ヤンデレ不死鳥の恩返し

リナ

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九話

魔王の犬に

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 ***

 四時間前――

 バシャッ

 冷たく濡れた感覚と共に意識が覚醒する。体の節々が痛いし、猛烈に眠い。もう一度眠ってしまいたいが

「起きてんのは人型に戻っているからバレてるぞ、狼男」
「…チッ」

 舌打ちしつつ瞼を開ければ、目の前に初老の着物を気崩した男、時雨が立っていた。全面コンクリートで覆われた狭苦しい場所で奴と二人きり。しかも、唯一の出入り口と思わしき扉は時雨の背後にある。状況を理解するのと同時に、首の重さに気付いた。肩こりとはレベルの違う、あからさまな重さに視線が下にいく。

 チャリ…

 丈夫そうな鉄の首輪がはめられていた。しかも首輪は床と繋がるように鉄の鎖で固定されていて、仮に時雨を倒したとしてもこの首輪の鍵がなければ詰みなのだと悟る。
 (なんて最高な目覚めだよクソが)
 自嘲するように笑っていると時雨が手に持っていたバケツを床に捨てた。

「やれやれ、いつからここは猛獣エリアになったのか…壁を替えるのもなかなか大変なんだぞ」

 奴の言うように、コンクリートの壁には数え切れない程の爪痕が残っていた。大型の獣が暴れたような鋭く深い爪痕。気絶しそうなほどの眠気のおかげでその犯人は明確だった。どうやらオレは龍神組に捕まった後、狼化して暴れ狂っていたらしい。

「用件はなんだ」
「用件?」
「てめえらヤクザは、用がない人間は始末するはずだ。オレが今生かされてるって事はつまり、生かす理由…聞きたいことがあるって事だろーが」

 オレには忠誠を誓う相手もいない。ペラペラ話してやるぜ。そう付け足せば時雨は意外そうな顔をした。

「殊勝な心掛けだな。犬のわりに頭が回るらしい」
「誰が犬だあッ!」
「だが、残念だがお前から聞きだしたい情報はない。取引にお前の命が含まれていたから部屋に隔離しているに過ぎん。今外に放てば一時間もせず狼化して狐ヶ崎に始末されてしまうだろうからな。それでは奴との取引を守れん」
「取引だあ??何の話ー…」

 ガチャン

 時雨の背後にあった扉が大きな音を立てて開いた。そこからすらりと背の高い男が入ってくる。

「グレイ・リシュタール、早かったな。もう少しかかるかと思ったが…依頼は完了したのか?」
「じゃなかったらここに来れてないでしょ。全て取引通りしっかりやったわ。気になるなら組の子達に聞いてみなさい」

 グレイの言葉に、今度は時雨が扉を開けて出ていく。何が何だかと混乱しているとグレイが前開きのシャツとズボンを投げてきた。今更ながら真っ裸だったことに気付く。

「早く着なさい。そのまま外に連れ出したら今度は警察に連れてかれちゃうわ」
「うるせえなッ!オレだって破りたくて破ってんじゃねえよ!つーかグレイ、てめえがなんでここに?今は何日だ??状況は、ライはどうなってやがる?!」
「一気に質問しないで。せっかちはモテないわよ」
「茶化してねえで答えろ!」

 最後に記憶が残ってるのは不死身野郎とシュウの三人で廃ビルに逃げこんだシーンだ。あの時、シュウの声につられて階段を上がっていったが、それ以降の記憶が全くない。多分そのタイミングで狼化したのだろう。グレイは渋々といった感じに時計を見せてくる。

「今は○月○日の16時。リリイの店であんたと分かれてから約三日って所かしら」
「三日ああぁ?!」

 狼化して意識を失ってからそんなに時間が経ってたのか。どうりで意識を失いそうな程の眠気を催してるわけだ。
 (三日か…)
 三日もあればかなり状況は変化するだろう。ライや不死身野郎、シュウはどうなったのか。

