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四話
海への恐怖
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ササッ、スタッ
何かの足音が近付いてきた。人間より軽い、獣のような足音だった。野良猫か何かが入り込んだのだろうか。フィンの手が肩に触れてきたので誘導されるまま膝をついて気配を消す。
スタッ、タッ
こんな場所に野良猫が入ってこれるものなのか。そもそも侵入者と停電。タイミングが良すぎるしこれが偶然とは思えない。
(野良猫に停電させてから侵入するなんて芸当できねえよな)
一体何者だ。ゴクリと唾を飲み込む。緊張の瞬間だった。
スタッ、タッ、タ…
俺とフィンの目の前を足音が通りすぎていく。やがて足音は遠くにいき、再び静かになる。どうやら俺達には気づかなかったようだ。ホッと息を吐く。
「行ったみたいだな…」
パリイン!!
きゃあああ!
フィンの声に返事するように、遠くで何かが割れた音がした。複数の悲鳴も一緒に聞こえてくる。慌てて立ち上がった。
***
「お客様、落ち着いて!ゆっくりとお進みください!こちらから外に出られます!押さずにゆっくりと避難してください!」
音のした方に向かうと、海野が客たちを非常出口へ案内していた。すでにほとんどの客は避難していて混乱は収束している。ただ、このエリアに来てからずっと床が濡れていて気持ち悪かった。最初はそういう演出なのかと思ったが流石にそれはないかと考え直す。
バン!
突然停電が回復して明るくなった。薄暗い照明でも暗闇から切り替わると眩しく感じた。何度か瞬きをした後目の前の景色に驚かされる。
「!」
いくつかの小さな水槽が割れ、中身が飛び出していた。魚が逃げ出している所もあればひび割れているだけのものもある。水槽から溢れた水で床が水浸しになっていたのだ。近くに置かれていたバケツを手に取り、急いで魚をすくいあげた。
「ライ!すまないっ、こちらも頼む!」
フィンが床の魚に触れようとして躊躇していた。体温が高いフィンの手では魚を傷つけると思ったのだろう。
「すぐ行く!他にもいないか探してくれ!」
「わかった」
二人で協力して大体の魚を回収したかというところで海野が駆け寄ってくる。客の避難が終わったらしい。
「お客様ー!すみません…!お客様にこんなことをさせてしまって…!!」
「いやこっちこそ全部一緒にいれちゃったの大丈夫ですかね…」
「もちろんです!助かりました、本当に…本当にありがとうございます!」
魚の入ったバケツを渡すと、海野は涙ぐみながら礼をいった。魚達が本当に大切なんだなと伝わってくる姿だった。
「この子達は自分が引き受けますので、お客様は避難なさってください。まだ近くに侵入者が潜んでるかもしれませんので…」
水槽は何かに引っ掛かれたような爪痕が残っていた。大きな猛禽類の爪のようだ。爪痕から侵入者を想像して身震いする。
ガチャっバタバタっ
スタッフ専用扉から更に二人出てくる。見た目からして飼育員と清掃員だろう。事態を聞き付けてやってきたらしい。海野はバケツを見せながら飼育員に事情を話している。
「……」
俺はもう一人の清掃員の男を見た。男は水浸しの床を掃除している。帽子を目深にかぶり、マスクをしていて顔はよくみえないが何故か既視感を感じるのだ。
(どこかで見たような…)
男も俺の方をみて、何かに気付いたように近寄ってきた。
「君、スナックの…」
「!!」
「ちくわ、くれた子、だよね」
昨日の半魚人のお客さんだった。帽子を少しだけずらして挨拶してくる。顔だけ魚なので変装すればギリばれないのだろうか。巨人や妖精もだが現代の幻獣は人間に紛れて暮らしててすごいと思う。
