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八話
蚊帳の外
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霧から現れた人物は、黒のトレンチコートに身を包んだグレイだった。中はいつものワンピース…ではなく、パンツスタイルで前髪をかきあげてる事もあって男らしさが炸裂してる。
(ええ???)
しかもいつも柔らかい所作を徹底しているグレイが大股で、荒々しく、粗野に歩く姿はあまりにも別人すぎて。
「姿も見られちゃったし…面倒ね、殺しちゃおうかしら」
声は本人そのものだから余計混乱する。
(てか、殺す…殺すって言ったか??)
待て!俺だ!そう言いたくても喉がうまく動かない。グレイは真顔のまま手を振り上げた。
「――待て、グレイ」
ぐっ
聞き慣れた声と共に、後ろから肩を掴まれ引き寄せられる。振り返れば、白金の髪とオレンジの瞳が視界に入った。
(フィン…!)
その姿を捉えた瞬間体が歓喜する。しかし同じくらい違和感も感じた。あれ?と首を傾げていると、正面から舌打ちが聞こえてきた。…グレイって舌打ちするんだ。
「フィン、邪魔よ」
「コレは私が始末しておく。先に行ってくれ」
「…」
「いいのか?時間がないのだろう」
「…わかったわ。何かあれば全員消せばいいんだし」
(ぜ、全員消すって…)
青ざめていると、グレイは俺達に背を向けて、駐車場の二階へと上がっていった。
カツン、カツン…カツン……カツ……
足音が聞こえなくなった頃、フィンと見つめ合う。俺が何か言うより先に、フィンがにししと見慣れない笑い方をした。俺の表情で察したのだろう。
「やっほーライ、遅れてごめんね~」
「やっぱり…ユウキなんだな」
「あはは。ボロは出してないと思ったのにどこでわかったんだろ」
ボロを出すどころか、話し方や所作も完璧で普通に対峙していたらわからなかっただろう。
「じゃあどうして?後学の為に教えて?」
「…笑うなよ」
「うん!」
「肩を掴まれた時、手が熱くなかった…から」
「!」
いくら変化上手なユウキでも体温までは調整できない。肩に触れてくる掌の温度に物足りなさを感じて、なんとなくわかってしまった。
「体温、体温かあ…なるほど…」
俺のまさかの回答にユウキはキョトンとしていたがやがて腹を抱えて笑いだした。
「ははっ!それはお手上げだっ!愛の力だね~!!」
「…うるせえ」
照れ隠しも含めて強めに睨みつける。それから二階へ上がるスロープへと視線を移した。
「にしてもグレイの奴どうしちまったんだ。別人みたいだったな…」
「いやー予想通りではあったけど怖かったね~」
「は?予想通り?」
「詳しくは後で話すよ。店長さんの姿も確認できたし今日の収穫は十分かな。撤退しよう」
「いいのか?上に行けばもっと情報が得られるんじゃ…」
「いいも何も命あっての物種だよ。それとも何、ライはあの状態の店長さんとやりありたいの?」
「んなわけねえだろ。わかった、一度出るか…」
グルルゥ
「「?!」」
背後の霧から唸り声が聞こえくる。慌てて振り返れば、霧の中から銀色の瞳が二つ光った。次の瞬間、霧から狼の耳と尻尾を生やしたソルが飛び出してきた。かなり狼化が進んでいて体も大きい。
「ライ、あれって…」
四つん這いになって毛を逆立てる姿は完全に敵対モードだった。どうやら俺達(山田とフィン)が偽物だとバレてるらしい。しかも羽織の匂いが強くて中身が俺だって事もわかってない。このまま背中を向けて走ろうものなら思いっきり噛み殺されるだろう。
「ソルだ。いや、狼の方か。とにかく下手に動くなよ」
「狼って…マジかあ…」
珍しくユウキの表情に焦りの色が混ざっていた。俺はそれを横目で確認した後、羽織の下で上着を脱ぎ始めた。ユウキが視線だけで「何してんの??」と言ってくるが、無視して上着をぐるぐると丸めていく(スマホはズボンに避難させた)。このまま戦いになっても困るが何よりも厄介なのは上にいる六島とグレイに勘付かれる事だ。なら、やる事は一つ。
ぶんっ!!
丸めた上着を出入り口とは逆の方へ放り投げた。
ワウウウッ!!
狼は走り出した。あれだけ警戒していた俺達には目もくれず一目散に上着を追いかけていく。上着に俺の匂いがついている事に気付いたらしい。
「はは、なるほど」
俺の意図をすぐさま察したユウキが出入り口へと走った。俺もそれに続く。狼は上着に夢中になっていて俺達を追う気配はない。思った通り動いてくれた事に安堵するが、なんでソルやグレイから逃げなきゃいけないんだと意味がわからなかった。
「はあ、はあ…」
「ハア…ハア…ハアっ」
学校の近くまで戻ってきたところで二人で息を整える。ぽふんという軽い音と共にユウキが変化を解いた。
「ああー最悪!なんか嫌な匂いするとは思ってたけど、狼男じゃんアイツ!」
ユウキは苛立ちを隠さず、腰に手を当てて舌打ちした。
「ソルが狼男だと困るのか?」
「困るも何も!狼は鼻がいいし勘も鋭いから俺ら化け狐の天敵なの!相性最悪!」
「なるほど…狼と狐じゃ食物連鎖的にもあれだしな」
「べーつにー!肉体的な差は変化でなんとかなるしー!」
ユウキは頬を膨らませつつ顔をぷいっと背けた。あくまでも変化を見抜く能力が気に食わないらしい。
バタン
車の扉が開く音がした。見れば、柴沢が黒塗りの車から現れて近寄ってくる。
「ありゃ、お迎えがきたか。ちょうどいいし帰ろうか」
「帰るって…お前の家にか?」
「そりゃそうでしょ。どこに帰るっていうのさ」
「いや…」
俺は店に戻る。そう言おうとして、固まった。
“面倒ね、殺しちゃおうかしら”
まるで虫を殺すかのように躊躇いなく告げられた言葉を思い出す。
「…ね?あんなブちぎれた店長さんの所に戻っても何されるかわかったもんじゃないよ。俺の家に避難としときなって」
