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11. 深夜、病室にて
しおりを挟む久慈が目覚めたら押してくれと、あらかじめ看護師に言われていたこともあってか、ほどなくして看護師は医師を連れて病室へとやってきた。狭い個室はそれだけでいっぱいになってしまう。
体格の良い蓮哉は個室の隅に寄って、医師と看護師からの診察を受ける久慈を静かに見守ることにした。
医師の診察が続きつつも、久慈は看護師に体温計を手渡されて熱を測ったり、問診に答えたりしていく。追加のケアが必要そうなら手伝うつもりだったが、その必要もなさそうだ。
しばらくして「疲労は溜まっていそうだけど、それ以外は問題ないので、夜が明けたら帰っていい」と言って、医師と看護師は病室を去っていった。朝イチに看護師がやってくるので、そこで手続きをしたら帰れるらしい。
医師と看護師が去ったあと、蓮哉は再び椅子に座り直した。
上体を起こした久慈は、先ほど看護師から経口補水液を渡されて飲んだのと、眠りから覚めて大分頭が回ってきたのもあってか、随分と顔色がマシになっている。
「あの、東雲さん。辻と中井……ええと、俺が一緒にいた二人って、どうなったかご存知ですか?」
「辻さんと中井さんですよね。久慈さん、ドロップしてたので憶えてないかもしれませんが、約束したとおり、事情を説明して一緒に病院に来てもらいました。ただ時間も遅いですし、お二人はNormalで何もできないだろうからって、深夜一時を過ぎた頃に帰っていきました」
蓮哉の言うとおり、辻と中井も病院には同行した。
人によっては自分のダイナミクスを職場や友人に公言していない人もいるので、久慈がサブドロップを起こして倒れたというのを報告するのに多少の躊躇いはあった。だが幸いにも久慈は自分がSubであることは隠していなかったらしく、二人はすぐに理解して、蓮哉とともにタクシーに乗り込んでくれた。
久慈の勤めている会社は二次性への理解がある職場のようで、明日も休んでもらおうと二人が話しているのを聞いて、ほっとしたのを覚えている。
「そうでしたか。あ、っと……今さらですけど、東雲さんもあの店にいらっしゃったんですね。俺、全然気づきませんでした。サブドロップしたところを助けられるなんて、お恥ずかしいかぎりで……」
「いえいえ、謝らないでください。悪いのは絡んできたDomのほうでしょう? いくら酒が入っているとはいえ、一方的にグレアとコマンドを使ってどうこうしようなんて、大人のすることじゃないです」
言葉を紡ぎながらも、ピリッと蓮哉の心が小さく震える。
——一方的にグレアとコマンドを使うなんて。
自分で発した言葉なのに、自分の心の奥底に隠し続けている傷口を不躾に撫でられたような気持ちになった。
(俺が言えた義理じゃないんだよな……)
蓮哉には、一方的にグレアとコマンドを使って、近くにいたSubをサブドロップさせてしまった過去が二度ある。
一度目はまだ力が制御できない年の頃で、大人というには程遠い年齢だったし、二度目もある種の不可抗力ではあるのだが、事実としては存在する。
その記憶は、今でも苦いものとして蓮哉の心の奥に居座り続けている。そして、こうして何かをきっかけに自分を戒めるように顔を覗かせる。
蓮哉がグレアを自分の意志で好き勝手に出すことができなくなったことと、Subのサブドロップは大きく関係している。だから、こんなにも苦い気持ちになっている。
端的に言えば、Subをドロップさせる可能性があるグレアを放つことを蓮哉自身が極端に恐れるようになった——というのが主治医の診断だ。
グレアを出そうとしても、上手く出せない。近くにSubがいようがいまいが、自分のグレアが誰かに悪影響を与えることが恐ろしい。
心因性と言われる所以は、そこにある。
「……東雲さん?」
「あ、すみません。少し考えごとをしてました」
つい思考の海に沈みかけた蓮哉を、久慈の声が呼び戻す。
取り繕うように返事をすると、顔色が良くなった端正な顔をこちらへ向けて、久慈は深々と頭を下げた。
「遅くなりましたが、助けてくれてありがとうございました。絡んできたやつのグレアとコマンドがかなり気持ち悪かったんで、あのまま浴び続けたらもっとヤバかった気がします」
「お力になれたのなら良かったです。でも少し意外でした。その……失礼を承知で言いますが、久慈さんは高ランクですよね? 久慈さんと比べると、あの男はそんなに高ランクってわけでもなかったので対抗できたのではないかな、と」
他者のランクをどうこういうのは、あまり好ましいことではないのだが、つい口をついて出てしまった。言ってから申し訳なく思ったが、久慈は不快な様子も見せずに、苦笑しながら答えた。