「ごめんね、せっかく、来てくれたのに、こんなことに、なって」
「いや、俺らは全然、何もなかったですし。それより停電とか水槽が割れたり…施設側の方が大変ですよね」
停電した時に水槽の電気も一時的に途絶えたはず。水槽の魚にとってはかなりのストレスなのに、事態のわりにスタッフが落ち着いてるのが気になった。半魚人はうーんと悩ましげに唸る。
「実は最近、魚を、盗みにくる、奴がいて。今回も何匹か、大物を、とられてる。水槽を、割られたのは…初めてだけど…」
「魚を盗みに?犯人に心当たりは?」
「ない。幻獣の仕業、と思うけど。手がかりも、なければ、足が早くて…捕まえようが、ない」
半魚人は困ったように首をふった。警察に届けて終わりだよと諦めた様子だった。
「話変わるけど、君たち、ベニクラゲと、話した?」
俺たちが頷くと、半魚人は前のめりになった。
「やっぱり…!君なら、話せると、思ったよ。ベニクラゲとは、休憩中、よく話すんだ。物知りで、優しくて、気のいい奴、なんだ」
「仲良いんですね」
「うん。どうか、ベニクラゲの、力になって、ほしいんだ」
「力にって言われても…」
「俺、聞いたこと、ある。“人魚の鱗"、あれば、どんな魚でも、人と話せる、体、手に入れられる、って」
「!!」
(人魚の鱗…)
魚が人間と話せる体を手に入れる。人型になるのか。それとも言葉を話せるようになるのか。どっちにしろ夢のような話だ。今のベニクラゲの願いを叶えられるとしたらそれしかない。
「半魚人の、俺じゃ…人魚に、嫌われてて…会うこと、できない。だから君に、頼みたくて」
「半魚人と人魚…?仲悪いんすか」
顔だけ魚の半魚人と、俺が想像したままでいけば顔だけ人の形をした人魚。その二つはほとんど同じに見えるが…半魚人は深く頷いてきた。
「元は、同じ種族、だったらしい。どこからか、派生して、別の種族に、なった。半魚人は、より人に近づいて、地上で生活、できるように、なった」
俺みたいにね、と付け足す。
「逆に人魚は、生活圏は、海のまま。だから、人間になろうとした、愚か者、と人魚たちは、俺達を、嫌悪している。人魚だって、人間に憧れてる、癖にね」
なるほど、なかなか複雑そうである。
「諦めきれず、何度か、海に行って、試したけど、やっぱり、だめだった」
「なるほど…」
「人間の君が、海に入れば、人魚も、寄ってくると、思うから」
「待て!まさか、ライ、やる気なのか??」
「やる気も何も。あんただってさっきまでベニクラゲを手伝いたいって言ってたじゃねえか」
「ライに危険が及ぶなら話は別だ!人魚は人を食うとも言われてる…危険すぎる!」
「いやいや…」
呆れるように肩をすくめてると、俺たちの元へ海野が駆け寄ってきた。
「お話のところ失礼します!お客様、申し訳ありません。ここは立ち入り禁止となりますのでただちに避難をお願いします…!勝手で申し訳ありません…!」
どうやら話はここまでのようだ。案内されるまま俺たちは水族館の外へ出た。最後に半魚人の方を振り返ると、頼んだよと言うように頷いてくる。
***
ザザーン…ザザーン…
俺とフィンは話し合った結果、水族館の近くの海に来ていた。すでに日は落ちかけていて海は夕焼けに染まっている。
「すげえ、都会でもこんな綺麗な砂浜があるんだな」
誰かが清掃しているのか、都会のわりに綺麗に保たれている。砂浜を歩きながら波の音を聞いてると癒されるし、夕焼けに染まる水面は美しくキラキラと反射していた。
(水族館とはまた違う癒しがあるな)
波打ち際で立っているとフィンが悲鳴をあげて引き止めてくる。
「ライ!それ以上は!危ない!波が!波がくる!!」
「大丈夫だって」
フィンにとって海は大層怖いもののようだ。必死に俺を遠ざけようとする。
ばしゃ!