「だが…」
「よく聞いてライ。店長さん達がライに隠れて悪い事をしてるって言ったら…どうする?」
「俺に隠れて…?いや、ありえねえだろ」
不本意ながらスナックの面子とは一日を通してかなりの時間を共に過ごしている。俺に隠しながら悪事を企てるなんて到底できるとは思えない。ユウキは呆れたと言わんばかりに眉をひそめてきた。
「でも、実際ライは温泉旅行で騙されて三人に強姦されたじゃんね?」
「言い方…っ」
「別に間違ってないでしょ。それともライはあの人達にマワされたいと願ってた?その願いを三人が汲み取ったとでも?」
「んなわけねえだろッ!」
「はは、だよね。じゃあちゃんと現実を見て。店長さんが流れを作って他二人が乗せられてたとかありえないでしょ。あのバラバラの性格がそんな連携取れると思う?流石にうまくいきすぎじゃない?三人が結託してたとは考えなかった?」
「なっ……」
「ライはもう少し人を疑った方がいいよ。人はもっと利己的で欲に弱いんだからさ」
年下の、しかも学生に、俺が直視できずにいた現実を叩きつけられる。悔しいがぐうの音も出なかった。
「温泉旅行のあれは確かに…三人で企ててたかもしんねえが…だからってあの三人が悪事を働くって事にはならねえだろ」
「はあ~…お人好しなんだから!本当は家に帰ってから話すつもりだったけど、いいや。今話そう。俺が親父とは別の目的で動いてるって言ったの覚えてる?」
「ん?ああ…」
てっきり正義感に駆られてとか学生達を助ける為に照れ隠しで言ったのかと思ったが。ユウキは全然違うよと首を振った。
「俺はね、店長さん達について調べてたんだ。…ライが心配だったから。ライの周りにいる人たちが危険じゃないか知っておきたかった」
「!」
まさか俺の為だったのかと目を瞬かせる。
「そしたら面白い事に今回の薬と結びついた。だから俺は薬を追う事にしたんだ。薬の先に本当の姿の店長さんがいると思ったからね」
「グレイが…薬に関わってるのか…?」
「うん。まだ裏はとれてないけど龍神組と繋がってるって情報も掴んでる。あ、龍神組って俺らと同じあっち系ね。ちなみに今回の薬の出元と言われてるのも龍神組だから」
「グレイがヤクザに協力してるって言いたいのか」
「まあね。勝手に持ち出したのか、指示されてるのかは知らないけど…あの駐車場に現れた時点でクロだよね。六島に薬を流しにくる以外考えられないもん」
「いやいや…」
グレイ達が薬を撒いてる犯人だなんてありえない。ありえないが、あの場に現れた理由がわからない。俺達みたいに売人を追ってるにしてはただの学生の山田に敵意を向けすぎだし、そもそも“つじつま合わせ"は幻獣が対象だ。人間の、しかも学生が絡んだ案件なら「警察に任せまショ」とグレイなら手を引くはず。
(じゃあどうして…)
わからない事だらけで混乱してるとユウキがダメ押しのように諭してくる。
「言ってなかったけど。薬には特別な効果があるんだよ」
「特別な効果…?」
「うん、薬を飲むとあっという間に眠れるから睡眠サプリとしても配られてるんだ。寝つきが良くなって集中力も上がるだなんて言われて最近は塾でも広がり始めてる」
「マジか…」
六島に声をかけた学生や、駐車場で倒れていた学生を思い出す。どうりで真面目そうな学生が混ざっていたわけだ。
「特別な効果はそれだけじゃない。夢の中で気持ちのいい夢を見れるんだって。全ての欲望を叶えてくれる…まるで天国みたいな夢。だからヘブンって呼ばれてる。わかる?夢を操作するだなんて芸当、人間にはできない。幻獣の仕業だよ。さあ…一体誰がやったんだろうね?」
眠くなる。気持ちいい夢を見る。その言葉を聞いて、とっさにグレイの顔が浮かんでしまった。一度俯き、やっぱり納得がいかず首を横に振る。
「昨日まで俺達は電車で何時間もかかる田舎にいたんだぞ。その間も薬が回っていたならグレイは無関係なんじゃ…」
「そんなの売人に多めに薬を流しておけばどうとでもなるでしょ。実際旅行の翌日に補充しにきてるわけだし、タイミングもぴったりじゃん」
「薬は回せても夢を操る事はできねえだろ!町からあんな遠くにいたのに…っ」
「本当に店長さんができないと言い切れる?」
どういう意味だと目を瞬かせる。
「あの人って幻獣の世界でもかなり異質なんだよ。いつから、どこから来たのかもわからない。俺達が知らないだけでもっと厄介な能力を隠し持っててもおかしくないんだ。…それこそ遠隔で催眠をかける事だってできるかもしれない」
「そんな…」
ありえないと突っぱねたいのに、何も言い返せなかった。グレイの事は俺も底が知れないと思っていたし、温泉での事もある。信じたいけど、また騙されないとはどうしても思えなかった。
「どうする?ライが店に戻りたいなら送ってくよ?」
にこっとユウキは柔らかく微笑んでくる。あくまでも強制はしない。その一歩引いた姿勢のせいで余計動揺が深くなる。ふとフィンの顔が浮かんだ。…帰りたい。帰ってその腕に抱きつきたい。だけど、もしもこの件を聞いて、はぐらかされたら?隠されたらどうする?信じていた人間に裏切られる恐怖は何よりも恐ろしい。それは真人の件で知っていた。
(もしも、グレイに…あの三人に…ずっと騙されていたとしたら)
会って確かめたいけど、確かめた後の未来が恐ろしかった。知りたい。怖い。離れたくない。現実逃避するように葛藤を繰り返す。そして
“店に帰りたくない"
とっさに浮かんだ、俺の情けない心の声にユウキが応える。
バタン
車のドアを開けて誘導してきた。
「ユウキ…」
「帰ろっか」
「…」
どこへだなんて聞くまでもない。俺は目の前の黒塗りの車に、やけくそのように乗り込んだ。
***
屋敷に戻ると、正面玄関の前に人だかりができていた。皆スーツで物々しい雰囲気である。車内からそれを確認したユウキがげげっと顔をしかめさせる。