「全員無事よ。どこにいるかは知らないけど誰かが死んだって情報は流れて来てないわ。むしろ龍神組に捕まったあんたが一番危険な状態だったぐらいで、フィンもシュウもぴんぴんしてるはず」
「んだよ捕まってんのはオレだけかよ…格好悪いな…」
「あんたはあたしがいないと狼化が確定しちゃうから仕方ないわね。どっちかと言えばあたしの過失よ。証拠を探すとか自信満々で飛び出しておいて速攻龍神組に捕まっちゃってごめんなさいね」
「けっ」

 連絡が一切ないから心配したが、龍神組に捕まっていたのなら納得だ。生きてたならいいっつの、と心の中でぼやいてからグレイに話の続きを催促した。

「他は大きな動きはないわ。強いて言うなら学生達が荒れてるわね」
「学生?ヤクチューの奴らか」
「そう、どうやら継続的に薬を飲まないと催眠も効かなくなるみたいで…今までみたいな統率のとれた暴れ方ではなくなってるわ。今日なんか各所で派手な喧嘩が起きてるらしいし、ヘブンの一件が明るみに出るのも時間の問題ね。…ま、狐ヶ崎に都合のいい形に揉み消すんでしょうけど」
「…」
「ソル?聞いてる?」
「いや…、薬について、てめえに言う事があったような気がしてよお…」
「なによそれ、気になるじゃないの」
「ううーん…」

 喉元まで出てきてるのに思い出せない。いかんせん狼化すると記憶が混同して、自分の記憶なのか狼の記憶なのかただの妄想なのか区別がつかなくなる。誰にでもなく舌打ちしていると

 ガチャン

「確認が終わった。出ていいぞ」

 時雨が入ってくる。

「取引通り、龍神組はお前達を追う事はない。組の者にもしっかり守らせる。だが、狐ヶ崎の動きはオレ達にもどうしようもできん。命を狙われていると思ってしっかり逃げるんだな」

 “あの店も諦めろ"

 念を押すように忠告して、グレイに鍵を放り投げたと思えば、驚くほどあっさりと時雨は姿を消した。

「おいグレイ…今の話、龍神組を買収したって事か?とんでもねえ事やらされてねえだろうな…?」
「安心して、借金とかはしてないから。…首輪、外すわね」

 首からカチャリと鍵が外れる音がした。ゴトリと音を立てて床に落ちる。

「出るわよ」

 言われるまま部屋を出ると窓のない廊下が続いていた。目印も何もない暗い廊下をグレイはどんどん進んでいく。慣れた様子で龍神組の施設を歩く姿は明らかに“関係者”だった。

「さっきの話といい、時雨との雰囲気といい…やけに龍神組と親しそうじゃねえか。まさか組の回し者とか言うんじゃねえよなあ?」
「……過去に少し関わっただけよ。今回もそのツテで取引を行わせてもらったの。関係が後を引くのが嫌だったから即金で支払おうと思ったけど…足りなかったから労働で払う事になって」

 元々は情報代だけのはずが、狼化したオレが龍神組に捕まってその回収分と、ついでに龍神組に手を引いてもらうようお願いした分も追加になったと。

「結構無茶振りみたいな取引になったから、実はこの三日、働き詰めで寝れてないのよね」
「そりゃご苦労なこった…で、三日も何やらされてたんだよ?」
「殺し以外の雑用全般ね。実戦もあったけど、霧で要人を眠らせたり、夢で誘導して情報を吐かせたり、軽く洗脳したり、武器持ちの敵対組織を霧で制圧したり…」
「え、えげつねえ…」

 そっちのプロになるつもりかてめえは…とげんなりしたところで、廊下の突き当たりにエレベーターが見えた。中に入ると一階ボタンが点灯している。数秒程上昇する感覚を味わい、次の瞬間には何の変哲もない雑居ビルの一階で扉が開いた。今更だがエレベーターの階数ボタンには地下の表示がない。戻る事はできないらしい。…まあ、戻る気は更々ないが。

