ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第四章・小さな偶像神

【第一節・ゴリニヒーチ家】

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 俺の名前は【ツメイ】、【ツメイ・ゴリニヒーチ】。高潔なる【第二階級貴族】にして、かつては【戦争屋】として名を馳せた男の孫だ。資産として王都近郊に広大な私有地を複数持ち、その上に建つ街や牧場、農場の地主として悠々と暮らしている。
 ……しかし、祖父のように十五年前に終結した戦争で一儲けしてしまった貴族は百を超え、王都に住む莫大な資産を持つ一部の貴族達は結託し、【貴族階級制度】を布いた。当初は平等性に欠けると酷く反対されていたが、権力者が団結することで王都側から解体案を出されにくくなること、逆に王都の内政へ干渉することも叶うことから、やがて【ウルスラグナ】家を除く全ての貴族達が従うこととなった。

 だが、皆それで【満足】してしまった。戦争が終わり、武器を含めたあらゆる軍備は王都側が主導権を握り、俺達の手元には一生あっても使いきれるかどうかわからない資産と、約束された貴族としての地位だけが残った。そして多くの者は己が保身に、残りの【第一階級貴族】は【自分達にとって金になる事】にしか興味を抱かなくなった。
 違う、そうではないだろう。この狭い安全圏を外へ広く開拓し、あらゆる分野に着手・拡大して、より俺達人間の繁栄へ貢献すべきだ。他種族を完全に指揮下に置く、もしくは完全に棲み分けを行い、醜い小競り合いから戦争そのものが二度と起こらぬようした上で。
 現王の統治は生温い。各々の種族の裁量で、自治権を任せてしまっている。【地上界】に存在する種族を束ね、指揮することが出来ずになにが王か。それも【導きの天使】の【お告げ】とやらか? それとも【狂王】の二の舞になることを臆し、自身の力量不足から責任を逃れようとする愚行か。かつて死と隣り合わせの戦場を数十・数百と切り抜け、【勇者】と呼ばれた男がその有様だから、貴族の中から危険を冒してでも新規開拓を行う者が出ぬのだ。

 俺は神を信じない。苦痛と飢餓ばかりを与える神など信じない。それに従う【天使】や崇拝する信者達が集う教会もだ。祈るだけでは人は救えぬ、苦痛や飢餓からは逃れられない。職を与え、土地の経済を回し、対価として報酬を与えることで苦痛や飢餓から逃れ、充実して生きることが約束されるのだ。【時は金なり】とは、よく出来た言葉である。逆に金さえあれば、いつかは訪れる死以外に怯えることなく、日々の安寧を得られるのだからな。

 【祖父の七光り】などとはもう呼ばせない。理想を実現させ、温ま湯で腑抜けになった貴族共の目を覚まさしてやる。

***

 定例議会を終え、議会堂の私室で外出用の装いに着替えた俺は、私物の馬車へと乗り込み、王都から離れた山中にある【ドワーフ】の集落へと向かっている。
 同行者は顔なじみの御者と、用心棒として祖父の代からゴリニヒーチ家に仕える従者家系であり、俺が唯一信用している【ティアーソン】のみ。魔物共が巣食い、尊き正常な感覚を持つ人間が目の前で惨殺されたあの一件以来、身の危険を回避するため常時同行させている。
 ティアーソンは馬鹿だが腕はたつ。数年前義父の気紛れな退屈しのぎで、興奮した食用一角獣共の檻の中へ放り込まれたことがあったが、奴は十数匹の一角獣を携えた【刀】と呼ばれる剣で皆殺しにした後、鉄製の檻を切断し無傷で脱出してきた。
 義父は生意気だと彼を叱咤したが、戦場で二年も爆音や怒号が飛び交う戦場で過ごした俺にとって、血塗れになりながらも、全力で命を賭して眼前の死へ抗う姿に共感を覚えた。そうだ、それが俺達人間の本来あるべき姿なのだ。主君の「死ね」という命令より、自身の身を優先した。生きようとする意志、思考を放棄せず活路を切り開いたこの少年を、俺は俺を守る剣として義父から【はした金で買いとった】。
 舗装のされていない山道をガラガラと、僅かな揺れと音をたてて馬車は進む。縁の付いた車窓からは、雲の隙間から差し込む光に照らされる雄大な山々と反射してきらめく大河が見え、王都の巨大な人工物が並ぶ光景を見慣れた自分にとって、幻想的な景色に思えた。

