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第1章
オークの洞窟生活 (2)
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オレとハックは倒した獅子猪の脚を蔓で縛って引きずりながら洞窟へと戻った。重い。とにかく重い。いったい何キロあるのだろう。肩で息をしながらやっとのことで洞窟の入口のある大木がそびえ立つ場所まで来ると、オレたちに気付いた見張り役たちが跳んで来て手を貸してくれた。4人掛かりでやっとの思いで獅子猪を洞窟の中まで運び込むと、オレとハックはその場に座り込んだ。
「おい、ハック。こりゃいったいどういう事だ? 何でお前らが獅子猪を運んでやがんだ?」
ギョロ目の見張り役が額の汗を拭いながら問い掛けた。ハックはその慌てようを見てブヒブヒと鼻を鳴らして笑うと。得意気に「仕留めダんだ」と言い放つ。その後にオレの顔をジッと見つめるとそのまま黙り込んだ。
「えっと、おめぇ名前は何だっけ?」
「黒田」
名前を聞かれたオレは咄嗟に偽名を語った。オレは地下社会では本名の霧山コウスケではなく、黒田コウスケを名乗っていた。当初は自らを「黒」だと名乗ることで、地下社会で生きるオレの犯行だと言ってのける自虐的な冗談のつもりで使っていたのだが、いつの間にかそっちの名前が定着してしまった。今では本名の霧山コウスケよりも、黒田コウスケでオレを認識する者の方が多いくらいだ。
「おお、クロガ。このクロが仕留めダんだ」
「何? クロ、お前が1人でやったのか!?」
いや、ちょっと待てオレの名前はクロダだ。クロじゃない。
「クロ、お前すげえじゃねえか」
「ああ。クロがナイフ1本で獅子猪に立ち向かう姿、お前たちにも見せてやりたガったよなぁ」
もう1人の糸目の見張り役が感心したようにオレに視線を向けると、何故か実際には茂みに隠れていてちゃんと見てもいないハックが、興奮気味にオレの活躍ぶりを自慢した。2人の見張り役は仕切りに感心した後に、今夜はご馳走だと言って嬉しそうにその場で踊り出した。コイツら見張り役のくせに、まったく見張りしてないけど良いのだろうか。
まあ、コイツらが驚くのも無理はない。実際あの突進はかなり危険だった。それに地響きを起こすほどの勢いで木に衝突しておきながらも、数回頭を振り回す程度で済ませてしまう桁外れな頑丈さも脅威的と言えた。実際、人間の猟師が罠で捕らえた猪に止めを刺す際も、あまり接近し過ぎないように槍で首筋を突く。それほど猪の突進力は凄まじい。獣なので噛み付くことだってある。体長約2.5メートル、体重は200キロ近いと思われるこの巨大な猪の化物。コイツの突進なら、さながら牙の生えた軽自動車に衝突されるようなものだ。無事では済まない。
オレたちはそのまま獅子猪を調理場へと運び込む。調理場には裏口があり、そこから外に出た場所で獅子猪の解体作業に取り掛かることになった。何故か成り行きでオレも解体作業を手伝うことになる。
解体に入る前にまずは血抜きだ。蔓で縛った後脚にロープを通し、その辺にある最も太い枝に4人掛かりでやっとの思いで逆さ吊りにする。枝がギシギシ言っていて、折れないか心配だ。ここまで運ぶまでに首筋の動脈を掻き切った傷から、かなりの血が流れ出たはずだが、逆さに吊ると再び血液が滴り落ちる。ハックはそれをバケツに集めていた。何かに使うのだろう。
ハックが調理場から持ってきた小型の鎌のような道具のお陰で綺麗に剥ぐことが出来たが、これだけ大きいと皮を剥ぐ作業だけでもひと苦労だ。どういう訳かギョロ目と糸目の見張り役たちは、見張りをそっちぬけでオレたちの解体作業を横で眺めていた。いや、見張りしないんだったらお前らも手伝えよ。
皮を剥ぎ終わり薄桃色の肌がになった獅子猪は、まるで巨大な豚だ。豚面の怪物であるところのオレが、化物豚のような獅子猪の首を切り落とす場面はなんともシュールだ。見張り役の2人の視線がとてもやり難い。不思議なことに自分と見た目の近いその首が斬り落とされる場面を見ながら、2人の見張り役は嬉しそうに歓声を上げている。何だか気を使ったオレの方が馬鹿らしくなってくる。片付けようと思って持ち上げたが、頭だけでも相当な重さだ。それを別の台に乗せると、脂で切れ味の落ちた刃物を一旦交換して、いよいよ胴体部分の解体へと入る。
