのり色づいたお茶を飲んでいた。
一般的には白湯にも近い色水だけど、薫にはこれぐらいがちょうどいいらしい。
兄さんと紗凪さんの努力があって薫の限界を把握しながら食事を用意して日々何とか一日に必要な栄養の取れる食事を食べされている。
特に兄さんなんかは料理の腕には必要以上に自信を持っていただけに、やっと生まれたかわいい息子に料理のすべてを否定されて落ち込んでいた姿はいい薬だと親父は言っていた。
とは言え落ち込む兄貴の姿は面白かったが、面と向かっては言うには薫にとって命がけの笑える話ではないので俺も気を使っている。
食事には人一倍気にかけなくてはいけない薫だが……
「お?」
「楓ちゃん、糸!お魚がいる!」
あれだけ嫌がっていた魚釣りなのにいざ魚が針に引っかかったのを見れば興奮するように岩場から乗り上げて川の中を覗き込む薫が落ちる前に
「よいっしょ!」
気合を入れて力技で釣り上げる。
「お魚!」
「鮎って言うんだよ」
そこら辺の砂と小さな葉っぱをまとわりつけながら飛び跳ねる鮎を掴めば針を外し、網の袋の中に入れて水たまりの中に置いておく。
網の中で懸命にパクパクする鮎を薫が不思議そうな眼で眺めている間にすぐに二匹目を釣る。
薫の興味が薄れないうちに釣れるなんて運がいい。
すぐに小さなキャンプ用コンロに薪をくべて火を着ける。
まさかすぐに釣れるとは思わなかっただけに準備してなかったのは失敗だったが
「薫、見てなさい」
俺は薫をすぐ隣に置いて魚を捌き始めた。
生きたまま捌いたとはいえ生臭い血の匂いと臓物の匂いに薫は口をふさいだものの、すぐに流れる川の水で洗い流して一つは塩を振る。もう一つは何もせずに串を打ち安定していない炎で鮎を焼き始める一連をちゃんと見ていた素直さに飯田の子供だなと小さく笑った。
「うーん、やっぱり火が強かったか。焼き過ぎだな」
「楓ちゃん、おこげの匂いが酷いよ?」
これをどうするのだと言うように不安そうな瞳を向けられて安心しろと言うようににこりと笑う。
「こげた皮を外せば食べれるよ?」
紙皿の上に鮎を乗せれば割りばしで皮を外す。
丁寧な所作はさすが飯田の子供と言う所だろう。
まだ小学生でもないのに完璧な箸使いをする子供はかわいげがないと思う。だけど教えこんだ紗凪の教育には頭が下がる思いだ。
丁寧に皮を取り、恐る恐ると言うように身を外せばほっこりと湯気の立ち上る白身をゆっくりと口へと運べばすぐに口を手で覆う。
ダメだったかと思う合間にもすぐにお茶を飲んで必死に口を漱いでいた。
だけどここで諦めてはいけない。
「無理だったか?」
こくんと頷く瞳からぽつりと涙が落ちた。
「頑張って食べようってしてくれたのにごめんね」
無理をさせてしまったのではないかと心を痛めながらこの程度の贅沢すらできない甥をかわいそうに思っていれば
「美味しそうな匂いしたのに……」
この子はいつもこんな風に思いながら泣いて諦めていたのかと思えば胸が締め付けられる。
どれだけ美味しいお料理を出してたくさんの人を感動させてきたのに、どれ一つとってもこの子供には苦痛以外でない事が心から哀れに見えた。
だけど、泣きながらもその小さな鼻はクンクンと何かを探すようにひくついている。
やがて探し見つけた視線の先には俺が食べようとしていた鮎の塩焼き。
ジーッと見つめる視線の先の薫には塩がきつすぎる鮎だけど
「試してみるか?」
聞けば顔色が青いものの何やら我慢できないと言うように握りしめていた箸を恐る恐ると言うように小さな手で操り……
塩が結晶化していた皮を取り、ふっくらと焼かれた身をほんの小さく摘み取る。
食事が怖い。
すっかり食べる事が恐怖になってしまった甥はいまだに親から与えられるもの以外を口にできない。
