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12. 未明に燻る想い
しおりを挟む「そ、そういえば、東雲さんはどうして付き添いを? こんな遅くまでお付き合いいただくなんて、ご迷惑でしたよね」
「あ、ああ……気になさらないでください。久慈さんが意識落ちる前に俺、『眠って』って言ってしまったのでケアが必要になるかもと、残っていたんです。コマンドにはしなかったはずなので大丈夫だとは思ったんですけど、念のため医者も居てくれると有り難いってことで、それじゃあ一応って」
久慈が話題を変えてくれたのをいいことに、蓮哉も何でもないような振りをして質問に答えた。
医者の話を引き合いに出したが、実際のところは違う気持ちがあったことは今になってこそわかる。
久慈にはとても言えないが、「このSubを放って帰りたくない」と思ったのだ。今思えば、自分の中のDomとしての本能がすでに動いていたのだろう。完全な庇護欲と独占欲。相手を支配したい気持ちゆえの対応だった。
——久慈という男を支配してみたい。
自分はいま、どうしようもなく久慈綾春という男に惹かれ始めている。
けれど、それを伝えるのには、彼との距離が遠い。
それに何と言っても……自分はグレアもまともに出せない欠陥Domだ。
いくらランクが高かろうと、久慈に見合うようなプレイを行ってやれるような強いDomではない。
(せめてグレアがまともに出せたらな……)
蓮哉の中で膨れ始めた気持ちは急速に萎んでいく。
久慈のことは気になるが、まともにグレアも出せないDomが手を出していい相手ではないことくらい、さすがの蓮哉でも判断できる。迂闊に手を出すのは危険だ。なにより久慈に申し訳ない。
DomにせよSubにせよ、まともにプレイできないというほど、つらいことはないのだから。
彼には、少なくとも自分よりもお似合いの相手がどこかにいるはずだ。Aランクという高ランク持ちではあるが、別にランクが釣り合ってなかろうとも相性というものはある。今はパートナーはいないと話す久慈だが、きっと彼のことを理解してくれるDomがいつかは現れるだろう。
つい先ほどまで頭を擡げていた欲求を振り払って、蓮哉は久慈に言った。
「久慈さん、大丈夫そうなので、俺も帰りますね。お仕事、大変かとは思いますが適度にされてください。医者も、過労とプレイ不足が重なるのは良くないって言ってましたから。お大事になさってくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます、東雲さん。またお礼は改めて。お仕事のほうも、引き続きどうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる久慈に蓮哉も小さく頷いて、もう深夜というには時間の過ぎた病院をあとにした。
◇◇◇
蓮哉は病院を出る直前に配車アプリでタクシーを呼び、未明の都内を四十分ほど走らせて、実家へと戻ってきた。
この日はもともと実家に泊まる予定だったのだ。
「おかえり。ご苦労だったわね」
玄関を静かに開け、水を飲むため灯りの落ちたキッチンへやってきたところで、入り口から声がかかる。振り向けば寝間着姿の母が入ってくるところだった。
「ごめん、起こした?」
「いいえ、大丈夫。ちょうどトイレに起きたところで帰って来た音がしたのよ」
久慈を病院へ連れて行く途中で、母にはメッセージを入れておいた。
知人のサブドロップを助けたために帰宅が遅くなる旨と、鍵は持っているから気にせずに休んでほしいという旨だ。
蓮哉が住んでいるのは葉山だが、実家は東京の世田谷区にある。
大学を出て半年くらいまでは蓮哉もこの家に住んでいた。社会人になってしばらくしてから家を出たので、今は都内に用があったときの宿代わりと、両親から呼び出されたときに帰るばかりではあるが、鍵は今も持っているし、いつ顔を出してもいいとは言われているので、好きにさせてもらっている。
「朝ごはんは作っておくけど、好きな時間に食べてね。あなたも疲れただろうからゆっくり休んで。おやすみなさい」
「ありがとう、おやすみ」
本当にたまたま起きたところで蓮哉が帰宅したようで、母は言いたいことだけを伝えたら二階へと上がっていった。
その様子を見送って、ペットボトルの水を一本、冷蔵庫から取り出して、蓮哉は一階にある浴室へと向かった。
蓮哉の実家は、自分で言うのもなんだが十分な広さを持った邸宅だ。
一階には広いリビングとダイニング、キッチンもゆとりをもって作られている。そのほかに客間と書斎がある。
そして二階には両親の寝室のほかに、母の趣味部屋、それから蓮哉の部屋と、蓮哉の二歳年上ですでに嫁いで家を出ている姉の部屋、ライブラリースペースと物置部屋があった。また、一階と二階それぞれに浴室や洗面スペース、トイレがある。
実家を出るのは惜しいと数少ない友人に言われるくらいには、大きく快適な暮らしができる家だ。すべては蓮哉の父が事業に成功し、今もなお精力的に働いているからだ。
蓮哉は今日あった出来事を反芻しながら、さっとシャワーを浴びた。その後、水分補給も十分にして、さっぱりしてから自室へと戻る。
もう朝方の四時を過ぎているが、目はやけに冴えていた。
(久慈さん、か……)
ベッドに腰かけながら、今日のことを反芻していた。
見目の良いSubだった。
そして、ランクの高さゆえにパートナーがいないと聞いて鼓動が速くなった。なにより、ランク云々だけではなく「久慈を助けようとしたらグレアを出せた」という状況が、浅からぬ期待を持たせた。
だが、膨らんだ期待を一刀両断したのもまた、自分自身だ。
蓮哉はグレアを自らの意思で出せない。
心因性、かつ一過性のものだと診断され、数ヶ月に一度病院でリハビリを行なっている。しかしグレアを出せなくなってから三年経っても、一向に改善の兆しがない。
そんな自分がどうやってSubの相手をするというのか——。
「……どうやって出したんだろうな」
ものは試しと、先ほどシャワーを浴びている最中にグレアを出そうとしてみた。つい一時間ほど前まで、弱った久慈に接していたので、Dom欲が高まっていたのもあった。だから「できる」気がして、グレアの放出を試みた。
だが——上手くいかなかった。
エストレージャでサブドロップしていた久慈を助けるときには、たしかに自分の意志でグレアを放ち、あの下劣極まりない若いDomを威嚇したというのに。僅か数刻経っただけで、この有り様だ。
「はぁ……。一生このままだったら、どうするかな」
Subにとってそうであるように、Domも欲求を満たせなければ不満が溜まる。Subのようにサブドロップのようなことは起きないが、不眠や頭痛などの体調不良はDomにも起きる。それがなくとも、欲を満たせず渇きを覚える。
蓮哉にとって厄介なのは、グレアを出せないからDomの欲を易々と満たせないという点だ。リハビリでなんとかグレアを出せたときに簡単なプレイをするのと、強い抑制剤を服用することで何とかしているが、体は常に飢えている。
グレアを放たずともコマンドは使えるようなのだが、Domとして相手を支配する効力は弱まるらしく普通のプレイとは言い難い。そのため事情を知る人以外とプレイに及ぶことができない。またプレイをしてもグレアを出さない状況は身体的には不都合らしく、常に欲求不満のような状態だった。
あのSub相手にグレアを放って、コマンドで命じて、ぐちゃぐちゃにして、支配して、甘やかしてみたい。
持て余し続けている欲望と、燻りそうな想いをどうにか鎮めて、蓮哉は明け方にようやく眠りについたのだった。
◇◇◇
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