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三章 勝負を受け入れた小動物系美少女について

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 昼休みに入ったばかりのタイミングで、一学年の桜羽沙羅が生徒会長から唐突な運動対決を求められ、それを了承した。

 しかも、その直後に二人が決めた対決日時は、今日の放課後である。

 一年五組で話し合われた二人の様子については、廊下の外から多くの生徒が見ていた。そのため、実況中継のようにあっという間に一学年のフロアを走り抜け、生徒会長の宮應静と沙羅が話し合いを終了した時には、五組の教室前の廊下には、その話を聞きつけた大勢の一年生が集まっていた。

 五十メートル競走については、勝つまで何度でも沙羅がリベンジ可能のルールとはいえ、運動が苦手だという女子生徒から選ばれるらしい相手の三学年生が、もし彼女より足が速いとしたら、高い確率でほぼ持久力勝負になるだろう。

 宮應が堂々とした足取りで一年五組の教室を出て行ってすぐ、レイが心配でたまらないという顔で沙羅の腕を掴んだ。

「無茶だよ、沙羅ちゃん」
「私、負けないわ」

 そう言った沙羅は、こちらも見ずに踵を返し教室を出て行ってしまった。
 それほどまでに意思が固いことを示すかのように、止めないで、というように彼女から目も向けられなかったレイが、ショックを受けたようにその場に佇んだ。

 騒がしい廊下に対して、五組の教室内は重い沈黙に包まれていた。誰もが「どうする」と目線を交わすだけで動けずにいる中、拓斗が呆気に取られても尚自分ペース、といった様子で教室の入り口にいたレイに声を投げた。

「なぁレイちゃん、沙羅ちゃんはどれくらい運動が出来ないんだ?」
「僕をちゃん付けで呼ぶなッ」

 そうしっかり注意したレイは、迷うような間を置いた後「沙羅ちゃんは、その、僕が知っている子の中では一番足が遅い、かも……」とぎこちなく視線をそらした。

「なるほどね、沙羅ちゃんはかなりの運動音痴ってことか」

 拓斗が「どうしたもんかね」と吐息交じりに続けて、小さく肩を落とした。
 
 スポーツは出来そうにないもんなぁ、とクラスの男子生徒たちが日頃を思い返して呟いた。沙羅が『ぎゅっとします!』と宣言して挑戦し続けているものが、ことごとく失敗に終わっているのを見ていたせいである。

 木島が「そわそわして落ち着かないんだけどッ」と言って立ち上がると、廊下側の窓へ顔を出して、近くの男子生徒を呼んだ。

「おい小林ッ、お前確か一組だよな!?」
「おぅ。あと、こいつらも一組だ」

 廊下にいたスポーツ刈りの少年がそう言って、近くにいた生徒たちを指した。

 木島は「訊きたいんだけどさ」と五組を代表してこう尋ねた。

「桜羽さんは走れるのか!?」
「俺が知ってる限り、ちょっと厳しいな」
「女子なんて、慌てて桜羽を追い駆けていったぜ。残ってるのは青崎くらいか」

 そう口にした彼らは、未だ動けずにいるレイを気遣うように見た。どうすんだろうな、と困ったような互いの顔を確認したところで、意見を求めるように廊下にいた生徒たちを見渡す。
 集まっていた二組、三組、四組の一部の少年少女たちも、一学年で一番有名な沙羅と理樹について知っているからこそ心配だ、という様子で「どうなるんだろう」と同じ不安事を口にした。

 木島が廊下から頭を引っ込めて、放心状態のまま自分の席へと戻って、疲れ切ったように椅子に腰を落とした。

「やべぇ。不安が返って倍増された…………」
「木島、見事に表情が抜け落ちてるな、相当混乱中だ」
「どんまい、木島。お前はよくやったよ」
「私もあんたのこと、ちょっと見直したわ」

 教室内にいた五組の女子生徒の一人が、木島にそう声をかけて「そもそも体力測定、ほとんど「一」だったって聞いたのよねぇ……」と不安そうに友人らと話す。

 一通り現状を眺め。拓斗は「なんだかなぁ」と頭をかいて視線を流し向けた。

「大事になっちまったなぁ――で、どうするよ、親友?」
「不可抗力だ」

 理樹は、顰め面で床を睨みつけた。彼女たちは当時者を差し置いて、一体何をしているんだろうと思う。そもそも……


 そもそも、どうして勝負を受け入れた?


 理樹は静かな表情のまま、知らず拳を握り締めた。

 俺は、彼女が運動出来るような女の子ではないと知っている。そして、そういった争うような勝負事に、自ら踏み出すような子でもないとも分かっている。

 何故なら、自分が生まれ変わってもなお『リチャード』と同じ人間の思考をしているのと同じように、前世の記憶がない彼女もまた『サラ』のままなのだ。育つ過程での喜怒哀楽に僅かな差異があろうと、だからといって、それを別人と位置付けることが出来ないほどに。

 十歳も年下の少女だった。そして、数十年も早くに逝ったのを見届けた。

 汚名だと嗤われた悪役令嬢の名が、社交界から消えることはなかった。そして自分もまた、悪党みたいな貴族だった。
 結婚は共同経営のようなものでしょう、次は私なんていががかしら……そう何人の女性に声を掛けられたか分からない。


 そう、悪党みたいな人間だったのだ。だから、きっと罰(バチ)が当たった。

 神様は奇跡を起こしてはくれなかった。どうせなら、出会う前からやり直してくれれば良かったのだ。彼女があの令息と婚約する前に戻して、彼女が一番目に愛し続けられる別の誰かを与えてくれれば。


 そうすれば、俺が声を掛けずに済んだ。
 出会わずに済んだ。

 黙りこむ理樹を、レイはチラリと見やった。無愛想な顔の眉間に珍しく皺も刻んでいない、どこか遠い昔を思い出すような顔をしている横顔に声を掛けられなくて、その視線を拓斗へと戻した。

「……僕は、少しでも彼女の助けになれるように、走るコツとか教えてくる」
「それがいいだろうな。つか、それくらいしか出来ないよなぁ」

 本人がやるって決めちまったことだしなぁ、と拓斗は言って、見送るようにレイに向かって小さく手を振った。

 理樹は蘇った前世の光景の一部を押し留めるように、ぐっと拳を作った。
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