おかげで同年代の子供より小さい体、細い手足、栄養不足の顔立ちに兄夫婦は常に針の筵に立たされている。
親子で頑張っているのに理解してくれるものはほんのわずか。
だけど、それでも薫は人を笑顔にする店の子供らしく食には貪欲のようで
ほんのわずか、箸の先でつまんだ小さな魚の身を恐る恐ると言うように口へと運ぶ。
舌先で味を確かめるように、震える箸を噛むようにゆっくりと口を閉ざして……
「楓ちゃん」
「どうした薫?」
お茶に手を伸ばさなかった驚きに息をのんで返事をすれば
「お魚さん、辛いけど美味しいね?」
少し涙を浮かべながらも笑顔を見せてくれた。
「辛いけど、お魚って臭くないんだね」
なんて言いながらクンクンと鼻を鳴らしながらもう一口箸をつける。
「葉っぱの匂いがする」
「鮎は香魚って言われるくらいだからね。西瓜とか胡瓜とかの匂いに例えられる事が多いけど、薫には葉っぱなんだ」
苔を食べる鮎ならそう言うのもありかと思うも、その合間にカバンからおにぎりを取り出して鮎を食べてはかすかに手に残った塩の香りが移ったおにぎりを食べていた。
「楓ちゃん、鮎っておいしいね」
わずかな鮎の身を食べながらおにぎりを頬張る薫の笑顔に涙が浮かび出そうで、だけど食事の時間にこんなにも幸せな笑顔を浮かべる薫に心配させられないと言うように涙をこらえて俺も満面の笑顔を浮かべて
「またお魚釣りに来ような?」
「じゃあ、またキャンプしようね!」
祖父母のいない外で食べたことも良かったのか珍しい事に丸々一匹完食した所で後片付けをして家に帰るのだった。
無邪気で純粋な甥っ子の笑顔に食べられないと言った鮎を俺が代わりに食べてこれ以上とない幸せな時間を過ごす小さな幸せの日々は今も宝物のように心に留めている。
そして時が流れて
「ちょ、おじさん!なんで綾人さんの家に遊びに行ったら行けないんですか!」
「いや、お前先週も先々週も毎週のように遊びに行ってるだろう!少しは迷惑と言うものを覚えなさい!」
「綾人さんが遊びに来ていいって言ったんだから問題ないでしょう!」
「いや、問題しかないから!
一体何して遊んでいるのか迷惑と言うものを考えろって言うんだ!」
「迷惑だなんて心外です!
ただあの土間の竈を使わせてもらって畑のお野菜で料理しているだけです!
ご迷惑ならないように俺も食材やキャンプ用品持ち込んだりしてます!」
店内の従業員にまたかとあきられながらも黙って見守るのは恒例行事だから。
いつの間にか俺よりも背は高く、そして一回りたくましい体つきになってしまった甥っ子はもう昔の愛らしさや儚さのかけらどころか子犬でもなくなってしまっていた。
それどころか一度案内した家の家主と意気投合したとか言っては遊びに行ってあれから減った味蕾の数と耐えられるようになった塩味に挑戦するかのようにあの昭和以前の台所を満喫している逞しさ。
全く持って可愛げがなくなってしまった……
あの日以来自分の食べたいものを食べられるようにと兄と一緒に教え込むようになってからは食べられないものが減っていったあのかわいらしい子犬の様な甥っ子はまるで仕えるべき主を見つけたと言うような番犬になってしまったことに頭を抱えるも、甥っ子より難物な山奥の子供の為に右往左往する様子は成長した証拠だろうと思って微笑ましくもあるが、それでも甥っ子の方がかわいいと思うのは一緒に過ごした歴史があるからだろう。
「ったく、こっちに戻ってきてもお邪魔しているなんて、ほんと迷惑ってものを知れってやつだ!」
「だが、まあ、それはそれで幸せじゃないか。無茶をしないように見守るのが親の務めだ」
「兄さんは俺に丸投げだから気楽だけどね!」
「気楽じゃないさ。今はまだあれに教える味があるが、あいつはあっという間にものにしてしまう。
追われる方も大変なんだよ」