「やばい、龍神組だ」
「龍神組ってさっき話に出てきた薬の出元の…え、抗争とかじゃねえよな」
「いやいやこんな正面から来るわけないから。でもあの感じ幹部が来てるっぽいしなあ…うーん、今さら謝罪??なわけないか。とりあえずライはここで柴沢と待機。ややこしくなるから羽織は脱いどいて、あ、上着はこれね」
「あ、ああ…」
「絶対顔出しちゃダメだよ!」
そう言ってユウキは制服のまま玄関前に向かった。途端に人だかりがざっと左右に分かれる。皆スーツという事もあって並んだ時の迫力はすごい。ユウキはしばらく誰かと話し込んだと思えば、酷く顔をしかめさせながら戻ってきた。
「ライ、ごめん。ちょっと龍神組の人と食事する事になったから先に部屋戻ってて。眠かったら寝ちゃっていいから」
「…わかった」
ヤクザ同士の付き合いなのだろうか。断れる空気でもなさそうだ。俺は後部座席から降りて、男達からの視線を浴びながら柴沢と共に玄関前に移動する。
「…すげ」
正面玄関の立派さに圧倒された。屋敷は高い塀に囲まれているが、正面玄関の門構えはそれよりも更に高く聳え立っている。
(屋敷に来たのは三回目なのに意識がある状態でこれをくぐるのは初めてっておかしいよな…)
ピリッ
ふと痺れるような視線を感じた。見れば、強面のスーツ集団の中に初老の着物を気崩した男がいた。立っているだけなのに強さが滲み出ているというか、どこか既視感のある姿に首を傾げていると、着物の男が近寄ってくる。
「お前、何故ここにいる。フェニックスから逃げてきたのか?」
フィンの事をフェニックスという人間は少ない…龍矢とその部下ぐらいだ。しかも今の台詞ということは俺達の関係を知っている人間なのだ。必死に記憶を遡ると、レッドキャップを回収していった着物の男がこんな見た目だったなと思い出した。
「あんたは…メデューサの時の…」
「久しぶりだな。まさか二度も会うとは思わなかったが」
じろじろと全身を観察される。不躾な視線に顔をしかめていると口の端を曲げて笑われた。
「驚いたぞ。お前、見た目によらず尻軽なのだな」
「はあっ?!!」
「何を驚く?狐の坊主に乗り換えたんだろう?まあ、フェニックスよりは狐一族の方がマシな人生を送れるだろうが…こんな短期間に乗り換えるとはな。堅物に見えてなかなかやりおる」
俺の横にいる柴沢を見たあと、屋敷を意味ありげにみてくる。確かに状況だけ見ればそう捉えられてもおかしくない。とはいえ“尻軽”は聞き捨てならなかった。
「誰が尻軽だとー…」
怒りのまま言い返そうとすると、ユウキが血相を変えてすっ飛んでくる。
「ちょちょちょ!ライ!どゆこと?時雨さんと知り合いなの??」
「え、いやー…知り合いっつーか…」
「顔見知りですらないがここで会ったのも何かの縁だ。挨拶をしておこう。俺は龍神組の相談役を任されている時雨という者だ。ライ、お前がどの立場に落ち着くとしても、俺とはあまり会わない人生を歩んだ方がいいぞ」
(相談役って結構偉い立場なんじゃ…)
よく見ればスーツの男達を背後に控えさせていたし、ユウキが表情を強ばらせてハラハラと見つめてくるのだ。こんなユウキ初めてだ。それだけヤバイ状況なのだろう。
「…ライ、です」
尻軽と言われたのは腹立つがなんとか怒りを収めて敬語に戻した。時雨は口の端を更に上げる。
「よく躾られているな」
そう言って握手された。ぐっと強く握られ、それにやんわりと応えると「なかなかできるようだな」と感心された。
「気に入った。お前も会食に参加しろ。俺の横で飲ませてやる」
「は…?」
「時雨さん!」
ユウキが冗談じゃないと首を振って拒否する。それから失礼のないギリギリの範囲で俺から時雨の手を引き剥がした。
「カタギの人間を参加させるなんてありえませんよ!」
「フェニックスやお前と関わりがあるのならカタギじゃなくなるのも時間の問題だろう。それに、今回の件、フェニックスの目撃情報もある。ライも気になるんじゃないか?」
「ですが…」
「まあいい。無理強いはしない。お前達の好きにしろ」
そういって時雨は案内の者と共に姿を消した。それを見送った後ユウキと顔を見合わせる。
「はあ…なんでこんな事に…。ねえ、ライ、インフルってことにして欠席しない??」
「…しねえよ」
この会食が何の為にどんな話をされるのか知らないが、これ以上蚊帳の外にされるのはごめんだ。俺の覚悟が伝わったのかユウキは「親父に確認してくる」と屋敷の奥へと走って行った。
ざわざわ
狐ヶ崎の屋敷の中でも入った事のない部屋はたくさんある。今回使われてる応接間もその一つで、他の部屋の二倍の広さはある上に、壁には高そうな掛け軸や壺が置かれていて、上座側には金の屏風も置かれていた。時代劇に使われそうな程豪華な和室である。
「ライ、もっと食え。お前は筋肉の質は良いが土台が軽すぎる。肉をつけろ」
「いや…あの」
「好き嫌いがあるのか?狐の出す飯はうまいぞ。特にお稲荷さんは最高だ。酒のつまみにゃ甘すぎるがな」
漆塗りのテーブルにずらりと並べられた料理を、横にいた時雨がすすめてくる。料理を手配した狐ヶ崎の者にすすめられるならまだしもなんで龍神組のあんたが自慢げなんだよと気まずくなった。しかし俺がその皿を拒否しようものなら、龍神組の組合員からとんでもなく鋭い視線が突き刺さってくるのだ。それは痛いってレベルではなく視線だけで殺されそうなほどで。針の筵とはこの事かと正座のまま身じろいだ。
「これこれ、時雨、お前さんが甘党じゃから用意させたというのに、人にすすめてどうするのじゃ」
俺達の正面、上座に座っていたユウキの親父さん、ハジメという名前だったか、が声をかけてくる。苦笑と共に俺の前からお稲荷さんの山を取り上げた。内心かなりホッとする。ちなみにユウキはハジメの横で大人しく座っていた。目の前で俺が男に絡まれているのにつっかかってこないのは色々なしがらみがあるからだろう。仮初のイイ子モードに反動が恐ろしくなる。
