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第1章
オークの洞窟生活 (6)
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「ちょっと待って下さいよ。それじゃ女奴隷は強姦されて当然なんですか?」
「そりゃ、そうさ。クロ様、そうでもしなきゃオレたち豚面人族はいずれ滅びるんだぜ?」
オレの名は霧山コウスケ。地下社会では『黒田』を名乗っていたが、豚顔の怪物となった今は、皆に『クロ』と呼ばれている。力試しと呼ばれる相撲と総合格闘技を混ぜこぜにしたような競技で、うっかり優勝してしまったお陰で族長に狩猟班副長を命じられたオレは褒美として少女を授かった。スリップ姿で横たわる彼女を囲むようにして、オレはギョロ目たちに強姦の正当性について教えられている真っ只中だ。
「だって考えてもみてくれよ。そもそもオレたち豚面人族には女は滅多に生まれないだぜ。そのために他種族の雌に子供を産ませるのは当然だろ?」
「クロ様、自分たちが滅びるのを指を加えて見てるなんて、それこそ変だとは思わないか?」
確か日本の人口比率は、女性の方が数百万人単位で多かったはずだ。これは出生の男女比に大きな違いが無いわりに、定年を迎えた年代を比較した場合に、圧倒的に女性が多いことによるものだ。つまり一般的に女性の方が長生きだと言うことを示している。その比率を前提に考えると、豚面人族の男女比は壊滅的とも言える。ギョロ目が言うには、男20人に対して女が1人生まれるかどうかという比率らしい。
なるほど。種の保存という観点から考えれば彼らの言うことも一理あるのか。いやいや、強姦に正当性とかないから。つかの間、彼らの身勝手な理由に言い包められそうになる。それよりもその豚面人族って。彼らがオレたちと言うことは、オレも豚面人族なのか。ただの豚面の怪物と思っていたオレは豚面人族という種族になったらしい。種族と言うからには他にも馬面や鹿面や馬鹿面なんかもいるのか。
「どうしたクロ様? まだなのか?」
「え? 何が?」
ギョロ目たちが不思議そうな目でオレを見詰める。
「するんだろ?」
「何を?」
「そりゃナニだよ」
言っておくがオレは女が嫌いな訳でも、アラフォーへの階段を駆け上がるこの年齢まで、男の操を守って魔法使いになろう何て妄想力を宿している輩でもない。強姦という言葉に多少の抵抗がないわけではないが、地下社会ではそんなことを生業にして生きる者たちも見てきた。だからエロい女が目の前で淫らな姿で眠っていたら、当然のように欲情もする。ただ、こいつらの目の前でこんな年端もいかない少女を無理やり襲うなんて、そんな3重にわたるアブノーマル度を併せ持つケダモノだはない。
「しないですよ」
「うん……」
そんなやり取りをしていると、少女が小さく声を上げて寝返りを打った。ここまで運ぶために何か薬品のような物で眠らされていたのだろうが、その効き目が切れ掛かってるのかも知れない。
「仕方ねえな。オレたちは退散するか」
「折角、久しぶりに良いもんが見れると思ったのにな」
ギョロ目と糸目が帰り支度をしながらそう言うと、ハックも一緒になって鼻を鳴らして笑う。
「えっ、もう帰るんですか? そんな急にいなくならなくても。まだ葡萄酒も入ってますし」
「だってクロ様、オレらがいたらそいつを犯せねんだろ?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