「ひー!」
水しぶきがあがるだけで逃げだす始末だ。あまりにも怖がっててちょっと笑えた。不死身で無敵にも思えたフィンにもちゃんと苦手なものがあって安心する。
(やっぱ誰だって完璧じゃないよな)
青ざめるフィンに少しだけ親近感がわくのだった。
「波め!攻めたり引いたり!私を惑わすのもいい加減にしろ!」
「はは。海にキレてどうすんだよ」
「しかし…」
尻込みするフィンを見ながら時計を確認した。
(17時半か…)
人魚は夕方の時間に一番現れやすいらしい。その時間だと浅瀬にいても影になってバレにくい為警戒心の高い人魚も現れやすいとのこと。
(時間は限られてるしさっさと入るか)
フィンは足手まといなので置いていく。
「ライ?!」
「そんなに怖いならフィンは砂浜にいればいいぜ。海に入るだけなら俺一人でやれるし」
「ああっ!ライ…!」
ザブザブ…チャプ…
靴を脱ぎ足首まで入ってみると、久しぶりの海は冷たくて気持ちよかった。チラリと後方を確認すると恨めしそうな顔でフィンが見ていた。すぐに駆け付けたいが恐怖で動けない、そんな葛藤が見えた。
「…はあ、そんな顔するぐらいなら来いよ。気持ちいいぞ」
手招きするがフィンは怯えるように首を振って動こうとしない。
「だめだ…私は水の中に入ったらだめなんだ…」
「なんでだよ」
「私は水中では完全な無力になる」
「何も戦う必要ないだろ。まだ人魚は現れてないし、そもそも人魚が敵対するとも決まってねえ。仲良く会話できるかもしれねえじゃん」
「…」
しかしフィンは一向に入ろうとしなかった。波を睨み付けたまま停止してる。
「ったく。あんなに水族館ではしゃいでたのに…魚が好きなんじゃないのか?」
「魚は好きだが海は別だ。水の塊…いや海という世界そのものに本能的な恐怖を感じる。どうしても、近づけないんだ」
「本能的な恐怖ね…」
俺ら人間でいえば火の海を前にした時のような感じだろうか。確かに正気のうちは火の海に入ろうと思えないだろう。しかも海に入ったらフィンは炎を出す事ができなくなる。「燃えることができない=灰になれない」のだ。不老不死の力が発動しない可能性が高い。不死身を捨てる行動はなかなか許容できないだろう。
(そりゃ怖いわな…)
海を恐れる本能は正しい自衛反応だ。俺は諦めて手を下ろした。フィンをじっと見つめる。
ザバーン!
ふと、大きな波に足をとられ後ろに倒れこんだ。全身が海に浸かる。
「おっと、…んっ?!」
ザブン、と小さな波を立てて体が水面に沈んだ。転がった後方は段差のように深くなっていてそのまま沈んでしまった。俺の姿が見えなくなったことで、フィンは慌てて立ち上がった。
「ライ!!」
血相を変えてフィンが飛び出す。
バシャバシャ
波に怯えつつもなんとか俺の元にくる。
「ライ!ライっ…!!」
俺が溺れたと言う焦りのおかげで一時的に恐怖が消えたらしい。
(なんだ、入れるじゃん)
冷や汗なのか海水なのかわからないがフィンは全身を濡らして震えていた。俺はその頑張りを見届けてから水面から顔を出した。
「ぷは!…うえっ…しょっぱ…」
「ライ…!!だっ、大丈夫、か…!」
「滑っただけだし大丈夫だ。あんたの方がよっぽど顔色悪いぞ」
腰まで海に入ったことで顔が真っ青になってる。
「当たり前だろうっ、こんな深くまで…海に入ってしまった…!死より恐ろしい状況だ…!」
「はは。でもこれで海も克服だな」
「!」
からかうように海水をかけてやるとギロリと睨まれた。
「まさか、わざと転んだのか?ライ…!」
「はは、仕返しだよ」
「仕返し??」
そこで一呼吸おく。迷ったが…続きも言う事にした。
「ベッドで襲ってきた誰かさんへ、な」
「!」
この話題はずっと避けていたが今のフィンとなら話せる気がした。
「ライ…」
戸惑う表情を見せた後、肩を落とし、それから謝ってくる。
「あの時は本当にすまなかった。我を失って…ライを酷く傷つけてしまった。誰よりもライを大切にしたいのに、なんて事をしたんだろう、と…」
「そんな悲しい顔すんな。俺も…避けて悪かった」
「ライ…」
海水でびしょ濡れになった髪がキラキラと光っている。その合間からオレンジ色の瞳を見た。夕焼けに染まり、更に色が濃くなったオレンジの瞳は息を飲むほど美しい。
(ほんとに、悔しいほど格好いいんだよな)
