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第二十五章 昼の森
7 差し伸べる手(領主視点)
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7 差し伸べる手(領主視点)
僕の脚を、鶏がしきりに突いてる。もぞ、と動かすと、けたたましい声をあげて去っていった。構わずうつらうつらする。
しばらくすると、今度は脛に体当たりされた。流石に目が覚める。
「うわああっ」
誰かの悲鳴がした。急いで足を引っ込める。
「だ、誰?! マフなの?」
まずい、今度は鶏ではないらしい。声の主は藁をかき分けてきて、僕を掘り出してしまった。
「あっ! 貴方は!」
声の主は、柘榴のおっさんだった。
「……大丈夫?」
おっさんは、朦朧とする僕の目を覗き込んで言った。
ーー大丈夫?
オトの声が重なる。初めて会った時、オトが僕に言った言葉だ。あの時彼は女の子のふりを、僕はメイドのふりをしていた。
おっさんは綺麗なドレスの袖を裂いて、僕の腕の手当てをしてくれた。
「本当にごめんなさい。みんなにはちゃんと説明しますから、僕の屋敷で休んでください」
おっさんは言った。僕は黙って首を振る。迷惑はかけたくない。
おっさんは、しょんぼりしてしまった。僕は地面に文字を書いて、気持ちを伝えることを思いついた。
ーーありがとう。でもここで十分です。
そう書いたつもり。だけど、書いた途端に文字がなんだか歪んで見える。自分で自分の文字が認識できない。
「僕の前では気にせず、しゃべっていいんですよ」
相変わらずなおっさんの言葉に、思わず顔がほころぶ。この広い世の中で、そんなことを言ってくれるのはきっとあなただけだ。
ーーここにいさせてください。傷が治るまで。
指がうまく動かない。きっと変な文字を書いてる。それでも、ひきがえるをゲロゲロするより百倍マシだ。
「屋敷の中より、ここのほうがいい?」
僕は身を乗り出して頷いた。おっさんは笑った。僕の大好きなオトの笑い方そのものだった。もし彼が、本当にオトならどんなにいいだろう。
「ここで休んでてね。薬と食べ物を持ってくるから!」
おっさんは立ち上がると、馬小屋を出て行ってしまった。
しばらくすると、おっさんはバスケットを抱えて戻ってきた。僕は彼の差し出す薬湯を受け取った。
「飲んで。治りが早くなるから」
つい習性で匂いを嗅いでしまった。いつもなら薬草の種類や成分を言い当てられるのに、今は全く思い出せない。
「毒なんかじゃないよ」
疑っているように見えてしまったのだろう。おっさんは苦笑し、一口飲んでみせた。
僕はおっさんにオトを重ねながら、その仕草を見守る。
「ほら。平気でしょ」
苦かったらしく、顔をしかめながら言う。間接キスにも気付かず、手足に新しい包帯を巻いてくれる。チラと僕を見上げ、目が合うと顔を赤らめ、はにかむように潤んだ瞳を伏せる。
うん。どうしよう。可愛いな?
おっさんは小屋の掃除をはじめた。彼が手際よく楽しそうに立ち働くのを、僕は既視感とともに見守っていた。
仕事が済んでしまうと、おっさんはまた藁の山に登ってきて、僕の隣に座った。警戒心が解けてきているらしく、すごく距離が近い。
「あなたは僕を……いえその、アリオトを探していたってメアリが」
一瞬、「僕」って言った。それをこの僕が聞き逃すわけがない。僕は胸がいっぱいになって、返事ができなかった。
「アリオトを探してるの? どうして?」
「……」
僕の正体は話せない。妖精の魔法は僕を無言にさせた。
「しゃべっていいよ。僕はカエルなんて怖くないから」
おっさんはそう言うが、僕は喋りたくない。口ではいくら平気と言ってくれたって、やはり不快だろうから。
筆談であれこれ言い訳すると、おっさんはへえと感心し、「この国で一番愚かな男」である僕を、賢いなどとのたまった。僕は思わず肩をすくめる。
おっさんはさらに、神妙な顔でこんなことを言う。
「そっか……蛙が好きじゃないんだね。せめて可愛いと思えたらいいのにね」
あまりにおっとりした発言に、僕は思わず笑ってしまった。
だめだ。どう考えたってオトだ。おかしなオト。剛毅で純粋でお人よしなオト。
「ふっ……」
息を漏らして笑うだけなら、カエルは出なかった。
「どうして笑ってるの?」
僕は可愛いオトの頭をちょんと小突いた。
「え??」
おっさんの声で我にかえる。しまった。オトのつもりでつい。馴れ馴れしかったかも。僕に小突かれたおっさんはフリーズしていた。
そしてそのまま尻餅をついてしまった。足が痺れたらしい。僕は手を差し出して、おっさんを助け起こした。
丈も重さも倍はあるおっさんの背中に、腕を回す。おっさんの体は熱かった。
ーー大丈夫?
