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17章 エリスの世界~スウェン~(1)
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軍事演習場として、試験運用されていたという都市型の仮想空間は、きちんと区画整理をされ管理されている場所だった。
地形は平坦で、中心地から大きな十字の大道路が敷かれており、そこから五目状に細い道が縦横に分岐されている。街路樹や電灯、大型ショッピングセンターや高層ビル群、中心区域はAからDまでの四つに区分されている。
そのはずだったが、スウェンは、実際に『仮想空間エリス』に降り立って驚いた。
資料で見聞きした『仮想空間エリス』の印象と違い、そこは随分と荒廃が進んでしまっていた。敷かれたアスファルトには亀裂が入り、建物は災害に見舞われたように傷み、窓やパイプ管の破損も目立った。道路には、破壊されたように横転した車が転がっており、頭上には厚い雲が渦を描いて立ち込めている。
電気の稼働は、全て止まっているようだった。
状況は、あまりよろしくなかった。どうやら、全員がばらばらの地点に降り立ったらしい。
しかし悩む暇もなく、スウェンの眼前で、唐突に一人の女性が胸を貫かれて崩れ落ちた。
目の前で殺害された女性は、白衣を着用しており、鎖で勢いよく貫かれた身体からは出血がなかった。女性は目を見開いたまま事切れると、そのまま白く燃え尽きるように消えていった。
突然過ぎて詳細を確認するには至らなかったが、スウェンは、エキストラらしい登場人物を殺した物の蠢く気配を覚え、咄嗟に身を隠して様子を窺った。
建物の影から出て来たのは、対地上用戦闘機MR6だった。新兵器のとして開発と構想が続けられている、戦闘員搭乗用のモデル兵器シリーズである。
机上空論から始まった兵器開発は、シリーズ5までモデルが試作されていたが、実用段階までには至っていないはずだった。一時期、日本の技術者を呼んだらどうか、という意見もあったが、現状、日本が武力を持たない事については、軍も地団太を踏んでいた覚えがある。
丸みを帯びたボディと、滑らかな動きを可能にした力強い構造。どんなに不安定な道でも動ける車輪型の二本の脚に、銃口のついた大きな二本の腕。頭頂部には、防弾ガラスに守られた見通しの良い運転席が設置されている。
シュミレーテョン画面の中ではなく、MR6が兵器として、仮想空間の中を闊歩している姿は、スウェンを驚かせるには充分だったが、――対地上用戦闘機MR6に搭乗している人物を確認した際には、さすがのスウェンも言葉を失った。
対地上用戦闘機MR6を操作していたのは、地上で逃したマルク・シューガー本人だった。
運転席に腰かけたマルクは、神経質そうな目尻を痙攣させて、防弾ガラス越しに辺りに目を走らせていた。外で最後に見た時以上に痩せ細り、顔の皺は増え、その髪にも白髪が多く混じっていた。忙しなく辺りを何度も窺う様子は、マルク自身が想定していなかった何かが、ここで既に起こっているという事を感じさせた。
マルクは、地上に隠れているスウェンに気付かず、マイクの出力がオンになっているらしい操作室で、対地上用戦闘機MR6から放った鎖を巻き上げながら、苛立ったように呟いた。
「残像共が。……これはバグなのか。一体、この残像はどこから入りこんだのだ?」
スウェンは、先程消滅した白衣の女性を、つい最近どこかで見た事があったような気がして、ふと首を捻った。
息絶える直前の横顔をチラリと見たばかりでは、自分の記憶に結びつけられそうにもなく、眉間に皺を刻む。しかし、ここで何が起こっているのか、早急に確認する必要があるだろう事は、早々に理解した。
マルクは建物の影に潜むスウェンには気付かず、口の中で独り事を続けながら、対地上用戦闘機MR6の足を、別の方向へと進め始めた。機体が一歩踏み出すたび、荒れたアスファルドに散乱する瓦礫やガラスが砕かれ、鈍い地鳴りを上げた。
「……外にいる頭の悪い連中が、何かしでかしたのだろうか…………いや、入り込んだあいつらがプログラムの支えを崩したせいか? ……もう少しなのに数値が安定しない…………害虫が出るせいだろう……システムが誤作動を? そんな馬鹿な……バグに違いない、プログラムの制御は完全ではないのだから…………取り除けば……も完成するだろう」
スウェンは、去っていくマルクの声を聞いて、素早く思案した。
先程、マルクが仕留めた人間が『害虫』という事だろうか?
血も出ない点を考えると、立ち位置としてはエキストラとも思われる。しかし、白衣という姿がスウェンは気になっていた。仮想空間の登場人物ではなく、外の人間が投影されてしまっている可能性はないか。
いや、そうすると、どこから入り込んだのかという問題点に辿り着く。それに、殺されてしまった女性は悲鳴の一つも上げなかったではないか。
もしくは、マルクが仮想空間に使って死んだ、人間達の亡霊が現れるとでもいうのだろうか?
