ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 しばらくとりとめもない思考を遊ばせていた尚澄は、ふと時計を見やり、はがきを手帳に挟みなおして鞄にしまう。まだ日が高いが、浜島がそろそろ帰ってくるような気がしたのだ。

 この日は、小岳平にようやく除雪機が貸し出される日だった。
 そもそも町役場は冬季の備えとして数台の除雪機を持っていた。しかし、周辺集落との兼ね合いやその他諸事情のため、小岳平に貸し出し順が回ってくるのは後回しになっていた。その順番が、ようやく今日回ってきたのだという。
 昨日のうちにムラには報せが来ていて、「これでちょっとは楽になるな」と、浜島は昨晩いたく上機嫌にしていた。
「雪も止んだし、やっとあんたを山から下ろしてやれるよ。待たせて悪かったけど、その気になれば今日でも明日でもいけるかもな。今日はきっと早く帰ってくると思うんだけど、そしたらその話もしなきゃね」
 今朝方も浜島は、雪がやんでいることを喜びながら、そんなふうに笑いかけてきた。
 そうだねと頷きながら、尚澄は虚を突かれたような気持ちになっていた。
 除雪の負担が減れば浜島の身動きがとれるし、尚澄がここにとどまる理由もなくなる。
 当然の話だ。時々そうした話題も出ていた。
 なのに、尚澄は小岳平を……浜島の家を離れることに、どうにも現実味を感じられなかった。

 いつでも山を下りられるように準備はしてきた。あまりにも無計画に移動してきたことを反省して、浜島が留守の間、西上津町の霊園を電話帳や借りた道路地図からピックアップする作業も続けてきた。だからもうここを離れてもなにも問題はない。完全に絞りきれてはいないが、勇斗の墓にはきっとそう時間もかからずたどり着けるはずだ。
 けれどたとえば明日、壁のように積み上げられた雪の合間をくぐり、あの浜島の軽トラに乗って山を下りていくという想像が、尚澄には難しかった。
 ずっとここでの暮らしが続いていくように、錯覚していたのかもしれない。

 勇斗が死んだと知ってからというもの尚澄を包んでいた薄い膜が、ここでは不思議とあまり意識されなかった。もとより景色が真っ白で、古い家屋もくすんでいるからかもしれないし、外界から隔絶されたような環境であるのも理由のひとつかもしれない。
 いずれにせよ、尚澄は久々に味わうその鮮明な視界に、慣れつつあったのだ。

「ただいまぁ」

 再び思考に沈み込もうとしていた尚澄の耳に、玄関の引き戸が開く音と、浜島の気の抜けた声が飛び込んでくる。
 慌てて部屋を出ると、やはり浜島が戻ってきていた。
 玄関先でごそごそと防寒着や靴を脱ぎながら、尚澄の姿を認めると彼は丸い目を自然と細めて微笑んだ。冷え込んでいたのだろう、鼻の頭や耳がずいぶん赤くなっている。ニット帽を乱雑にとると、朝にはまとまっていた硬そうな髪が、その下ですっかり乱れていた。
「や~、ずいぶん片付いたよ、雪。山道も片付けながら久々に下の集落まで行ってみたんだけど、そのまますっかり山下りられそうだったな。マジで明日にでも帰してあげられるかもしんないんだけど、いやまあその話はあとにして、ちょっと飯だけ食わしてね」
 ずっと静かだった家の中に、急に灯が点ったようだった。
 台所に大股で飛び込んでいく浜島の後ろ姿を苦笑して眺めながら、いつまでもここで世話になっているわけにはいかないのだろうが、と尚澄はぼんやり考える。

 現実的な話をすれば、この家の生活費は尚澄によってふくれあがってしまっているはずなのだ。
 それにクリスマスや年末年始といった節目も近づいていて、いつまでこの男はここにいるのだと、浜島が思わなくてもムラの誰かが考え始めるだろう。
 浜島やムラの事情だけでなく、尚澄自身も、勇斗の死を受け入れてけじめをつけ、生活に戻らなくてはならない。
 生活に戻ったあとの展望はなにもなかったが、それでも死ぬ気はないから生きていくしかないし、人生を続けるしかないのだ。いつまでも実生活から目を背けているわけにもいかない。
 まだ多少後ろ向きではあるが、生活に戻らなくてはならない、と思えるほどに復調したのは、まさにここに滞在していたおかげだな、と、尚澄は自らの思考の流れに光明のようなものを感じた。
 思いつきの墓参りに失敗したそれ自体は醜態だが、浜島のような男に拾われたのは僥倖だった。けがの功名と云うべきか。

 きっと都会で出会っていたら、少なくとも自分からは関わり合いになることのない男だっただろう。お喋りでせっかちな男と会話するなど、おそらく尚澄は得意ではない。
 けれど浜島は、確かにお喋りでせっかちだが、優しくて我慢強くもある。なにより彼のお喋りは尚澄の返答を無理矢理引きだそうとするようなものではなくて、距離感がほどよいのだ。
 もしかすると、その居心地のよさに甘えたいと思っていて、だからここを離れられると聞いたとき、はっとしたのかもしれない。尚澄はそんなふうにも想像してみる。
「霜澤さん、今日のおにぎりも旨そうだよ! ありがとね!」
 少しもしないうちに台所から聞こえてきた大声に再び苦笑しながら、尚澄は己の想像を打ち消した。
 その想像は、あまりいい考えとは思われなかった。

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