仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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7章 それは、偽りの存在(2)

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 思い返すと、エルの場合は、成長痛も瞬く間に過ぎてしまっていた。成長の早さは人によってバラつきはあるというが、一昨年と去年と今年で、身長がミリ単位程しか変わっていない事実が恨めしい。

 おかしい。オジサンに協力してもらって、牛乳もしっかり飲んでいたというのに……ッ

「二人とも、一体何をしているんだい?」

 ふと様子を確認するために振り返ったスウェンが、呆れたように半眼になった。

 腕を組んでもんもんと考えるエルと、頭を抱えつつ、気のきいた言葉を必死で探すセイジの凸凹コンビが、一体どこでそのような状況になってしまったのか、スウェンとしても判断に迷うところだった。

「君達って、相性が良いのか悪いのか分からない組み合わせだなぁ。次のエリアに入るから、はぐれないようについて来るんだよ」

 エルとセイジは、ほぼ同じタイミングで顔を見合わせた。声を掛けても問題はないということだろうか、とお互い目配せで数秒ほど考え、肯きあってからスウェン達の方へ視線を向けた。


「お話は終わったの」とエルは小首を傾げ、

「もういいのか」とセイジが控えめに尋ねた。


 スウェンは、しばらく二人を見つめた後、エルと同じ方向に首を傾けた。

「君たち、息がぴったりというか、いつの間にか仲良しさんだねぇ。まぁ一通り話しはまとまったよ。最終判断は、次のエリアに出てからするつもりだけど」
「小首傾げてんじゃねぇよ、クソガキ。次はぐれたら、ただじゃおかねぇからな」

 ログが肩越しに振り返り、「やってらんねぇぜ」と面倒そうに片手を振った。彼は、わざとらしく息をつき「やれやれ」とぼやきながら足を進めている。

 エルの中で、他人への礼儀や、目上に対しての節度といったものが吹き飛んだ。

 野郎め、畜生。絶対ぇ俺をガキ扱いしてやがるな……

 途端に、これまでのログの態度がエルの脳裏を一気に駆け巡った。彼の台詞に、『迷路の城』で被った迷惑と苦労が思い出され、エルの中で、ブチリ、と何かが切れる音が上がった。

「一本道で、そんな簡単にはぐれるかぁ!」

 エルは堪え切れず言い返すと、飛び上がり、ログの大きな背中を両足で蹴り飛ばしていた。自分には完全に非がないのだというログの後ろ姿が、ひどく感に障ったのである。

 不意打ちで背中から攻撃を受けたログが、「うおッ」と短く声を上げて前にのめり込んだ。スウェンが「わぉ」と楽しそうに言い、セイジが「ログ、エルッ」と蒼白する。

 前方にバランスを崩すログの背中から、蹴り込んだ足が離れた瞬間、エルは彼と共にエリアの境界線に突入していた。

 二人の全身を強い流れが襲い、視界に眩い光の渦が舞う。

 前触れもなく起こった激しい光りの洪水の中で、エルの重力感覚は麻痺した。次のエリアに抜けるらしい事は頭で理解が追い付いたが、咄嗟の出来事のために地面の位置を計りかねた。

 そのまま、空中をしばらく進んだようにも感じたが、一呼吸後には、夜の世界に放り出されてしまっていた。

 ひんやりと湿った風を全身に感じた。あ、空が真っ黒だ、とエルはそんな事を悠長に考えた。しかし、自分がログに飛び蹴りをした事を思い出した時には、受け身も取れず落下していた。

 あ、まずい――

 そう思うよりも早く、両膝に柔らかな衝撃を受けた。続けて、下から「ぐえッ」と野太い声が上がる。

 先に倒れたログの大きな身体が、いいクッションとなってエルを受けとめていた。彼の大きな背中に馬乗りになったエルは、安定感のない乗り心地に呆気に取られたが、ハッとしてボストンバッグを引き寄せた。

 慌てて中の様子を確認すると、エルと目が合った途端、クロエが「にゃーん」とのんびりした口調で鳴いて丸くなった。どうやら、先程起こった飛び蹴りの一件で、いつでも鞄の中から飛び出せるように身構えていた為に平気だったようだ。

 そうだった、クロエは、とても賢い雌猫なのだ。

 エルは、ほっと安堵の息を吐いた。エルにとっては、大男よりもクロエの方が数百倍大事だし、心配である。
スウェンとセイジが第四のセキュリティー・エリアに到着し、辺りの様子を素早く窺った後、エルたちを見降ろした。

 セイジは、まるで自動車に引かれそうになった子どもを目撃してしまったような顔をしていた。その隣から、スウェンが「猫ちゃんは大丈夫だったかい?」と、エルの下敷きになっているログなど見ていないかのような、何事もなかった爽やかな笑顔で尋ねる。

「びっくりしちゃったよ。猫ちゃんがいるんだから、もうちょっと慎重にやらないと」
「うん、クロエには悪かったよね。ごめんね、クロエ」
「あははは。君って結構動けるタイプの人間なんだねぇ。うん、いいよ、次にある時は、僕が猫ちゃんを預かってあげる。その時は遠慮なく、ログの後頭部にズドンとやっちゃいなさい、協力するよ」

 その時、地面にうつ伏せていたログが、勢いよく頭を上げた。

 彼の筋肉に覆われた大きな背中が小さく動いたので、エルは思わず両手を彼の背中に置いてバランスを取った。昔オジサンがやってくれた、『お馬さん』を思い出してしまった。

「おい、お前ら。真っ先に俺に謝れ」

 ログは、自分の上でやりとりされていた会話に対して、低い声で意見した。首だけ動かせると、まずは先にエルを睨みつけ、続いてスウェンへと目を走らせた。

「早くどけ、クソガキ。――あと、スウェン。お前、あとで殴らせろ」
「ふふふ、嫌だね」

 スウェンがニヤリとした。

「お断りだよ。そもそもエル君は小さいんだから、ちょっとの力でも振り落とせるでしょうに。いつもみたいに自分で退かせばいいじゃない」

 スウェンは「らしくないなぁ」と言いつつ、エルに手を差し出した。

 エルは、スウェンの手を借りて立ち上がった。ログが力技で退かさなかった件について、子供扱いされて慣れない気の遣われ方をされたのでは、と勘繰り、スウェンに手短に礼を述べてから、ログを振り返りこう断言した。

「おい。俺は子供じゃないし、丈夫なんだからな」
「俺は『おい』って名前じゃねぇぞ、クソガキ。――別に気を使った覚えはねぇよ、自分の身は自分で守るんだろ?」

 ログは面倒そうに言い捨てると、立ち上がり様に服に付いた汚れを払った。エルとログはお互い目も合わさず、「ふん」と顔を背けた。

 スウェンが、困ったように頬をかいた。

「エル君も相当な負けず嫌いみたいだね。そして、どっちも喧嘩っ早いと……この先、ちょっと不安だなぁ。どうにかフォローしてやってね、セイジ」
「えッ……私には、無理なのでは……………」

 ボストンバッグの中から顔を覗かせたクロエが、耳を伏せて「ニャァ」と心配そうに鳴いた。
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