ギョロ目と糸目がそう言うと、ハックも一緒になって鼻を鳴らして笑う。何の気を使ってるんだコイツらは。それでも部屋を後にしようとする3人に、せめてもの手土産として残った葡萄酒を持たせると大層喜んでくれた。どうせここにあってもオレは飲まないと思うので、封を開けてしまった以上は持って行ってもらった方が助かる。
3人がいなくなるとオレの傍らに置かれた少女の存在感は、それまで以上に大きく感じられた。こんなものをもらったところでどうしたら良いのか分からない。
突然、少女がゴロリと寝返りを打つ。オレは背中を跳ね上げるほどに驚いて、後退りするように距離を取った。少女が気付いたときに、目の前にオレの顔があったらどうなるかなど火を見るより明らかだ。狭い部屋の中に響く少女の金切声。必死に暴れ逃れようとする少女によって数えるほどもない家具は倒され、その拍子に燭台の蝋燭は寝床の藁と毛皮に引火。ダメ、絶対。そんな最悪の事態だけは避けなければ。
少女から遠ざかったオレは燭台を手に握りしめ、もう一方の手で背にした棚を抑えた。広場で族長にお酌をしていた彼女は既に豚面人族の存在は知っている。それはつまり彼らの野蛮さも理解していると言うことだ。それ故にこの状況で目を覚ました彼女が冷静でいられるとは思えない。オレはこの場に少女を残してどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られていた。
その時、衣擦れの音に振り返ると目を開けた少女がちちらを見詰めていた。少女は小さく悲鳴を上げて身を強張らせた。あぁ、次は悲鳴と混乱だな。仕方がないことだ。もしも逆の立場だったらと思うと、彼女がどんなに取り乱そうが理解できる。だけど、オレの気持ちを一応は伝えておきたい。
「傷付けるつもりはない」
無理やり眠らせてここまで連れて来られた彼女の耳にそんな言葉は届かないだろう。どう接して良いのか判らないオレは、きっと項垂れながら話していたに違いない。仮に人間のままの姿だったとしても、これくらいの年頃の少女となどどう接して良いのか見当もつかないのだ。豚面人族となった今なら尚更だ。
少女は警戒するように包まれていた布で体を覆い、俯いたまま上目遣いにこちらの様子を盗み見るようにしていたが、幸いにも悲鳴を上げることも暴れ回ることもなかった。
「あ、ありがとう……」
オレは思わず発狂せずに話を聞いてくれた少女に、礼の言葉を述べていた。しかし、その言葉が何に対するものなのか理解しかねた少女は、微かに不安気な表情を浮かべながらも真っ直ぐにオレを見詰める。亜麻色の髪の毛と明るい瞳の色から外国人かと思ったが、どうやら言葉は通じるらしい。だが、いったい次は何を話したら良いんだ。
「あ、あの、私はどうしてここに?」
少女が消え入りそうなだが、しっかりとした意思を感じさせる声を発した。薬を盛られて気が付くと別の部屋にいたのだから気が動転してもおかしくないのに、見た目に寄らず度胸のある娘なのかも知れない。
「広場で力試しというのが行われていたのは覚えているか?」
「はい。あっ、もしかしてあのとき勝った人────」
見覚えがあったのだろうか。オレは少女の言葉に首肯する。
「あ、あの戦いの褒美が……そ、その……」
オレの言葉に続きを察したのだろう。少女は驚いたように目を見開いて居住まいを正すとオレに向き直る。
「わ、私、ノラと申します。不束者ですがよろしくお願いします」
「あ、えっとクロです。こちらこそよろしくお願いします」
お見合いかよ。突然の丁寧な挨拶に思わずオレも正座して返してしまった。オレの奴隷となる自分の立場を理解しているのか疑問の残る顔合わせとなったが、取り敢えず少し話せたことで彼女の警戒心も少しは薄れたようだ。オレが内心で安堵していると、キュルルと奇妙な音が部屋に響いた。直後にハッと息を飲んで顔を赤くしたノラが腹を押さえた。どうやら腹の音が鳴ったらしい。