「あーははは……そうですね。疲れ気味だったところで、お酒が進んでしまっていたからかもしれません。ガードが緩かったというか……情けないことに、自己管理が疎かでしたね。それに、最近はプレイ不足もあったので……」
そう言って、久慈は先日の顔合わせでは見せなかった悄然とした態度で語った。あのとき見せていた、嫌味のない自信に満ちた表情が嘘のように、柔らかく……ともすれば弱さを垣間見るような、庇護欲を掻き立ててくるような姿に腹の奥が熱くなる気がする。
「プレイ不足、ですか」
「あー……はい。俺、パートナーはいないんで、なかなか……」
「いない? 久慈さん、モテそうなのに」
それは厭味ではなく率直な感想だった。
これだけ容姿に恵まれて、仕事もできそうな久慈にまさかパートナーがいないとは、思いもしなかったのだ。
「いやぁ……よく言われるんですけどね。実際は全然です。東雲さんもDomなので多少はわかると思うんですけど、二次性を持ってると相手を見つけるのって大変じゃないですか。プレイと恋愛が別って人もいますけど、俺はなかなか……。それに、このランクのせいか、色々合わないことも多くて」
一般的に言われているのは、ランクが釣り合わないとプレイも釣り合わない傾向があるということだ。
ランクは欲の強さだけでなく、Domならばグレアの強さやコマンドのコントロール力、Subならばグレアへの対抗力などで決まるらしい。
蓮哉の体感として、久慈のランクはA。
Sランクの自分が言うのはなんだが、A以上のランクを有するのは、DomもSubも珍しい。ただでさえ二次性を持つ者が少ないのに、その大多数はB以下だ。そんなAランクの綾春が「合う」Domを探すのはたしかに難しいことかもしれない。
Sランクの蓮哉もまた、自分の欲に見合ったSubを見つけるのは難しいので、その苦労はよくわかる。まあ難しいというか、蓮哉の場合は今の今まで出会ったことすらない。
——蓮哉のDomとしての欲は、自分でも辟易とするほどに深くて強い。
今はグレアもろくに出せないDomなので、パートナーを探す以前の問題なのだが、グレア不全症に罹る前はプレイ相手を見つけるのに苦労したものだ。
事情も性も異なるが、自分に見合う相手がいないと嘆く久慈に、蓮哉は共感を覚えた。
こんなに見目が良く、公私ともに充実していそうな久慈でさえも、苦労をしているのだ。そう思うと、同情心のような憐憫の情のような、なんとも言えない気持ちが芽生える。
(SとAなら、そう悪くないランク差だよな)
久慈がもし自分のグレアやコマンドで気持ち良くなってもらえるのなら、どうだろうか。
Sランクを誇るグレアとコマンドで支配して、躾けて、甘やかしてやったら、このSubを自分のものにできるのではないか。
そんな独り善がりな欲望が体の奥から湧き立つのを感じて、蓮哉は慌てて頭を振った。
けれど、もしかしたら……もしかしたら——。
「あの、久慈さん」
「はい?」
「あー……えーと、あの…………」
無意識のうちに久慈を呼んでしまって、蓮哉はハッとした。それから取り繕うようにして、なんとか言葉を紡ぐ。
「俺のグレア、気分悪くなりませんでした?」
「グレア、ですか?」
「あ……っと、その、久慈さんドロップ中だったのに俺、近距離でグレア出してしまったので、気持ち悪くさせただろうなと。俺もまあまあランクが高いので……Subの方からすると、あれは強すぎたかなと」
違う。本当に訊きたいことは別にあった。
——俺のグレア、よかったですか?
なんて、無礼な言葉を投げそうになったが、何とか堪えた。そんな態度をとってしまっては、さっきの無作法者と同じだ。
高圧的で傲慢な振る舞いをしようとした自分を、蓮哉は恥じた。不躾な質問を投げかける前に自制心をフルに効かせ、なんとか別の言葉を紡ぐことに成功し、内心ほっとする。
「ええっと……そうですね。東雲さんのグレアは大丈夫でしたよ。強いなーとは思いましたけど、どちらかというと心地よかったというか、服従したくなったというか……」
「えっ?」
「あ、いや! 何でもないです」
なんとか紳士的な質問に収めてみせた蓮哉だったが、久慈の反応にどうしようもなく胸が騒めいていた。——今、久慈は何と言っただろうか。
いや、繰り返させずとも耳にはしっかり届いていた。
だからこそ、さっきの答えをもう一度教えてほしい。もう一度その口で、声で、聞かせてほしい。「心地よかった」「服従したかった」というDomにとっては何よりの言葉を——。
ただ、そう伝えるのには自分たちの関係は浅いもので。
久慈もまた、自分が放った言葉に驚いている様子だった。
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