肩をすくめる兄のどこか小さくなってしまった背中になにも言えないでいれば
「そうそう、やっぱりうちも竈復活させようかって話をしているのだが」
「紗凪さんの苦労を考えてください」
竈番は嫁の仕事と言う謎の習慣がある家なのでお嬢さんだった紗凪さんにまた苦労させるのかと言うも
「なに、そこは薫が言い出したから薫にやらせればいい。
うちに戻ってくる時の条件で竈が欲しいって言ってきたらお前が責任もてって言っておいたからな」
ふふんとどこか嬉しそうに笑う兄さんに何馬鹿なこと言っていると呆れていれば兄さんは花の時期が終わったアジサイを眺めながら
「先日、あいつは職人を連れてやってきて、昔の竈の離れを作り直して竈の設置をしているのを見た時どうしてこんな風に育ったのか親の顔を見て見たくなったぞ」
「あー、今回の呼び出しとこの騒音の原因はそれですか」
「綾人も来ているからあとで挨拶でもしておきなさい」
俺は兄さんの顔を見ながらどう考えても尊敬する人物の影響受け過ぎる甥っ子の満足いく顔しか思い浮かべる事が出来ないと同時に至高と言われる食事が苦痛でしかない甥っ子の泣き顔を思い出せば
「俺から薫を奪っておきながら別に大した問題でもない」
「楓こそよくあいつを言い聞かせてきた。薫の小さい頃からしっかりと面倒を見てきたことを尊敬するぞ」
兄から初めて言われた言葉に素直に照れてしまい笑う事しかできなかった。
***********************************************************
コメントをなろう含めて閉ざしてましたがそれでも数少ない連絡方法で感想をいただいた中で一番人気だった飯田さんの子供の頃の話が読みたいと言うピンポイントのリクエストが重なる素敵な偶然に仔犬様の話を追加させていただきました.ありがとうございました。
2022年6月の終わりから長い間お付き合いありがとうございました。
日記のように書き続けて一緒に綾人の成長を見守って下さり本当に感謝申し上げます。
またどこかで綾人を見かけたら「おまえか?!」と見守って頂ければ幸いです。
※※※ 追記 ※※※
家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!
始めました。
別人が主人公ですがお節介な村人が出てきますので人生負け組の人達のその後が気になる方は是非生存確認をお願いします。
別に悪さはしない。
だけど味蕾の異常発達ゆえに食べるものに苦労して、何百年と続く料亭の長男としては致命的な欠陥品だと祖母、親族から母の紗凪は言われ続けていた。
しかし幼い薫には全く意味を理解できず、そして長男の息子ゆえに同年代の従弟妹にもまだ恵まれない環境は件の親族以外からはアイドル同然にかわいがられ薫が好き放題するには絶好の条件であり、三つ子の魂なんとやら。
まさかこの状況が一生の性格に形成となるとはさすがに薫の両親ですら想像もいなかった。
そんな親族に囲まれた中でまだ実家ぐらしだった父の弟、叔父の楓が主な遊び相手になっていた。薫もなつき、夜寝るのはもちろんお風呂も一緒じゃないと嫌だと駄々をこね、トイレにまで追いかける可愛いストーカー時代も当然あって
「楓ちゃん、今日はどこ連れて行ってくれるの?」
「そうだね。鮎が解禁になったから釣りをしてみようか?」
「お魚イヤ。くちゃい……」
鼻をつまみ、匂いを拒絶するように訴えれば
「飯田の子供に生まれて釣り遊びをしないなんてありえないからね。
通過儀礼じゃないけど一度はやらないとね」
よくわからない四字熟語で幼稚園児を丸め込んだ叔父は俺を肩車して物置から釣り道具を手にして強制的に釣りへと出かけさせられる事になった。
「兄さん、薫と遊びに行ってくるね」