詳細は不明だが、『仮想空間エリス』で、何かしらの不具合が発生しているのは確かだろう。
マルクが成し遂げようとしている何かの完成が間近の所で、例えば、唐突に環境変化が起こって、彼の目的が阻害されている可能性もある。スウェン達が、これまでの仮想空間で遭遇したような想定外の『理』やら、『夢の住民』が関わっている可能性も捨てきれない。
科学者は、きっとその不可解さを認めない。
マルクも、数式や原理で説明出来ないものを信じないからこそ、彼なりに物理的な行動を起こしているとも推測出来る。
スウェンの中には、マルクが『バグ』と評している現象について、もう一つの仮説も浮かんでいた。
それは、ホテルマンが言っていた『心が投影される』という現象である。材料してマルクに殺された人間もそうだが、関わった多くの人間の記憶や想いといった、『心』が宿った映像が投影されるらしい現象だとしたら、どうだろう。
この『仮想空間エリス』には、実際に試験運用されていた過去の記録も、データとして残されているはずだ。現実的ではない、そんな不可解な現象が『仮想空間エリス』で次々と起こっているとするならば、マルクの驚き振りも腑に落ちる。
スウェンとしても、そんなファンタジーな現象は信じない派なのだが……先程、最後のセキュリティー・エリアで、半透明の青年が空に飛び出して行くのを目撃している。
物事を否定するのは簡単だが、根拠も証拠もない状態で、否定とは成立しない。
つまり、未知の『夢の住人』達がで出た来た時点で、一般常識だけでの考えは捨てなければならなくなっていた。
スウェンは状況を把握するべく、『仮想空間エリス』で起こっている不可解な現象について考えた。
先程殺された女性が、自分の意思を持って、マルクから逃げていたように見えた事から、ホテルマンの不思議な投影説である『亡霊の如く現れて消える』という類の物には、少々当てはまらないようにも思う。
つまり、あれはホテルマンの語った不思議現象そのものではない。
仮想空間に設定されたエキストラは、死んでも『燃えて消える』ような消失はしない。あれでは、まるでログが支柱を壊した時の症状に似ていた。そうすると、彼女はエキストラでもないし、かといって、スウェン達のように、空間内にリアルに身体を投影された存在でもないとなる。
地形は平坦で、中心地から大きな十字の大道路が敷かれており、そこから五目状に細い道が縦横に分岐されている。街路樹や電灯、大型ショッピングセンターや高層ビル群、中心区域はAからDまでの四つに区分されている。
そのはずだったが、スウェンは、実際に『仮想空間エリス』に降り立って驚いた。
資料で見聞きした『仮想空間エリス』の印象と違い、そこは随分と荒廃が進んでしまっていた。敷かれたアスファルトには亀裂が入り、建物は災害に見舞われたように傷み、窓やパイプ管の破損も目立った。道路には、破壊されたように横転した車が転がっており、頭上には厚い雲が渦を描いて立ち込めている。
電気の稼働は、全て止まっているようだった。
状況は、あまりよろしくなかった。どうやら、全員がばらばらの地点に降り立ったらしい。
しかし悩む暇もなく、スウェンの眼前で、唐突に一人の女性が胸を貫かれて崩れ落ちた。
目の前で殺害された女性は、白衣を着用しており、鎖で勢いよく貫かれた身体からは出血がなかった。女性は目を見開いたまま事切れると、そのまま白く燃え尽きるように消えていった。
突然過ぎて詳細を確認するには至らなかったが、スウェンは、エキストラらしい登場人物を殺した物の蠢く気配を覚え、咄嗟に身を隠して様子を窺った。
建物の影から出て来たのは、対地上用戦闘機MR6だった。新兵器のとして開発と構想が続けられている、戦闘員搭乗用のモデル兵器シリーズである。
机上空論から始まった兵器開発は、シリーズ5までモデルが試作されていたが、実用段階までには至っていないはずだった。一時期、日本の技術者を呼んだらどうか、という意見もあったが、現状、日本が武力を持たない事については、軍も地団太を踏んでいた覚えがある。
丸みを帯びたボディと、滑らかな動きを可能にした力強い構造。どんなに不安定な道でも動ける車輪型の二本の脚に、銃口のついた大きな二本の腕。頭頂部には、防弾ガラスに守られた見通しの良い運転席が設置されている。
シュミレーテョン画面の中ではなく、MR6が兵器として、仮想空間の中を闊歩している姿は、スウェンを驚かせるには充分だったが、――対地上用戦闘機MR6に搭乗している人物を確認した際には、さすがのスウェンも言葉を失った。
対地上用戦闘機MR6を操作していたのは、地上で逃したマルク・シューガー本人だった。