「さてと、あんたを無事に回収したところで…これからどうしようかしら」
「どうって逃げねえのか?」

 “店を諦めろ”という時雨の忠告に従うなら、オレ達は今すぐにでもこの場を離れて、ほとぼりが冷めるまで日陰者として静かに暮らすべきだろう。

「逃げたいのは山々なんだけど、取引した情報の中に…ライの話もあって」
「お!マジか!!」
「なんとか生きてはいるみたいよ。でも…結構、危険な状態みたいで…可能性は低いけどこのまま殺される事もありえるって」
「!?」

 監禁までは想像がついたがまさか殺しかけてるとは思わなかった。こんなバカでかい事を仕掛けた重度のストーカーが囲ってんだから、行動が振りきっててもおかしくない。そんな事わかりきっていたのに、オレ達はあのガキを舐めすぎていたらしい。

「あたしのせいだわ。もしもあの時フィンを引き止めなかったら…すぐに追わせていたら……ライを助け出せていたかもしれないのに……」
「もしもの話をしても仕方ねえだろ?今から助けに行きゃいいだけの話だ」
「…」

 グレイは煙草をふかしたまま黙り込んでしまう。
 (なんだぁ…?)
 やけに大人しいというか、奴らしくない。またケツを叩かれたいのだろうか。

「はあ~…まさかまだ迷ってんのかよ?追わせなかったのを後悔してるんだろ?」
「…後悔してるからこそよ。自分の判断に自信が持てないの。帰る場所であるお店も失っちゃったし…そもそも生きて街を出られる確証もない。ライにとっては地獄から地獄に移動するだけかもしれないわ」
「だとしても狐ヶ崎よりは良いだろ。オレらの所にいりゃ死にはしねえんだ」
「そうかも…しれないけど…」
「そんな事よりどう助けるかを考えた方が建設的だぜ。策もなく狐ヶ崎の屋敷に突っ込めば蜂の巣だ。龍神組は協力してくれねえんだろ?」
「ええ、あたし達を追う“フリ"をしてもらうので精一杯」
「じゃあオレとてめえの二人で救出するって事か?二人じゃ陽動もできねえ。どう考えても無理ゲーだろ」

 せめて不死身野郎を加えるべきだ。奴なら不死身だしそこそこ戦闘もできる。何より喜んでライの為に命を捧げるだろう。
 (…正気が戻ってたらの話だが)
 最後に見たシュウと絡む姿を思い出し「うげえ」と舌を出した。

「そうね。習性で狂っちゃってるフィンも流石にライの現状を聞けば手伝ってくれるとは思うけど…連絡手段がないからどうしようも……ああもう、こういうはぐれた時本当に不便ね。スマホを持たせておけばよかったわ…!」

 機械音痴のグレイが珍しく機械の重要性をぼやいていた。これを機に全員に機械化を進めるべきだろうが、ふと、気づいた。
 (あれ…)
 弾かれたように全身を確認する。ズボンや胸ポケットをまさぐる…が何も入れられておらず
 
「ああっ?!!スマホ!オレのスマホがねえッ!!!」

 半狂乱で叫ぶ。まさか龍神組に捕まった時に奪われたのか。いや、狼化してたらそもそも服と一緒にどこかに落ちてる可能性もある。かなり絶望的状況だが最後の頼みの綱としてグレイに縋りついた。

「グレイ!!オレのスマホはどこだ!??」
「え?…あんたの荷物があるなんて龍神組から聞いてないわよ…その服はここに来る途中で買った奴だし、どっかで落としたんじゃないの?」
「ンだとおぉぉぉ!!!!!」