「いい景色だな、ツメイ。今度来る時は画家も何人か一緒に乗せて、小高い山の上で写生会でもしないか? きっと楽しいぞ?」

 車窓の縁に頬杖をつき、後ろで結った長い黒髪を風になびかせながら、ティアーソンが呑気に言う。こいつは俺を主君だとは思っていない、敬語すらまともに使えん馬鹿だ。他の者と違い、まともに従者としての教育を受けていなかったようで、俺を友達か家族程度にしか認識していない。まあ、俺自身もティアーソンを【奴隷】として扱うのは気が引ける。これぐらいの無礼は許容範囲だ。

「美しいとは思うが、俺は絵が描けん。他人へ醜態など晒すくらいなら、筆を取らぬ方を選ぶ」

「んあ? でもそれってお前が日頃ぶつくさ言ってる【進化を諦めた人間】って奴なんじゃね?」

「違う。誰しも物事には向き不向きがあるということだ。武勇に優れた者は軍人、商才に優れた者は商人、鉄の扱いに優れた者は鍛冶屋へなるように、突出した才能一つあれば十分進化し続けることは出来る。多方面へ才能も実力もない者が手を伸ばしたとして、満足いく結果になるとは思えん。もはや毒にも花にもならんのが見えているのなら、それはただの時間の浪費。欠点は欠点として受け入れ、他の分野へ着手した方が遥かにマシというものだ」

「お前、そんなんだからつまんねぇって議会のジジババにドヤされるんだよ。もう少し貴族らしく、優雅に楽しく生きてみろ。最近特に肩肘張ってて、余裕もなさそうだしさ」

「ふん、お前まで温ま湯に浸かれと言うか? 馬鹿馬鹿しい。俺はあいつらのような、ただ消費し続けるだけの人間にはならん。お前が敬語や政治を学ぼうと意思を見せてくれるのなら、俺も筆を取ろうかと考えてやってもいいがな」

「やだよ。そういう小難しいのわかんねぇもん」

「そういうことだ」

「そういうことかぁ」

 ティアーソンは子猿のように座席の上で胡坐をかき、馬車の天井を見上げる。長距離の移動に退屈になってきたのだろう、その視線は落ち着きなく車窓の景色と天井を往復していた。もっとも、糸目のこいつが本当に顔を向けている先の対象を見ているかどうかは知らないが。

 数分後。背後の小窓が軽く叩かれ、御者がもうすぐドワーフの集落へ到着すると合図を送ってくる。座席へ置いた装飾の施され白い鞘に納められた剣と、【契約書】の入った上質な革鞄を手に取り、ドワーフ共とどう取り合うかに集中する。

 目的は奴らの【鉱石加工技術】。戦争に敗れたあいつらもエルフや魚人同様、人間を酷く毛嫌いして独自の共同社会を築いている。だが他の種族と違い、ドワーフは他種族に依存しなくては生活がままならないのだ。その一つが食糧。奴らは老若男女問わず大食いで、一日で人間の数倍の食事をし続けなければ簡単に餓死してしまう。戦時中は狂王軍の優秀な兵士達を退け、王都へも迫る破竹の勢いで進軍してきたものの、狂王軍はドワーフの食料供給源を徹底的に叩く【兵糧作戦】を実行した。その効果は絶大で、三日でドワーフ軍の大半は死に絶え、他種族へ降伏を余儀なくされたほどだ。
 彼らは強く小賢しいが、食糧自給率は最底辺。特にエルフ族には今尚農作物の良く育つ土地を奪われたままで、残された僅かな農地で細々とした生活を強いられていると聞く。俺の管理する牧場や農地で採れた食糧を、取引の題材として引き合いに出せば、間違いなく興味を持つはずだ。俺は適切な報酬を与え、奴らから労働力を買うのだ。お互いに損の一切無い交渉であり、多少向こうが欲深く要求するのも計算へ入れてある。交渉が失敗する方が難しいだろうさ。

「ティアーソン。わかっていると思うが、物珍しさに余計なことはするなよ。いずれ俺の物になる奴らと土地とはいえ、不信感を買うような真似をしたくはないからな。それと……その【刀】を手放さないことだ」

