ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 本当に顔を出す程度でいいし、なんなら先に戻ってくれてもいいから⋯⋯と云っていた浜島がまっさきに酔い潰れ、三好家の夕食会がお開きになったのは、午後九時過ぎのことだった。
 尚澄は足元のふらつく浜島を抱えるようにして三好家を辞した。帰路の途中までは一家の面々……家長の三好岩雄とその息子である俊樹が見送ってくれたし、岩雄や俊樹は浜島の運搬を手伝おうかと申し出てくれたが、「大丈夫です、ちゃんと責任を持っておれが家に連れて帰りますから」と尚澄から提案を断り、散会となった。
「面倒頼んで悪いけど、賛をよろしくね、霜澤さん」
 そうした俊樹の声を背後に受け、軽く会釈をして場を離れる尚澄に、浜島の腕が妙に力強く巻きついていた。

 三好家での夕食は実に賑やかなものだった。
 既に顔見知りだった岩雄はもちろんのこと、彼の妻であるフミも、尚澄を招いた張本人である俊樹も、尚澄のことを歓迎してくれた。
 通された座敷の大きな卓上は、子どもの好きそうな揚げ物から田舎料理まで、色とりどりの料理や惣菜でごった返していて、盆と正月……ではなく、クリスマスと正月が一緒にやってきた、という風情があった。
「なにしろ僕らは賛がこ~んな小さい頃から知ってるからねえ。その賛が銀行マンとしてバリバリ働いてたっていう話を、まあちょっと聞いてみたかったんだ」
 普段は県内の中心都市でビジネスマンをしているという俊樹は、あまり訛りのないイントネーションで気さくに尚澄に話しかけてきた。隣で控えめに話を聞きながら食卓に目配りをしているのが彼の妻で、夫妻の息子は小学校低学年ぐらいだろうか、大人の話には興味がないように、浜島が選んで買ってきたマカロニサラダを口いっぱいに頬張っていた。
「こ~んな小さかったのは俊樹くんも一緒だろ。俺と一〇歳しか違わないんだから」
「一〇歳しか? 一〇は大層な年齢差だろ。賛が小学校に入った頃に俺は高二だったんだぞ」
「めげえ子だったねえ、小学生の賛は。いーつも俊樹の後ろについておにいちゃんおにいちゃんと歩いて、なんだってめげかったなぁ。成実ちゃんが生まれてからは成実ちゃんもヨチヨチついてきてな。三兄妹みたいだったなや」
「いやまあ確かにそういう時代もあったけどね……」
「俊樹より賛のがめげかったんで、結婚も賛の方が早いと思っとったけんじょなあ」
 岩雄の妻であるフミは、俊樹の妻とともに立ち働きながらも、合間を縫っては会話に参加してくる、朗らかな老女だった。
 食卓には買ってきた惣菜とともに彼女の料理が並び、尚澄もご相伴に預かったが、これが素朴で、美味だった。以前に「三好さんとこは丹精込めて畑をやってる」と浜島が云っていた意味が改めて理解できるような、濃い野菜の味がした。

 どちらかと云えば思い出話に終始しながらも、時折尚澄に会話の矛先が向く。
 尚澄は浜島の取引先の会社で働いていて、絵画関係の社会人サークルで親しくなった、という設定になっていた。そんなものが実在するのか、尚澄にはよく判らないのだが。
 結婚というワードを機に彼の女性関係を問われたときには緊張も閉口もしたが、幸い問われることは付け焼き刃のつじつま合わせや設定を、ほぼ逸脱しない内容だった。尚澄は気疲れを覚えながらも、途中からは正直、安心も油断もしていた。
 会話を差し向けてくるのは呼びつけただけあってやはり俊樹のことが多く、浜島やフミがそれに相槌を打つように言葉を挟む。岩雄はほとんど口を開かないものの話は聞いているようで、ニコニコ笑いながら煙草を吸い、酒を呷り、時折孫を構っては、彼のペースで浜島の杯にも酌をしていた。