「もしかして腹が減ってるのか?」
「いえ、えっと、その……」
すぐに否定しないと言うことはそうなのだろう。確かにそんなことを聞かれて奴隷の身分で「そうです」とは答えられまい。あまり良い扱いは受けていなかったのだろうか。出来れば何か食わせてやりたい。もしかするとハックの所へ行けば祭りの残り物でも手に入るかも知れない。
「頼みがある」
そう切り出すとノラは驚いたように目を丸くしてオレを見詰める。内容は簡単だ。少しだけ部屋を開けるが、その間、扉に鍵を掛けて絶対に外には出歩かないこと。奴隷にされている彼女が逃げ出そうとするのは当然のことだ。だが、足枷を付けたまま彼女の足で、無事にこの洞窟から逃げ出せるとは思えない。万が一、途中で他の豚面人族に見つかりでもしたら、それこそ酷い目に合わされるに違いない。何せ強姦することに正当性すら覚えているやつらなのだから。
「わ、わかりました……クロ様」
「いや、『様』とか付けなくて大丈夫だから」
「でも、それじゃあ私が困ります!」
ノラがはっきりとした口調で言い切る。何で困るの。
「まあ、それじゃあ取り敢えずちょっと言って来るから。オレが部屋を出たらすぐに戸締りな」
「はい。わかりました」
真剣な眼差しでノラが頷く。帰りの際の合図はノックを2回、1回、2回だ。
オレは部屋を出ると足早に調理場へと向かった。
◇
調理場へ着くと薄暗い部屋の中で、ギョロ目と糸目とハックが酒盛りを続けていた。自分専用の部屋がない彼らにとって、ハックの職場となる調理場は格好の溜り場となっているようだ。
小さな蝋燭を1本だけしか灯していないのは節約のために違いない。洞窟の天井にはあちこちに通気口代わりの穴が開いていたが、それは明り取りとして役に立つようなものではない。日中でも薄暗い洞窟での生活では蝋燭は貴重な存在だ。恐らく普段の彼らは陽が落ちれば眠り、陽が昇れば起きるといった原始的な生活をしているのだろう。
「お、クロ様、随分と早いじゃねえか。もう夜の戦いは終了か?」
「いや、してないですから」
「何だよまだかよ。案外クロ様も焦らし派か?」
ギョロ目と糸目が酒の入った器を掲げながら卑猥な笑い声を上げる。焦らし派とか、そんな派閥ないからな。
「ハックさん、ちょっとお願いがあるんですが。スープを作りたいんで、調理場を借りても良いですか?」
「あぁ、勿論だ。クロ様は副長なんだガら、自由に使ってもらっデ問題ないダよ」
ハックは快くそう言うと立ち上がって「大したものはねえけど」と言いながら、棚の奥から肉の切れ端やグスト茸の残りの包と、いくつかのパン芋を取り出した。これだけあればかなり具沢山なスープになりそうだ。オレはまず鍋に水を注ぎ釜戸に掛け、その中に獅子猪の肉が僅かに残る骨の塊と塩を二摘まみほど放り入れ、ギョロ目に分けてもらった焼酎もどきを少しだけ注いだ。
釜戸に僅かに残った熾火のお陰で、小枝で火を大きくしてから薪を足すと簡単に勢い良く燃え始めた。グツグツと煮立つ鍋の中のスープがどんどん白濁していく。浮き上がってきた灰汁を取り除き、やや大きめに刻んだパン芋とグスト茸を入れて更にひと煮立ちさせる。仕上げに野草の切れ端を入れて、塩と胡椒で味を整えたらグスト茸と獣骨のスープの完成だ。
酒盛りをしながら覗き込んでいたギョロ目たちが、スープの匂いに誘われるように鍋の周りに集まって来た。3人は鍋から立ち上る湯気を眺め生唾を飲み込んだ。勿論、彼らのことも考えて多めに作ってある。ノラの分だけ器に取り分け、残りは自由にしてもらって構わないと伝えるとギョロ目たちが小躍りして喜ぶ。
「クロ様、ありがとう。片付ゲは、オラがやっておくガらよ」
「ハックさん、ありがとうございます」
