前世で私を捨てた皇太子が、今世ではなぜか執着してきます。でも私は静王妃なので『皇叔母様』と呼ばせます

由香

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第7話 狂う執着

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夜の東宮は静まり返っていた。

灯籠の火が風に揺れ、長い回廊に橙色の影を落としている。

その奥で、男が一人立っていた。

皇太子。

周囲には誰もいない。

だが彼の呼吸は荒く、まるで長い戦から戻った兵のようだった。

「……沈薬」

かすれた声が夜に溶ける。

彼の手は震えていた。

夢ではない。

もう分かっている。

あれは夢ではなかった。

前世の記憶。

すべてが戻ったのだ。

沈薬。

あの女。

自分の妃。

自分のものだった女。

そして――

自分が捨てた女。

皇太子は額を押さえた。

「……どうしてだ」

記憶が胸を抉る。

前世の宮廷。

栄華。

権力。

自分は皇帝となり、天下を手に入れた。

だがその代わりに――

沈薬を失った。

最初は小さな亀裂だった。

側室たち。

寵愛。

疑念。

沈薬の静かな瞳。

何も言わない女。

だがその沈黙が、なぜか腹立たしかった。

そして最後。

彼は彼女を冷宮へ送った。

罪名は――

謀反。

だがそれは嘘だった。

ただ、鬱陶しかっただけだ。

沈薬が自分を見透かしている気がしたから。

そして数年後。

彼女は死んだ。

孤独の中で。

皇太子は拳を握りしめた。

「……違う」

低い声が漏れる。

違う。

違う。

違う。

沈薬は自分のものだ。

最初から、ずっと。

彼女は自分を愛していた。

なのに。

どうして今世では――

静王を選んだ。

静王。

謝淵。

あの男。

皇帝の弟。

戦で負傷し、長く昏睡していた男。

宮廷ではすでに影のような存在だった。

だからこそ沈薬は選んだのだろう。

安全な相手。

静かな暮らし。

皇太子は笑った。

だがその笑いは歪んでいた。

「……逃げたのか」

沈薬。

お前は逃げたのか。

自分から。

自分の愛から。

その時だった。

足音が聞こえた。

「殿下」

側近の宦官が跪いた。

「何だ」

「静王の件で報告が」

皇太子の瞳が細くなる。

「……言え」

「静王はすでに回復され、政務にも復帰されるそうです」

沈黙。

そして。

皇太子はゆっくり笑った。

「……そうか」

回復した。

つまり。

沈薬は今――

あの男の妻として生きている。

胸の奥で何かが焼けた。

怒り。

嫉妬。

そして。

理解できないほどの執着。

皇太子はゆっくり呟いた。

「沈薬は……幸せそうか」

宦官は少し迷った。

だが答えた。

「……はい」

その瞬間。

皇太子の手が机を叩いた。

乾いた音が響く。

「幸せ?」

低い声だった。

「沈薬が?」

宦官は震えた。

皇太子の目は狂気を帯びていた。

「……おかしい」

彼は呟く。

「沈薬は私のものだ」

静かな声。

だがその奥には狂気がある。

「どうして静王の隣にいる」

沈薬。

お前は私の妃だった。

誰よりも近くにいた女。

なのに。

どうして今は――

皇叔母などと呼ばれている。

思い出す。

宴の席。

沈薬。

静王の隣。

落ち着いた微笑。

皇太子を見ても、何の感情も浮かべなかった目。

あの目。

あれは――

他人を見る目だった。

皇太子は歯を噛み締めた。

「……許さない」

沈薬が自分を忘れること。

それは。

皇太子にとって――

最大の侮辱だった。

「準備しろ」

彼は宦官に言った。

「は?」

「宮廷の宴を開く」

皇太子はゆっくり微笑んだ。

「静王夫妻も招待しろ」

宦官は顔色を変えた。

「殿下、それは……」

「聞こえなかったか」

冷たい声。

「招待しろ」

沈薬。

お前は逃げられない。

前世でも。

今世でも。

お前は私のものだ。

皇太子は夜空を見上げた。

月が冷たく輝いている。

「沈薬」

静かな囁き。

「今度は逃がさない」

その言葉は風に消えた。

だがその執着は、確実に宮廷の闇を広げ始めていた。




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