「ハジメよ。勿論俺も食うが、流石にこんなには食えん。何より太る」
「ふむ、代謝が悪くなったとはいえお前さんに太れるほど退屈な時間があるとは思えんのう」
「太った俺を見たくなくてわざわざドジってると言いたいのか?勘弁してくれ」
「はっはっは!」
時雨とハジメは談笑しては共に酒を煽った。どうやらこの二人は知らない仲じゃないらしい。世代も近そうだし組同士色々関りがあるのだろう。
「さて、食事も一通り楽しめたところで本題に入ろうかの」
ハジメの言葉に時雨がすぐに表情を引き締めた。
「ハジメ…まずは謝らせてくれ。今回の件、迷惑をかけて申し訳ない」
そう言って頭を下げた。途端に場がざわつく。相談役である時雨が頭を下げるなんてと、龍神組の組合員も、狐ヶ崎の男達も面食らっていた。謝罪を受けたハジメだけが動揺を見せず、にこりと目元だけで笑う。狐のような笑い方だった。
「お前さんにしては珍しく下の躾ができなかったようじゃの?」
「お恥ずかしい限り」
「顔を上げろ、時雨。ケジメは事が収まってからにしよう。今回の薬がお前達の管理していた物だということは把握している。詳しく聞かせてくれるか」
「ああ勿論だ。先月手癖の悪い奴が組に紛れ込んでな。倉庫からかなりの量を盗んでいった。急いで盗人を追わせたが、その先に薬はなかった。どうやら俺達から薬と指示役を逃がすためにわざわざ囮を買って出たらしい。盗人の癖に金も命も捨てるなんて酔狂な奴だよ。おかげで手掛かりはゼロ。指示役にも逃げられた。で、そうこうしてるうちに狐ヶ崎のシマで薬が回ってると噂が上がってきた。悪夢かと思ったよ」
「それはそれは肝が消えたことじゃろう。盗人は絞らなかったのか」
「もちろん絞ったさ。だが奴は死ぬまで何も吐かなかった。吐くのは指示役への愛の言葉だけだ。愛してる、命にかけて守ると最後の最後まで叫んでいたよ」
「盗人の癖に主に忠誠を誓って死ぬとは見上げた根性じゃ」
「いや…ありゃ催眠の類だな。あんな魂の奥深くまで刻みつけるような催眠は人間にはかけられない。盗人をそそのかして倉庫から盗ませた幻獣がいる」
「愛の催眠となるとインキュバスか」
ドキリと心臓が鳴った。俺の緊張を感じ取ったハジメがちらりと一瞥してくる。
「うちのシマにもインキュバスはたくさんいる。だが、そこまで強力な力を持つ者となると絞られるな」
「…グレイ・リシュタールだな」
「ふむ、あの者についてはわしも長く見てきた。薬を使って人間を惑わせるタマとは思えんが…人は変わる。幻獣も同じだ。何か強い思いを抱いた時、善人でい続ける事は難しい」
まるで俺に向けているかのような言葉だった。
「先程、倅がその者と売人が取引する現場を確認した。ほぼクロだろう。下の者に調べさせて然るべき対応をとる」
「手間をかけて申し訳ない。代わりと言ってはあれだが、その現場はこちらも確認している。フェニックスと例の狼男もいたはず。狐の坊主じゃない…本物のフェニックスだ。奴らの始末を任せてくれないか?」
「ほう?」
「フェニックスが関わっているなら早めに動いた方がいい。放っておけば金も人も灰にされるぞ」
「慣れてるというわけか。…よかろう。配下の始末は任せる。全てのケジメとはいかんが、無事に始末をつけられた際はある程度それで相殺させるとする」
「恩に着る」
「ま、待ってください…!」
痺れかけていた足を使って立ち上がる。ハジメが厳しい顔のまま見てきた。
「どうしたのじゃ、ライ」
「確かに…グレイはあの場に現れましたが、売人と直接取引する姿は確認できてません!もしかしたら売人を止めようとしてたのかもしれない…!まだ犯人と決まった訳じゃ…っ」
「なら、薬の効果はどう説明するのだ?あの者以外に大量の人間の夢を操る事ができるとでも?」
「…それはっ…でも、」
「ライ、座るんじゃ。お前さんを同席させたのは意見を聞く為じゃない…立場をわからせる為だ。黙って見ておれ」
「…!!」
低く叱りつけられ、歯噛みしながら腰を下ろす。横で眺めていた時雨が肩を叩いてきた。そのまま腕を回してくる。
ぴくり
正面にいたユウキが少しだけ反応した。しかし立ち上がる事はなく、顔にもイイ子モードの笑顔が張り付いたままだ。時雨はそれらを横目で確認した後、肩を掴む手に力を込めて引き寄せてくる。ひそひそと耳打ちされた。
「よかったな。ハジメが叱るなんて相当愛されてるぞ。それに坊主もお前に大層惚れ込んでるらしい…乗り換えて正解だったな」
尻軽めと笑われた気がして、嫌悪を込めて思いっきり睨みつけた。
「良い目だ」
上機嫌な様子でグラスに酒を注がれる。飲めと指示され、仕方なくそれを飲み干した。辛口で喉が焼けるような強さだった。二杯、三杯と注がれ、飲み進める度に全身の血管が広がる感覚が強まった。ふわふわしてくる。たった数杯でほろ酔い状態とは、酒が強いのか体調が悪すぎるのか。張りつめた緊張のせいで自分の体の状態がいまいちわからなかった。
「これこれ、時雨、うちのライを虐めるでない。顔色が悪そうなのにそんなに飲ませて…倒れたらどうする」
「顔色を悪くさせたのはお前だろう。それに…うちのと言ったが組に入れるつもりか?」
「ああ、わしはそのつもりじゃ」
「奴の気質は組に向いてないぞ。何より士気を乱す」
男を酔わせるタイプだと笑われ膝を撫でられた。その感触に鳥肌が立つ。
「俺が引き取ってやろう。奴なら戦闘員として十分動ける」
「壊されるとわかっていて渡すわけがないじゃろう」
二人が物騒な事を早口で言い合っている。反論すべきなのに酒で溶かされた頭は思考を放棄していた。ぼーっとグラスを見つめていると、向かい側にいるユウキと目があった。
ドクン
ユウキの栗色の瞳がいつもと違う光り方をしていた。その怪しい色に目が奪われる。
(ええ???)