「行くのはいいが、支度の時間には帰ってこい」
「もちろん。あ、おにぎりだけもらってきますね」
そう言って炊き立てのご飯から容赦なくおにぎりを五つ作る。
四つは自分の為に、そして一つは食の細い甥の為に。
「楓ちゃん、お塩振ってないよね?」
「ん?もちろん薫専用だからね」
塩を手のひらにつけただけのおにぎりすら辛くて食べられない甥を憐れみつつも人間塩分を取らないと生きていられない生き物。塩結びを作った手のまま塩なしのおにぎりを結ぶぐらいが限界と言う味覚の繊細さにすっかり食べる事をおびえる甥にどうすれば興味を持つのか頭を悩ませる。
こんなにもなついてくれる甥をかわいいと思うし、この甥がいれば結婚なんてしなくてもいいと思う楓だがさすがに跡取りを養子にとは言い出せないのは当然の事。
もし兄弟が生まれ、兄の才能を受け継ぐ子供に育てばその時に言い出せばいいと考えながら薫が保育園で覚えてきた怪しいお歌に疑問を覚えながらも耳を傾けながら山間に流れる木々の木陰が心地よい小川へとやって来た。
薫は山の肥沃な土壌の匂いはもちろん慣れた水道の水ではない小川の匂いに顔を歪めていたが、俺は釣りの準備をして、適当な大きさの石をひっくり返して餌を捕まえる。
それを見ていた薫のぎょっとした顔のかわいい事。
『写真に撮りたい……』
甥のかわいらしさに悶えながらにやにやしつつ針につけて糸を垂らす。
「まだ早朝だから餌に食らいつくはずなんだ」
ふーんと言いながら俺の隣にぴとっと寄り添うようにちょこんと座り、垂らした糸の先を眺める。
子犬みたいな甥っ子のかわいらしさににやにやとしているもすぐにちょろちょろと歩きだして薫の母親でもある紗凪さんが用意した水筒を取り出してほんのり色づいたお茶を飲んでいた。
一般的には白湯にも近い色水だけど、薫にはこれぐらいがちょうどいいらしい。
兄さんと紗凪さんの努力があって薫の限界を把握しながら食事を用意して日々何とか一日に必要な栄養の取れる食事を食べされている。
特に兄さんなんかは料理の腕には必要以上に自信を持っていただけに、やっと生まれたかわいい息子に料理のすべてを否定されて落ち込んでいた姿はいい薬だと親父は言っていた。
とは言え落ち込む兄貴の姿は面白かったが、面と向かっては言うには薫にとって命がけの笑える話ではないので俺も気を使っている。
食事には人一倍気にかけなくてはいけない薫だが……
「お?」
「楓ちゃん、糸!お魚がいる!」
あれだけ嫌がっていた魚釣りなのにいざ魚が針に引っかかったのを見れば興奮するように岩場から乗り上げて川の中を覗き込む薫が落ちる前に
「よいっしょ!」
気合を入れて力技で釣り上げる。
「お魚!」
「鮎って言うんだよ」
そこら辺の砂と小さな葉っぱをまとわりつけながら飛び跳ねる鮎を掴めば針を外し、網の袋の中に入れて水たまりの中に置いておく。
網の中で懸命にパクパクする鮎を薫が不思議そうな眼で眺めている間にすぐに二匹目を釣る。
薫の興味が薄れないうちに釣れるなんて運がいい。
すぐに小さなキャンプ用コンロに薪をくべて火を着ける。
まさかすぐに釣れるとは思わなかっただけに準備してなかったのは失敗だったが
「薫、見てなさい」
俺は薫をすぐ隣に置いて魚を捌き始めた。
生きたまま捌いたとはいえ生臭い血の匂いと臓物の匂いに薫は口をふさいだものの、すぐに流れる川の水で洗い流して一つは塩を振る。もう一つは何もせずに串を打ち安定していない炎で鮎を焼き始める一連をちゃんと見ていた素直さに飯田の子供だなと小さく笑った。
「うーん、やっぱり火が強かったか。焼き過ぎだな」
「楓ちゃん、おこげの匂いが酷いよ?」
これをどうするのだと言うように不安そうな瞳を向けられて安心しろと言うようににこりと笑う。
「こげた皮を外せば食べれるよ?」