 手元に電子機器がないとわかった瞬間、一気に不安が溢れてくる。そわそわするなんて生易しいものではない。生きた心地がしない。そんなレベルだ。

「おい!グレイ!!タクシー呼べ!!今すぐ店に戻るぞ!!」
「何言ってんのよ。あたし達が店に行ったら目立つってレベルじゃないでしょーが。狐ヶ崎に捕まりたいの?」
「うるせえ!知るかあ!!スマホがねえとオレは何もできねえんだよ!!酸素がねえのと同じだああっ!!てめえオレを殺す気かああ??いやもういい!いっそ殺せ!!殺してくれええええッ!!」
「……あんたそれ“携帯依存症”っていうのよ?」

 心配するような顔で見つめられ「こんな時にマジレスすんじゃねえッ!!」と噛みついた。



 どさり

 店の前にいた狐ヶ崎の見張り二人をグレイの霧で寝かして左右を警戒する。人が集まってくる気配はない。まさかオレ達が店に戻って来るなんて予想してなかったのか見張りはこの二人だけらしい。好都合だ。黒焦げの店を外から回り込む形で裏庭に入った。裏庭は火事の影響はほとんどなく地下室への扉も綺麗なままだった。問題なく扉は空き、目的の機材を回収していく。もちろんスマホも回収した。
 (これこれ)
 手の中に電子機器が収まる事ですごく気分が落ち着いた。

「うっし!これでやっと人間に戻れたぜ!」
「依存症の人間に、でしょ」
「うるせえい!」

 地下から出ようとした瞬間、ふと、視界がグラりと揺れた。

「っ…!」
「ちょっと、大丈夫?」

 スマホを確保した安心感からか、睡魔がどっと襲ってきた。グレイが同情するように見てくる。

「店を離れたらどこかで仮眠をとりましょう。三日も寝てないんだから…このままじゃあんたが倒れちゃうわ」

 頭痛がする程の眠気にオレは頷くことしかできなかった。手を見れば異常なほど爪が伸びている。多分耳と尻尾も生えているのだろう。重い体を引きずるようにして階段をのぼった。

 ジャリッ

 狼化した状態で裏庭の地面に降り立った瞬間、何かの記憶が甦ってくる。

 ザザッ…

 同じ場所同じ角度で裏庭に立っている記憶だった。だが、目線はやけに低く、四つん這いの状態なのだとすぐにわかった。
 (…てことは、狼の方の記憶か?)
 狼化したオレは追われの身でありながら一度店に来ていたらしい。まあ狼なら巣に立ち寄る習性があってもおかしくないが。

「ちょっとソル、なに棒立ちしてんのよ、本当に大丈夫?」

 グレイの声をBGMに、脳内で記憶が甦っていく。狼は裏庭の匂いを嗅いで回った後、角の部分で地面を掘りだした。記憶はそこで途絶えたが、オレには十分だった。狼がやろうとしていた事、オレが深層心理で探していたものを思い出す。
 (そうか、そうだったぜ)
 無言のまま、記憶の中で狼が掘っていた場所へと駆け寄った。それから

 ガリガリ

 狼と同じように自分も掘り返す。グレイは横で目を丸くしていたが、止めようとはせず静かに見守っていた。

 ガキン

 爪が固い物にぶつかった。…やはりあった。オレは妙な確信を得ながら缶の中に入れられていた“ソレ”をグレイに押し付ける。

「ほらよ」
「あんた、これ…!」
「さっき言おうとしてた事、思い出したぜ。狼男になってる時に拾ってさ、これがありゃ少しは進展するんじゃねえかと思って、隠しといたんだよ」
「…ソル」

 ガタンッ!!