しかもいつも柔らかい所作を徹底しているグレイが大股で、荒々しく、粗野に歩く姿はあまりにも別人すぎて。
「姿も見られちゃったし…面倒ね、殺しちゃおうかしら」
声は本人そのものだから余計混乱する。
(てか、殺す…殺すって言ったか??)
待て!俺だ!そう言いたくても喉がうまく動かない。グレイは真顔のまま手を振り上げた。
「――待て、グレイ」
ぐっ
聞き慣れた声と共に、後ろから肩を掴まれ引き寄せられる。振り返れば、白金の髪とオレンジの瞳が視界に入った。
(フィン…!)
その姿を捉えた瞬間体が歓喜する。しかし同じくらい違和感も感じた。あれ?と首を傾げていると、正面から舌打ちが聞こえてきた。…グレイって舌打ちするんだ。
「フィン、邪魔よ」
「コレは私が始末しておく。先に行ってくれ」
「…」
「いいのか?時間がないのだろう」
「…わかったわ。何かあれば全員消せばいいんだし」
(ぜ、全員消すって…)
青ざめていると、グレイは俺達に背を向けて、駐車場の二階へと上がっていった。
カツン、カツン…カツン……カツ……
足音が聞こえなくなった頃、フィンと見つめ合う。俺が何か言うより先に、フィンがにししと見慣れない笑い方をした。俺の表情で察したのだろう。
「やっほーライ、遅れてごめんね~」
「やっぱり…ユウキなんだな」
「あはは。ボロは出してないと思ったのにどこでわかったんだろ」
ボロを出すどころか、話し方や所作も完璧で普通に対峙していたらわからなかっただろう。
「じゃあどうして?後学の為に教えて?」
「…笑うなよ」
「うん!」
「肩を掴まれた時、手が熱くなかった…から」
「!」
いくら変化上手なユウキでも体温までは調整できない。肩に触れてくる掌の温度に物足りなさを感じて、なんとなくわかってしまった。
「体温、体温かあ…なるほど…」
俺のまさかの回答にユウキはキョトンとしていたがやがて腹を抱えて笑いだした。
「ははっ!それはお手上げだっ!愛の力だね~!!」
「…うるせえ」
照れ隠しも含めて強めに睨みつける。それから二階へ上がるスロープへと視線を移した。
「にしてもグレイの奴どうしちまったんだ。別人みたいだったな…」
「いやー予想通りではあったけど怖かったね~」
「は?予想通り?」
「詳しくは後で話すよ。店長さんの姿も確認できたし今日の収穫は十分かな。撤退しよう」
「いいのか?上に行けばもっと情報が得られるんじゃ…」
「いいも何も命あっての物種だよ。それとも何、ライはあの状態の店長さんとやりありたいの?」
「んなわけねえだろ。わかった、一度出るか…」
グルルゥ
「「?!」」
背後の霧から唸り声が聞こえくる。慌てて振り返れば、霧の中から銀色の瞳が二つ光った。次の瞬間、霧から狼の耳と尻尾を生やしたソルが飛び出してきた。かなり狼化が進んでいて体も大きい。
「ライ、あれって…」
四つん這いになって毛を逆立てる姿は完全に敵対モードだった。どうやら俺達(山田とフィン)が偽物だとバレてるらしい。しかも羽織の匂いが強くて中身が俺だって事もわかってない。このまま背中を向けて走ろうものなら思いっきり噛み殺されるだろう。
「ソルだ。いや、狼の方か。とにかく下手に動くなよ」
「狼って…マジかあ…」
珍しくユウキの表情に焦りの色が混ざっていた。俺はそれを横目で確認した後、羽織の下で上着を脱ぎ始めた。ユウキが視線だけで「何してんの??」と言ってくるが、無視して上着をぐるぐると丸めていく(スマホはズボンに避難させた)。このまま戦いになっても困るが何よりも厄介なのは上にいる六島とグレイに勘付かれる事だ。なら、やる事は一つ。
ぶんっ!!
丸めた上着を出入り口とは逆の方へ放り投げた。
ワウウウッ!!
狼は走り出した。あれだけ警戒していた俺達には目もくれず一目散に上着を追いかけていく。上着に俺の匂いがついている事に気付いたらしい。
「はは、なるほど」
俺の意図をすぐさま察したユウキが出入り口へと走った。俺もそれに続く。狼は上着に夢中になっていて俺達を追う気配はない。思った通り動いてくれた事に安堵するが、なんでソルやグレイから逃げなきゃいけないんだと意味がわからなかった。
「はあ、はあ…」
「ハア…ハア…ハアっ」
学校の近くまで戻ってきたところで二人で息を整える。ぽふんという軽い音と共にユウキが変化を解いた。
「ああー最悪!なんか嫌な匂いするとは思ってたけど、狼男じゃんアイツ!」
ユウキは苛立ちを隠さず、腰に手を当てて舌打ちした。
「ソルが狼男だと困るのか?」
「困るも何も!狼は鼻がいいし勘も鋭いから俺ら化け狐の天敵なの!相性最悪!」
「なるほど…狼と狐じゃ食物連鎖的にもあれだしな」
「べーつにー!肉体的な差は変化でなんとかなるしー!」
ユウキは頬を膨らませつつ顔をぷいっと背けた。あくまでも変化を見抜く能力が気に食わないらしい。
バタン
車の扉が開く音がした。見れば、柴沢が黒塗りの車から現れて近寄ってくる。
「ありゃ、お迎えがきたか。ちょうどいいし帰ろうか」
「帰るって…お前の家にか?」
「そりゃそうでしょ。どこに帰るっていうのさ」
「いや…」
俺は店に戻る。そう言おうとして、固まった。
“面倒ね、殺しちゃおうかしら”
まるで虫を殺すかのように躊躇いなく告げられた言葉を思い出す。
「…ね?あんなブちぎれた店長さんの所に戻っても何されるかわかったもんじゃないよ。俺の家に避難としときなって」
「だが…」
「よく聞いてライ。店長さん達がライに隠れて悪い事をしてるって言ったら…どうする?」
「俺に隠れて…?いや、ありえねえだろ」
不本意ながらスナックの面子とは一日を通してかなりの時間を共に過ごしている。俺に隠しながら悪事を企てるなんて到底できるとは思えない。ユウキは呆れたと言わんばかりに眉をひそめてきた。
