ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 浜島は動揺したまま、それでも尚澄を家に上げてくれた。
 こたつが撤去されて広くなった茶の間に通され、番茶を出されると、五ヶ月も前にたった一週間やそこら過ごしただけの家なのに、なにもかもが懐かしく、尚澄は少しばかり切なくなる。
 浜島はなにから訊いたものかと迷ったようで、とりあえず汚れた作業着を脱いでくる、と、一旦部屋に下がった。
 その間に尚澄も、どこから話すべきかを組み立てる。

 戻ってきた浜島も似たようなことを考えていたのだろうが、彼はかえって本題を遠ざけるかのように近況を聞いてきた。尚澄もついそれに答えてしまい、会話の糸口を見失う。
 勇斗の墓参りに行けたことやその妻子と会ったこと。
 東京で再就職したこと。
 浜島は尚澄の身に起きたいい変化を、表面上喜んでくれているように見えた。
 尚澄からも近況を問い返し、道行きで会ったフミから聞いた、彼の祖母の容態なども気にかけた。
 祖母は長年の農作業で足腰を鍛えていただけに、慣れた雪道で骨折したことが堪えているのだと浜島は気遣わしげな顔で説明した。「歳を取るとどうしても治りが遅いから、自信がどんどんなくなってくみたいだね」と、一見他人事の口ぶりだったが、彼が祖母を気にかけているのは表情や声色で伝わってくる。
 深刻な話題になってしまったせいか、やはり尚澄の存在自体が気にかかるのか、浜島の口はいつもよりも重たくて回りが悪い。

 はたと沈黙が落ちたあと、結局彼は覚悟を決めたように、本題に切り込んできた。
「霜澤さん……それで、さっき云ったこと、間違いじゃない? 取り消す気は、ないの?」
 切り込む角度が奇妙で、尚澄は無意識に眉を寄せていた。
「取り消すって、なにを?」
 浜島にしては回りくどい言葉選びだと思った。
 自らが話す内容に乗り気でないとき、浜島にはしばしばこういうことが起こるような気もする。
 ハッテン場で尚澄を拾った、と説明したときからそうだったし、尚澄の告白を拒絶したときもそうだった、かもしれない。
「その……、俺のことが好き、って話」
「なんでそんなこと訊くの? 取り消すわけない」
 逆に尚澄は、普段長考する癖が、なりをひそめていた。
 浜島のおずおずとした問いをすぱりと切り捨てながら、怒っているときのほうが自分は頭が回るのだろうか、とどうでもいいようなことに気がつく。
 尚澄は、怒っていた。
 感情的になっていた。
「あれからいろいろ考えたんだよ。おれ、あんたのことを元彼の代わりにしようとしてたのかな、とかそういうことをさ」
 一旦その攻撃的な気持ちをなだめてため息を吐き、尚澄は、これまでの考えを言葉にした。
「勇斗さんの……、元彼のことは、墓参りして、ちゃんとけじめをつけられたつもり。もう引きずってないし、寂しいとはたまに思うけど、……けじめつけたおかげで、あんたのことが恋しいのは、まったく違う次元の話だなって判ったんだ。おれは浜島さんのこと、浜島さんとして好きなんだなって」
 断られてなお執着しているのだからみっともないしおこがましいとも思うが、それでも尚澄は、浜島に、判ってもらいたかった。
「だってなにしててもあんたの顔がちらつくんだ。いろんなことあんたと話したくて、会いたくてたまんなくて……、向こうで再就職しちゃったし、ひとりでやってくことも考えたよ。でも、もう年末からずっとそんな調子でさ。そしたらこんなのもう、認めるしかないだろ。自分が本気なんだって。本気であんたのこと、好きになっちゃったんだって」
 自分の気持ちに嘘がないことを、自分が彼のことを好きなことを。
 そういう想いを乗せて、つたないながらも尚澄は、必死に喋った。「だから、取り消すわけないよ。間違いでもない。おれは、あんたのことが好き」
 今までになくきっぱりと断言する尚澄に、浜島はわずかに息を呑む。それから小さくかぶりを振って、「そっか」と呟きを落とした。
「……ごめん、そうだよな。疑ってたわけじゃないんだ……ただ」
 浜島はうつむいたまま、重たく言葉を絞り出す。
「前も云っただろ。俺、自分に自信がないんだ。あんたがこんなふうに、わざわざ俺を訪ねて来てくれたのは本当に嬉しい。幻覚でも見てるのかと思うくらいだ。こんなに好きだって云ってくれる人、今まで会ったことないよ。きっと、あんたと一緒にいられたら、幸せなんじゃないかって思う。でも俺……」
「ねえ浜島さん。自信がないって、なにに自信がないの? おれの気持ち? おれと長続きしないこと? それとも、あんた自身の気持ちの問題?」
 尚澄は浜島のためらいを遮って、まるで詰問でもするかのように立て続けに問いをぶつけた。
 また感情が激化してきているのを感じる。
 冷静でいられなかった。
「……あんたの気持ちは、もう疑ってないって。でも、それ以外は全部、かな」
 尚澄と目を合わせ、ふと疲れたように浜島は苦笑を漏らし、それから彼は視線を手許の湯飲みに移して、苦しげに言葉を紡いだ。
「だって……、そもそも現実的に考えてさ、どうやったら一緒にいられるんだよ。あんたは都会の人で、俺は田舎から離れる気がなくてさ。別にあんたの再就職をどうこう云うわけじゃないよ。俺はあんたにこっちに来て欲しいとも思えないもん」

 ──多分そうされたら、俺もあんたも傷つくことになりかねないってのは、判るだろ。簡単に想像できるだろ?