運転席に腰かけたマルクは、神経質そうな目尻を痙攣させて、防弾ガラス越しに辺りに目を走らせていた。外で最後に見た時以上に痩せ細り、顔の皺は増え、その髪にも白髪が多く混じっていた。忙しなく辺りを何度も窺う様子は、マルク自身が想定していなかった何かが、ここで既に起こっているという事を感じさせた。
マルクは、地上に隠れているスウェンに気付かず、マイクの出力がオンになっているらしい操作室で、対地上用戦闘機MR6から放った鎖を巻き上げながら、苛立ったように呟いた。
「残像共が。……これはバグなのか。一体、この残像はどこから入りこんだのだ?」
スウェンは、先程消滅した白衣の女性を、つい最近どこかで見た事があったような気がして、ふと首を捻った。
息絶える直前の横顔をチラリと見たばかりでは、自分の記憶に結びつけられそうにもなく、眉間に皺を刻む。しかし、ここで何が起こっているのか、早急に確認する必要があるだろう事は、早々に理解した。
マルクは建物の影に潜むスウェンには気付かず、口の中で独り事を続けながら、対地上用戦闘機MR6の足を、別の方向へと進め始めた。機体が一歩踏み出すたび、荒れたアスファルドに散乱する瓦礫やガラスが砕かれ、鈍い地鳴りを上げた。
「……外にいる頭の悪い連中が、何かしでかしたのだろうか…………いや、入り込んだあいつらがプログラムの支えを崩したせいか? ……もう少しなのに数値が安定しない…………害虫が出るせいだろう……システムが誤作動を? そんな馬鹿な……バグに違いない、プログラムの制御は完全ではないのだから…………取り除けば……も完成するだろう」
スウェンは、去っていくマルクの声を聞いて、素早く思案した。
先程、マルクが仕留めた人間が『害虫』という事だろうか?
血も出ない点を考えると、立ち位置としてはエキストラとも思われる。しかし、白衣という姿がスウェンは気になっていた。仮想空間の登場人物ではなく、外の人間が投影されてしまっている可能性はないか。
いや、そうすると、どこから入り込んだのかという問題点に辿り着く。それに、殺されてしまった女性は悲鳴の一つも上げなかったではないか。
もしくは、マルクが仮想空間に使って死んだ、人間達の亡霊が現れるとでもいうのだろうか?
詳細は不明だが、『仮想空間エリス』で、何かしらの不具合が発生しているのは確かだろう。
マルクが成し遂げようとしている何かの完成が間近の所で、例えば、唐突に環境変化が起こって、彼の目的が阻害されている可能性もある。スウェン達が、これまでの仮想空間で遭遇したような想定外の『理』やら、『夢の住民』が関わっている可能性も捨てきれない。
科学者は、きっとその不可解さを認めない。
マルクも、数式や原理で説明出来ないものを信じないからこそ、彼なりに物理的な行動を起こしているとも推測出来る。
スウェンの中には、マルクが『バグ』と評している現象について、もう一つの仮説も浮かんでいた。
それは、ホテルマンが言っていた『心が投影される』という現象である。材料してマルクに殺された人間もそうだが、関わった多くの人間の記憶や想いといった、『心』が宿った映像が投影されるらしい現象だとしたら、どうだろう。
この『仮想空間エリス』には、実際に試験運用されていた過去の記録も、データとして残されているはずだ。現実的ではない、そんな不可解な現象が『仮想空間エリス』で次々と起こっているとするならば、マルクの驚き振りも腑に落ちる。
スウェンとしても、そんなファンタジーな現象は信じない派なのだが……先程、最後のセキュリティー・エリアで、半透明の青年が空に飛び出して行くのを目撃している。
物事を否定するのは簡単だが、根拠も証拠もない状態で、否定とは成立しない。
つまり、未知の『夢の住人』達がで出た来た時点で、一般常識だけでの考えは捨てなければならなくなっていた。
スウェンは状況を把握するべく、『仮想空間エリス』で起こっている不可解な現象について考えた。
先程殺された女性が、自分の意思を持って、マルクから逃げていたように見えた事から、ホテルマンの不思議な投影説である『亡霊の如く現れて消える』という類の物には、少々当てはまらないようにも思う。
つまり、あれはホテルマンの語った不思議現象そのものではない。
仮想空間に設定されたエキストラは、死んでも『燃えて消える』ような消失はしない。あれでは、まるでログが支柱を壊した時の症状に似ていた。そうすると、彼女はエキストラでもないし、かといって、スウェン達のように、空間内にリアルに身体を投影された存在でもないとなる。
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