「「!?」」

 おもむろに店の方から大きな音がした。何かがぶつかるような音だった。グレイと顔を見合わせる。
 (店の中に誰かがいんのか…?)
 グレイが緊張の面持ちで裏口の扉に手をかけた。

 ガチャリ…

「フィンさんのばかっ!なんでそんな事言うんですか!」

 焦げ臭い廊下から言い合うような声が響いてくる。

「シュウ、落ち着いてくれ。私は別にシュウを拒絶したわけではない」
「同じですよ!俺、今すっごくショック受けたんですから!」
「シュウ…!」

 廊下を進んだ先の店内で不死身野郎とシュウが言い合っていた。こんな焦げ臭い場所で何やってんだかとグレイと二人して呆れていると、不死身野郎の目がこちらに向く。

「グレイ!よかった…無事だったのか」
「一応ね。それよりあんた達、今の状況わかってるの?あたし達も人の事言えないけどさ、ここって戦場のど真ん中みたいなものよ?言い合ってる場合?」
「すまない。どうしても店に行きたいと言って聞かなくて…」
「違います!俺が行きたかったのは店じゃなくてフィンさんの部屋です!そこでやろうと思ったのに…突き飛ばされてっ」
「シュウ、聞いてくれ。あそこの部屋は私以外も利用するのだ。流石に許可なくシュウを寝かせることはできない」

 (お…?)
 不死身野郎の言葉に少しだけ正気の色が見え隠れしている。この三日でメンヘラ習性が抜けかけているのか。シュウは不機嫌な様子のまま「フンっ」と鼻を鳴らしそっぽを向いた。

「もういい!フィンさんなんか知らない!!」

 怒りのままシュウは店の外へと出ていってしまう。

「待て!シュウ!」

 慌てて不死身野郎が追いかけた。いくら習性が落ち着きかけていても執着は消えないらしい。呆れるグレイと共にオレも外に出た。

「シュウ!話を聞いてくれ、私はっ」
「嫌ですっ!聞きたくありません!!」
「シュウ!」

 店の外の路地で、奴らはまだ言い合っていた。さっさと突き放せばいいものを…とあくび交じりに眺めていれば

 たったっ

 遠くから、近付いてくる足音が聞こえてきた。途端にその場にいた全員が息をひそめ、路地の奥へと視線を向ける。追っ手か。通りすがりの酔っぱらいか。
 (それとも…)
 足音はすぐそこまで近付き、やがて、姿を現した。

 ざっ

「!?」

 学生だった。しかもただの学生じゃない。狐ヶ崎の高校の制服を着た“ライ"だった。
 (はあ???)
 背が縮んで一回り小さくなったライと目が合いドキリとする。「高校生ライやべ~ブチ犯してえ~」なんて不穏な思惑が一瞬頭をよぎったが、今はそれどころじゃないと頭を振った。
 (変化できるのは狐ヶ崎一族だけだ…まさかライに化けて…いや、ライの匂いもちゃんとするな…)
 何よりオレ達を見て酷く動揺してる姿はライそのものだった。あの反応は他人にはできない。目の前の男がライなのはわかったが、“コスプレ”の度合いを優に超えた変化に驚きを隠せずにいると

「…ライなのか?」

 全員が動揺し凍り付いてる場面で、流石と言うべきか、誰よりも先に不死身野郎が駆け寄っていく。

「…ライ?」

 恐る恐る手を差し伸べれば

 バシッ

「触んなッ!!!」

 その手は強い拒絶反応と共に振り払われた。そのままライは後から現れた狐ヶ崎のガキの腕の中に収まり、人形のように大人しくなった。まるで洗脳でもされたのかと疑いたくなるレベルの変わりっぷりに眉をひそめる。
 (ありゃ見た目より中身の方が重症そうだな…)
 
 プップー!!

 後方から黒塗りの車が迫ってきた。見張りから連絡が途絶えた事で援軍を回したらしい。車を見るとすぐに、ライと狐ヶ崎のガキは逆方向に走りだした。

「おい!待ちやが」

 ズガシャン!!!!