 浜島の不安は十二分に理解できる。彼の云う「現実的な問題」は、尚澄がここに来る前に散々考えて、答えが出なかったようなものも、はらんでいた。
 杞憂だと打ち捨てることはできないのだ。
「十分な覚悟がないまま付き合って、お互いに嫌な思いして終わりになるって、……そういうのが、怖いんだ。たぶん……、今は」
 消えていく浜島の語尾に、尚澄もしばし考えを巡らせる。
 自分がなにに感情を揺さぶられているのか、その根っこを尚澄は掴んでいた。
 浜島の態度のなにが、自分を怒らせているのか。

「……あんたが、おれのことなんとも思ってないっていうなら諦めもつくよ、浜島さん。でもさ⋯⋯あんたが怯えてるのは、環境とか生活とか、そういうハードルのことだよな? それって確かに現実的な問題だよ。怯えるのも判る。でも、どうにかしようと思えば、どうにでもなるかもしれないだろ。なのに今からその心配だけで、それが越えられそうにないから駄目だっていうなら、おれ、あんたのこと諦められないよ。ねえ、⋯⋯ねえ、浜島さん」

 ──あんたはおれのこと、どう思ってるの?

 尚澄の問いかけに、浜島は泣きそうな目をする。そこが核心なのだと、おそらくお互いに判っていた。
 浜島が尚澄を拒絶する理由はどれも、周囲の問題なのだ。本人の気持ちは控えめに添えられるだけ。そう云ってくれるのは嬉しいけど、と。
 彼が尚澄のことをどう思っているのか、好きだとか嫌いだとか興味ないとか、率直な言葉はまだ一度も、聞かれなかった。
「……そんなの……」
 呟く声も泣き出しそうなほど震えていて、散々ためらってから、浜島はその震える声のまま、感情を吐き出す。
「好きだよ。俺だってあんたのこと、好きだ。あんたが俺のこと好きだって云ってくれたの、ずっと忘れられなかった。あんたがいなくなってから、前みたいに誰彼構わず寝ようとも思わなくなった。でも……好きだけど、……好きだから、苦しめたくないんじゃないか。ただでさえ男と付き合うなんか面倒なのに、俺みたいな悪条件の男じゃ……」

「じゃあ、……じゃあ、一緒に考えてよ」

 浜島の逡巡を再び遮り、尚澄はほとんど叫ぶように、願いを口にした。
 浜島は泣きそうな顔をしたまま尚澄を見、それからとうとう、大粒の涙を一粒こぼした。

「おれとあんたがどうしたら一緒にいられるのかをさ、おれと一緒に、考えてよ。おれだってひとりじゃなにも思いつかない。あんたが云うことも判るよ。田舎とか都会とか、生活とか偏見とか、問題がいっぱいあるって云われたら、確かにそうだなと思っちゃう。でも、……なんとかして、どんなに時間がかかっても、一緒にいたいんだ、おれ、あんたと。だから……」

 一気に心情を、願望を吐露して、尚澄の言葉はそこで途切れる。気持ちが高ぶって言葉が喉に詰まった。
 尚澄の言葉にぽろぽろと涙をこぼし続ける浜島につられるように、尚澄自身も、気がつけば泣いていた。
「……そんなふうに、云ってくれるの?」浜島は尚澄の言葉の空白に、涙声で弱気な問いかけを差し挟んでくる。「俺、こんなんなのに……、あんたは俺のこと、諦めないでいてくれるの?」
「当たり前だろ。おれ、あんたのこと本当に好きなんだよ。前は諦めるなんて云っちゃったけど、あんなの嘘だ。気の迷いだった。だから浜島さん、……お願いだから、おれと一緒にいたいって、云って……」
 くしゃり、と表情を歪め、その顔を隠すように、そして懇願するように頭を垂れて、尚澄は絶句した。

 一緒にいることを、どうか望んで欲しい。

 こんなにも気持ちが一致しているはずなのに、そうしないとスタートラインにも立てないことが、尚澄には悔しくてたまらなかった。
 浜島は尚澄を泣き濡れた目で見ていたが、やがてためらうように腕を伸ばし、尚澄の身体を、強く抱きしめた。
「ほんとに……、変なとこで頑固だな、霜澤さん」
 温かな腕。厚い胸板。力強い鼓動。
 過去にも何度も感じてきた浜島の存在を改めて感じ、尚澄は夢中でその身体を抱きしめ返す。
「……一緒に、いたいよ。離したくないよ……」
 すがる尚澄の耳に触れるほど近くで、浜島は切実な囁きを落とした。
 彼の真摯な吐息と熱が耳朶を打って、尚澄の涙はなお一層溢れた。
 嬉しかった。
 浜島の頬も濡れていて、彼も嬉しいと思ってくれていると判るような気がした。

 涙を拭うように頬を擦り合わせて、そのうち唇が触れあった。

 涙のしずくが口に入って塩辛いが、キスをしているうちに気にならなくなる。
 やっと通じた想いを確かめるように、何度も何度も角度を変えて、互いの唇を啄んだ。
 冬、別れた日以来のキスだった。気持ちが満たされていくような心地がした。
 やがてどちらからともなく唇を、顔を離して見つめ合う。どちらの頬にも涙の痕跡が残っていて、それがなんだか滑稽なような気がして、尚澄は「ふふ」と笑う。
 浜島も同じようなことを考えたようで、「二人して泣いてたら、なんかバカみたいだね」と、ようやくいつものようなからりとした台詞を吐いた。
「だな。おれもあんたも、バカだよ」
 尚澄は同意すると、再び浜島の唇に自らのそれを重ねた。
 キスをすればするほど気持ちは満たされるようだったが、もっともっと、浜島でいっぱいになりたかった。

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