異世界に来たらオークになっちゃってたオレの流離譚

桜二朗

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第1章

オークの洞窟生活 (10)

 世界には日本が国家として承認したものだけで196カ国が存在する。その他の国家として承認していないものには、そうすることで政治的な軋轢を生む場合や、日本と大きな対立をしている場合が多い。

 仮にそうだとしてもその国が実在する限り、大概の場合はネットやテレビニュースなどで目や耳にすることになる。両国の間に政治的な問題などがある場合には、むしろ問題のない国以上にマスコミに取り上げられることが多いだろう。ただし、196カ国の半分の98カ国だけですら、国名をスラスラと読み上げれるのはテレビ番組に登場する天才少年か、その方面の知識を必要とする職業に就く者くらいのものだろう。

 「なあ、ここって何て名前の国なんだろうな?」

 暫く食事中のノラを眺めていたオレは、何度目かに彼女と視線が合ったのをきっかけに、いつまでもジロジロ見ているのも悪いと思いその場に横になっていた。そして、何となく口にしたオレの問い掛けに対するノラの答えは、オレが抱いていた考えを決定付けるものだった。

 ムスタオルデン皇国。そして、今オレたちの居るこの洞窟は「アンファング領の外れのどこか」なのだそうだ。聞いたことのない国名と領土名。今更さして驚きはしないが、オレは「やはりそうなのか」と言う落胆にも似た思いを
押し殺すように額に手を押し当てて目を閉じる。オレのその行動をどう捉えたのか、ノラは「ちなみにムスタオルデン皇国はヌエボ大陸の西に位置しますが……」と申し訳なさそうに付け加えた。

 オレは頭の中を整理するように心の中で呟く。オレは豚面人族オークとなって、ムスタオルデン皇国のアンファング領の外れにある洞窟の地下で気が付いた。運良くここに住み着いていた豚面人族たちに仲間だと思われ今に至るが、ここに来た直前の記憶だけがどうしても思い出せない。元の世界でこんな話を誰かにしようものなら、間違いなく正気を疑われる。

 記憶喪失の原因には慢性と一過性があり、記憶の失い方にも過去の記憶を失うものや、ある特定の一部分だけを失うものなど様々な症例がある。オレの場合はこの世界へ来る直前だけが抜け落ちている。一般的に記憶喪失の原因には様々な要因が考えられるが、気付いたら異世界へ豚面人族となって飛ばされていた者にはどんな要因が当てはまるのだろうか。間違いなく同じ症例はないはずだ。

 「クロ様、先程から何かお悩みのご様子ですが、私でお力になれることなら……」

 気が付くと食事を終えたノラが、ボーッと天井を眺めるオレを上から覗き込むようにしていた。そう言えば彼女はオレが地下牢の枝牙犀えだきばさいのいる檻の中に急に現れたと言っていた。元の世界の常識が通用しないこの世界ならその逆も起こり得ると言うことなのか。

 「なあ、もしオレが地下牢に急に現れたんだとしたら、元の場所へ戻る方法もあると思うか?」
 「えっと、クロ様は元々どちらからいらしたのですか?」

 そうか。ノラはオレが別世界から来たことを知らないんだ。寝そべったまま訊ねたオレの言葉にノラは問い掛けで返す。来た場所によっては徒歩ではなく車でも勧めようと言うのか。でも、異世界から来たなんて話したところで信じてもらえるのだろうか。下手をすれば変人扱いされるなんてことも有り得るのだろう。いずれにしろオレはこの世界のことをあまりにも知らな過ぎる。この先、必ず彼女の助けが必要になる。

 「こ、こことは別の世界……なんて言ったらおかしいか?」

 顔色を窺いながら口にしたオレの言葉にノラは目を丸くした。やはりそうなるよな。

 「えっ? クロ様って異世界人だったんですか!? だからかぁ! 私、クロ様は他の豚面人族オークとは何か違うと思ってたんですよ!」
 「信じてくれるのか?」
 「勿論、信じますよ? 何でですか?」

 逆にそう聞かれると何と答えて良いのか戸惑う。何にしろノラがそう言ってくれるなら話が早い。オレは起き上がってノラに向き直ると改めて説明を続ける。

 オレの中に残る最も新しい記憶は何だろう。クリスマス。そうだ、カッチャルバル商会のメンバーたちと一緒に、近所の顔馴染みを招待して事務所兼オレの塒としてとして使っていたマンションで、クリスマスパーティーをすることになったんだ。

 クリュッグのロゼで乾杯し、趣味が筋トレと料理というゲイバー『バタフライ』の蝶ママ自慢の手料理に舌鼓を打った。確かその後、プレゼントの交換をすると言って持ち寄った包をランダムに回したら、蝶ママが当たった和風の包から、気味の悪い古びた日本人形みたいのが出てきて大騒ぎになったっけ。そうだ、ちゃんと覚えている。その後どうなった。