紙皿の上に鮎を乗せれば割りばしで皮を外す。
丁寧な所作はさすが飯田の子供と言う所だろう。
まだ小学生でもないのに完璧な箸使いをする子供はかわいげがないと思う。だけど教えこんだ紗凪の教育には頭が下がる思いだ。
丁寧に皮を取り、恐る恐ると言うように身を外せばほっこりと湯気の立ち上る白身をゆっくりと口へと運べばすぐに口を手で覆う。
ダメだったかと思う合間にもすぐにお茶を飲んで必死に口を漱いでいた。
だけどここで諦めてはいけない。
「無理だったか?」
こくんと頷く瞳からぽつりと涙が落ちた。
「頑張って食べようってしてくれたのにごめんね」
無理をさせてしまったのではないかと心を痛めながらこの程度の贅沢すらできない甥をかわいそうに思っていれば
「美味しそうな匂いしたのに……」
この子はいつもこんな風に思いながら泣いて諦めていたのかと思えば胸が締め付けられる。
どれだけ美味しいお料理を出してたくさんの人を感動させてきたのに、どれ一つとってもこの子供には苦痛以外でない事が心から哀れに見えた。
だけど、泣きながらもその小さな鼻はクンクンと何かを探すようにひくついている。
やがて探し見つけた視線の先には俺が食べようとしていた鮎の塩焼き。
ジーッと見つめる視線の先の薫には塩がきつすぎる鮎だけど
「試してみるか?」
聞けば顔色が青いものの何やら我慢できないと言うように握りしめていた箸を恐る恐ると言うように小さな手で操り……
塩が結晶化していた皮を取り、ふっくらと焼かれた身をほんの小さく摘み取る。
食事が怖い。
すっかり食べる事が恐怖になってしまった甥はいまだに親から与えられるもの以外を口にできない。
おかげで同年代の子供より小さい体、細い手足、栄養不足の顔立ちに兄夫婦は常に針の筵に立たされている。
親子で頑張っているのに理解してくれるものはほんのわずか。
だけど、それでも薫は人を笑顔にする店の子供らしく食には貪欲のようで
ほんのわずか、箸の先でつまんだ小さな魚の身を恐る恐ると言うように口へと運ぶ。
舌先で味を確かめるように、震える箸を噛むようにゆっくりと口を閉ざして……
「楓ちゃん」
「どうした薫?」
お茶に手を伸ばさなかった驚きに息をのんで返事をすれば
「お魚さん、辛いけど美味しいね?」
少し涙を浮かべながらも笑顔を見せてくれた。
「辛いけど、お魚って臭くないんだね」
なんて言いながらクンクンと鼻を鳴らしながらもう一口箸をつける。
「葉っぱの匂いがする」
「鮎は香魚って言われるくらいだからね。西瓜とか胡瓜とかの匂いに例えられる事が多いけど、薫には葉っぱなんだ」
苔を食べる鮎ならそう言うのもありかと思うも、その合間にカバンからおにぎりを取り出して鮎を食べてはかすかに手に残った塩の香りが移ったおにぎりを食べていた。
「楓ちゃん、鮎っておいしいね」
わずかな鮎の身を食べながらおにぎりを頬張る薫の笑顔に涙が浮かび出そうで、だけど食事の時間にこんなにも幸せな笑顔を浮かべる薫に心配させられないと言うように涙をこらえて俺も満面の笑顔を浮かべて
「またお魚釣りに来ような?」
「じゃあ、またキャンプしようね!」
祖父母のいない外で食べたことも良かったのか珍しい事に丸々一匹完食した所で後片付けをして家に帰るのだった。
無邪気で純粋な甥っ子の笑顔に食べられないと言った鮎を俺が代わりに食べてこれ以上とない幸せな時間を過ごす小さな幸せの日々は今も宝物のように心に留めている。
そして時が流れて
「ちょ、おじさん!なんで綾人さんの家に遊びに行ったら行けないんですか!」
「いや、お前先週も先々週も毎週のように遊びに行ってるだろう!少しは迷惑と言うものを覚えなさい!」
「綾人さんが遊びに来ていいって言ったんだから問題ないでしょう!」
「いや、問題しかないから!
