ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 彼女はいったいどんな人なのだろうか。
 今まではできるだけ考えないようにしていた疑問を、尚澄は頭に浮かべる。
 自立志向の強い女性だと聞いていた。英語が堪能だという話もあった。直接言及はなかったが、気が強くてずけずけとものを云うような印象を、勇斗の話から抱いていた。
 そんな彼女が勇斗と結婚して、いったいどんな家庭を築いたのか。
 折に触れてとりとめもなく想起しては、そのたびに見ないふりをしていた。
 勇斗が家庭を持つことを望んでいたけれど、その家庭で彼が幸せにしていると考えるのが、尚澄には素直に受け入れられなかった。
 勇斗との関係が、過去のものではなかったから。
 けれどこの日、尚澄はそうしたことを考える余裕が、少しはあった。

 むろん、考えて判るようなものではない。
 実際の万理江を尚澄は知らないし、子どもについても「優梨」という名前くらいしか定かではない。幸せな家族を想像しようとしたところで、思い浮かぶのはかつて勇斗が尚澄に見せていた笑顔だけだった。
 そうだとしても、尚澄は、勇斗の結婚後の生活について思いを馳せていた。
 そうした今までであれば苦しさをともなっていた想像を、すんなり受け入れられるのが喜ばしかったのだ。
 彼の死を受け入れられそうな気も、少しばかりではあるが、してきていた。


 やがてやってきた次のバスでたどり着いた先の霊園に、勇斗の墓はあった。
 無宗教の公営霊園には、洋風のものや石碑めいたものなど、さまざまな墓が建ち並ぶ。
 しかし管理事務所で尋ねた場所に建っていた「漆原家之墓」は、馴染みのある縦に長い、いわゆる三段墓だった。
 きれいに手入れされた墓石をしばし眺め、墓碑に勇斗の名前が刻まれているのを確認して、尚澄は妙な安堵を覚えた。
 ようやくたどり着いた、という気持ちがあった。

 だが、それ以外にはなんの感慨も、ない。

 かすかな風が、供えられていた仏花を揺らす。
 どこかから線香の香りも漂ってくる。
 萎びてはいるが色褪せてはいない花の様子から、誰かが定期的に手を合わせに来ていることは想像に難くない。
 尚澄は鞄から煙草のパッケージを取り出し、墓前に供えた。もっとまともなものを用意すればよかったのだが、花にも菓子にも気が回らなかった。
 尚澄の家には、彼が当時吸っていた煙草がずっと残されていた。開封済みのパッケージで、残りも数本しかない。
 勇斗が尚澄の部屋を訪れた際の、ささやかな忘れ物だった。
 ヘビースモーカーと云ってよかった彼は、その忘れ物に気がつかなかった。尚澄は気づいてこそいたが、云い出すのを忘れていた。そのうちふたりは別れてしまって、煙草を吸わない尚澄には、もう無用の長物になっていた。
 そもそも勇斗も尚澄も、お互いの部屋に私物を持ち込むようなこともほとんどなかったから、これだけが、尚澄の家に残った勇斗の痕跡だったと云ってもいい。
 だから処分できなかったという側面も、もちろんある。

 家を出るとき、そんなものを鞄に放り込んできたのは、思えば勇斗と訣別しようという意思があったからに相違ない。
 墓参りをしてけじめをつけよう。
 弱々しくはあったけれど、そんな決心を抱いて、尚澄は遠く離れたこの土地に来たはずだった。

 そのはずだったのに。

 一本だけ火をつけて、線香のように供えてみる。
 銘柄特有の甘い煙が、懐かしさをかき立てる。
 勇斗の体臭のような薫りに包まれて、尚澄は祈るような気持ちで手を合わせた。
 しかし尚澄の中には、なにも浮かんでこない。変わらず喪失感だけがそこにあって、波も立たない。まるで高校生の頃、彼女にキスをせがまれたときのようだった。

 一種の失望が、尚澄の中に広がっていた。
 墓前で手を合わせれば、彼の死を受け入れられるのではないかと思っていた。実際に勇斗の名が刻まれた墓石を目の当たりにして祈れば、自分の気持ちになにか、劇的なものが兆すのではないかと。
 けれど、供え物をしても、墓に手を合わせても、勇斗に呼びかけても、尚澄の中にはなんの感慨も湧いてこないのだ。
 ただ、墓参りという行為をなぞっているだけ。

 ──こんなもんなのか。

 上津市に着いてからの日々が、走馬灯のように頭の中を流れていく。
 バスの時間に間に合わず、泥酔して浜島に拾われ、ほとんどの期間を小岳平というまったく見知らぬ土地で過ごした。
浜島と出会って、感情を思うさま揺さぶられて、それでようやくここまでたどり着けたと、けじめがつくと思ったのに。

 ──そういうもんなのか。

 やがて失望は諦めに似た気持ちに変化していく。
 どちらにせよもう、終わったことには違いない。勇斗は自分の元をとっくの昔に離れ、そして死んでしまったのだから。
 浜島とのことだってそうだ。
 受け入れられないと云われ、諦め、離れてしまった。あんなに長く過ごした家のきちんとした住所も、連絡先も知らないまま。
 なにかを得たような気がしたけれど、気のせいだったのか。
 そうした虚無感に包まれて、尚澄は墓前から立ち上がった。

 ぜんぶ終わった。
 もう、帰るだけだ。

 自らの視界を、色の褪めた薄い膜が再び覆っていくような気がして、尚澄は思わずあたりを見回した。

 勇斗の墓のそばに、小さな女の子の手を引いた女性が立っていた。

 気がつくと同時に、尚澄は女性と目が合った。
 どうやら彼女は尚澄の様子を遠巻きに伺っていたようで、視線がぶつかると小さく会釈をしてくる。
 つられて会釈を返しながら、初めて見るはずの彼女の強い瞳に、尚澄は既視感を覚えていた。

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