オレはハックの言葉に甘えて、グスト茸と獣骨のスープが入った器を持つと少女の待つ自室へと急いだ。あれだけ釘を刺して置いたのだから部屋から出ることはないと思うが、こんな環境では安心などできない。
2回、1回、2回。約束のノックの合図に気付いた少女が、恐る恐る扉を開け僅かな隙間から外を確認する。ここではいつも危険と隣り合わせなのだから、それくらい慎重にしたほうが良い。オレの顔を見た瞬間に笑顔を浮かべたのは少し意外だった。他の輩よりはいくらかマシに思ってくれたのかも知れない。スープの入った器を手にするオレを目にした少女は、少しだけ不思議そうにしていたがすぐにオレを中へと招き入れて扉に鍵を掛けた。
「よし。言い付け通りちゃんと留守番していてくれたみたいだな。ほら、これ」
そう言ってオレがグスト茸と獣骨のスープを差し出すと、ノラは面食らったような表情で器を受け取ったままその場に立ち尽くす。
「あ、あの……これ」
「ああ、グスト茸とパン芋と獅子猪の肉が少しだけ入ってる。まだ少し熱いと思うから気を付けて飲んで」
「いえ、そうじゃなくて、これって私にですか?」
「勿論そうだけど……何か嫌いな物でも入ってたか?」
ノラが力いっぱいに首を左右に振る。
「そうじゃないんです。そうじゃないんですけど、私が頂いていいんですか?」
「ああ、勿論。ノラのために作ってきたんだからな」
両手で器を大事そうに抱えたまま、なかなか口を付けようとしないノラを眺めて今頃思い付いた。
「しまった、匙を借りて来るんだったな……」
「い、いえ、大丈夫です! いただきます!」
そう言ってノラは器を口へと運び何度か息を吹きかけてからゆっくりとスープを啜った。
「あっちぃ」
「おい、大丈夫か?」
「あっ、だ、大丈夫です。私ちょっと猫舌が酷くて、全然いけます。とても美味しいです」
その後もノラは何度も熱そうにしながらも、夢中でスープを啜り続けた。どうやら気に入ってくれたようだ。器が空になる頃にはノラの頬はほんのりと桜色に色付いていた。
「そりゃ、そうさ。クロ様、そうでもしなきゃオレたち豚面人族はいずれ滅びるんだぜ?」
オレの名は霧山コウスケ。地下社会では『黒田』を名乗っていたが、豚顔の怪物となった今は、皆に『クロ』と呼ばれている。力試しと呼ばれる相撲と総合格闘技を混ぜこぜにしたような競技で、うっかり優勝してしまったお陰で族長に狩猟班副長を命じられたオレは褒美として少女を授かった。スリップ姿で横たわる彼女を囲むようにして、オレはギョロ目たちに強姦の正当性について教えられている真っ只中だ。
「だって考えてもみてくれよ。そもそもオレたち豚面人族には女は滅多に生まれないだぜ。そのために他種族の雌に子供を産ませるのは当然だろ?」
「クロ様、自分たちが滅びるのを指を加えて見てるなんて、それこそ変だとは思わないか?」
確か日本の人口比率は、女性の方が数百万人単位で多かったはずだ。これは出生の男女比に大きな違いが無いわりに、定年を迎えた年代を比較した場合に、圧倒的に女性が多いことによるものだ。つまり一般的に女性の方が長生きだと言うことを示している。その比率を前提に考えると、豚面人族の男女比は壊滅的とも言える。ギョロ目が言うには、男20人に対して女が1人生まれるかどうかという比率らしい。
なるほど。種の保存という観点から考えれば彼らの言うことも一理あるのか。いやいや、強姦に正当性とかないから。つかの間、彼らの身勝手な理由に言い包められそうになる。それよりもその豚面人族って。彼らがオレたちと言うことは、オレも豚面人族なのか。ただの豚面の怪物と思っていたオレは豚面人族という種族になったらしい。種族と言うからには他にも馬面や鹿面や馬鹿面なんかもいるのか。