「なんでさ?」

「奴らは生まれながらにして【一級の鍛冶屋】。物珍しい武具や装飾品には、食い物や酒と同じくらい目が無い。自覚は無いかもしれんが、お前らの一族のみが扱っている【刀】は王都でも見ない剣の種類。下手すれば国宝級の代物だぞ。迂闊においそれと渡してみろ、そのまま返却されずに持ち逃げされるやもしれん」

「確かにそれは困る。わかった、貸すのはやめとく。でも……自慢はしていい?」

「……好きにしろ。盗られたとしても、俺はもう知らんぞ」

「えっへっへっ!! ドワーフってどんな奴らなんだろうなぁ? 俺初めて見るよっ!!」

 目の前の胡坐で座る馬鹿は期待に胸を膨らませ、黒い鞘に収まった質素な剣を手に取って到着を待つ。絶対に俺の思い通りに動かず、主君に対しても我儘を押し通す。……本当に手の掛かる従者だ。

***

 馬車から降りると、黒い石を積み重ねて造られた四角い建物が、不規則な間隔でぽつぽつと立ち並んでいた。事前の調べで小さな集落と耳にしていたが、想像していたよりもずっと少ない……総人口三十人もいないんじゃないか? こちらが馬車から降りてくる姿を見て、外で石材を抱えて運んでいた一人の丸い体躯のドワーフが物珍しそうに近寄ってくる。

「おんやまぁ珍しい。人間のお客さんかい」

「こんにちわっ!! すげぇちいせぇっ!! すげぇ筋肉っ!? 石の塊持ってやがるっ!? 浮遊魔術のインチキじゃないよなっ!?」

「おおっとっとっ!? そう揺すりなさんなぁっ!! 足が短けぇから簡単に転んじまうんだ――――ぶっ!?」

 言うが早いかドワーフは後ろへすっ転び、抱えていた石材に押し潰される。ああ、この馬鹿。早速やりやがったな。二人で慌てて下敷きになったドワーフを救出しようと石材へ手をかけるが……持ち上がらない。

「このぉ……よくも面倒なことをぉ……っ!!」

「ごめぇん……ちょっと興奮しちゃってついっ!!」

 歯を食いしばり、踏ん張る足に力を込めるがビクともしない。ドワーフは屈強故に石材で潰された程度ではどうとも無いらしく、手足をばたつかせながらもがもがと呻いている。これで貴重な人材を失ったりしたら、俺はお前を一生恨むぞ。

「ダメだ持ち上んねぇっ!! しょうがねぇ、ちょっと下がってっ!!」

 ティアーソンは石材から手を放し、腰に携えた【刀】を引き抜く。叩き切るのか? 俺も手を放し、巻き込まれないよう数歩離れる。それを見てティアーソンは飛び跳ね、石材目掛けて縦に素早く刀を振る。凹凸の目立つざらついた表面だったが、削れる異音や引っかかることも無くすんなりと刀を振り切った。
 着地し、刀を鞘へ納め石材を蹴り上げると真っ二つにバックリと割れ、ドワーフの腕を伝って両脇の地面へごろごろと転がり落ちる。下敷きになっていたドワーフは鼻を赤くしながら咳き込み、短い手足をついて起き上がろうとする。

「うぇっふっ!? うぇっふぇふぇっ!! ああ畜生っ!! せっかくいい補強素材だと思ってたのに……」

「ごめん大丈夫っ!? いや、何ともないのかっ!?」

「おいら達の頑丈さを舐めちゃいけねぇ、こんなん日常茶判事だ。わりぃな、助けてもらって……ついでに起き上がるのに手を貸しちゃぁ貰えないかぃ?」

「あ、馬鹿、手を出すなっ!!」

「え――うわぁあっ!?」

 ドワーフは親切心で反射的に手を出したティアーソンの腕を掴み、奴を片手で空高く放り投げた。奴は放物線を描きながら宙を舞い、四角い民家と思われる建物の石の屋根へと落下し、見えなくなる。その様子を見届けたドワーフは愉快そうに笑い、両腕の反動を利用して飛び跳ね立ち上がった。

「がっはっはっはっはっ!! そいつでチャラにしといてやるっ!! 次から気を付けろよぉーっ!?」

「……自業自得だな」

「さぁて、あんたはどこの誰さんかな? 観光客ってわけでもないんだろう?」

 二等分になった石材の片割れに腰掛け、ドワーフは赤くなった鼻を擦りながら俺に尋ねる。あいつの事は……まあ大丈夫だろう。俺は俺で交渉に向け話を進めるとしよう。

「俺は【第二階級貴族】のツメイ・ゴリニヒーチ。本日はここに住むドワーフ達と交渉しに、王都から足を運んだのだが……俺の従者が迷惑を掛けた。何か物入りがあれば聞くが――」

