32 / 41
13-2
しおりを挟む
彼女はいったいどんな人なのだろうか。
今まではできるだけ考えないようにしていた疑問を、尚澄は頭に浮かべる。
自立志向の強い女性だと聞いていた。英語が堪能だという話もあった。直接言及はなかったが、気が強くてずけずけとものを云うような印象を、勇斗の話から抱いていた。
そんな彼女が勇斗と結婚して、いったいどんな家庭を築いたのか。
折に触れてとりとめもなく想起しては、そのたびに見ないふりをしていた。
勇斗が家庭を持つことを望んでいたけれど、その家庭で彼が幸せにしていると考えるのが、尚澄には素直に受け入れられなかった。
勇斗との関係が、過去のものではなかったから。
けれどこの日、尚澄はそうしたことを考える余裕が、少しはあった。
むろん、考えて判るようなものではない。
実際の万理江を尚澄は知らないし、子どもについても「優梨」という名前くらいしか定かではない。幸せな家族を想像しようとしたところで、思い浮かぶのはかつて勇斗が尚澄に見せていた笑顔だけだった。
そうだとしても、尚澄は、勇斗の結婚後の生活について思いを馳せていた。
そうした今までであれば苦しさをともなっていた想像を、すんなり受け入れられるのが喜ばしかったのだ。
彼の死を受け入れられそうな気も、少しばかりではあるが、してきていた。
やがてやってきた次のバスでたどり着いた先の霊園に、勇斗の墓はあった。
無宗教の公営霊園には、洋風のものや石碑めいたものなど、さまざまな墓が建ち並ぶ。
しかし管理事務所で尋ねた場所に建っていた「漆原家之墓」は、馴染みのある縦に長い、いわゆる三段墓だった。
きれいに手入れされた墓石をしばし眺め、墓碑に勇斗の名前が刻まれているのを確認して、尚澄は妙な安堵を覚えた。
ようやくたどり着いた、という気持ちがあった。
だが、それ以外にはなんの感慨も、ない。
かすかな風が、供えられていた仏花を揺らす。
どこかから線香の香りも漂ってくる。
萎びてはいるが色褪せてはいない花の様子から、誰かが定期的に手を合わせに来ていることは想像に難くない。
尚澄は鞄から煙草のパッケージを取り出し、墓前に供えた。もっとまともなものを用意すればよかったのだが、花にも菓子にも気が回らなかった。
尚澄の家には、彼が当時吸っていた煙草がずっと残されていた。開封済みのパッケージで、残りも数本しかない。
勇斗が尚澄の部屋を訪れた際の、ささやかな忘れ物だった。
ヘビースモーカーと云ってよかった彼は、その忘れ物に気がつかなかった。尚澄は気づいてこそいたが、云い出すのを忘れていた。そのうちふたりは別れてしまって、煙草を吸わない尚澄には、もう無用の長物になっていた。
そもそも勇斗も尚澄も、お互いの部屋に私物を持ち込むようなこともほとんどなかったから、これだけが、尚澄の家に残った勇斗の痕跡だったと云ってもいい。
だから処分できなかったという側面も、もちろんある。
家を出るとき、そんなものを鞄に放り込んできたのは、思えば勇斗と訣別しようという意思があったからに相違ない。
墓参りをしてけじめをつけよう。
弱々しくはあったけれど、そんな決心を抱いて、尚澄は遠く離れたこの土地に来たはずだった。
そのはずだったのに。
一本だけ火をつけて、線香のように供えてみる。
銘柄特有の甘い煙が、懐かしさをかき立てる。
勇斗の体臭のような薫りに包まれて、尚澄は祈るような気持ちで手を合わせた。
しかし尚澄の中には、なにも浮かんでこない。変わらず喪失感だけがそこにあって、波も立たない。まるで高校生の頃、彼女にキスをせがまれたときのようだった。
一種の失望が、尚澄の中に広がっていた。
墓前で手を合わせれば、彼の死を受け入れられるのではないかと思っていた。実際に勇斗の名が刻まれた墓石を目の当たりにして祈れば、自分の気持ちになにか、劇的なものが兆すのではないかと。
けれど、供え物をしても、墓に手を合わせても、勇斗に呼びかけても、尚澄の中にはなんの感慨も湧いてこないのだ。
ただ、墓参りという行為をなぞっているだけ。
──こんなもんなのか。
上津市に着いてからの日々が、走馬灯のように頭の中を流れていく。
バスの時間に間に合わず、泥酔して浜島に拾われ、ほとんどの期間を小岳平というまったく見知らぬ土地で過ごした。
浜島と出会って、感情を思うさま揺さぶられて、それでようやくここまでたどり着けたと、けじめがつくと思ったのに。
──そういうもんなのか。
やがて失望は諦めに似た気持ちに変化していく。
どちらにせよもう、終わったことには違いない。勇斗は自分の元をとっくの昔に離れ、そして死んでしまったのだから。
浜島とのことだってそうだ。
受け入れられないと云われ、諦め、離れてしまった。あんなに長く過ごした家のきちんとした住所も、連絡先も知らないまま。
なにかを得たような気がしたけれど、気のせいだったのか。
そうした虚無感に包まれて、尚澄は墓前から立ち上がった。
ぜんぶ終わった。
もう、帰るだけだ。
自らの視界を、色の褪めた薄い膜が再び覆っていくような気がして、尚澄は思わずあたりを見回した。
勇斗の墓のそばに、小さな女の子の手を引いた女性が立っていた。
気がつくと同時に、尚澄は女性と目が合った。
どうやら彼女は尚澄の様子を遠巻きに伺っていたようで、視線がぶつかると小さく会釈をしてくる。
つられて会釈を返しながら、初めて見るはずの彼女の強い瞳に、尚澄は既視感を覚えていた。