久しぶりにこの距離でみたが今日見たどの存在よりも美しいと思った。
「信じてもらえないと思うが、ライを大事にしたいというのは私の一番の願いだ」
「だからって襲うなよ。すげえ怖かったんだぞ」
「申し訳ない…」
「ったく!俺じゃなかったら通報されてたからな」
「わかってる…もうしない…」
「本当だな?」
海水をぱしゃぱしゃとかけて脅す。水しぶきに青ざめつつフィンはウンウンと頷いた。
「絶対しない」
「じゃあ…よし、許す」
「!」
「その代わり次は玉潰すからな」
「ひっ…!?」
「いいだろ、不死身なんだから。生まれ変わって作り直せば玉も元通りになる」
「いやいや待ってくれ!いつからライはそんなサイコパスになってしまったんだ…!?」
「はは、冗談だって」
互いにびしょ濡れになりながら笑った。久しぶりにフィンとの心地いい雰囲気が戻ってきて、くすぐったさと嬉しさがこみ上げてくる。水族館でのモヤモヤや寂しさがあっという間に晴れていくようだ。
「ま、もうベッドは別だしあんな事繰り返さないだろうけど。ちゃんと腹割って話せてよかったぜ」
「うう。ライ…たまには一緒に寝ないか…?」
「なんでだよ」
「なんで?なんでだと言われても理由は一つしかないのだが。…理由を言ってもいいのか?」
じっと見つめられる。友人に向けるものではない熱っぽい視線に体の奥が熱くなった。
「ライと一緒に寝たい理由を言ってもいいのか?」
「まっ待て!フィン!あんた急に何言おうとしてんだ?!」
「急ではない。ベットの時だって、今日だって、常に言いたかった」
「…っ」
俺は続きの言葉から逃げるように下を向いた。
ぐっ
追いかけるように、肩に手を置いて引き寄せられる。
「ライ、ちゃんと聞いてくれ」
「…!!」
目の前に雄の顔をしたフィンがいた。近い。吐息すら感じる距離にドキリとする。一緒に寝たい理由なんて言われなくてもわかる。俺だってフィンと出会ってから少しずつ…色んな事を知りながら良いなと思い始めていた。
(辛い時にとっさに浮かぶ顔が…いつの間にか真人からフィンに変わっていた)
俺にとってすでにフィンは大切な人になってたんだと思う。自覚してなかっただけで。この一週間距離を置いてみてわかった事だ。
(だけどあんたは…)
「あんたは、そういう…本能なだけだろ?」
生まれ変わる時に俺が目の前にいたから。体がそういう構造をしてるから好意を抱いただけで、フィン自身が俺の事を好きなわけじゃない。
「ライ!違う、私は、っ」
「ちょっと!奥の男!ちゃんと肩を掴んで!」
突然、岸の方から声がかかる。俺の死角、真後ろからだった。誰だと振り向こうとしたら
「あんたはそのまま前見てなさいっ」
「うっ」
長い爪が頬に食い込んできた。指が細くてネイルをしてる。女性の手だった。
ぐい!!
無理やり前を向けさせられる。正面にいたフィンは俺の後方を緊張した顔で睨み付けていた。
(い、一体、誰が後ろに…っ)
「うん!そうそう、良い感じよー!あー角度が悪いわ。そう!もっと顔近付けて!」
「なっ、何が起きて…」
「はいはい!完璧!それで一分動かないで!」
「はあ??」
フィンと鼻がぶつかるほどの距離で密着したまま見つめ合う。
「フィン…これは…っ」
「静かに」
唇にフィンの人差し指が触れてきた。誰もいなければ目の前の存在にドキドキしていたかもしれないが、背後が気になりすぎてそれどころではない。言われた通り大人しくしておくと
「はーい!ありがとね!ご馳走さま!」
なんとか終わったらしい。すぐに体を離して、振り返った。
「!」
そこにはエメラルドの髪の美しい人魚がいたのだった。
何かの足音が近付いてきた。人間より軽い、獣のような足音だった。野良猫か何かが入り込んだのだろうか。フィンの手が肩に触れてきたので誘導されるまま膝をついて気配を消す。
スタッ、タッ
こんな場所に野良猫が入ってこれるものなのか。そもそも侵入者と停電。タイミングが良すぎるしこれが偶然とは思えない。
(野良猫に停電させてから侵入するなんて芸当できねえよな)
一体何者だ。ゴクリと唾を飲み込む。緊張の瞬間だった。
スタッ、タッ、タ…
俺とフィンの目の前を足音が通りすぎていく。やがて足音は遠くにいき、再び静かになる。どうやら俺達には気づかなかったようだ。ホッと息を吐く。
「行ったみたいだな…」
パリイン!!
