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39.私を魔女と呼ぶのは誰?

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私を小さな魔女と言った夫人はスカートの裾を少し上げて膝を折った。
ざわざわ、会場の空気が一変する。

何が起こったの?

「お止め下さい。セーチェー侯爵夫人」

母上が慌てて止めた。
セーチェーって、セーチェー侯爵夫人か!
王国の双璧の片方。

そりゃ、空気が変わるよ。
王に継ぐ、最大の権力者の夫人がヴォワザン家に頭を先に下げたのだ。
父上が慌てて、胸に手を当てて敬礼する。
母上も膝を折ってスカートの裾を上げた。

もちろん、私もだ。

不敬に問われないギリギリの角度まで父上が頭を下げている。
従うのは王以外であってはいけない。
完全の頭が下がる最敬礼なんてやってはならない。

だが、頭を下げるのは下位の者からという絶対の法則がある。

軽い会釈であっても下位である私達から会釈をするのが礼儀なのだ。
でも、セーチェー侯爵夫人が先に頭を下げた。
父上も母上も慌てるよ。
会場のみなさんもびっくりしたでしょう。
セーチェー侯爵の方が格下ですって触れ回ったようなものだ。

悪目立ちだ!

うふふふと笑うご夫人は何を考えてそんなことをしたの?
「貴方がエリザベート様で間違いないわよね」
「セーチェー侯爵夫人、どうか、様などをお付けにならないで下さいませ」
「そう、ありがとう。じゃぁ、エリザベートも私のことをウルシュラと呼んで頂戴」
「流石に恐れ多いです」
「それじゃ、私はエリザベート様と呼び続けるわよ」
「判りました。ウルシュラ様でよろしいでしょうか?」
「ウルシュラでいいわ」
「ウルシュラ様、どうかお許しを!」
「仕方ないわね。それでいいでしょう」

突然、名前で呼び合う仲になってしまいました。
セーチェー侯爵夫人に敬称を付けないで呼び合うとか、心臓に悪すぎる。

「セーチェー夫人、不肖の娘が何か用事でございましょうか?」
「イネス、お久しぶりね」
「そのようにお呼び頂いてありがとうございます」
「新春は風邪をこじらせて会えなかったでしょう。かと言って、突然にお茶会に誘うのも憚れると父上に怒られて我慢していたのよ」

話がまったく見えません?
風邪とは、おそらくインフルエンザのことでしょう。
この世界では風邪は『ヒール』魔法で治ります。
ところが、ウイルス系の病気は『ヒール』でウイルスも元気してしまって治らないので、完全に治るまで隔離されてしまいます。
従者と侍女以外は家族とも会えません。
この世界には抗生物質なんて都合のいい薬がないよ!

「エリザベートが考えたパン菓子が素敵だったわ」
「パン菓子ですか?」
「お見舞いに頂いたパン菓子を見てから、エリザベートに会いたくて仕方なかったのよ。エリザベートが考えたと聞きましたが、それに間違いはないですわね」
「はい、その通りでございます。ですが、あれは二等小麦を使ったもので、セーチェー侯爵夫人がお食べになるような」
「ウルシュラよ」
「ウルシュラ様が食べられるような菓子ではございません」
「確かに生地は粗悪だったわ。でも、問題はそこじゃないのよ。あのお菓子を考えたのはエリザベートでしょう」
「はい、そうです」
「パンに何かを入れるなんて考えも付かなかったわ。私も料理が好きなのよ。でも、調理場に入れて貰えない。だから、お爺様に頼んで私専用の料理場を作って頂いたのよ」
「それは凄いです」
「凄いのはエリザベートでしょう。料理人と勝負なんて思い付かなかったわ」
「あれは成り行きで!?」
「だからなのよね。折角、美味しく作っても食べてくれるのは家族と家臣だけなのよ。この気持ちが判るのはエリザベートしかいないのよ」
「そうですね! 自分で作った物をお出しする訳にいきません」
「料理人は私のレシピで料理を作ってくれない。私もずっと悩んでいたわ。でも、エリザベートは天才よ。そうよ、自分の店を作ればよかったのよ。私のレシピで料理を作ってくれる料理人を集めた店を作ればよかった。エリザベートを私に遣わしてくれた神に感謝するわ」
「えっ! ウルシュラ様、お立ち下さい」

私の手を取って感動しているセーチェー侯爵夫人の姿勢が滅茶苦茶ヤバいんです。
子供の目線に合わせるということは膝を折らないとできない。

頭を下げていないからセーフ!

決して、膝を折って私に敬礼している訳じゃない。
自分で自分に言い聞かす。
慌ててセーチェー侯爵夫人に近づいてきたのはテレーズ嬢だ。
うん、慌てるよね!

「すみません。私のお母様が迷惑を掛けました」
「テレーズ、この方が私の言っていたエリザベート様よ」
「判りました。とにかく戻って下さい。お爺様がお怒りです」
「舞踏会とお茶会の招待状を送りますから来て下さいね!」

皆に聞こえる大きな声で叫んでいる。
心臓に悪い。
場所を気にしない人だ。
テレーズに手を引かれて、セーチェー侯爵夫人が連行されてゆく。
どちらが母親か判らない。
報告書に変わった夫人とは書いてあったが、行動が突飛過ぎて付いて行けなかった。

「エリザベート、貴方はなんてことをするの?」
「母上、私のせいじゃありません」
「判っているが、くれぐれも自重するように!」
「父上も見ていましたよね」
「私はエリザベートが二人いるのかと思ってしまいました」
「エリザベートが二人もいると何が起こるか判らんぞ」
「どうしましょう」
「イネス、エリザベートから目を話すな」
「もちろんです」

私はセーチェー侯爵夫人ほど無茶をしていませんよ。
ちゃんと人目を気にしています。

「エリザベート、舞踏会に行っても自重を忘れるな!」
「とにかく、口を開いてはいけません」
「父上、自重は致します。母上、しゃべるなとは無理でございます」

父上は私を何だと思っているのですか?
被害者は私でしょう。
魔女と呼んだのは、セーチェー侯爵夫人だ。
先進的で人々を導く者と評価して頂けたのはありがたいが、ホントに心臓に悪い人だ。
視線は割れたが、まだ注目されている。
この注目を集めた状態で第一王子にあいさつをしなければならない。
いいでしょう!
このまま悪目立ちしてあげましょう。

「アンドラ、行きましょう」
「はい、姉様」
「エリザベート、自重しろ!」
「あいさつだけでいいのよ」

それは王子に聞いてくれ!
嫌なことをさっさと終わらせようと第一王子の前に進んでいった。

会うのは5年半ぶり、言葉を交わすのは初めてだ。
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