僕がささやくと、おっさんの唇が丸く開いた。茜色に輝くおっさんの顔に、オトの愛らしい面影が重なる。
西陽の中で、視線が絡んだ。甘い震えが身体を走った。瞳のずっと奥まで、貫くような視線が交わった。
僕は確信した。彼はアリオトだ。
やっと見つけた。僕の愛しい人。僕はただ、彼の名前だけを心の中で連呼する。今すぐ抱きしめたい。
でもそれをしないのは、せっかく優しくしてくれているオトを、怖がらせたり困らせたりしたくないから。なんせ今の僕は「化け物」なのだ。
熱に浮かされた僕の眼差しにつられたのかもしれない。オトの頬は次第に紅潮してきた。ああ、僕の姿がこんなでなければ、すぐにでも……。
「奥様ー!」
その時遠くで、下男がおっさんを呼ぶ声がした。
「ぼ、ぼく、行かなきゃ」
待って。行かないで。オト。僕に気づいてくれ。
引きとめたかった。でも、彼がオトだと分かった以上、愛しい人の前で口からひきがえるを吐き出すなんて死んでもできない。
謎のプライドが僕を無口にさせた。
「そ、それ、ちゃんと食べなきゃダメだよ!」
オトはそう言うと、僕に背を向けて、小屋を出ていってしまった。
僕は扉の隙間から、下男の元に駆け寄るオトの、大きな背中を見送った。
どういうわけで柘榴夫人の姿をしているのかは分からない。だが僕の小さな脳みそは、そのことを考える力もなかったし、それに何の意義も認めなかった。
金色の髪も、青い目も、白い華奢な体も、見るかたもなく消えていた。理由は知らない。きっとそれらは、あの暗い森の彼方に消えたんだ。
でも構わない。僕が欲しいのは、君の視線。君の笑顔。君の仕草。君の言葉。要するに、君の魂のそばにいたいんだ。
僕もまた、森で全てを失った。だが幸いなことに、君に捧げる心だけは失っていない。
僕の脚を、鶏がしきりに突いてる。もぞ、と動かすと、けたたましい声をあげて去っていった。構わずうつらうつらする。
しばらくすると、今度は脛に体当たりされた。流石に目が覚める。
「うわああっ」
誰かの悲鳴がした。急いで足を引っ込める。
「だ、誰?! マフなの?」
まずい、今度は鶏ではないらしい。声の主は藁をかき分けてきて、僕を掘り出してしまった。
「あっ! 貴方は!」
声の主は、柘榴のおっさんだった。
「……大丈夫?」
おっさんは、朦朧とする僕の目を覗き込んで言った。
ーー大丈夫?
オトの声が重なる。初めて会った時、オトが僕に言った言葉だ。あの時彼は女の子のふりを、僕はメイドのふりをしていた。
おっさんは綺麗なドレスの袖を裂いて、僕の腕の手当てをしてくれた。
「本当にごめんなさい。みんなにはちゃんと説明しますから、僕の屋敷で休んでください」
おっさんは言った。僕は黙って首を振る。迷惑はかけたくない。
おっさんは、しょんぼりしてしまった。僕は地面に文字を書いて、気持ちを伝えることを思いついた。
ーーありがとう。でもここで十分です。
そう書いたつもり。だけど、書いた途端に文字がなんだか歪んで見える。自分で自分の文字が認識できない。
「僕の前では気にせず、しゃべっていいんですよ」
相変わらずなおっさんの言葉に、思わず顔がほころぶ。この広い世の中で、そんなことを言ってくれるのはきっとあなただけだ。
ーーここにいさせてください。傷が治るまで。
指がうまく動かない。きっと変な文字を書いてる。それでも、ひきがえるをゲロゲロするより百倍マシだ。
「屋敷の中より、ここのほうがいい?」
僕は身を乗り出して頷いた。おっさんは笑った。僕の大好きなオトの笑い方そのものだった。もし彼が、本当にオトならどんなにいいだろう。
「ここで休んでてね。薬と食べ物を持ってくるから!」
おっさんは立ち上がると、馬小屋を出て行ってしまった。
しばらくすると、おっさんはバスケットを抱えて戻ってきた。僕は彼の差し出す薬湯を受け取った。
「飲んで。治りが早くなるから」
つい習性で匂いを嗅いでしまった。いつもなら薬草の種類や成分を言い当てられるのに、今は全く思い出せない。
「毒なんかじゃないよ」
疑っているように見えてしまったのだろう。おっさんは苦笑し、一口飲んでみせた。
僕はおっさんにオトを重ねながら、その仕草を見守る。
「ほら。平気でしょ」
苦かったらしく、顔をしかめながら言う。間接キスにも気付かず、手足に新しい包帯を巻いてくれる。チラと僕を見上げ、目が合うと顔を赤らめ、はにかむように潤んだ瞳を伏せる。
うん。どうしよう。可愛いな?