尻から腹の中心を通って首筋までを切り開き、オレよりも立派なナニと睾丸を切り落とす。流石にこの作業は同じオスとして痛々しさで思わず腰が引ける。横隔膜を切り開いて内臓を用意した別のバケツに抜き取った。3つのバケツが満杯になった。どういった感覚を持ち合わせているのか分からないが、2人の見張り役たちが抜き取られた内臓を眺めて舌なめずりをしていた。この状態の内臓を見て食欲を刺激するとは流石は怪物だ。
「こりゃ、今夜の祭りは盛大になりそうだな?」
「ねえ、今夜はボクを食べるのかい?」
「ああ、そうだぜ。お前のキンタマはオレがいただくぜ」
ゲラゲラと猥雑な笑い声が響く。見張り役の2人が切り落とした頭の口の部分を手で動かして、まるで会話をしているかのようにして悪ふざけをしているのだ。だからお前らも手伝えって。
そう言えばさっき「祭り」と言ったか。こいつら怪物のくせに祭りなんかするのか。オレは豚面の怪物たちが神輿を担いだり、輪になって盆踊りを楽しむ姿を想像してみる。絶対に有り得ない。きっと顔中にペイントして火の着いた棒を回したり、妙な格好で崖の上からダイブしたりとかだろう。いずれにしろコイツらは見た目に寄らず、けっこう文化的な暮らしをしているのかも知れないな。
そんなことを考えながらも解体作業の手は休めていない。再び刃物を交換して脊椎部分を中心に半分に切り分けると、よく見たことのある枝肉の様相となる。大きさ的には牛のそれだが、内容的にはやはり豚に近いのだろうか。そこから先は台に乗せた肉を適当な大きさに切り分けていく。大き目の樽を持って来たハックが、切り分けた肉に大量の白い粉を振りかけながらそこへ入れていく。あれは塩か。
「肉は貴重な食料だ。こうして残りは塩水に漬けデ干し肉にするんだ」
オレの視線に気付いたハックが肉と塩を交互に樽に漬け込みながら言う。たくさん獲物が捕れた際にはこうして保存するのが一般的なのだそうだ。野草や木の実の知識だけでなく、保存食まで作るとは怪物のくせに意外としっかりしている。ひと通りの作業を終えると、ハックが「クロのお陰で、今夜の祭りは盛り上がるな」と嬉しそうにブヒブヒと鼻を鳴らした。そう言われるとオレも悪い気はしない。
獅子猪の肉は、半身だけでも大人1人ぶんほどの重さが感じられた。仮に50キロとして、1人500グラムを平らげたとしても100人分の量に相当する。この洞窟にはいったい何匹の怪物が住んでいるのだろうか。
◇
獅子猪の解体作業と片付けを終えると、ハックがお茶を沸かしてくれた。解体作業が終わると見張り役の2人は退屈になったらしく、いつの間にか洞窟の入口へと戻っていた。ハックが持ってきてくれたのは、お茶と言ってもプデナの実を干して煎じたもので、ハーブ茶といった感じだ。湯気と一緒にメントールを思わせる爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。温かいお茶が体の中を流れるとどこか落ち着く。オレは立ち上る湯気を眺めながら、こういう感覚は人間のときのままなのだなとしみじみと思った。
お茶を飲み終えると切り分けた肉に塩と香辛料で下処理を施した。これを串に刺して炙り焼きにするらしい。内臓の方はブツ切りにして洗い流してから、大きな鍋に入ったたっぷりのお湯に香草と一緒に入れてじっくり煮込むらしい。こちらは明日以降の食事となるようだ。
肉の下処理をしていると入口の方から賑やかな声が聞こえてきた。ハックと一緒に覗いて見ると、槍や弓を担いだ豚面の怪物たちが、ぞろぞろと洞窟へと入ってくるのが見えた。その中の1人が片手に持った丸々と太った山鳥を掲げて、誇らしげに見張り役たちに何かを語っている。ハックの言っていた狩猟班の連中なのだろう。
豚面の怪物たちは大抵が身長165センチ程度で、平均的な日本人男性よりひと回り程低い感じだ。だが、腕っぷしが太く体の厚みもあるため、実際の身長よりもだいぶ大きく感じられた。その点では元の身長がそのまま反映されているのか、身長175センチのオレはずいぶんと大柄な方になる。山鳥を手にした豚面の怪物はオレと同じくらいの身長なうえに、革製の胸当ての下に毛皮も着込んでいるのを差し引いても、ずいぶんと体に厚みがあり体格が良さそうに見える。狩りから戻ったヤツらの中でも頭抜けてデカい。