「…れ?」

 事故でも起きたのかと思える程の破壊音についつい台詞が途切れた。振り向けば

「…お、おいおい」

 グレイが黒塗りの車のボンネットに乗り上げて、両手を運転席と助手席にフロントガラスを突き破る形で突っ込んでいた。え、フロントガラスってめちゃくちゃ固いんじゃなかったっけ…?と青ざめる。組合員二人は頭部を掴まれゼロ距離で霧を浴びせられたのか悲鳴をあげる間もなく気絶されられていた。…いや、もしかしたら車に飛び乗って頭部を掴まれた“恐怖”で気絶したのかもしれないが。そう思えるほどグレイの背中は恐ろしい殺気を纏っていた。

「……そいつら、永遠の眠りにつかせてねえだろうな…?」
「大丈夫よ。一週間ぐらい目が覚めないだけで命に別状はないわ」

 “それは大丈夫じゃねえだろ"

 と言おうとしたが、自分の命を守るためにも黙っておいた。今目の前で車のガラスを粉砕させたグレイは確実に悪魔…いや、魔王状態である。触らぬ魔王に祟りなし、だ。

 どさっ

 今度はなんだと振り返れば不死身野郎が路上で蹲っていた。頭を押さえ苦しんでいる。

「ぐっ、うう…ッ」
「おい、不死身の癖にどっか痛めたか?」
「ううっ、ぐう、わた、こ、い、び、は…」
「はあ?何言ってんだ」

 今度こそバグったのかと遠巻きに見ていると、不死身野郎はフラりと立ち上がり、よろよろと歩き出した。横顔しか見えなかったが、完全に目がイっていて、ヤク中の末路みたいになってる。

「あ、い…ら、し、…、う…」

 奴は意味不明な事を言いながら路地の曲がり角の先に消えた。今更だがシュウの姿も消えている。どさくさに紛れて逃げたらしい。グレイの方に向き直れば、オレと同じように不死身野郎を確認していた。だが追いかける気配はない。グレイにとっても不死身野郎の保護はタスクとしてかなり低い位置にあるのだろう。まあ、不死身だし当然か。

「あーあ、行っちまった。つーか、今のライ見たかよ?やべえぞあれ」
「ええ…あの感じ薬を使われてるわね」
「ははっ、ヤクザの玩具ってわけだ。龍神組の情報も馬鹿にならねえなあ。大層“大事に”されてるらしい」
「ええ、でも好都合よ」
「好都合?」

 バキキキッ

 恐ろしい音と共にグレイは腕を引き抜いて、ガラスを飛び散らせる。車内で気絶したままの組合員二人に無数の破片が降り注ぐ様は少し同情した。

「“狐ヶ崎に残りたいかも"って悩まなくてよくなったんだから…やりやすくていいわ。あんなの見せられたら拐うしかない」
「ああなるほど(吹っ切れたって事ですかぁ)」
「よくもあたしの可愛い従業員を薬漬けにしてくれたわね…狐ヶ崎組にはお店の事で色々お世話になったけど…もう許されないわ……」

 ピリピリッ

 自分に向けられてるのかと錯覚する程の強い殺意が路地に充満する。どうやら魔王は爆発寸前らしい。“店を守る為に”という唯一の理性を失った魔王はこれからどんな行動をとるのか、全く予想がつかない。なるべくなら避難してしまいたいが、