「――いいっていいって。言ったろ、日常茶判事だって。おいら達はちょっとした段差なんかでもよくすっ転んでるもんだから、下敷きになんのは慣れてんだ。こんなんで詫びの品を受け取る方が野暮ってもんさ。おいらは【ダグ】。あんたの連れが落ちた家の家主さぁ」

 ダグは手を差し出して握手を求めるが、先程の事もあり手を出しづらい。

「がっはっはっはっはっ!! なぁに、商売しに来たってんなら手を滑らせるつもりはねぇさぁ。安心しな」

 数秒の間を置き、俺の顔を見て察したのかダグはニヤリと笑って付け加える。当然だ。俺はお前達やあの馬鹿のように丈夫じゃないからな。差し出された大きくがっしりした手を握り返す。

「よろしく。早速族長に会わせてもらいたいのだが……仲介を頼めるかな?」

「族長? 族長なら村の奥の遺跡へ、【アラネア】と一緒に出掛けてるよ。多分もうそろそろ戻ってくるんじゃぁないかぁ?」

 お互いに手を放し、ダグはもさもさと蓄えた白い顎髭を擦りながら答える。遺跡があるとは初耳だ。最新の地図にも記されておらず、集落の情報を仕入れてきた家で抱えている行商人も話していなかったぞ。これは……思わぬ収穫もあるやもしれない。
 どうしたものかと考えていると、黒い服に砂埃を付けたティアーソンが走って駆け寄って来た。

「おぉういっ!! 蜘蛛男だっ!! 蜘蛛男が武器持ったドワーフと一緒にいるぞっ!?」

「うるさい、蜘蛛男なんかよりもお前は族長を探せ」

「ああ、あれが【アラネア】で、でっけぇ斧持ってんのが族長だぁ」

「は?」

 ダグが指す方向を見ると、シルクハットを被り黒いスーツを着た手足の長い魔物が一体と、身の丈の倍はあろうかという刃の付いた大斧を担いだ軽装のドワーフが、山へと続いている坂を必死の形相で下っていた。その二人の後ろを続くようにして――錆付いた鎧を身に着けたような、細長い四本の脚を持った一頭の茶色い魔物が追いかけている。なんだあれは。

「おおおおおぉっ!? そこのあんた達も逃げてくれえぇっ!! こいつらはちょっと手に負えなあぁいっ!!」

 蜘蛛男が両腕を振りながら叫ぶが、二人はよりによってこちらへ向かって全速力で走ってくる。当然のように魔物を引き連れて。突然の出来事に足がすくみ、動けずにいると、脇に居たティアーソンは刀を引き抜いて奴らに向かって駆けだしていた。

「二人とも頭下げてぇっ!!」

 蜘蛛男と族長は屈み、ティアーソンは二人を飛び越えながら横薙ぎに一閃、魔物へ刀による斬撃を与えた。音もなく斬られた細い二本の前脚は綺麗に切断され、体勢を崩した魔物は勢いそのままに近くの石材の山へと突っ込み、動かなくなった。死んだか?

「まだだっ!! 物陰に隠れぇっ!!」

 族長が叫び、動けない俺をダグは担いで近くの民家の陰へと退避させる。二人で陰から顔を出すと、蜘蛛男と族長が地面へ突き刺さした大斧の刃の部分へ隠れるのと同時に、魔物の胴体部分から触手のような物が出てきた。更に触手は先端から赤い光を出し、爆発音と共に大斧目掛けて何かを高速で吐き出し始めた。金属同士がぶつかり合う音と爆音が短い間隔で続き、得体の知れない攻撃に二人は動けずにいる。ティアーソンは――

「――ほっ!!」

 軽い掛け声とともに、魔物の背後へと回り込んだティアーソンが刀で触手を胴体から切り離す。離れた触手はそのまま回転して周囲に何かを吐き散らしながら、石材の山の向こうへと消えていく。一瞬遅れて残った後ろ脚が動き始めたが――間髪入れずにティアーソンは魔物の胴体を縦に一刀両断した。それがトドメになったのか、魔物は低い唸り声のような断末魔をあげ、完全に動かなくなった。