一体何して遊んでいるのか迷惑と言うものを考えろって言うんだ!」
「迷惑だなんて心外です!
ただあの土間の竈を使わせてもらって畑のお野菜で料理しているだけです!
ご迷惑ならないように俺も食材やキャンプ用品持ち込んだりしてます!」
店内の従業員にまたかとあきられながらも黙って見守るのは恒例行事だから。
いつの間にか俺よりも背は高く、そして一回りたくましい体つきになってしまった甥っ子はもう昔の愛らしさや儚さのかけらどころか子犬でもなくなってしまっていた。
それどころか一度案内した家の家主と意気投合したとか言っては遊びに行ってあれから減った味蕾の数と耐えられるようになった塩味に挑戦するかのようにあの昭和以前の台所を満喫している逞しさ。
全く持って可愛げがなくなってしまった……
あの日以来自分の食べたいものを食べられるようにと兄と一緒に教え込むようになってからは食べられないものが減っていったあのかわいらしい子犬の様な甥っ子はまるで仕えるべき主を見つけたと言うような番犬になってしまったことに頭を抱えるも、甥っ子より難物な山奥の子供の為に右往左往する様子は成長した証拠だろうと思って微笑ましくもあるが、それでも甥っ子の方がかわいいと思うのは一緒に過ごした歴史があるからだろう。
「ったく、こっちに戻ってきてもお邪魔しているなんて、ほんと迷惑ってものを知れってやつだ!」
「だが、まあ、それはそれで幸せじゃないか。無茶をしないように見守るのが親の務めだ」
「兄さんは俺に丸投げだから気楽だけどね!」
「気楽じゃないさ。今はまだあれに教える味があるが、あいつはあっという間にものにしてしまう。
追われる方も大変なんだよ」
肩をすくめる兄のどこか小さくなってしまった背中になにも言えないでいれば
「そうそう、やっぱりうちも竈復活させようかって話をしているのだが」
「紗凪さんの苦労を考えてください」
竈番は嫁の仕事と言う謎の習慣がある家なのでお嬢さんだった紗凪さんにまた苦労させるのかと言うも
「なに、そこは薫が言い出したから薫にやらせればいい。
うちに戻ってくる時の条件で竈が欲しいって言ってきたらお前が責任もてって言っておいたからな」
ふふんとどこか嬉しそうに笑う兄さんに何馬鹿なこと言っていると呆れていれば兄さんは花の時期が終わったアジサイを眺めながら
「先日、あいつは職人を連れてやってきて、昔の竈の離れを作り直して竈の設置をしているのを見た時どうしてこんな風に育ったのか親の顔を見て見たくなったぞ」
「あー、今回の呼び出しとこの騒音の原因はそれですか」
「綾人も来ているからあとで挨拶でもしておきなさい」
俺は兄さんの顔を見ながらどう考えても尊敬する人物の影響受け過ぎる甥っ子の満足いく顔しか思い浮かべる事が出来ないと同時に至高と言われる食事が苦痛でしかない甥っ子の泣き顔を思い出せば
「俺から薫を奪っておきながら別に大した問題でもない」
「楓こそよくあいつを言い聞かせてきた。薫の小さい頃からしっかりと面倒を見てきたことを尊敬するぞ」
兄から初めて言われた言葉に素直に照れてしまい笑う事しかできなかった。
***********************************************************
コメントをなろう含めて閉ざしてましたがそれでも数少ない連絡方法で感想をいただいた中で一番人気だった飯田さんの子供の頃の話が読みたいと言うピンポイントのリクエストが重なる素敵な偶然に仔犬様の話を追加させていただきました.ありがとうございました。
2022年6月の終わりから長い間お付き合いありがとうございました。
日記のように書き続けて一緒に綾人の成長を見守って下さり本当に感謝申し上げます。
またどこかで綾人を見かけたら「おまえか?!」と見守って頂ければ幸いです。
※※※ 追記 ※※※
家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!
始めました。
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