「ねえ、ソル」

 おもむろに低く呼び掛けられ、後退っていた足が止まる。びくりと震えた後、なんだ、と顔を上げれば

「あんた、あたしと一緒に地獄に行く気はある?」
「…地獄の種類による」
「下半身は天国」
「ノった」

 即答する。ヤクザに命を狙われるのは恐ろしいが、目の前の男を敵に回す方がよっぽど恐ろしい事をオレは知っていた。

「魔王の犬になってやってもいいが、つまんねえ地獄だったら噛みついてやるぜ」
「上等よ…楽しい地獄を見せてあげるわ」

 そう言って魔王は凶悪な笑みを浮かべるのだった。


 ***


 屋敷に戻るとユウキはやることがあるのか本邸の方へと姿を消した。俺は柴沢に連れられるまま、風呂にいき怪我の手当てをされた。ボーっと処置された手を見つめていると

「ライ様、ここでは風邪を引きます。離れに行きましょう」
「…っ!!」

 離れという言葉に体が反応する。今までずっと従順だった体が恐怖でガタガタと震え始めた。行きたくない。あの部屋に、あの場所に行きたくない。

「はっ、はあっ、はっ…」

 過呼吸を起こしてると柴沢が背中をさすってくる。このまま救いだしてくれないかと淡い願望を抱いたが、廊下を歩いていたユウキが視界の端から駆け寄ってくる。

「ライ、大丈夫?」
「…ゆ、き…」
「柴沢はもういいよ。俺が連れてくから」
「わかりました」

 柴沢が離れるのと同時にユウキの腕の中に捕えられた。ガチリと体が石化したように動かない。夕方ユウキを殴り付けていた自分が奇跡のように思えた。

「ライ、行こう」

 おいでと腕を引かれる。首を横に振った。嫌だと、心が叫ぶままに拒絶し、踏ん張った。

「大丈夫だよ。もう薬は使わないし、寝るだけだから」

 信じられるわけがない。またいつ外に出してもらえるかわからない。そして何よりも、暗い部屋の中で自分を失わされる恐怖を思いだし、もうあんな思いはしたくないと首を振った。

「…ライ」

 ユウキは静かに名前を呼ぶだけで無理やり連れていこうとはしなかった。どうやったってここからは逃げられない。駄々をこねても時間が無駄に過ぎていくだけ。そんな事わかっている。
 (だからって…大人しくあの部屋に行ける程、イカれてない…)

「ライが嫌な事はしないよ」
「…」
「本当だって。ちゃんと寝ておかないと明日動けないよ。皆を助けたいんでしょ?」

 優しく手を引かれる。どれだけの恐怖を感じても、調教された体はその腕を振りほどけない。俺は何も言えぬまま離れに連れていかれた。



 ぺたぺた

 裸足のまま廊下を進む。監禁に使われた方ではない部屋に連れ込まれた。朝出た時は酷く汚れていたのにゴミは全て片付けられ綺麗に整えられていた。それがまた「使用してください」と言われているようで嫌だった。

 スッ

 ユウキが後ろ手に障子をしめた。一気に外の世界から遮断され恐怖に固まっていると、布団に押し倒された。

「なっ…!」
「ライ、横になってリラックスして」

 そういってすり寄ってくる。掌が膝に触れるだけで寒気がした。廃工場で噛まれた以来の色気のある接触に、震えていた喉が動き始める。

「やめ、ろッ!!」

 叫びながら目の前の腹を蹴った。ユウキは呻いた後、酷いなあ…と呟く。

「そんな興奮状態じゃ寝れないでしょ?昼間あんなに暴れてたから体も心も寝る体勢に入ってない。少しリラックスした方がいいよ」
「だからって…こん、なっ」
「じゃあ何をしたらライは寝れるのさ。みた感じアロマでリラックス…なんてレベルじゃない。お風呂もご飯もダメなら…セックスしかないと思うけど…ライは嫌でしょ?」

 当たり前だと拒否すれば、ユウキは苦笑を浮かべつつ「じゃあ自慰しかないじゃん」と笑う。言い分はわからなくもないが、だからって何故ユウキに触られる必要があるのか。

「今のライじゃ自分でやれないと思うよ?」

 自慰ぐらい一人でできる。そう言おうとしたが、続きの言葉は出てこなかった。
 (できるのか…?)
 立て続けに色々な事が起きて、心はぐちゃぐちゃで、こんなメンタルで自慰が成立するのかと恐ろしかった。

「やってみたら?」

 ユウキに促され、普段の俺ならなんでお前に見られながらやらないといけないんだと蹴り飛ばしていただろうが、今の俺にはそんな余裕はなかった。

「…」

 浴衣をずらして、自分のを触ってみる。
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