「でも、実際ライは温泉旅行で騙されて三人に強姦されたじゃんね?」
「言い方…っ」
「別に間違ってないでしょ。それともライはあの人達にマワされたいと願ってた?その願いを三人が汲み取ったとでも?」
「んなわけねえだろッ!」
「はは、だよね。じゃあちゃんと現実を見て。店長さんが流れを作って他二人が乗せられてたとかありえないでしょ。あのバラバラの性格がそんな連携取れると思う?流石にうまくいきすぎじゃない?三人が結託してたとは考えなかった?」
「なっ……」
「ライはもう少し人を疑った方がいいよ。人はもっと利己的で欲に弱いんだからさ」
年下の、しかも学生に、俺が直視できずにいた現実を叩きつけられる。悔しいがぐうの音も出なかった。
「温泉旅行のあれは確かに…三人で企ててたかもしんねえが…だからってあの三人が悪事を働くって事にはならねえだろ」
「はあ~…お人好しなんだから!本当は家に帰ってから話すつもりだったけど、いいや。今話そう。俺が親父とは別の目的で動いてるって言ったの覚えてる?」
「ん?ああ…」
てっきり正義感に駆られてとか学生達を助ける為に照れ隠しで言ったのかと思ったが。ユウキは全然違うよと首を振った。
「俺はね、店長さん達について調べてたんだ。…ライが心配だったから。ライの周りにいる人たちが危険じゃないか知っておきたかった」
「!」
まさか俺の為だったのかと目を瞬かせる。
「そしたら面白い事に今回の薬と結びついた。だから俺は薬を追う事にしたんだ。薬の先に本当の姿の店長さんがいると思ったからね」
「グレイが…薬に関わってるのか…?」
「うん。まだ裏はとれてないけど龍神組と繋がってるって情報も掴んでる。あ、龍神組って俺らと同じあっち系ね。ちなみに今回の薬の出元と言われてるのも龍神組だから」
「グレイがヤクザに協力してるって言いたいのか」
「まあね。勝手に持ち出したのか、指示されてるのかは知らないけど…あの駐車場に現れた時点でクロだよね。六島に薬を流しにくる以外考えられないもん」
「いやいや…」
グレイ達が薬を撒いてる犯人だなんてありえない。ありえないが、あの場に現れた理由がわからない。俺達みたいに売人を追ってるにしてはただの学生の山田に敵意を向けすぎだし、そもそも“つじつま合わせ"は幻獣が対象だ。人間の、しかも学生が絡んだ案件なら「警察に任せまショ」とグレイなら手を引くはず。
(じゃあどうして…)
わからない事だらけで混乱してるとユウキがダメ押しのように諭してくる。
「言ってなかったけど。薬には特別な効果があるんだよ」
「特別な効果…?」
「うん、薬を飲むとあっという間に眠れるから睡眠サプリとしても配られてるんだ。寝つきが良くなって集中力も上がるだなんて言われて最近は塾でも広がり始めてる」
「マジか…」
六島に声をかけた学生や、駐車場で倒れていた学生を思い出す。どうりで真面目そうな学生が混ざっていたわけだ。
「特別な効果はそれだけじゃない。夢の中で気持ちのいい夢を見れるんだって。全ての欲望を叶えてくれる…まるで天国みたいな夢。だからヘブンって呼ばれてる。わかる?夢を操作するだなんて芸当、人間にはできない。幻獣の仕業だよ。さあ…一体誰がやったんだろうね?」
眠くなる。気持ちいい夢を見る。その言葉を聞いて、とっさにグレイの顔が浮かんでしまった。一度俯き、やっぱり納得がいかず首を横に振る。
「昨日まで俺達は電車で何時間もかかる田舎にいたんだぞ。その間も薬が回っていたならグレイは無関係なんじゃ…」
「そんなの売人に多めに薬を流しておけばどうとでもなるでしょ。実際旅行の翌日に補充しにきてるわけだし、タイミングもぴったりじゃん」
「薬は回せても夢を操る事はできねえだろ!町からあんな遠くにいたのに…っ」
「本当に店長さんができないと言い切れる?」
どういう意味だと目を瞬かせる。
「あの人って幻獣の世界でもかなり異質なんだよ。いつから、どこから来たのかもわからない。俺達が知らないだけでもっと厄介な能力を隠し持っててもおかしくないんだ。…それこそ遠隔で催眠をかける事だってできるかもしれない」
「そんな…」
ありえないと突っぱねたいのに、何も言い返せなかった。グレイの事は俺も底が知れないと思っていたし、温泉での事もある。信じたいけど、また騙されないとはどうしても思えなかった。
「どうする?ライが店に戻りたいなら送ってくよ?」
にこっとユウキは柔らかく微笑んでくる。あくまでも強制はしない。その一歩引いた姿勢のせいで余計動揺が深くなる。ふとフィンの顔が浮かんだ。…帰りたい。帰ってその腕に抱きつきたい。だけど、もしもこの件を聞いて、はぐらかされたら?隠されたらどうする?信じていた人間に裏切られる恐怖は何よりも恐ろしい。それは真人の件で知っていた。
(もしも、グレイに…あの三人に…ずっと騙されていたとしたら)
会って確かめたいけど、確かめた後の未来が恐ろしかった。知りたい。怖い。離れたくない。現実逃避するように葛藤を繰り返す。そして
“店に帰りたくない"
とっさに浮かんだ、俺の情けない心の声にユウキが応える。
バタン
車のドアを開けて誘導してきた。
「ユウキ…」
「帰ろっか」
「…」
どこへだなんて聞くまでもない。俺は目の前の黒塗りの車に、やけくそのように乗り込んだ。
***
屋敷に戻ると、正面玄関の前に人だかりができていた。皆スーツで物々しい雰囲気である。車内からそれを確認したユウキがげげっと顔をしかめさせる。
「やばい、龍神組だ」
「龍神組ってさっき話に出てきた薬の出元の…え、抗争とかじゃねえよな」
「いやいやこんな正面から来るわけないから。でもあの感じ幹部が来てるっぽいしなあ…うーん、今さら謝罪??なわけないか。とりあえずライはここで柴沢と待機。ややこしくなるから羽織は脱いどいて、あ、上着はこれね」