見張り役の1人がこちらを指さし何かを説明している様子が窺える。すると俄かに山鳥を持った豚面の怪物の表情が曇り、調理場の入口から顔を覗かせるこちらへ視線を向けると、ドシドシと鼻息を荒くしてこちらへ近付いて来た。まずい。これは何か良からぬ雰囲気を感じる。大柄な豚面は無言のままハックに山鳥を突き出すと、一緒にいたオレを足の先から頭のてっぺんまで舐めまわすように見る。顔が近い。荒い鼻息がくすぐったい。
「獅子猪を倒したってのはお前か?」
オレが必死でくすぐったさを堪えながら真顔を貫いていると、ドスの効いた声で大柄な豚面の怪物が問い掛けた。突然の事態に対処できるように、オレは僅かに斜に構えながら目を逸らさずに小さく頷いた。
「ハック。コイツが獅子猪を倒したってのは本当なのか?」
「あぁ。ほら、ちょうど今晩のご馳走用に仕込み作業をしてたとゴだよ。これで祭りも盛大に出来そうだな」
オレの答えだけでは信用できなかったのか、大柄な豚面の怪物は改めてハックにも同じことを問い掛けた。ハックが答えながら調理台の上に置かれた大量の肉塊を指さすと、大柄な豚面の怪物の顔に驚きの表情が浮かぶ。その視線の先には、裏口から見える外の台の上に置かれた、切り落とされたままの巨大な獅子猪の頭が映っていた。
「ふん。あまり調子に乗るなよ」
大柄な豚面の怪物はそう言い残すと、面白くなさそうに鼻息を荒げながら奥の部屋へと姿を消した。まったく調子になど乗った覚えのないオレは面食らった。ハックを助けようとして結果的に獅子猪を仕留めはしたが、あれは偶然うまくいっただけだ。再びナイフを片手に同じように獅子猪に対峙したとしても、オレが勝つ保証はない。勿論、そんなことはやりたくもないが。
「今のは?」
「族長の息子のグリズ様だ」
族長だと。コイツら怪物のくせに部族まであるのか。もしかするとオレが知らないだけで世の中には顔が豚の部族が存在しているのか。一瞬そんなことを考えたが自らすぐに否定した。そんな訳がない。そんなものがいたらテレビやネットで話題になっているはずだ。
「そう言えばクロはいつがらこゴに居るんだ?」
不意なハックの問い掛けに、オレは内心ではかなりドキドキしていたものの、自然を装って言葉少なに「最近です」とだけ答えた。見張り役たちと言い、さっきのグリズと言い、ここのヤツらはその辺にかなり疎そうな印象があった。案の定、ハックは「そうガ」と答えると山鳥を無造作に棚に乗せて、今晩のご馳走となる肉の仕込み作業を再開する。オレも密かに胸を撫で下ろしながらハックを手伝った。
ハックの調理は多少雑だがなかなかの手際だ。聞くと彼はここの調理係兼飼育係なのだとか。調理と飼育に何の関連性があるのかは謎だが、それなりに大事な役目を任されているのだろう。飼育と言うのは恐らく、昨晩あの牢屋の様な厩舎で見掛けた化物の世話のことだろう。あんな化物を育てて何をしようと言うのか、オレにはまったく理解できない。
それにしてもオレはこの先どうしたものか。怪物の巣窟に居座ってはいるが、オレはもともと人間だ。いくら自らも豚面の怪物となったと言っても、ここで怪物たちと一生を送るというのは流石に無理がある。そもそもオレには、どうしてこんなことになってしまったのか、その原因がまったく思い当たらない。記憶を辿ろうにも激しい頭痛がそれを邪魔する。
その点でハックの存在はオレにとって救いと言えた。見知らぬ場所で少しでも気心の知れた相手がいるというのは、とても心強いものだ。まあ、その相手というのも豚面の怪物な訳だが。そもそもオレ自身が豚面の怪物になってしまったこの状況では、ヤツらはむしろ「怪物」と言うよりは「同胞」と呼ぶべき存在と言える。
ひと通りの仕込み作業を終えると、オレたちは試食がてらに獅子猪の肉を串に刺して焼いてみた。歯応えのある肉は噛めば噛むほど味があるが、それと同時に独特な野性の風味も口に広がる。普通の暮らしてしていたら、とても食う気にはなれない味なのだろうが、腹が減っていれば大抵のものは美味く感じるものだ。
「もう少し辛味を利かせようガ?」
ハックの問い掛けにオレは素直に頷く。そうだ。少し気分を落ち着ければそのうち何か思い出すに違いない。タイミング良く今夜は祭りがあるらしい。わいわい騒いでいる中で、ふと記憶が蘇るなんてことがあるかも知れない。オレは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