 「うっ……うぅぅぅ……」
 「ク、クロ様! 大丈夫ですか!?」

 記憶の糸を辿ろうとすると、また例の激しい頭痛に襲われる。頭を抱えてうずくまったオレを心配して慌てて近寄ったノラは、あたふたしながらも背中を摩ったりして心配してくれた。

 「ノラ、聞いてくれ」
 「クロ様、無理なさらない方が────」
 「いや、どうしても君に聞いて欲しいんだ。頼む」

 ノラに手伝ってもらい毛皮の寝床の上に横になったオレは、思い切って胸の内を伝えることにした。

 「オレは元の世界に帰りたい。そのために君に力を貸して欲しい」

 そう切り出したオレは、自分が別の世界から来たこと、元々は豚面人族ではなく人間であること、どうして豚面人族の姿になってこの世界に跳ばされて来たのか記憶が定かではないことを告白した。ノラは既にオレの言葉でオレが異世界人であることに気付いた様子ではあったが、人間だったと知っても特段驚く様子は見せなかった。だが、一部の記憶を喪失しているという点には大きなショックを受けた様子で、何故かその場で泣き出してしまった。

 「ちょっ、えっ? な、何で泣いてるんだ?」
 「だってクロ様、異世界から知らない地へ来られたと言うのに、その原因となる記憶を失くしてしまっただなんて……どんなに辛かったかだろうと思ったら」

 いや、確かに辛いのは間違いないのだが。目の前で女の子に泣かれるとその事より、目の前の事態に慌ててしまう自分がいる。それに色んな人種がごちゃ混ぜになった環境には、普通のヤツよりいくらか慣れがある。

 「私、力になります! クロ様が元の世界に戻れるように力になります!」
 「ははは……ありがとうな」

 こんな場所で奴隷にされている少女に励まされるなんて。オレの手を取り真っ直ぐな眼差しでそう宣言するノラの存在があまりにも頼もしくて、気持ちが少しだけ軽くなるのを感じオレは自嘲気味に微笑んだ。

 「なっ、何で今ちょっと笑ったんですか!?」
 「い、いや、笑ったんじゃなくて喜んだんだよ」
 「えぇ? 笑いましたよ。はははって」
 「気のせいだろ?」

 オレの言い訳にふくれっ面をしたノラだったが、彼女の言葉が嬉しかったのは本当だ。
 
 「あっ、ひょっとしてクロ様……」

 不意にノラは何か閃いたように目を見開いて口にする。

 「誰かに召喚されたのではないでしょうか?」

 召喚。それはどういう意味だ。オレが眉根を寄せて理解に苦しむ視線を向けると、ノラが驚きの説明を展開する。彼女の話では『召喚魔法』というものが存在するらしい。そう言えば以前にも魔導士がどうとか、魔法がどうとか言っていた気がする。

 「確証とか全然ないんですが地下牢であの青白い光を見た時に思ったんです。魔法陣の光とそっくりだなって……それで召喚魔法じゃないかって」
 「でも、誰が何の目的でオレを?」
 「そ、それは……恐らく、その……魔法に明るい知的な豚面人種の方とかが? どうしてもクロ様にお会いしたかったとか?」

 何故か途中から疑問形で回答するノラに、オレは静かに首を振りそれはないと否定する。理由は簡単だ。オレが知る限り豚面人種に知的なヤツはいない。それに女性に飢える彼らがわざわざ呼び出すなら、人気女優や美人グラビアモデルを召喚するはずだ。自分で言うのも寂しいが敢えてオレを呼び出すメリットはゼロだ。

 ただし、それは彼女の言う召喚魔法と言うのが相手を限定できるものであればの話だ。意図せずにオレを呼び出したと言うなら頷ける。呼び出したヤツもさぞかしがっかりしただろう。いずれにしろそいつは豚面人族ではないだろうが。

 「ノラは召喚魔法を実際に見たことはあるのか?」
 「はい、1度だけ。以前に太古からある深い森の生態系の調査にご一緒させていただいた時に。高名な魔導士の方が同行してくださって、その時に黒妖犬ブラックハウンドを召喚するのを。もう、凄かったです! 青白い魔法陣が現れたと思ったら同じ色の炎の様なものが舞い上がって!」

 ノラが興奮しながらその時の様子を説明する。つまり召喚魔法の存在自体は間違いないと言うことか。

 「それは、その何とかという犬を意図的に呼び出したのか? それとも出てきたのが偶然それだったのか?」
 「多分、意図的に黒妖犬ブラックハウンドを呼び出したんだと思います。森での活動に必要でしたので。あっ、ちなみに黒妖犬と言うのは真っ黒な長い毛をした魔物で、普通の犬とは全く別物なんですけどね」
 「なら、オレも誰かに意図的に……」

 そこまで口にするとノラは言い辛そうに口を開く。

 「あの……私ちょっと思ったんですけど、クロ様を呼び出した方も意図せずにそうしたのかなぁって」
 「どういう意味だ?」
 「その時に魔導士の方にちょっとだけお聞きしたんです、召喚について。私てっきり何でも呼び出せちゃうのかと思って、まだ見たことのない野生動物なんかも召喚していただけないかなぁって期待しちゃって。でも、召喚魔法で呼び出して言うことを聞いてくれるのは、契約を結んだ相手だけらしいんです。だから闇雲に何でも呼び出すわけにはいかないんだって言われちゃいました」