「あ、ああ…」
「絶対顔出しちゃダメだよ!」
そう言ってユウキは制服のまま玄関前に向かった。途端に人だかりがざっと左右に分かれる。皆スーツという事もあって並んだ時の迫力はすごい。ユウキはしばらく誰かと話し込んだと思えば、酷く顔をしかめさせながら戻ってきた。
「ライ、ごめん。ちょっと龍神組の人と食事する事になったから先に部屋戻ってて。眠かったら寝ちゃっていいから」
「…わかった」
ヤクザ同士の付き合いなのだろうか。断れる空気でもなさそうだ。俺は後部座席から降りて、男達からの視線を浴びながら柴沢と共に玄関前に移動する。
「…すげ」
正面玄関の立派さに圧倒された。屋敷は高い塀に囲まれているが、正面玄関の門構えはそれよりも更に高く聳え立っている。
(屋敷に来たのは三回目なのに意識がある状態でこれをくぐるのは初めてっておかしいよな…)
ピリッ
ふと痺れるような視線を感じた。見れば、強面のスーツ集団の中に初老の着物を気崩した男がいた。立っているだけなのに強さが滲み出ているというか、どこか既視感のある姿に首を傾げていると、着物の男が近寄ってくる。
「お前、何故ここにいる。フェニックスから逃げてきたのか?」
フィンの事をフェニックスという人間は少ない…龍矢とその部下ぐらいだ。しかも今の台詞ということは俺達の関係を知っている人間なのだ。必死に記憶を遡ると、レッドキャップを回収していった着物の男がこんな見た目だったなと思い出した。
「あんたは…メデューサの時の…」
「久しぶりだな。まさか二度も会うとは思わなかったが」
じろじろと全身を観察される。不躾な視線に顔をしかめていると口の端を曲げて笑われた。
「驚いたぞ。お前、見た目によらず尻軽なのだな」
「はあっ?!!」
「何を驚く?狐の坊主に乗り換えたんだろう?まあ、フェニックスよりは狐一族の方がマシな人生を送れるだろうが…こんな短期間に乗り換えるとはな。堅物に見えてなかなかやりおる」
俺の横にいる柴沢を見たあと、屋敷を意味ありげにみてくる。確かに状況だけ見ればそう捉えられてもおかしくない。とはいえ“尻軽”は聞き捨てならなかった。
「誰が尻軽だとー…」
怒りのまま言い返そうとすると、ユウキが血相を変えてすっ飛んでくる。
「ちょちょちょ!ライ!どゆこと?時雨さんと知り合いなの??」
「え、いやー…知り合いっつーか…」
「顔見知りですらないがここで会ったのも何かの縁だ。挨拶をしておこう。俺は龍神組の相談役を任されている時雨という者だ。ライ、お前がどの立場に落ち着くとしても、俺とはあまり会わない人生を歩んだ方がいいぞ」
(相談役って結構偉い立場なんじゃ…)
よく見ればスーツの男達を背後に控えさせていたし、ユウキが表情を強ばらせてハラハラと見つめてくるのだ。こんなユウキ初めてだ。それだけヤバイ状況なのだろう。
「…ライ、です」
尻軽と言われたのは腹立つがなんとか怒りを収めて敬語に戻した。時雨は口の端を更に上げる。
「よく躾られているな」
そう言って握手された。ぐっと強く握られ、それにやんわりと応えると「なかなかできるようだな」と感心された。
「気に入った。お前も会食に参加しろ。俺の横で飲ませてやる」
「は…?」
「時雨さん!」
ユウキが冗談じゃないと首を振って拒否する。それから失礼のないギリギリの範囲で俺から時雨の手を引き剥がした。
「カタギの人間を参加させるなんてありえませんよ!」
「フェニックスやお前と関わりがあるのならカタギじゃなくなるのも時間の問題だろう。それに、今回の件、フェニックスの目撃情報もある。ライも気になるんじゃないか?」
「ですが…」
「まあいい。無理強いはしない。お前達の好きにしろ」
そういって時雨は案内の者と共に姿を消した。それを見送った後ユウキと顔を見合わせる。
「はあ…なんでこんな事に…。ねえ、ライ、インフルってことにして欠席しない??」
「…しねえよ」
この会食が何の為にどんな話をされるのか知らないが、これ以上蚊帳の外にされるのはごめんだ。俺の覚悟が伝わったのかユウキは「親父に確認してくる」と屋敷の奥へと走って行った。
ざわざわ
狐ヶ崎の屋敷の中でも入った事のない部屋はたくさんある。今回使われてる応接間もその一つで、他の部屋の二倍の広さはある上に、壁には高そうな掛け軸や壺が置かれていて、上座側には金の屏風も置かれていた。時代劇に使われそうな程豪華な和室である。
「ライ、もっと食え。お前は筋肉の質は良いが土台が軽すぎる。肉をつけろ」
「いや…あの」
「好き嫌いがあるのか?狐の出す飯はうまいぞ。特にお稲荷さんは最高だ。酒のつまみにゃ甘すぎるがな」
漆塗りのテーブルにずらりと並べられた料理を、横にいた時雨がすすめてくる。料理を手配した狐ヶ崎の者にすすめられるならまだしもなんで龍神組のあんたが自慢げなんだよと気まずくなった。しかし俺がその皿を拒否しようものなら、龍神組の組合員からとんでもなく鋭い視線が突き刺さってくるのだ。それは痛いってレベルではなく視線だけで殺されそうなほどで。針の筵とはこの事かと正座のまま身じろいだ。
「これこれ、時雨、お前さんが甘党じゃから用意させたというのに、人にすすめてどうするのじゃ」
俺達の正面、上座に座っていたユウキの親父さん、ハジメという名前だったか、が声をかけてくる。苦笑と共に俺の前からお稲荷さんの山を取り上げた。内心かなりホッとする。ちなみにユウキはハジメの横で大人しく座っていた。目の前で俺が男に絡まれているのにつっかかってこないのは色々なしがらみがあるからだろう。仮初のイイ子モードに反動が恐ろしくなる。
「ハジメよ。勿論俺も食うが、流石にこんなには食えん。何より太る」
