ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 西上津町というところに行きたいのだと、ひとまず尚澄は浜島に打ち明けた。
 茶の間で今後の予定を話そうという浜島の、「そもそも上津市まで送ってけばいいの?」という問いに答えるかたちで。

 彼には以前「無職になって友人に会いに来た」と事情を説明した以外、尚澄自身の事情を特に語ってはこなかった。
 今更その発言を……つまり些細な嘘を撤回するつもりもないのだが、いよいよ山を下りようという段になれば、目的地くらいは話さなくてはならない。
「西上津? 上津市じゃなくて?」
「うん。もともとそこに行くつもりだったんだけど、無計画にこっちのほうまで来たら、交通手段が全然なくなってる時間だったんだ。一応泊まりの準備はしてたし、上津市で一泊するつもりだったんだけど……あの日はホテルも結構埋まってて」
 それで飲んだくれて酔っ払って浜島に拾われたのだと、尚澄は当時の経緯も自然と口にしていた。
「そうだったんだ。確かに車持ってないと特に不便なんだよな、あの辺。電車も通ってないし、バスも本数だの時間だの不便みたいだし」
 浜島は納得したように頷いたあと、「西上津町には妹が住んでるんだけど、クルマがないと不便だっていっつもぼやいてる。山にいるのと変わらないってさ」と続けた。
「妹さんがいるの?」
「そう。三つだか四つだったか下なんだけど、もう結婚して家を出て、旦那の職場が近いからって西上津に住んでる。とはいえ同じ県内だからしょっちゅう実家にも行ってるみたいだし、実家の伝言を俺に伝えてもくるんだけどね。昔から俺に当たりがきつい奴でさ。一時期は口も利いてくれなかったくらいだけど……」
 少し黄昏れた浜島の口調に興味を抱いて、「嫌われてたんだ?」と尚澄が混ぜ返すと、彼は大げさにため息を吐く。「まあね。一方的に嫌われてたよ。今はそこそこ普通に付き合ってるけど、小学校低学年から思春期いっぱいはまあひどかったな。しかも俺には原因がないようなことでさ」
「そんなに長く?」
 浜島は大きく頷いて、「俺が東京の大学に行くって云い出してからだよ、ちょっとは喋ってくれるようになったのは」
 それはどうして? と尚澄の問いに、浜島は我が意を得たりとばかりに喋り出した。

「俺、名前が賛だろ。賛成の賛でタスク。妹は成実っていうんだけど、実が成るって書くわけよ」

 曰く、浜島姓は彼らが通っていた校区ではありふれた名字ではなく、小学生の頃には賛と成実が兄弟であることはすぐ余人の知るところとなった。
 そうだと知って名前を並べてみると、賛と成実……どうやら「賛成」をモチーフにした名前に違いないと、誰でも想像ができてしまうわけだ。
 親がどのような思いでその名前をつけたのかは判らないが(「自分の名づけの由来を調べよう! って授業があっただろ、あれで訊いたことがあるんだけど、音の響きとシャレでつけただけで別にたいした意味はないって一刀両断だったんだよ、自分の子どもの名前をシャレでつけるのって本当にどうかと思うよな」……)、小学生などというのは特にそうした音には敏感なもので、とくに低学年の成実は、賛成か反対かを問う議論のたびにはやし立てられ、賛成兄妹なんだからお前は全部の意見にハイと云え、などと訳のわからないからかいにも遭ったらしい。
 成実はその鬱憤を親ではなく、より身近で手軽な存在である兄・賛に向けた。
「お兄ちゃんが同じ学校にいるから嫌なことを云われるんだ」と責められた賛は妹を説得する言葉を持てず、「お兄ちゃんと兄妹じゃなきゃよかった、もう今日から兄妹じゃないことにする」と無視されるに至ったというわけだった。

「ひどいと思わない? 兄妹なのはどうしようもないし、同じ家に住んでるんだから学校が一緒なのも当たり前だろ。でも小学生にそんなの通じないんだよ。名前にしろ学校にしろ、とにかく俺の意思なんか全然介在してないし、俺だってまあ多少はからかわれてるって云っても全然聞いてくれなくてさ。それに妹がからかわれてるところに俺がたまたま居合わせて口出したりすると、お兄ちゃんは出てくるな! って怒られたりもして……、まあそれは賛成兄妹が揃っちゃってガキどもがヒートアップするからしょうがなかったんだけど、とにかくさんざんだったな、あの頃は……」

 最後の言葉にはかなり実感がこもっていた。
「それで人と関わるのが嫌になって、美術部で繊細な美少年してたの?」と尚澄があえてからかうと、浜島は拗ねたような目をして「それ覚えてたんだ。そうだよ。せっかく美少年だったのに暗い中学生時代だった。友達はいっぱいいたけど」と呟いた。友達が多いほうには真実味があるが、「繊細な美少年」はやはり嘘くさくて、面白い。
 確かに小学生の身からすればさんざんな出来事には違いない。しかし尚澄は、浜島のあまりの語りぶりと、小学生特有のしょうもないからかいに、悪いとは思いながらもつい笑ってしまっていた。
「まあ他人から見れば笑いごとだろうな」とぶすくれた浜島の表情もなんだか可笑しくて、「ごめん、浜島少年には深刻な出来事だったよな」と謝りながら、尚澄の笑いは引くことがなかった。変なツボにでも入ってしまったかのようだった。
 浜島はじっとりと抗議するような……ちょうど黙っているときの尚澄と似たような目をしてその様子をねめつけていたが、唐突に「あ! ちょっとそのまま」と大きな声を上げて、茶の間を出て行ってしまう。

 なにごとかと見る間に彼は二階に駆け上がっていき、ごそごそ音を立てていたかと思うと今度は駆け下りてくる。
 その手にはインスタントカメラが握られていた。
「あったわ、カメラ。ほら……、霜澤さん、そろそろ帰っちゃうだろ。だから、今の顔、写真に収めて、おきたかったんだけど……」
 急いで階段を上り下りしたためか、浜島の息は若干上がっていた。尚澄は彼の急な行動にぽかんとしていたが、そんなに焦らなくてもいいのにと自然と笑む。そこを大げさに「あー! その顔その顔!」と浜島がストップをかけるので、ますます可笑しくなって、尚澄はつい声を立てて笑った。
 光量がどうの手ぶれがどうのとばたつきながら何枚か写真を撮ったあと、「これでよし」と満足そうに浜島は、手の中のインスタントカメラを眺めた。
「これであんたが帰っても、絵の続きが描けるよ。まあ誰に見せるでもないけどさ、ちゃんと二枚目に描くから安心してよ」
 そんな浜島の言葉に尚澄は苦笑した。
 一連の流れで彼はどうやら尚澄の笑顔を描いているらしい、と判って、照れくさくもある。
「おれにも見せてくれないの?」と尚澄が問えば、「だってあんた、もうここに来る用事がないだろ」と浜島は当たり前のように笑った。
 用事がなきゃ来ちゃいけないの、と問いかけようと思ったが、もし「じゃあ来るのか」と訊かれ返したときにどう答えるつもりなのか自分でも判らなくて、尚澄は結果として、曖昧に沈黙するしかなかった。

 自分はいったい、どうしたいのか。

 根本的な疑問が、尚澄の笑みを陰らせた。

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