「どうしたクロ様? まだなのか?」
「え? 何が?」
ギョロ目たちが不思議そうな目でオレを見詰める。
「するんだろ?」
「何を?」
「そりゃナニだよ」
言っておくがオレは女が嫌いな訳でも、アラフォーへの階段を駆け上がるこの年齢まで、男の操を守って魔法使いになろう何て妄想力を宿している輩でもない。強姦という言葉に多少の抵抗がないわけではないが、地下社会ではそんなことを生業にして生きる者たちも見てきた。だからエロい女が目の前で淫らな姿で眠っていたら、当然のように欲情もする。ただ、こいつらの目の前でこんな年端もいかない少女を無理やり襲うなんて、そんな3重にわたるアブノーマル度を併せ持つケダモノだはない。
「しないですよ」
「うん……」
そんなやり取りをしていると、少女が小さく声を上げて寝返りを打った。ここまで運ぶために何か薬品のような物で眠らされていたのだろうが、その効き目が切れ掛かってるのかも知れない。
「仕方ねえな。オレたちは退散するか」
「折角、久しぶりに良いもんが見れると思ったのにな」
ギョロ目と糸目が帰り支度をしながらそう言うと、ハックも一緒になって鼻を鳴らして笑う。
「えっ、もう帰るんですか? そんな急にいなくならなくても。まだ葡萄酒も入ってますし」
「だってクロ様、オレらがいたらそいつを犯せねんだろ?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
ギョロ目と糸目がそう言うと、ハックも一緒になって鼻を鳴らして笑う。何の気を使ってるんだコイツらは。それでも部屋を後にしようとする3人に、せめてもの手土産として残った葡萄酒を持たせると大層喜んでくれた。どうせここにあってもオレは飲まないと思うので、封を開けてしまった以上は持って行ってもらった方が助かる。
3人がいなくなるとオレの傍らに置かれた少女の存在感は、それまで以上に大きく感じられた。こんなものをもらったところでどうしたら良いのか分からない。
突然、少女がゴロリと寝返りを打つ。オレは背中を跳ね上げるほどに驚いて、後退りするように距離を取った。少女が気付いたときに、目の前にオレの顔があったらどうなるかなど火を見るより明らかだ。狭い部屋の中に響く少女の金切声。必死に暴れ逃れようとする少女によって数えるほどもない家具は倒され、その拍子に燭台の蝋燭は寝床の藁と毛皮に引火。ダメ、絶対。そんな最悪の事態だけは避けなければ。
少女から遠ざかったオレは燭台を手に握りしめ、もう一方の手で背にした棚を抑えた。広場で族長にお酌をしていた彼女は既に豚面人族の存在は知っている。それはつまり彼らの野蛮さも理解していると言うことだ。それ故にこの状況で目を覚ました彼女が冷静でいられるとは思えない。オレはこの場に少女を残してどこかへ行ってしまいたい衝動に駆られていた。
その時、衣擦れの音に振り返ると目を開けた少女がちちらを見詰めていた。少女は小さく悲鳴を上げて身を強張らせた。あぁ、次は悲鳴と混乱だな。仕方がないことだ。もしも逆の立場だったらと思うと、彼女がどんなに取り乱そうが理解できる。だけど、オレの気持ちを一応は伝えておきたい。
「傷付けるつもりはない」
無理やり眠らせてここまで連れて来られた彼女の耳にそんな言葉は届かないだろう。どう接して良いのか判らないオレは、きっと項垂れながら話していたに違いない。仮に人間のままの姿だったとしても、これくらいの年頃の少女となどどう接して良いのか見当もつかないのだ。豚面人族となった今なら尚更だ。
少女は警戒するように包まれていた布で体を覆い、俯いたまま上目遣いにこちらの様子を盗み見るようにしていたが、幸いにも悲鳴を上げることも暴れ回ることもなかった。
