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17章 エリスの世界~スウェン~(2)

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 スウェンの頭脳は、あらゆる推測の膨大な可能性を提示し始めた。

 考えればきりがないし、まるで絞り込めない。この世界の全てを理解している訳ではないので、当然だろう。

「――ああ、なんだってんだよ、クソ」

 悪態を吐くなんて下品な事はしたくなかったが、スウェンは堪らず吐き出し、歯痒さを思った。材料になった人間が、亡霊のように仮想空間内を彷徨う可能性について、ホテルマンに訊いておけばよかったな、と少し後悔した。

 地響きが遠く離れた後、スウェンは慎重に探索を始めた。

 しばらく歩いてみたが、朽ち果てた高層ビル群ばかりが目に止まった。資料で見ていた都市型軍事演習場を広範囲から確認するべく、高い場所を求めて、ビルの外付け非常階段を上ってみた。

 スウェンは、階段上部から町並を眺めた。

 設計上、中心地街に進むごとにビルの高さは低くなっているはずだったが、その中心地に、報告になかった巨大な塔が聳え立っているのも確認する事が出来た。

 全ての電力が途絶えた街で、中心地にある巨大な塔だけが様々な色の電光を灯していた。赤、青、緑、と誘導灯のように不規則な光りを放つその塔は、円形状となっており、全て機械で出来上がっているようだった。塔の先端は雲まで伸びており、先が見えないでいる。

 目測だけ軽く見積もっても、塔までの距離は二十キロメートル以上ありそうだった。

 塔の向こうにも、静まり返った街の影が佇んでいるのが見て取れた。連絡手段すらない広範囲の敵地にて、チームが離れ離れになってしまっている状況が悩ましいところだ。

 上から見降ろす街は、暴動が起こった後のような爪跡も目立った。一部の建物は崩壊し、地面が大きく抉られていた。最後に使用された際の光景が、リセットされずに残っているのか、プログラムの崩壊による弊害なのか、マルクが手を加えた為なのか、スウェンには判断出来なかった。

 正直なところ、ここへ来ればすぐにでも、アリスが見付けられるのではないかという甘い考えがなかった訳でもない。スウェンがセイジから報告を受けた印象では、彼らの元へアリスを届けてくれる、何者かの存在があるとの事だったからだ。

「甘い考えだったかなぁ……」

 スウェンは街を見降ろしつつ、途方に暮れた。

 もう一つの疑問点を上げるとすると、先程マルクが、アリスを探している様子がなかった事だ。マルクの計画には、既にアリスが必要ないという事か、もしくはアリスが何者かに連れ出された事を、マルクが微塵も考えていないか――

 マルクは何やら忙しい身のようであるので、後者の可能性も捨てきれない。そもそも、アリスが既に殺されている可能性については、ログの手前、考えないようにしていた。
 
 仮想空間を作り上げている心臓である『エリス・プログラム』は、きっと、中心地に建つあの塔の中だろう。

 電力稼働が続いている筒状の塔とは、どこか巨大な支柱を思わせる存在であるし、格好の目印であるので、他のメンバーも、一目で最終目的地が分かるに違いない。そう考えると、合流も難しくないように思えて来た。

 スウェンは、まずは自分を落ち着ける事にした。

 この世界で起こり進められている事を把握し、いかに効率よく迅速にアリスを救出し、任務を遂行するか考える。邪魔なようなら、マルクの処分も優先順位に加えられるが、今は自分が起こすべき行動を決めなければならない。

 思考を続けながら、スウェンは非常階段を下りた。チームがそれぞれ、遠う地点に飛ばされているとすると、全員でまとめて一つずつの優先順位を手早く済ませていく事は出来ない。

 セイジはやたらと引きが強い事もあり、不思議な少女に出会ったのも彼であるので、もしかすると、本人が意識せずとも、セイジが真っ先にアリスの元へ到着する可能性もある。ログには大きな目印のない探し物は不可能であり、すぐに迷子になって逆切れする事を本人がよく知っているので、彼はアリスの件をセイジに任せて、手っ取り早く目的地を目指すはずだ。

 セイジがアリスを、ログが塔を一直線で目指す事を考えると、スウェンもアリスの件はセイジに任せて、塔へ向かう道筋が決まった。アリスを現実世界に連れ戻す方法に関して、ハイソン達がきちんと準備を進めているのか、確認する必要もある。

 潜入前の説明では、『仮想空間エリス』にスウェン達が踏み込み次第、『エリス・プログラム』の一部の機能を奪還し、『外』への出力をオンにする手筈だった。生身の人間も帰還が可能であるのかは机上空論だが、マルクが既にやってのけているのなら、救出する為にはやるしかない。

 ハイソン達と連絡を取るためにも、スウェンは考えつつも、塔のある方角を目指して慎重に足を進めた。

 しばらく歩いていた彼は、不意に強い悪寒を感じて立ち止まった。

 足元から突如として、この世界が信じられなくなるような、おぞましい空気の変化を全身に覚えた。

 その直後、大地が音もなく空気を震わせ、脳を激しく揺らすような衝撃が襲った。まるで自分という人間の存在が、根底から崩されるような吐き気が込み上げる。平衡感覚が狂い、うまく立っていられなかった。

 精神を保とうと集中し、目を凝らしたスウェンの視界が、テレビ画面に走るノイズのように――一瞬、ブレた。

 途端に身体から圧力が離れ、知らず堪えていた吐息が、ほぅっと口からこぼれ落ちた。

 騒がしい無数の音が彼の鼓膜を叩き、スウェンは数秒ほど、目の前に突如として現れた光景が信じられで硬直した。先程まで廃墟と化していた街には、爆音と轟音がひしめき、多くの人間が悲鳴を響かせていた。

「――なんだ、これは」

 逃げ惑う人間は、どれも西洋人だった。伽藍としていたはずの街の時間が巻き戻ったかのように、あちらこちらから炎と黒煙が上がり、アスファルトには破壊された車や戦車、墜落したヘリコプターや瓦礫、大勢の人間の大移動で雑踏としていた。

 赤子を抱えた女性が、佇むスウェンに気付いて、振り返った。

「あなたッ、そんな所で何をしているの!? 早く逃げなくては駄目よ!」
「逃げる? 一体何から――」
「何を呆けているのッ、テロ攻撃があったじゃない! この街も、戦場に巻き込まれてしまったのよ。軍は多くの民間人を守れないわ。テロリストは、誰かれ構わずに殺し回っているのだから!」

 女性の悲鳴が、スウェンには虚しいものに映った。

 そう、まるで、画面越しに映画を見せられているかのように実感が伝わって来ないでいる。街の惨状は本物だが、逃げ惑う人間もまた、マルクが口にしていた『亡霊』の一つなのだという事に、彼は遅れて気付かされた。

 少ない情報から正確な答えを導き出してしまう、スウェンの思考が、カチリと音を立てた。

「……そうか。マルク自身も分かっていないバグの『亡霊』は、一つじゃないという訳か」

 目の前で逃げ惑う民間人のエキストラと、先程声もなく絶名した白衣の女性は、有りようは異なるが、『仮想空間エリス』にマルクが招いていないはずのイレギュラーに変わりはない。
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