 それがいけなかったのだ。

 三好家はどちらかというとうわばみ一家だった。
 尚澄は警戒する気持ちもあってあまりアルコールを摂らないようにしていたが(なにしろ自分が酔い潰れるとどうなるか、一週間前の記憶がまだ鮮明に残っていた)、浜島は注がれるまま酒を飲んでいた。最初はビール、次いで焼酎、あとは俊樹やその妻の趣味のワインも挟まっていただろうか。
 さまざまな度数の酒をちゃんぽんにして飲んでいるような状態で、浜島は見る間にどんどん酔っ払っていった。
 尚澄がいる緊張感もあったのだろう。いくら家族ぐるみの付き合いであっても、家族にすら秘している彼の性的指向については開示しているはずもなく、一方で尚澄の存在は、ある意味で秘密そのものに相違ない。
 会話をさばきボロを出さないようにする中で、浜島は自身の飲酒ペースにまで、気が回らなかったのではないか。

 やがてろれつが怪しいほど酔っ払うと、浜島は徐々にあやふやな、ある種きわどい発言をするようになってきた。
 都会じゃ男にも女にもモテた、誰とも長続きしなかったけどね、などと俊樹に語り始めたときは、尚澄も肝を冷やした(その話を打ち合わせていなかったためもある)。
 この話題は女にもモテていたくだりまで含め、冗談と誰もが受け取ったことでことなきを得たが、尚澄は浜島が自爆しないように、ときどき会話の流れを修正する必要があった。
 幸い三好一家は自分たちがうわばみだという自覚があるようで……というか、浜島がいつもより速いペースでアルコールを消費していたと気づいていたようで、「賛が完全に潰れる前に片付けっか」という岩雄の鶴の一声で、場はお開きになったのだった。

 三好家の面々と別れたあと、なんとか浜島に自らの足で歩いてもらおうと声をかけ、半ば引きずるようにして、帰路をたどる。
 脱力した浜島の身体は重たく、足取りも不安定で、とうてい尚澄ひとりが支えきれるものではなかった。平坦とはいえ雪道を歩くのにも苦労して、行きの倍以上の時間もかかっていた。
 寒さと重さで疲弊しながら、三好家の手伝いを断ったことを尚澄が後悔するのには時間がかからなかった。

 けれど、だって、断るしかないではないか。

 尚澄が引きずっている間も、微妙に意識のある浜島はにこにこと笑顔を浮かべながら尚澄に妙に甘えてきていた。
 日頃の饒舌さは鳴りをひそめているようだし、たまに喋ってもろれつが回らず、なにを云っているのかよく判らないのだが、一度聞き取れた言葉は、「霜澤さん優しくて好き」だった。
 それにとにかくべたべたと触られている。
 ずっとそういう調子だ。
 だからこそ尚澄は、三好家の面々が申し出てくれた手伝いを断腸の思いで断らざるを得なかった。

 どうやら彼は元来「甘え上戸」らしく、岩雄にしろ俊樹にしろ「またやってら」「どうせ明日にはなにも覚えてねえんだ」という反応ではあったのだが(つまり浜島は泥酔すると誰にでも好きと云っているのだろうか、というささやかな疑問が尚澄の頭をよぎった。「さもありなん」とも)、尚澄はとてもではないが平常心ではいられない。
 おそらく素面の浜島が感じていたであろう「一歩間違えれば知られてはいけないことが露呈するのではないか」という緊張感を引き受けるかたちになってしまい、一刻も早く三好家から離れたかったのだ。
「ほら、浜島さん、あとひと坂登れば家だから……、ちゃんと歩いてよ」
「んん……ごめんねぇ、霜澤さん……、俺、俺のせいで」
「いい、いい。そういうのは帰ってからね。ほら……、浜島さん、頑張って」
 今までの浜島からは聞いたことのないような、ふにゃふにゃとした猫撫で声に辟易しながら、尚澄は彼の身体を抱え直して歩みを進めた。

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