「あ、ありがとう……」
オレは思わず発狂せずに話を聞いてくれた少女に、礼の言葉を述べていた。しかし、その言葉が何に対するものなのか理解しかねた少女は、微かに不安気な表情を浮かべながらも真っ直ぐにオレを見詰める。亜麻色の髪の毛と明るい瞳の色から外国人かと思ったが、どうやら言葉は通じるらしい。だが、いったい次は何を話したら良いんだ。
「あ、あの、私はどうしてここに?」
少女が消え入りそうなだが、しっかりとした意思を感じさせる声を発した。薬を盛られて気が付くと別の部屋にいたのだから気が動転してもおかしくないのに、見た目に寄らず度胸のある娘なのかも知れない。
「広場で力試しというのが行われていたのは覚えているか?」
「はい。あっ、もしかしてあのとき勝った人────」
見覚えがあったのだろうか。オレは少女の言葉に首肯する。
「あ、あの戦いの褒美が……そ、その……」
オレの言葉に続きを察したのだろう。少女は驚いたように目を見開いて居住まいを正すとオレに向き直る。
「わ、私、ノラと申します。不束者ですがよろしくお願いします」
「あ、えっとクロです。こちらこそよろしくお願いします」
お見合いかよ。突然の丁寧な挨拶に思わずオレも正座して返してしまった。オレの奴隷となる自分の立場を理解しているのか疑問の残る顔合わせとなったが、取り敢えず少し話せたことで彼女の警戒心も少しは薄れたようだ。オレが内心で安堵していると、キュルルと奇妙な音が部屋に響いた。直後にハッと息を飲んで顔を赤くしたノラが腹を押さえた。どうやら腹の音が鳴ったらしい。
「もしかして腹が減ってるのか?」
「いえ、えっと、その……」
すぐに否定しないと言うことはそうなのだろう。確かにそんなことを聞かれて奴隷の身分で「そうです」とは答えられまい。あまり良い扱いは受けていなかったのだろうか。出来れば何か食わせてやりたい。もしかするとハックの所へ行けば祭りの残り物でも手に入るかも知れない。
「頼みがある」
そう切り出すとノラは驚いたように目を丸くしてオレを見詰める。内容は簡単だ。少しだけ部屋を開けるが、その間、扉に鍵を掛けて絶対に外には出歩かないこと。奴隷にされている彼女が逃げ出そうとするのは当然のことだ。だが、足枷を付けたまま彼女の足で、無事にこの洞窟から逃げ出せるとは思えない。万が一、途中で他の豚面人族に見つかりでもしたら、それこそ酷い目に合わされるに違いない。何せ強姦することに正当性すら覚えているやつらなのだから。
「わ、わかりました……クロ様」
「いや、『様』とか付けなくて大丈夫だから」
「でも、それじゃあ私が困ります!」
ノラがはっきりとした口調で言い切る。何で困るの。
「まあ、それじゃあ取り敢えずちょっと言って来るから。オレが部屋を出たらすぐに戸締りな」
「はい。わかりました」
真剣な眼差しでノラが頷く。帰りの際の合図はノックを2回、1回、2回だ。
オレは部屋を出ると足早に調理場へと向かった。
◇
調理場へ着くと薄暗い部屋の中で、ギョロ目と糸目とハックが酒盛りを続けていた。自分専用の部屋がない彼らにとって、ハックの職場となる調理場は格好の溜り場となっているようだ。
小さな蝋燭を1本だけしか灯していないのは節約のために違いない。洞窟の天井にはあちこちに通気口代わりの穴が開いていたが、それは明り取りとして役に立つようなものではない。日中でも薄暗い洞窟での生活では蝋燭は貴重な存在だ。恐らく普段の彼らは陽が落ちれば眠り、陽が昇れば起きるといった原始的な生活をしているのだろう。
「お、クロ様、随分と早いじゃねえか。もう夜の戦いは終了か?」
「いや、してないですから」
「何だよまだかよ。案外クロ様も焦らし派か?」