きゃあああ!
フィンの声に返事するように、遠くで何かが割れた音がした。複数の悲鳴も一緒に聞こえてくる。慌てて立ち上がった。
***
「お客様、落ち着いて!ゆっくりとお進みください!こちらから外に出られます!押さずにゆっくりと避難してください!」
音のした方に向かうと、海野が客たちを非常出口へ案内していた。すでにほとんどの客は避難していて混乱は収束している。ただ、このエリアに来てからずっと床が濡れていて気持ち悪かった。最初はそういう演出なのかと思ったが流石にそれはないかと考え直す。
バン!
突然停電が回復して明るくなった。薄暗い照明でも暗闇から切り替わると眩しく感じた。何度か瞬きをした後目の前の景色に驚かされる。
「!」
いくつかの小さな水槽が割れ、中身が飛び出していた。魚が逃げ出している所もあればひび割れているだけのものもある。水槽から溢れた水で床が水浸しになっていたのだ。近くに置かれていたバケツを手に取り、急いで魚をすくいあげた。
「ライ!すまないっ、こちらも頼む!」
フィンが床の魚に触れようとして躊躇していた。体温が高いフィンの手では魚を傷つけると思ったのだろう。
「すぐ行く!他にもいないか探してくれ!」
「わかった」
二人で協力して大体の魚を回収したかというところで海野が駆け寄ってくる。客の避難が終わったらしい。
「お客様ー!すみません…!お客様にこんなことをさせてしまって…!!」
「いやこっちこそ全部一緒にいれちゃったの大丈夫ですかね…」
「もちろんです!助かりました、本当に…本当にありがとうございます!」
魚の入ったバケツを渡すと、海野は涙ぐみながら礼をいった。魚達が本当に大切なんだなと伝わってくる姿だった。
「この子達は自分が引き受けますので、お客様は避難なさってください。まだ近くに侵入者が潜んでるかもしれませんので…」
水槽は何かに引っ掛かれたような爪痕が残っていた。大きな猛禽類の爪のようだ。爪痕から侵入者を想像して身震いする。
ガチャっバタバタっ
スタッフ専用扉から更に二人出てくる。見た目からして飼育員と清掃員だろう。事態を聞き付けてやってきたらしい。海野はバケツを見せながら飼育員に事情を話している。
「……」
俺はもう一人の清掃員の男を見た。男は水浸しの床を掃除している。帽子を目深にかぶり、マスクをしていて顔はよくみえないが何故か既視感を感じるのだ。
(どこかで見たような…)
男も俺の方をみて、何かに気付いたように近寄ってきた。
「君、スナックの…」
「!!」
「ちくわ、くれた子、だよね」
昨日の半魚人のお客さんだった。帽子を少しだけずらして挨拶してくる。顔だけ魚なので変装すればギリばれないのだろうか。巨人や妖精もだが現代の幻獣は人間に紛れて暮らしててすごいと思う。
「ごめんね、せっかく、来てくれたのに、こんなことに、なって」
「いや、俺らは全然、何もなかったですし。それより停電とか水槽が割れたり…施設側の方が大変ですよね」
停電した時に水槽の電気も一時的に途絶えたはず。水槽の魚にとってはかなりのストレスなのに、事態のわりにスタッフが落ち着いてるのが気になった。半魚人はうーんと悩ましげに唸る。
「実は最近、魚を、盗みにくる、奴がいて。今回も何匹か、大物を、とられてる。水槽を、割られたのは…初めてだけど…」
「魚を盗みに?犯人に心当たりは?」
「ない。幻獣の仕業、と思うけど。手がかりも、なければ、足が早くて…捕まえようが、ない」
半魚人は困ったように首をふった。警察に届けて終わりだよと諦めた様子だった。
「話変わるけど、君たち、ベニクラゲと、話した?」
俺たちが頷くと、半魚人は前のめりになった。
「やっぱり…!君なら、話せると、思ったよ。ベニクラゲとは、休憩中、よく話すんだ。物知りで、優しくて、気のいい奴、なんだ」
「仲良いんですね」
「うん。どうか、ベニクラゲの、力になって、ほしいんだ」
「力にって言われても…」
「俺、聞いたこと、ある。“人魚の鱗"、あれば、どんな魚でも、人と話せる、体、手に入れられる、って」
「!!」
(人魚の鱗…)
魚が人間と話せる体を手に入れる。人型になるのか。それとも言葉を話せるようになるのか。どっちにしろ夢のような話だ。今のベニクラゲの願いを叶えられるとしたらそれしかない。
