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23 淑女の敵
しおりを挟む心地良い風が、学園の裏庭に吹き抜ける。
しかし、体が濡れているヒロインには寒かったようで、その身をブルリと震わせた。ロイドが去って行った方向を心細げに見つめながら、頰を滑り落ちた水滴をもう一度ハンカチで拭っている。
「では、参りましょうか」
お嬢様がそう声をかけて歩き出すと、ビクリと小さく肩を揺らしてから、おずおずと後ろをついてきた。
お嬢様は、迷いのない足取りで裏庭を進む。先ほどの昼食の席で、昨日学園内を上級生に案内して貰っていたご友人達から、学園内の大まかな間取りを聞いておられただけあり、教員室の場所はもうしっかりと把握しておられるようだ。
歩きながら、後ろのヒロインへと声をかける。
「ご挨拶が遅くなりましたが、私はエミリア・ハーツシェルと申します。貴女のお名前は?」
「あっ……私は、フィオナ・ラセンディアです」
ゲームでは、ラセンディア男爵の庶子という設定だったので、その名字は知っていたが、名前はプレイヤーが自由に入力出来る仕組みだったので知らなかった。ふむ……フィオナというのか。
お嬢様の肩越しに顔を覗かせて、ジロジロとフィオナを睨んでいると、彼女は怯えたように私から視線を逸らした。
もしかしたら、フィオナは動物が苦手なのかもしれない。執事のマーティンのように、リスや小鳥は可愛いから好きだけど、トカゲやヘビなんかは気持ち悪くて無理、とか言うのならば許さぬ。
いや……私は誇り高き竜族であり、トカゲでもヘビでもないが。しかし、人間による動物間差別には、声を大にして異を唱えたい。爬虫類だって可愛いだろう!もっと愛でなさいよ!
広い裏庭を進み、建物の中に入った所で、フィオナがくしゅんっとクシャミをした。
「もうすぐ教員室へ着きます。そうしたら、着替えを用意して頂けるでしょうし、体を温める為に浴場も貸して頂けると……」
お嬢様がそう言いかけた所で、横合いから声がかかった。
「あれ……?君、ずぶ濡れだね。雨が降っている訳でもないのに、どうしたの?」
亜麻色の髪をフワリとかき上げながら、甘い顔立ちの男が寄って来て、フィオナを心配そうに覗き込む。
「えっと、池に落ちちゃって……。でも、大丈夫です」
フィオナは、恥ずかしそうに赤く頰を染めながら、肩にかかっているロイドの上着を胸元に手繰り寄せて、濡れたドレスが見えないように隠した。
「それは大変だったね。早く着替えないと風邪をひくよ。水に濡れている君も、泉の精霊が陸に上がって来たようで、とても美しいけれど」
男は、フィオナの頰に張り付いてしまっている髪を、自然な動作で指先で耳へかき上げて整えてあげてから、藍色の瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
ポーッと、ますます赤くなるフィオナ。
「キース様……今から教員室へお連れする所です。彼女が、お風邪を召されるといけませんので、失礼いたします」
お嬢様が、固い声でフィオナと男との間に割って入り、フィオナへ歩くようにと促す。
「おや、これはエミリア様、ご機嫌麗しゅう」
今、お嬢様がいることに気づいたかのように、大仰に紳士の礼をするこの男。
ゲームの攻略対象者の一人である、キース・ライケイドだ。
私は顔を合わせるのは初めてだが、ゲーム以外でもキースに関する噂は色々と知っている。お嬢様とご友人方とのお茶会で、時折話題に上るからだ。
曰く、伯爵家のご令嬢を誑かして一週間で捨てたとか。曰く、婚約間近のご令嬢とその侍女を同時に弄び、婚約話を破綻させて修羅場になったとか。この年にして、とんだ女誑しだと悪名高い。
お嬢様の家と同じ派閥の子爵家のご令嬢も、キースの誑かしの被害に遭い、お嬢様がお茶会でご友人達と一緒に慰めいていたのも記憶に新しい。
お嬢様は、キースからフィオナを守るように間に立ち、薄く笑みを浮かべて短く挨拶をする。
「キース様、ご機嫌よう。では、私達はこれで……」
フィオナを連れて、素早く立ち去ろうとしたお嬢様の後ろを、キースは平然とついて来る。
「私もお供いたしますよ。困っているご令嬢を放ってはおけません。濡れている貴女を、他の生徒達の視線からお守りしますよ」
パチリとフィオナにウィンクしたキースを、お嬢様は冷めた目で見る。
「不要ですわ。それよりも、もうすぐ授業が始まりますので、フィオナ・ラセンディア様と私の教室へ行き、先生に遅れることをお伝えして来て頂けませんか」
「わかりました。その役目をお引き受けいたしましょう。ですが、なぜエミリア様が彼女とご一緒にいるのですか?まさか、エミリア様が彼女を池に突き落としたなどということは……」
「私は、そのようなことはいたしません」
お嬢様が不快げにキッパリと否定すると、キースは愉快そうに微笑んだ。
「嫌ですね、冗談ですよ。では、行って参ります。フィオナちゃん、またね」
馴れ馴れしくフィオナの名前を呼び、手を振って去って行くキースに、フィオナも軽く手を振って見送る。
お嬢様は、小さく溜め息を吐き、
「あの方には、あまり近づかない方がよろしいかと……。女性関係で良い噂を聞かない方です」
と、フィオナに忠告した。
キースの仕草に一々赤くなっていたフィオナを、男慣れしていなさそうだと判断して、誑かされてしまわないか心配されたのだろう。
しかし、このヒロイン……ゲームと同じならば、誑かされるどころか、初心そうに見えて次々と攻略対象者を落としていく豪傑なので、心配はないと思われます。
フィオナは、お嬢様がせっかく忠告を与えてくださったというのに、素直に頷くことをせずに小首を傾げた。
「そうでしょうか……?優しい方に見えましたけど」
「表面上はそうでしょうね」
お嬢様は、バッサリとそう切って捨てる。
「噂は噂ですし、全て正しいとは限りません!そんなことで、あまり人を悪く言うのは良くないと思います」
「噂の中にも真実が紛れていることがありますから、耳を澄ませておくことをお勧めいたします」
それ以上は、フィオナになにを言っても無駄だと判断したのか、お嬢様は会話をやめて廊下を進んだ。
やがて、教員室へと到着し、教師に事情を説明して、濡れたフィオナのことを預ける。
お嬢様は教員室を出ると、ご自分の教室へと足を向けた。
すでに、昼休み終了の合図である鐘は鳴っており、教師にはキースが知らせてくれてはいるだろうが、フィオナのせいで授業に遅れてしまっている。お嬢様にこのような迷惑をかけるとは、まことにけしからんヒロインだ。
先ほど、お嬢様の親切な忠告に口答えしていたのも気に食わない。
思い返してみれば、ゲームでもヒロインはああいう人間であった。階級社会の差別やイジメには、持ち前の正義感を発揮して毅然と抵抗するが、イケメン攻略対象者達に対してはやたら甘いのだ。
キースのように、数多の婦女子を弄び泣かしても、
「貴方は悪くないわ。理由があったのだもの……。仕方ないわ」
などと言って、簡単に許す。
倫理観のバランスがおかしい。イケメンに対してだけは、罪を罪とも思わず一言も責めずに一瞬で許すのに、お嬢様に対しては、一切の弁明を聞き入れず処刑まで追い詰めるとはどういうことだ。許すまじ、ヒロイン。
私はやはり、泣かされたご令嬢を思いやり、キースに憤っているお嬢様こそ、心優しく素晴らしいお人だと思う。
お嬢様は、顔には惑わされないお方だ。なにしろ、世界一美しいお顔をご自分でお持ちなのだから当然だ。攻略対象者達であろうと、麗しきお嬢様と比べれば月とスッポン。太陽とミジンコ。いや、最早比べることさえも烏滸がましいと言えよう。
この美貌を世界から消すということは、太陽も月もこの世から葬り去ることと同義だというのに、ヒロインと攻略対象者達め……。勿論、我が麗しきお嬢様は、この私が奴らからも、何者からもお守りするが。
教室へ着くと、すでに始まっていた授業の邪魔にならないように、お嬢様は静かに教師に礼をして、ご自分の席へと座る。
離れた席から、キースがヒラヒラと手を振ってきたが、お嬢様は小さく頭を動かし黙礼だけをして前を向き、途中からの授業を理解することに集中する。
思えば、ルーファス、ロイド、キース、サディアスと、この教室には攻略対象者という名の敵達が何人もいる。
この学園では、一年生は魔法の基礎を三つの組に分かれて学ぶ。基礎以外の専門の授業は、組に関係なく共同で受けるが、入学後しばらくは専門の授業はないようだ。
組分けは、主に階級と入学前の試験の成績によって決められる。当然、お嬢様は最も上位の組である、第一組に属しておられる。
珍しい光魔法の使い手とは言え、男爵家であり、入学時は劣等生のヒロインは、最も下位の第三組である。進級時に、それまでの成績を考慮して再度組み分けが行われる為、ヒロインも頑張れば二年生や三年生になる時に、この組に上がって来られるだろうが。
だがしかし、ゲームとは違い、ここではヒロインにそのチャンスはない。なぜならば、そうなる前に私がこの手で奴を打ち倒してやるからだ。
ヒロインをしばらくの間、排除出来れば、次はルーファスだ。組が同じことは、幸いなことかもしれない。行動パターンを近くで観察出来る。
ルーファスが終わったら、念の為にロイドも葬っておくべきか……。キースには、去勢薬を盛り、新たな被害者のご令嬢を出さないようにした方が良いか……。敵が多い為、その対処も大変である。
そういえば、キースとヒロインは先ほどが初対面だったようだが、二人の出会いイベントはもっと別のものだった記憶がある。
しかし、ゲームでも、キースがチャラチャラとヒロインに声をかけるという出会いだったから、あまり変わりはないか。場所と状況が若干違うだけだ。
勿論、ゲームでの二人の出会いイベントの場にはお嬢様はいなかったが……。お嬢様が私を散歩に連れ出してくださるという、ちょっとした行動で、結構簡単にイベントは変化してしまうものなのだな……。
ロイドに引き続き、キースの出会いイベントも微妙に変わったのだとしても、やはり私にとってはどうでも良いことだ。粛々と、お嬢様の敵を排除するのみである。
ひとまず、いつものようにお嬢様の膝の上で丸くなり、作戦を練る。
教壇に立っている教師の淡々とした喋りが、私を夢の世界へ誘おうとするが、頑張って睡魔に抗う。すると、お嬢様が私の背中を、優しくゆっくりと撫でてくださる。
ふわぁ……お嬢様、いけません。私は奴らを屠る計画をですね……むにゃむにゃ、気持ち良いです、お嬢様……。ぐぅ……。
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