「おい、ハック。こりゃいったいどういう事だ? 何でお前らが獅子猪を運んでやがんだ?」
ギョロ目の見張り役が額の汗を拭いながら問い掛けた。ハックはその慌てようを見てブヒブヒと鼻を鳴らして笑うと。得意気に「仕留めダんだ」と言い放つ。その後にオレの顔をジッと見つめるとそのまま黙り込んだ。
「えっと、おめぇ名前は何だっけ?」
「黒田」
名前を聞かれたオレは咄嗟に偽名を語った。オレは地下社会では本名の霧山コウスケではなく、黒田コウスケを名乗っていた。当初は自らを「黒」だと名乗ることで、地下社会で生きるオレの犯行だと言ってのける自虐的な冗談のつもりで使っていたのだが、いつの間にかそっちの名前が定着してしまった。今では本名の霧山コウスケよりも、黒田コウスケでオレを認識する者の方が多いくらいだ。
「おお、クロガ。このクロが仕留めダんだ」
「何? クロ、お前が1人でやったのか!?」
いや、ちょっと待てオレの名前はクロダだ。クロじゃない。
「クロ、お前すげえじゃねえか」
「ああ。クロがナイフ1本で獅子猪に立ち向かう姿、お前たちにも見せてやりたガったよなぁ」
もう1人の糸目の見張り役が感心したようにオレに視線を向けると、何故か実際には茂みに隠れていてちゃんと見てもいないハックが、興奮気味にオレの活躍ぶりを自慢した。2人の見張り役は仕切りに感心した後に、今夜はご馳走だと言って嬉しそうにその場で踊り出した。コイツら見張り役のくせに、まったく見張りしてないけど良いのだろうか。
まあ、コイツらが驚くのも無理はない。実際あの突進はかなり危険だった。それに地響きを起こすほどの勢いで木に衝突しておきながらも、数回頭を振り回す程度で済ませてしまう桁外れな頑丈さも脅威的と言えた。実際、人間の猟師が罠で捕らえた猪に止めを刺す際も、あまり接近し過ぎないように槍で首筋を突く。それほど猪の突進力は凄まじい。獣なので噛み付くことだってある。体長約2.5メートル、体重は200キロ近いと思われるこの巨大な猪の化物。コイツの突進なら、さながら牙の生えた軽自動車に衝突されるようなものだ。無事では済まない。
オレたちはそのまま獅子猪を調理場へと運び込む。調理場には裏口があり、そこから外に出た場所で獅子猪の解体作業に取り掛かることになった。何故か成り行きでオレも解体作業を手伝うことになる。
解体に入る前にまずは血抜きだ。蔓で縛った後脚にロープを通し、その辺にある最も太い枝に4人掛かりでやっとの思いで逆さ吊りにする。枝がギシギシ言っていて、折れないか心配だ。ここまで運ぶまでに首筋の動脈を掻き切った傷から、かなりの血が流れ出たはずだが、逆さに吊ると再び血液が滴り落ちる。ハックはそれをバケツに集めていた。何かに使うのだろう。
ハックが調理場から持ってきた小型の鎌のような道具のお陰で綺麗に剥ぐことが出来たが、これだけ大きいと皮を剥ぐ作業だけでもひと苦労だ。どういう訳かギョロ目と糸目の見張り役たちは、見張りをそっちぬけでオレたちの解体作業を横で眺めていた。いや、見張りしないんだったらお前らも手伝えよ。
皮を剥ぎ終わり薄桃色の肌がになった獅子猪は、まるで巨大な豚だ。豚面の怪物であるところのオレが、化物豚のような獅子猪の首を切り落とす場面はなんともシュールだ。見張り役の2人の視線がとてもやり難い。不思議なことに自分と見た目の近いその首が斬り落とされる場面を見ながら、2人の見張り役は嬉しそうに歓声を上げている。何だか気を使ったオレの方が馬鹿らしくなってくる。片付けようと思って持ち上げたが、頭だけでも相当な重さだ。それを別の台に乗せると、脂で切れ味の落ちた刃物を一旦交換して、いよいよ胴体部分の解体へと入る。
尻から腹の中心を通って首筋までを切り開き、オレよりも立派なナニと睾丸を切り落とす。流石にこの作業は同じオスとして痛々しさで思わず腰が引ける。横隔膜を切り開いて内臓を用意した別のバケツに抜き取った。3つのバケツが満杯になった。どういった感覚を持ち合わせているのか分からないが、2人の見張り役たちが抜き取られた内臓を眺めて舌なめずりをしていた。この状態の内臓を見て食欲を刺激するとは流石は怪物だ。
「こりゃ、今夜の祭りは盛大になりそうだな?」