おっさんは小屋の掃除をはじめた。彼が手際よく楽しそうに立ち働くのを、僕は既視感とともに見守っていた。
仕事が済んでしまうと、おっさんはまた藁の山に登ってきて、僕の隣に座った。警戒心が解けてきているらしく、すごく距離が近い。
「あなたは僕を……いえその、アリオトを探していたってメアリが」
一瞬、「僕」って言った。それをこの僕が聞き逃すわけがない。僕は胸がいっぱいになって、返事ができなかった。
「アリオトを探してるの? どうして?」
「……」
僕の正体は話せない。妖精の魔法は僕を無言にさせた。
「しゃべっていいよ。僕はカエルなんて怖くないから」
おっさんはそう言うが、僕は喋りたくない。口ではいくら平気と言ってくれたって、やはり不快だろうから。
筆談であれこれ言い訳すると、おっさんはへえと感心し、「この国で一番愚かな男」である僕を、賢いなどとのたまった。僕は思わず肩をすくめる。
おっさんはさらに、神妙な顔でこんなことを言う。
「そっか……蛙が好きじゃないんだね。せめて可愛いと思えたらいいのにね」
あまりにおっとりした発言に、僕は思わず笑ってしまった。
だめだ。どう考えたってオトだ。おかしなオト。剛毅で純粋でお人よしなオト。
「ふっ……」
息を漏らして笑うだけなら、カエルは出なかった。
「どうして笑ってるの?」
僕は可愛いオトの頭をちょんと小突いた。
「え??」
おっさんの声で我にかえる。しまった。オトのつもりでつい。馴れ馴れしかったかも。僕に小突かれたおっさんはフリーズしていた。
そしてそのまま尻餅をついてしまった。足が痺れたらしい。僕は手を差し出して、おっさんを助け起こした。
丈も重さも倍はあるおっさんの背中に、腕を回す。おっさんの体は熱かった。
ーー大丈夫?
僕がささやくと、おっさんの唇が丸く開いた。茜色に輝くおっさんの顔に、オトの愛らしい面影が重なる。
西陽の中で、視線が絡んだ。甘い震えが身体を走った。瞳のずっと奥まで、貫くような視線が交わった。
僕は確信した。彼はアリオトだ。
やっと見つけた。僕の愛しい人。僕はただ、彼の名前だけを心の中で連呼する。今すぐ抱きしめたい。
でもそれをしないのは、せっかく優しくしてくれているオトを、怖がらせたり困らせたりしたくないから。なんせ今の僕は「化け物」なのだ。
熱に浮かされた僕の眼差しにつられたのかもしれない。オトの頬は次第に紅潮してきた。ああ、僕の姿がこんなでなければ、すぐにでも……。
「奥様ー!」
その時遠くで、下男がおっさんを呼ぶ声がした。
「ぼ、ぼく、行かなきゃ」
待って。行かないで。オト。僕に気づいてくれ。
引きとめたかった。でも、彼がオトだと分かった以上、愛しい人の前で口からひきがえるを吐き出すなんて死んでもできない。
謎のプライドが僕を無口にさせた。
「そ、それ、ちゃんと食べなきゃダメだよ!」
オトはそう言うと、僕に背を向けて、小屋を出ていってしまった。
僕は扉の隙間から、下男の元に駆け寄るオトの、大きな背中を見送った。
どういうわけで柘榴夫人の姿をしているのかは分からない。だが僕の小さな脳みそは、そのことを考える力もなかったし、それに何の意義も認めなかった。
金色の髪も、青い目も、白い華奢な体も、見るかたもなく消えていた。理由は知らない。きっとそれらは、あの暗い森の彼方に消えたんだ。
でも構わない。僕が欲しいのは、君の視線。君の笑顔。君の仕草。君の言葉。要するに、君の魂のそばにいたいんだ。
僕もまた、森で全てを失った。だが幸いなことに、君に捧げる心だけは失っていない。
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