今まではできるだけ考えないようにしていた疑問を、尚澄は頭に浮かべる。
自立志向の強い女性だと聞いていた。英語が堪能だという話もあった。直接言及はなかったが、気が強くてずけずけとものを云うような印象を、勇斗の話から抱いていた。
そんな彼女が勇斗と結婚して、いったいどんな家庭を築いたのか。
折に触れてとりとめもなく想起しては、そのたびに見ないふりをしていた。
勇斗が家庭を持つことを望んでいたけれど、その家庭で彼が幸せにしていると考えるのが、尚澄には素直に受け入れられなかった。
勇斗との関係が、過去のものではなかったから。
けれどこの日、尚澄はそうしたことを考える余裕が、少しはあった。
むろん、考えて判るようなものではない。
実際の万理江を尚澄は知らないし、子どもについても「優梨」という名前くらいしか定かではない。幸せな家族を想像しようとしたところで、思い浮かぶのはかつて勇斗が尚澄に見せていた笑顔だけだった。
そうだとしても、尚澄は、勇斗の結婚後の生活について思いを馳せていた。
そうした今までであれば苦しさをともなっていた想像を、すんなり受け入れられるのが喜ばしかったのだ。
彼の死を受け入れられそうな気も、少しばかりではあるが、してきていた。
やがてやってきた次のバスでたどり着いた先の霊園に、勇斗の墓はあった。
無宗教の公営霊園には、洋風のものや石碑めいたものなど、さまざまな墓が建ち並ぶ。
しかし管理事務所で尋ねた場所に建っていた「漆原家之墓」は、馴染みのある縦に長い、いわゆる三段墓だった。
きれいに手入れされた墓石をしばし眺め、墓碑に勇斗の名前が刻まれているのを確認して、尚澄は妙な安堵を覚えた。
ようやくたどり着いた、という気持ちがあった。
だが、それ以外にはなんの感慨も、ない。
かすかな風が、供えられていた仏花を揺らす。
どこかから線香の香りも漂ってくる。
萎びてはいるが色褪せてはいない花の様子から、誰かが定期的に手を合わせに来ていることは想像に難くない。
尚澄は鞄から煙草のパッケージを取り出し、墓前に供えた。もっとまともなものを用意すればよかったのだが、花にも菓子にも気が回らなかった。
尚澄の家には、彼が当時吸っていた煙草がずっと残されていた。開封済みのパッケージで、残りも数本しかない。
勇斗が尚澄の部屋を訪れた際の、ささやかな忘れ物だった。
ヘビースモーカーと云ってよかった彼は、その忘れ物に気がつかなかった。尚澄は気づいてこそいたが、云い出すのを忘れていた。そのうちふたりは別れてしまって、煙草を吸わない尚澄には、もう無用の長物になっていた。
そもそも勇斗も尚澄も、お互いの部屋に私物を持ち込むようなこともほとんどなかったから、これだけが、尚澄の家に残った勇斗の痕跡だったと云ってもいい。
だから処分できなかったという側面も、もちろんある。
家を出るとき、そんなものを鞄に放り込んできたのは、思えば勇斗と訣別しようという意思があったからに相違ない。
墓参りをしてけじめをつけよう。
弱々しくはあったけれど、そんな決心を抱いて、尚澄は遠く離れたこの土地に来たはずだった。
そのはずだったのに。
一本だけ火をつけて、線香のように供えてみる。
銘柄特有の甘い煙が、懐かしさをかき立てる。
勇斗の体臭のような薫りに包まれて、尚澄は祈るような気持ちで手を合わせた。
しかし尚澄の中には、なにも浮かんでこない。変わらず喪失感だけがそこにあって、波も立たない。まるで高校生の頃、彼女にキスをせがまれたときのようだった。
一種の失望が、尚澄の中に広がっていた。
墓前で手を合わせれば、彼の死を受け入れられるのではないかと思っていた。実際に勇斗の名が刻まれた墓石を目の当たりにして祈れば、自分の気持ちになにか、劇的なものが兆すのではないかと。
けれど、供え物をしても、墓に手を合わせても、勇斗に呼びかけても、尚澄の中にはなんの感慨も湧いてこないのだ。
ただ、墓参りという行為をなぞっているだけ。
──こんなもんなのか。
上津市に着いてからの日々が、走馬灯のように頭の中を流れていく。
バスの時間に間に合わず、泥酔して浜島に拾われ、ほとんどの期間を小岳平というまったく見知らぬ土地で過ごした。
浜島と出会って、感情を思うさま揺さぶられて、それでようやくここまでたどり着けたと、けじめがつくと思ったのに。
──そういうもんなのか。
やがて失望は諦めに似た気持ちに変化していく。
どちらにせよもう、終わったことには違いない。勇斗は自分の元をとっくの昔に離れ、そして死んでしまったのだから。
浜島とのことだってそうだ。
受け入れられないと云われ、諦め、離れてしまった。あんなに長く過ごした家のきちんとした住所も、連絡先も知らないまま。
なにかを得たような気がしたけれど、気のせいだったのか。
そうした虚無感に包まれて、尚澄は墓前から立ち上がった。
ぜんぶ終わった。
もう、帰るだけだ。
自らの視界を、色の褪めた薄い膜が再び覆っていくような気がして、尚澄は思わずあたりを見回した。
勇斗の墓のそばに、小さな女の子の手を引いた女性が立っていた。
気がつくと同時に、尚澄は女性と目が合った。
どうやら彼女は尚澄の様子を遠巻きに伺っていたようで、視線がぶつかると小さく会釈をしてくる。
つられて会釈を返しながら、初めて見るはずの彼女の強い瞳に、尚澄は既視感を覚えていた。
0
あなたにおすすめの小説
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる