『後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました』

由香

文字の大きさ
7 / 10

第七話 鬼将軍、妻を失う恐怖

しおりを挟む

 異変に、最初に気づいたのは玄耀だった。

 朝餉の席。
 いつもなら黙々と箸を進める紗月の手が、途中で止まっている。

「……紗月」

 呼びかけると、彼女は一拍遅れて顔を上げた。

「はい?」

 微笑んではいる。
 だが、どこか輪郭が曖昧だ。

「昨夜、眠れなかったのか」

「いえ……少し、考え事を」

 そう言って、また箸を取る。
 だが、今度は一口も食べきれず、そっと置いた。

 玄耀の胸に、嫌な感覚が走った。



 昼前、鍛錬場での訓練を終えた玄耀のもとに、女中が駆け寄ってきた。

「将軍様、奥方様が――」

 その言葉を聞き終える前に、玄耀は走り出していた。

 紗月は、庭の一角に座り込んでいた。
 顔色は白く、呼吸が浅い。

「紗月!」

 抱き起こすと、彼女はかすかに目を開けた。

「……大丈夫です」

 その声は、あまりにも弱い。

「どこが大丈夫だ」

 怒鳴るような声になってしまう。

「すぐ、医師を――」

「いけません」

 紗月は、玄耀の袖を掴んだ。

「これは……呪いの反動です」

 玄耀の喉が、鳴る。

「あの時の……代償か」

 紗月は、ゆっくりと頷いた。

「急に、来るわけではありません。ただ……」

 視線を逸らす。

「少しずつ、“人としての時間”が削られていく」

 その言葉は、刃だった。

「……なぜ、黙っていた」

 震えを抑えきれない。

「言えば、あなたは、私を遠ざけるでしょう」

 紗月は、静かに言った。

「それは、嫌でした」

 玄耀は、言葉を失った。



 その夜、玄耀は眠れなかった。

 紗月が隣の部屋で休んでいる。
 それだけで、胸が締めつけられる。

(失う……?)

 そんなこと、考えたこともなかった。

 戦場では、死は常に隣にあった。
 兵を失い、仲間を失い、
 それでも、前へ進んできた。

 だが――

(紗月は、違う)

 彼女は、守るべき民でも、
 従う兵でもない。

 選んだ存在だ。

 気づけば、玄耀は自嘲していた。

「……遅すぎるな」

 自覚した時には、
 すでに失う恐怖に囚われている。



 数日後。

 北境の村で、今までにない強い怪異が発生したとの報せが届いた。

「俺が行く」

 玄耀は即断した。

「私も」

 紗月が、迷いなく言う。

「駄目だ」

 即座に否定する。

「今のお前の状態で――」

「だからこそ、です」

 紗月は、真っ直ぐに玄耀を見た。

「これは、私の責任でもある」

 沈黙。

 玄耀は、歯を食いしばった。

(まただ)

 守りたい。
 だが、縛りたくはない。

「……条件がある」

 低く言う。

「少しでも異変があれば、即座に撤退する」

「はい」

 その返事は、穏やかだった。



 村での怪異は、予想以上に強かった。

 鬼の気に呼応し、
 異形と化した怨霊が、夜の村を徘徊している。

 玄耀が前に立ち、紗月が結界を張る。

 連携は、完璧だった。

 だが――

 儀の最中、紗月の膝が、崩れた。

「紗月!」

 結界が揺らぐ。

 その瞬間、怪異が、紗月へと牙を剥いた。

 玄耀は、考えるより早く動いていた。

 鬼の力が、解放される。

 影が膨れ上がり、夜が震える。

「――触れるな」

 怒りと恐怖が、力を押し上げる。

 怪異は、悲鳴すら上げず、消え去った。

 だが。

 玄耀の腕の中で、
 紗月が、ぐったりと力を失っていた。

「紗月……!」

 呼吸はある。
 だが、あまりにも浅い。

(嫌だ)

 胸の奥から、初めての感情が溢れ出す。

(失いたくない)



 屋敷に戻り、
 紗月は寝台に横たえられた。

 玄耀は、傍を離れなかった。

「……将軍様」

 かすれた声。

「玄耀だ」

 即座に答える。

「……玄耀」

 その名を呼ばれるだけで、胸が痛む。

「怖いですか」

 紗月が、微笑む。

「あなたが?」

「……あなたを、失うことが」

 紗月は、少し驚いたように目を見開き、
 やがて、柔らかく笑った。

「それは……恋ですね」

 玄耀の心臓が、強く打った。

「私は」

 紗月は、そっと続ける。

「その恐怖を、あなたに与えてしまったことを、後悔していません」

「なぜだ」

「確かに愛されることは、恐ろしいけれど……」

 視線を、真っ直ぐに向ける。

「それは生きてきた証ですから」

 玄耀は、紗月の手を、強く握った。

「……俺は」

 言葉が、震える。

「お前を、失う結末を選ばない」

 それは、将としてではなく。
 鬼としてでもなく。

 ただ一人の男としての、誓いだった。

 紗月は、安心したように目を閉じる。

 その寝顔を見つめながら、玄耀は悟る。

 ――これはもう、契約婚ではない。

 恐怖と引き換えに得たものは、
 確かに、“愛”だった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『雪嶺後宮と、狼王の花嫁』

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀! 片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。 貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。 しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。 利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。 二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー? 曄琳の運命やいかに!

「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!

野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。  私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。  そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

『後宮に棲むは、人か、あやかしか』

由香
キャラ文芸
後宮で消える妃たち。 それは、あやかしの仕業か――人の罪か。 怪異の声を聞く下級女官・鈴華と、 怪異を否定する監察官・凌玄。 二人が辿り着いたのは、 “怪物”を必要とした人間たちの真実だった。 奪われた名、歪められた記録、 そして灯籠に宿るあやかしの沈黙。 ――後宮に棲むのは、本当に人ならざるものなのか。 光と闇が交差する、哀切の後宮あやかし譚。

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

【完結】男装の側近 〜双子の妹は腹黒王子の溺愛からは逃げられない〜

恋せよ恋
恋愛
「お前、なんだか......女っぽいよな?」 病弱な兄の身代わりで、男装し学園に入学したレオーネ。 完璧で美麗な騎士「レオン」として、 冷徹な第二王子・マクシミリアンの側近となったが…… 実は殿下には、初日から正体がバレていた!? 「俺を守って死ぬと言ったな。ならば一生、俺の隣で飼い殺されろ」 戦場では背中を預け合い、寝室では甘く追い詰められる。 正体がバレたら即破滅の「替え玉側近ライフ」は、 王子の執着全開な溺愛ルートへと強制突入する――! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

処理中です...