 オレは苦笑いを浮かべながら頷いた。そのようなことに召喚魔法を使おうというノラの発想は斬新なのかも知れないが、魔物を呼び出して言うことを聞かせるほどの者が彼女の興味本位な話付き合ってくれるとは思えない。つまり呼び出せる可能性とは別に、闇雲に得体の知れないものを呼び出すことは普通しないと言うことか。だとしたらオレは何のために。

 「じゃあ、オレがこの姿になったのはどうしてだと思う?」

 その問い掛けにノラは眉根を寄せて考え込んで絞り出した答えも、魔法に寄るものではないかと趣旨のものだった。ただそれは大昔にそのような魔法を使う大魔導士がいたと言う、一種の御伽噺のようなものを聞いたことがあると言う類のものだった。勿論、彼女自身も実際に姿を変えるような魔法は目にしたことはないらしい。何もかもが魔法に繋がっていると言うことか。

 「つまり、まずは魔法に詳しい人物を探さなきゃってことか……」

 ノラもオレのその呟きに真剣な表情で頷いた。

 「そうなると何処へ行ったらいいんだろうな? まさかここにはそんなヤツいないだろ?」
 「高名な魔法使いの多くは人里離れた森に住むことが多いらしいんですが、例外として皇都にはそうした方たちも多く住んでると聞いたことがあります」

 皇都。つまりこの国の中央か。光り輝き賑わいを見せる地には必ずその影も生まれる。確かにそんな場所なら御伽噺のように魔法を使う、鷲鼻の婆さんがいてもおかしくないかも知れない。

 「ノラ、ここから皇都までの道はわかるか?」

 突然の言葉にノラは面食らったように僅かに口を開けたままオレを見詰める。

 「ちょっと付いて来てくれ」
 「ど、どこへ行かれるんですか!?」

 寝床から起き上がったオレは強引とも思える具合にノラの手を引き部屋を出た。向かった先は調理場だ。そこではいつものようにハックとギョロ目と糸目が談笑をしていた。オレは挨拶もそこそこにノラの手を引いてそのまま裏口から外へと出る。突然現れたオレたちにギョロ目と糸目は、何が始まるのか興味津々と言った様子で裏口から覗き込む。だが、一番何が起こるのか不安なのはノラだろう。オレはノラを切り株の上に座らせると、視線の高さを合わせゆっくりと話す。

 「ノラ、今からその足枷を外す。多少荒っぽいやり方になるが動かないで欲しい。いいな?」
 「えっ? は、はい!」

 振り返るとハックが斧と木槌を持って来てくれていた。まずはノラを地面に座らせる。切り株の上に両足を開いて足枷を繋ぐ鎖を置き、斧を構えると狙いを定めて振り下ろした。鋭い金属音と共に鎖が弾け飛ぶ。ギョロ目と糸目から驚きの声が上がったが今は無視だ。鎖が切れて幾分だが楽になったはずのノラの表情は、目の前で斧を振り下ろされた緊張からかまだ引き攣ったままだ。

 「ハックさん、何か布のような物はありますか?」
 「ああ、ちょっと待っデくれ」

 調理場の奥をゴソゴソと漁ったハックが薄汚れた布切れを持って来た。この際、衛生面とかは関係ない。オレはその布切れをノラの足枷の間に通して足首に巻く。緩衝材代わりには少し頼りないが仕方がない。出来るだけノラに衝撃が少ないような態勢で、足枷の長番部分に押し当てた斧を木槌で叩く。

 思いのほか頑丈なのとノラの足を傷付けないように注意を払って作業するため、片方の長番を外すだけで10分ほど掛かってしまった。ガランッと音を立てて外れる足枷を見ると、ノラの顔に驚きの表情が浮かんだ。もう少しだ。オレは深く長いため息を吐き出して、額に薄っすらと浮かんだ汗を手の甲で拭った。

 いつの間にかハックは勿論、ギョロ目と糸目もオレたちの近くまで来て足枷を外す作業に見入っていた。豚面人族は自分の欲求に素直種族だ。今はノラを犯したいなんて邪な気持ちよりも、目の前で行われている作業の結果が知りたい気持ちが勝っているのだろう。もう一方の足枷が無事に外れると、何故かギョロ目たちも一緒になって小躍りして喜んでいた。

 取り敢えずオレの目標も定まった。まずは皇都だ。そこへ行けばきっとオレがこんな姿になった原因や、元の世界へ帰る方法を知る者がいるに違いない。オレはハックに調理場を借りると残り物で酒の肴を作り、部屋から葡萄酒を持ち出してハックとギョロ目と糸目も一緒に、ノラの足枷が外れたことを祝って乾杯した。
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