「半魚人の、俺じゃ…人魚に、嫌われてて…会うこと、できない。だから君に、頼みたくて」
「半魚人と人魚…?仲悪いんすか」
顔だけ魚の半魚人と、俺が想像したままでいけば顔だけ人の形をした人魚。その二つはほとんど同じに見えるが…半魚人は深く頷いてきた。
「元は、同じ種族、だったらしい。どこからか、派生して、別の種族に、なった。半魚人は、より人に近づいて、地上で生活、できるように、なった」
俺みたいにね、と付け足す。
「逆に人魚は、生活圏は、海のまま。だから、人間になろうとした、愚か者、と人魚たちは、俺達を、嫌悪している。人魚だって、人間に憧れてる、癖にね」
なるほど、なかなか複雑そうである。
「諦めきれず、何度か、海に行って、試したけど、やっぱり、だめだった」
「なるほど…」
「人間の君が、海に入れば、人魚も、寄ってくると、思うから」
「待て!まさか、ライ、やる気なのか??」
「やる気も何も。あんただってさっきまでベニクラゲを手伝いたいって言ってたじゃねえか」
「ライに危険が及ぶなら話は別だ!人魚は人を食うとも言われてる…危険すぎる!」
「いやいや…」
呆れるように肩をすくめてると、俺たちの元へ海野が駆け寄ってきた。
「お話のところ失礼します!お客様、申し訳ありません。ここは立ち入り禁止となりますのでただちに避難をお願いします…!勝手で申し訳ありません…!」
どうやら話はここまでのようだ。案内されるまま俺たちは水族館の外へ出た。最後に半魚人の方を振り返ると、頼んだよと言うように頷いてくる。
***
ザザーン…ザザーン…
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「ライ!それ以上は!危ない!波が!波がくる!!」
「大丈夫だって」
フィンにとって海は大層怖いもののようだ。必死に俺を遠ざけようとする。
ばしゃ!
「ひー!」
水しぶきがあがるだけで逃げだす始末だ。あまりにも怖がっててちょっと笑えた。不死身で無敵にも思えたフィンにもちゃんと苦手なものがあって安心する。
(やっぱ誰だって完璧じゃないよな)
青ざめるフィンに少しだけ親近感がわくのだった。
「波め!攻めたり引いたり!私を惑わすのもいい加減にしろ!」
「はは。海にキレてどうすんだよ」
「しかし…」
尻込みするフィンを見ながら時計を確認した。
(17時半か…)
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(時間は限られてるしさっさと入るか)
フィンは足手まといなので置いていく。
「ライ?!」
「そんなに怖いならフィンは砂浜にいればいいぜ。海に入るだけなら俺一人でやれるし」
「ああっ!ライ…!」
ザブザブ…チャプ…
靴を脱ぎ足首まで入ってみると、久しぶりの海は冷たくて気持ちよかった。チラリと後方を確認すると恨めしそうな顔でフィンが見ていた。すぐに駆け付けたいが恐怖で動けない、そんな葛藤が見えた。
「…はあ、そんな顔するぐらいなら来いよ。気持ちいいぞ」
手招きするがフィンは怯えるように首を振って動こうとしない。
「だめだ…私は水の中に入ったらだめなんだ…」
「なんでだよ」
「私は水中では完全な無力になる」
「何も戦う必要ないだろ。まだ人魚は現れてないし、そもそも人魚が敵対するとも決まってねえ。仲良く会話できるかもしれねえじゃん」
「…」
しかしフィンは一向に入ろうとしなかった。波を睨み付けたまま停止してる。
「ったく。あんなに水族館ではしゃいでたのに…魚が好きなんじゃないのか?」
「魚は好きだが海は別だ。水の塊…いや海という世界そのものに本能的な恐怖を感じる。どうしても、近づけないんだ」
「本能的な恐怖ね…」
俺ら人間でいえば火の海を前にした時のような感じだろうか。確かに正気のうちは火の海に入ろうと思えないだろう。しかも海に入ったらフィンは炎を出す事ができなくなる。「燃えることができない=灰になれない」のだ。不老不死の力が発動しない可能性が高い。不死身を捨てる行動はなかなか許容できないだろう。
(そりゃ怖いわな…)
海を恐れる本能は正しい自衛反応だ。俺は諦めて手を下ろした。フィンをじっと見つめる。
ザバーン!