ギョロ目と糸目が酒の入った器を掲げながら卑猥な笑い声を上げる。焦らし派とか、そんな派閥ないからな。
「ハックさん、ちょっとお願いがあるんですが。スープを作りたいんで、調理場を借りても良いですか?」
「あぁ、勿論だ。クロ様は副長なんだガら、自由に使ってもらっデ問題ないダよ」
ハックは快くそう言うと立ち上がって「大したものはねえけど」と言いながら、棚の奥から肉の切れ端やグスト茸の残りの包と、いくつかのパン芋を取り出した。これだけあればかなり具沢山なスープになりそうだ。オレはまず鍋に水を注ぎ釜戸に掛け、その中に獅子猪の肉が僅かに残る骨の塊と塩を二摘まみほど放り入れ、ギョロ目に分けてもらった焼酎もどきを少しだけ注いだ。
釜戸に僅かに残った熾火のお陰で、小枝で火を大きくしてから薪を足すと簡単に勢い良く燃え始めた。グツグツと煮立つ鍋の中のスープがどんどん白濁していく。浮き上がってきた灰汁を取り除き、やや大きめに刻んだパン芋とグスト茸を入れて更にひと煮立ちさせる。仕上げに野草の切れ端を入れて、塩と胡椒で味を整えたらグスト茸と獣骨のスープの完成だ。
酒盛りをしながら覗き込んでいたギョロ目たちが、スープの匂いに誘われるように鍋の周りに集まって来た。3人は鍋から立ち上る湯気を眺め生唾を飲み込んだ。勿論、彼らのことも考えて多めに作ってある。ノラの分だけ器に取り分け、残りは自由にしてもらって構わないと伝えるとギョロ目たちが小躍りして喜ぶ。
「クロ様、ありがとう。片付ゲは、オラがやっておくガらよ」
「ハックさん、ありがとうございます」
オレはハックの言葉に甘えて、グスト茸と獣骨のスープが入った器を持つと少女の待つ自室へと急いだ。あれだけ釘を刺して置いたのだから部屋から出ることはないと思うが、こんな環境では安心などできない。
2回、1回、2回。約束のノックの合図に気付いた少女が、恐る恐る扉を開け僅かな隙間から外を確認する。ここではいつも危険と隣り合わせなのだから、それくらい慎重にしたほうが良い。オレの顔を見た瞬間に笑顔を浮かべたのは少し意外だった。他の輩よりはいくらかマシに思ってくれたのかも知れない。スープの入った器を手にするオレを目にした少女は、少しだけ不思議そうにしていたがすぐにオレを中へと招き入れて扉に鍵を掛けた。
「よし。言い付け通りちゃんと留守番していてくれたみたいだな。ほら、これ」
そう言ってオレがグスト茸と獣骨のスープを差し出すと、ノラは面食らったような表情で器を受け取ったままその場に立ち尽くす。
「あ、あの……これ」
「ああ、グスト茸とパン芋と獅子猪の肉が少しだけ入ってる。まだ少し熱いと思うから気を付けて飲んで」
「いえ、そうじゃなくて、これって私にですか?」
「勿論そうだけど……何か嫌いな物でも入ってたか?」
ノラが力いっぱいに首を左右に振る。
「そうじゃないんです。そうじゃないんですけど、私が頂いていいんですか?」
「ああ、勿論。ノラのために作ってきたんだからな」
両手で器を大事そうに抱えたまま、なかなか口を付けようとしないノラを眺めて今頃思い付いた。
「しまった、匙を借りて来るんだったな……」
「い、いえ、大丈夫です! いただきます!」
そう言ってノラは器を口へと運び何度か息を吹きかけてからゆっくりとスープを啜った。
「あっちぃ」
「おい、大丈夫か?」
「あっ、だ、大丈夫です。私ちょっと猫舌が酷くて、全然いけます。とても美味しいです」
その後もノラは何度も熱そうにしながらも、夢中でスープを啜り続けた。どうやら気に入ってくれたようだ。器が空になる頃にはノラの頬はほんのりと桜色に色付いていた。
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