「ふぅー、ようやく死んだかぁ。おーい、もう出てきても大丈夫だよぉ」

 気の抜けた言葉を合図に、俺達はそれぞれ隠れていた場所から這い出て、魔物の死体を囲むようにして集まる。族長は左耳をどこかで切ったのか、蜘蛛男から受け取った白いハンカチで止血していた。

「あちちちぃ……一体こいつぁなんなんだぁ?」

「んんー……俺も見たことのない魔物だなぁ。やあやあ助かったよ。ニ・三頭はなんとかなったんだけど、十数頭に集られて逃げてきたんだ」

「いいよ、さっき悪いことしちゃったしね。それよりあんた魔物か? 人間か?」

「俺かい? 【魔物混じり】って奴さ。蜘蛛の魔物と人間の中間ぐらい。俺は【アラネア】、趣味は料理の冒険家だよ。よろしくね」

「ティアーソンだよ。そこの栗色髪で偉そうな奴の用心棒してる。よろしくっ!!」

 血払いをした刀を鞘へ納め、ティアーソンはアラネアとお互い笑顔で握手を交わす。ドワーフ、わけのわからない魔物に続いて魔物混じりか……驚かせてくれるな、この集落は。族長も俺の存在に気が付いたようで、耳へハンカチを押し当てた姿勢のまま歩いてくる。

「すまんねぇバタバタしちまって……儂は族長の【ジオ】だ」

「あ、ああ。俺はツメイ・ゴリニヒーチ、身分は【第二階級貴族】。この集落に住まうドワーフ族と取引をしに来たのだが……今はそれどころではないようだな?」

「おんやまぁ【貴族】さんかい。しかも【ゴリニヒーチ】つったら戦争屋としてがっぽり稼いだクソ爺の――失礼、【クロケル・ゴリニヒーチ】の血筋のもんかぁ。だが……ふむ、だいぶ顔つきが違うな。あ奴はもっと底意地悪そうな顔をしておった」

「祖父を知っているのか?」

「知っとるもなにも、前線で戦っとった時に奴から剣なり斧なり鎧なりと買わされそうになったからのぅっ!! 飯が欲しいと儂らが言うても売り物は武器しか持っておらんとほざき、儂らへ見せつけるように飯を食い始める。……思い出すだけでも腹がたつわぁっ!!」

 顔を真っ赤にした族長――ジオは空いた右拳で近くにあった石材を叩き壊す。祖父が過去に行った嫌がらせの数々を思い出し、相当ご立腹のようだ。

 祖父――【クロケル・ゴリニヒーチ】は、当時ただの一富豪にしか過ぎなかったゴリニヒーチ家を一人で纏め上げ、人間以外の他種族にも武器を売り捌き、数々の戦場を渡り歩いた孤高の【戦争屋】。侵略戦争を激化させた要因の一人でもあり、祖父に続いて一儲けしようと多くの【戦争屋】が生まれた。……俺にとっては悪夢の象徴のような男だ。
 相手の足元を見た底意地の悪い商売を繰り返していたが、人を見切る目や危機回避能力は本物だったらしく、朝に武器をたんまりと積んだ馬車で戦場へ赴き、夕方には馬車の荷を大金や宝石にして戻って来ていたそうな。
 俺の母は奴の娘であった。ごく普通の人間の男と母は駆け落ちをし、祖父の手から離れ夫婦仲睦まじく平凡に暮らし、俺を生んだ。だが侵略戦争に巻き込まれた両親は、どこかの種族が放った魔物共に食い殺され、幼い俺は昼夜問わず爆音と怒号の飛び交う戦地のど真ん中で二年も暮らす羽目になった。二年後に泥の中から祖父が俺を見つけ養子として迎え入れ、それ以降何不自由なく育てられ現在に至る。これによりゴリニヒーチ家は【第一階級貴族】の予定が【第二階級貴族】へと落とされる結果となったが、祖父は仕方あるまいと笑って受け入れ、それ以来姿を消した。
 俺は祖父が憎い。多くの罪のない人々の命を奪う武器を売り、自分の娘やその夫を殺し、不自由ながらも平凡で幸せだった俺らの人生をぶち壊したあの男が憎い。血縁の濃い俺を自身の後釜にしようと、養父ではなく俺を一家の台頭とした身勝手な祖父が憎い。【貴族階級制度】が布かれるのと同時に、姿を消して逃げ出したクロケルが憎い。
 だから俺は奴が生み出した【貴族】の形を変えてやる。奴の七光りなどとは呼ばせない。俺の手で必ずや偉業を成し、ゴリニヒーチ家を【第一階級貴族】へと引き上げ、歴史に名を刻んでみせる。
 どこかにいる奴へ高らかと笑い、奴が地団駄を踏んで悔しがる様を見るまで、俺は野望を諦めるつもりは無い。