ふと、大きな波に足をとられ後ろに倒れこんだ。全身が海に浸かる。
「おっと、…んっ?!」
ザブン、と小さな波を立てて体が水面に沈んだ。転がった後方は段差のように深くなっていてそのまま沈んでしまった。俺の姿が見えなくなったことで、フィンは慌てて立ち上がった。
「ライ!!」
血相を変えてフィンが飛び出す。
バシャバシャ
波に怯えつつもなんとか俺の元にくる。
「ライ!ライっ…!!」
俺が溺れたと言う焦りのおかげで一時的に恐怖が消えたらしい。
(なんだ、入れるじゃん)
冷や汗なのか海水なのかわからないがフィンは全身を濡らして震えていた。俺はその頑張りを見届けてから水面から顔を出した。
「ぷは!…うえっ…しょっぱ…」
「ライ…!!だっ、大丈夫、か…!」
「滑っただけだし大丈夫だ。あんたの方がよっぽど顔色悪いぞ」
腰まで海に入ったことで顔が真っ青になってる。
「当たり前だろうっ、こんな深くまで…海に入ってしまった…!死より恐ろしい状況だ…!」
「はは。でもこれで海も克服だな」
「!」
からかうように海水をかけてやるとギロリと睨まれた。
「まさか、わざと転んだのか?ライ…!」
「はは、仕返しだよ」
「仕返し??」
そこで一呼吸おく。迷ったが…続きも言う事にした。
「ベッドで襲ってきた誰かさんへ、な」
「!」
この話題はずっと避けていたが今のフィンとなら話せる気がした。
「ライ…」
戸惑う表情を見せた後、肩を落とし、それから謝ってくる。
「あの時は本当にすまなかった。我を失って…ライを酷く傷つけてしまった。誰よりもライを大切にしたいのに、なんて事をしたんだろう、と…」
「そんな悲しい顔すんな。俺も…避けて悪かった」
「ライ…」
海水でびしょ濡れになった髪がキラキラと光っている。その合間からオレンジ色の瞳を見た。夕焼けに染まり、更に色が濃くなったオレンジの瞳は息を飲むほど美しい。
(ほんとに、悔しいほど格好いいんだよな)
久しぶりにこの距離でみたが今日見たどの存在よりも美しいと思った。
「信じてもらえないと思うが、ライを大事にしたいというのは私の一番の願いだ」
「だからって襲うなよ。すげえ怖かったんだぞ」
「申し訳ない…」
「ったく!俺じゃなかったら通報されてたからな」
「わかってる…もうしない…」
「本当だな?」
海水をぱしゃぱしゃとかけて脅す。水しぶきに青ざめつつフィンはウンウンと頷いた。
「絶対しない」
「じゃあ…よし、許す」
「!」
「その代わり次は玉潰すからな」
「ひっ…!?」
「いいだろ、不死身なんだから。生まれ変わって作り直せば玉も元通りになる」
「いやいや待ってくれ!いつからライはそんなサイコパスになってしまったんだ…!?」
「はは、冗談だって」
互いにびしょ濡れになりながら笑った。久しぶりにフィンとの心地いい雰囲気が戻ってきて、くすぐったさと嬉しさがこみ上げてくる。水族館でのモヤモヤや寂しさがあっという間に晴れていくようだ。
「ま、もうベッドは別だしあんな事繰り返さないだろうけど。ちゃんと腹割って話せてよかったぜ」
「うう。ライ…たまには一緒に寝ないか…?」
「なんでだよ」
「なんで?なんでだと言われても理由は一つしかないのだが。…理由を言ってもいいのか?」
じっと見つめられる。友人に向けるものではない熱っぽい視線に体の奥が熱くなった。
「ライと一緒に寝たい理由を言ってもいいのか?」
「まっ待て!フィン!あんた急に何言おうとしてんだ?!」
「急ではない。ベットの時だって、今日だって、常に言いたかった」
「…っ」
俺は続きの言葉から逃げるように下を向いた。
ぐっ