「ふむ、代謝が悪くなったとはいえお前さんに太れるほど退屈な時間があるとは思えんのう」
「太った俺を見たくなくてわざわざドジってると言いたいのか?勘弁してくれ」
「はっはっは!」
時雨とハジメは談笑しては共に酒を煽った。どうやらこの二人は知らない仲じゃないらしい。世代も近そうだし組同士色々関りがあるのだろう。
「さて、食事も一通り楽しめたところで本題に入ろうかの」
ハジメの言葉に時雨がすぐに表情を引き締めた。
「ハジメ…まずは謝らせてくれ。今回の件、迷惑をかけて申し訳ない」
そう言って頭を下げた。途端に場がざわつく。相談役である時雨が頭を下げるなんてと、龍神組の組合員も、狐ヶ崎の男達も面食らっていた。謝罪を受けたハジメだけが動揺を見せず、にこりと目元だけで笑う。狐のような笑い方だった。
「お前さんにしては珍しく下の躾ができなかったようじゃの?」
「お恥ずかしい限り」
「顔を上げろ、時雨。ケジメは事が収まってからにしよう。今回の薬がお前達の管理していた物だということは把握している。詳しく聞かせてくれるか」
「ああ勿論だ。先月手癖の悪い奴が組に紛れ込んでな。倉庫からかなりの量を盗んでいった。急いで盗人を追わせたが、その先に薬はなかった。どうやら俺達から薬と指示役を逃がすためにわざわざ囮を買って出たらしい。盗人の癖に金も命も捨てるなんて酔狂な奴だよ。おかげで手掛かりはゼロ。指示役にも逃げられた。で、そうこうしてるうちに狐ヶ崎のシマで薬が回ってると噂が上がってきた。悪夢かと思ったよ」
「それはそれは肝が消えたことじゃろう。盗人は絞らなかったのか」
「もちろん絞ったさ。だが奴は死ぬまで何も吐かなかった。吐くのは指示役への愛の言葉だけだ。愛してる、命にかけて守ると最後の最後まで叫んでいたよ」
「盗人の癖に主に忠誠を誓って死ぬとは見上げた根性じゃ」
「いや…ありゃ催眠の類だな。あんな魂の奥深くまで刻みつけるような催眠は人間にはかけられない。盗人をそそのかして倉庫から盗ませた幻獣がいる」
「愛の催眠となるとインキュバスか」
ドキリと心臓が鳴った。俺の緊張を感じ取ったハジメがちらりと一瞥してくる。
「うちのシマにもインキュバスはたくさんいる。だが、そこまで強力な力を持つ者となると絞られるな」
「…グレイ・リシュタールだな」
「ふむ、あの者についてはわしも長く見てきた。薬を使って人間を惑わせるタマとは思えんが…人は変わる。幻獣も同じだ。何か強い思いを抱いた時、善人でい続ける事は難しい」
まるで俺に向けているかのような言葉だった。
「先程、倅がその者と売人が取引する現場を確認した。ほぼクロだろう。下の者に調べさせて然るべき対応をとる」
「手間をかけて申し訳ない。代わりと言ってはあれだが、その現場はこちらも確認している。フェニックスと例の狼男もいたはず。狐の坊主じゃない…本物のフェニックスだ。奴らの始末を任せてくれないか?」
「ほう?」
「フェニックスが関わっているなら早めに動いた方がいい。放っておけば金も人も灰にされるぞ」
「慣れてるというわけか。…よかろう。配下の始末は任せる。全てのケジメとはいかんが、無事に始末をつけられた際はある程度それで相殺させるとする」
「恩に着る」
「ま、待ってください…!」
痺れかけていた足を使って立ち上がる。ハジメが厳しい顔のまま見てきた。
「どうしたのじゃ、ライ」
「確かに…グレイはあの場に現れましたが、売人と直接取引する姿は確認できてません!もしかしたら売人を止めようとしてたのかもしれない…!まだ犯人と決まった訳じゃ…っ」
「なら、薬の効果はどう説明するのだ?あの者以外に大量の人間の夢を操る事ができるとでも?」
「…それはっ…でも、」
「ライ、座るんじゃ。お前さんを同席させたのは意見を聞く為じゃない…立場をわからせる為だ。黙って見ておれ」
「…!!」
低く叱りつけられ、歯噛みしながら腰を下ろす。横で眺めていた時雨が肩を叩いてきた。そのまま腕を回してくる。
ぴくり
正面にいたユウキが少しだけ反応した。しかし立ち上がる事はなく、顔にもイイ子モードの笑顔が張り付いたままだ。時雨はそれらを横目で確認した後、肩を掴む手に力を込めて引き寄せてくる。ひそひそと耳打ちされた。
「よかったな。ハジメが叱るなんて相当愛されてるぞ。それに坊主もお前に大層惚れ込んでるらしい…乗り換えて正解だったな」
尻軽めと笑われた気がして、嫌悪を込めて思いっきり睨みつけた。
「良い目だ」
上機嫌な様子でグラスに酒を注がれる。飲めと指示され、仕方なくそれを飲み干した。辛口で喉が焼けるような強さだった。二杯、三杯と注がれ、飲み進める度に全身の血管が広がる感覚が強まった。ふわふわしてくる。たった数杯でほろ酔い状態とは、酒が強いのか体調が悪すぎるのか。張りつめた緊張のせいで自分の体の状態がいまいちわからなかった。
「これこれ、時雨、うちのライを虐めるでない。顔色が悪そうなのにそんなに飲ませて…倒れたらどうする」
「顔色を悪くさせたのはお前だろう。それに…うちのと言ったが組に入れるつもりか?」
「ああ、わしはそのつもりじゃ」
「奴の気質は組に向いてないぞ。何より士気を乱す」
男を酔わせるタイプだと笑われ膝を撫でられた。その感触に鳥肌が立つ。
「俺が引き取ってやろう。奴なら戦闘員として十分動ける」
「壊されるとわかっていて渡すわけがないじゃろう」
二人が物騒な事を早口で言い合っている。反論すべきなのに酒で溶かされた頭は思考を放棄していた。ぼーっとグラスを見つめていると、向かい側にいるユウキと目があった。
ドクン
ユウキの栗色の瞳がいつもと違う光り方をしていた。その怪しい色に目が奪われる。
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