「ねえ、今夜はボクを食べるのかい?」
「ああ、そうだぜ。お前のキンタマはオレがいただくぜ」
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そんなことを考えながらも解体作業の手は休めていない。再び刃物を交換して脊椎部分を中心に半分に切り分けると、よく見たことのある枝肉の様相となる。大きさ的には牛のそれだが、内容的にはやはり豚に近いのだろうか。そこから先は台に乗せた肉を適当な大きさに切り分けていく。大き目の樽を持って来たハックが、切り分けた肉に大量の白い粉を振りかけながらそこへ入れていく。あれは塩か。
「肉は貴重な食料だ。こうして残りは塩水に漬けデ干し肉にするんだ」
オレの視線に気付いたハックが肉と塩を交互に樽に漬け込みながら言う。たくさん獲物が捕れた際にはこうして保存するのが一般的なのだそうだ。野草や木の実の知識だけでなく、保存食まで作るとは怪物のくせに意外としっかりしている。ひと通りの作業を終えると、ハックが「クロのお陰で、今夜の祭りは盛り上がるな」と嬉しそうにブヒブヒと鼻を鳴らした。そう言われるとオレも悪い気はしない。
獅子猪の肉は、半身だけでも大人1人ぶんほどの重さが感じられた。仮に50キロとして、1人500グラムを平らげたとしても100人分の量に相当する。この洞窟にはいったい何匹の怪物が住んでいるのだろうか。
◇
獅子猪の解体作業と片付けを終えると、ハックがお茶を沸かしてくれた。解体作業が終わると見張り役の2人は退屈になったらしく、いつの間にか洞窟の入口へと戻っていた。ハックが持ってきてくれたのは、お茶と言ってもプデナの実を干して煎じたもので、ハーブ茶といった感じだ。湯気と一緒にメントールを思わせる爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。温かいお茶が体の中を流れるとどこか落ち着く。オレは立ち上る湯気を眺めながら、こういう感覚は人間のときのままなのだなとしみじみと思った。
お茶を飲み終えると切り分けた肉に塩と香辛料で下処理を施した。これを串に刺して炙り焼きにするらしい。内臓の方はブツ切りにして洗い流してから、大きな鍋に入ったたっぷりのお湯に香草と一緒に入れてじっくり煮込むらしい。こちらは明日以降の食事となるようだ。
肉の下処理をしていると入口の方から賑やかな声が聞こえてきた。ハックと一緒に覗いて見ると、槍や弓を担いだ豚面の怪物たちが、ぞろぞろと洞窟へと入ってくるのが見えた。その中の1人が片手に持った丸々と太った山鳥を掲げて、誇らしげに見張り役たちに何かを語っている。ハックの言っていた狩猟班の連中なのだろう。
豚面の怪物たちは大抵が身長165センチ程度で、平均的な日本人男性よりひと回り程低い感じだ。だが、腕っぷしが太く体の厚みもあるため、実際の身長よりもだいぶ大きく感じられた。その点では元の身長がそのまま反映されているのか、身長175センチのオレはずいぶんと大柄な方になる。山鳥を手にした豚面の怪物はオレと同じくらいの身長なうえに、革製の胸当ての下に毛皮も着込んでいるのを差し引いても、ずいぶんと体に厚みがあり体格が良さそうに見える。狩りから戻ったヤツらの中でも頭抜けてデカい。
見張り役の1人がこちらを指さし何かを説明している様子が窺える。すると俄かに山鳥を持った豚面の怪物の表情が曇り、調理場の入口から顔を覗かせるこちらへ視線を向けると、ドシドシと鼻息を荒くしてこちらへ近付いて来た。まずい。これは何か良からぬ雰囲気を感じる。大柄な豚面は無言のままハックに山鳥を突き出すと、一緒にいたオレを足の先から頭のてっぺんまで舐めまわすように見る。顔が近い。荒い鼻息がくすぐったい。
「獅子猪を倒したってのはお前か?」
オレが必死でくすぐったさを堪えながら真顔を貫いていると、ドスの効いた声で大柄な豚面の怪物が問い掛けた。突然の事態に対処できるように、オレは僅かに斜に構えながら目を逸らさずに小さく頷いた。
「ハック。コイツが獅子猪を倒したってのは本当なのか?」
「あぁ。ほら、ちょうど今晩のご馳走用に仕込み作業をしてたとゴだよ。これで祭りも盛大に出来そうだな」