追いかけるように、肩に手を置いて引き寄せられる。
「ライ、ちゃんと聞いてくれ」
「…!!」
目の前に雄の顔をしたフィンがいた。近い。吐息すら感じる距離にドキリとする。一緒に寝たい理由なんて言われなくてもわかる。俺だってフィンと出会ってから少しずつ…色んな事を知りながら良いなと思い始めていた。
(辛い時にとっさに浮かぶ顔が…いつの間にか真人からフィンに変わっていた)
俺にとってすでにフィンは大切な人になってたんだと思う。自覚してなかっただけで。この一週間距離を置いてみてわかった事だ。
(だけどあんたは…)
「あんたは、そういう…本能なだけだろ?」
生まれ変わる時に俺が目の前にいたから。体がそういう構造をしてるから好意を抱いただけで、フィン自身が俺の事を好きなわけじゃない。
「ライ!違う、私は、っ」
「ちょっと!奥の男!ちゃんと肩を掴んで!」
突然、岸の方から声がかかる。俺の死角、真後ろからだった。誰だと振り向こうとしたら
「あんたはそのまま前見てなさいっ」
「うっ」
長い爪が頬に食い込んできた。指が細くてネイルをしてる。女性の手だった。
ぐい!!
無理やり前を向けさせられる。正面にいたフィンは俺の後方を緊張した顔で睨み付けていた。
(い、一体、誰が後ろに…っ)
「うん!そうそう、良い感じよー!あー角度が悪いわ。そう!もっと顔近付けて!」
「なっ、何が起きて…」
「はいはい!完璧!それで一分動かないで!」
「はあ??」
フィンと鼻がぶつかるほどの距離で密着したまま見つめ合う。
「フィン…これは…っ」
「静かに」
唇にフィンの人差し指が触れてきた。誰もいなければ目の前の存在にドキドキしていたかもしれないが、背後が気になりすぎてそれどころではない。言われた通り大人しくしておくと
「はーい!ありがとね!ご馳走さま!」
なんとか終わったらしい。すぐに体を離して、振り返った。
「!」
そこにはエメラルドの髪の美しい人魚がいたのだった。
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そんなある日、一人の紳士とリンユゥは対局することになり…。
人気俳優に拾われてペットにされた件
米山のら
BL
地味で平凡な社畜、オレ――三池豆太郎。
そんなオレを拾ったのは、超絶人気俳優・白瀬洸だった。
「ミケ」って呼ばれて、なぜか猫扱いされて、執着されて。
「ミケにはそろそろ“躾”が必要かな」――洸の優しい笑顔の裏には、底なしの狂気が潜んでいた。
これは、オレが洸の変態的な愛情と執着に、容赦なく絡め取られて、逃げ道を失っていく話。
ヤリチン伯爵令息は年下わんこに囚われ首輪をつけられる
桃瀬さら
BL
「僕のモノになってください」
首輪を持った少年はレオンに首輪をつけた。
レオンは人に誇れるような人生を送ってはこなかった。だからといって、誰かに狙われるようないわれもない。
ストーカーに悩まされていたレある日、ローブを着た不審な人物に出会う。
逃げるローブの人物を追いかけていると、レオンは気絶させられ誘拐されてしまう。
マルセルと名乗った少年はレオンを閉じ込め、痛めつけるでもなくただ日々を過ごすだけ。
そんな毎日にいつしかレオンは安らぎを覚え、純粋なマルセルに毒されていく。
近づいては離れる猫のようなマルセル×囚われるレオン
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
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