オレの答えだけでは信用できなかったのか、大柄な豚面の怪物は改めてハックにも同じことを問い掛けた。ハックが答えながら調理台の上に置かれた大量の肉塊を指さすと、大柄な豚面の怪物の顔に驚きの表情が浮かぶ。その視線の先には、裏口から見える外の台の上に置かれた、切り落とされたままの巨大な獅子猪の頭が映っていた。
「ふん。あまり調子に乗るなよ」
大柄な豚面の怪物はそう言い残すと、面白くなさそうに鼻息を荒げながら奥の部屋へと姿を消した。まったく調子になど乗った覚えのないオレは面食らった。ハックを助けようとして結果的に獅子猪を仕留めはしたが、あれは偶然うまくいっただけだ。再びナイフを片手に同じように獅子猪に対峙したとしても、オレが勝つ保証はない。勿論、そんなことはやりたくもないが。
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族長だと。コイツら怪物のくせに部族まであるのか。もしかするとオレが知らないだけで世の中には顔が豚の部族が存在しているのか。一瞬そんなことを考えたが自らすぐに否定した。そんな訳がない。そんなものがいたらテレビやネットで話題になっているはずだ。
「そう言えばクロはいつがらこゴに居るんだ?」
不意なハックの問い掛けに、オレは内心ではかなりドキドキしていたものの、自然を装って言葉少なに「最近です」とだけ答えた。見張り役たちと言い、さっきのグリズと言い、ここのヤツらはその辺にかなり疎そうな印象があった。案の定、ハックは「そうガ」と答えると山鳥を無造作に棚に乗せて、今晩のご馳走となる肉の仕込み作業を再開する。オレも密かに胸を撫で下ろしながらハックを手伝った。
ハックの調理は多少雑だがなかなかの手際だ。聞くと彼はここの調理係兼飼育係なのだとか。調理と飼育に何の関連性があるのかは謎だが、それなりに大事な役目を任されているのだろう。飼育と言うのは恐らく、昨晩あの牢屋の様な厩舎で見掛けた化物の世話のことだろう。あんな化物を育てて何をしようと言うのか、オレにはまったく理解できない。
それにしてもオレはこの先どうしたものか。怪物の巣窟に居座ってはいるが、オレはもともと人間だ。いくら自らも豚面の怪物となったと言っても、ここで怪物たちと一生を送るというのは流石に無理がある。そもそもオレには、どうしてこんなことになってしまったのか、その原因がまったく思い当たらない。記憶を辿ろうにも激しい頭痛がそれを邪魔する。
その点でハックの存在はオレにとって救いと言えた。見知らぬ場所で少しでも気心の知れた相手がいるというのは、とても心強いものだ。まあ、その相手というのも豚面の怪物な訳だが。そもそもオレ自身が豚面の怪物になってしまったこの状況では、ヤツらはむしろ「怪物」と言うよりは「同胞」と呼ぶべき存在と言える。
ひと通りの仕込み作業を終えると、オレたちは試食がてらに獅子猪の肉を串に刺して焼いてみた。歯応えのある肉は噛めば噛むほど味があるが、それと同時に独特な野性の風味も口に広がる。普通の暮らしてしていたら、とても食う気にはなれない味なのだろうが、腹が減っていれば大抵のものは美味く感じるものだ。
「もう少し辛味を利かせようガ?」
ハックの問い掛けにオレは素直に頷く。そうだ。少し気分を落ち着ければそのうち何か思い出すに違いない。タイミング良く今夜は祭りがあるらしい。わいわい騒いでいる中で、ふと記憶が蘇るなんてことがあるかも知れない。オレは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
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スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
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アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
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ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
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