 興奮した族長のジオへ、ダグは水の入った水筒を差し出し、落ち着かせる。ドワーフ族はみな温厚で短気。見た目や話し方に惑わされ、よろしくない部分を下手に踏み抜いてしまうと、先の石材のような目に遭うだろう。そして本人が自覚していても、一人で爆発した怒りや鬱憤を抑え込むのは難しいらしい。
 水を飲んで落ち着いたのか、ダグへ「すまんの」と詫びながら、ジオは俺の方へ向き直る。

「……まぁ、色々あったんじゃよ。じゃが憎むべきは奴であって、奴の孫であるお前さんにゃ罪は無い。互いの利益となる話ならば聞こうじゃないか。だがのぅ、今はもう少し待って欲しい。遺跡へ共に向かった儂らの仲間が、この魔物のせいで散り散りになってしもうた。そう簡単にくたばる連中ではないが、急ぎ助けに向かわねばな。ダグ、お前も来い。奴らの頭数が頭数だけに手が足りぬ」

「へいっ!! 鎧に兜、盾を準備してきますわぁっ!!」

 ダグは族長命令を聞き、飛ぶように自宅へと入って行った。ティアーソンとアラネアは、魔物の死骸を崩れた石材の山から引きずり出し、興味深そうに断面を覗き込んでいた。こいつは一体何なのだ? 錆びた鉄鎧を外皮に身に着け緑色の体液を流し、前脚を失おうとも胴体に隠した触手で攻撃してくる狂暴性。そしてこの臭い――

「――【火薬】の臭いだ。僅かだが、この魔物の身体からは【火薬】の臭いがする。一体いつから魔物は火薬を巧みに扱うようになったのだ?」

「ツメイ、こいつの内臓わけわかんないよ。硬いし鉄臭いし、煮ても焼いても食えそうじゃない」

「そうだね。魔術で動く人形に近いのかも。うーん……魔力の気配は全然しなかったんだけどなぁ。古代人の技術はホントわからない。それが面白くもあるんだけどさ。でも、こいつみたいな【生き物を殺す為】に生み出された、何の捻りも無い遺物は好みじゃない」

 アラネアは残念そうに呟きながら、死体の一部を背中から生えた手(足?)で挟み、あらゆる角度から眺め回す。彼がひっくり返すたびに断面からポロポロと細かい金属の骨が零れ落ち、地面へ散乱していく。
 一方、ティアーソンは石材の山から切り離した触手の先端部分を持ってきて、俺へ手渡す。黒く、複雑な形をしたそれはずっしりと重く、鉄と火薬の強い臭いを周囲へ漂わせている。未だ熱を持っているようで、何かを吐き出していたと思われる穴のような部分はうっすら赤くなり、白煙が出ていた。

「こいつの身体はほぼ全て鉄で構成されているようだ。魔術人形にしてはその……複雑過ぎる。いつぞや貴族仲間が見せびらかしてきた【絡繰人形】によく似ている気がするが、ここまで複雑ではなかった」

「元は上質な鉄だったかもしれねぇが、こうも錆付いて腐ってちゃあ溶かしても使えねぇよぉ」

 やれやれといった調子でジオは地面に刺さった大斧を引き抜き、片腕で抱えるようにして担ぐ。血は既に止まったようで、尖った耳の切れたと思われる部分は瘡蓋が出来ていた。流石はドワーフ、他種族に比べて自己治癒能力が高い。

「お前さんらはどうするかの? 仮にも客人、ましてや交渉相手ならおいそれと危険な目に遭わせるわけにゃいかん」

「ツメイ、どうするよ?」

「……行くしかあるまい。俺はドワーフ族の【鉱石加工技術】を求めて来たのだ。有能な技術者達に死なれては元も子もない。ティアーソン。存分に【刀】を振るい、ドワーフ族に見せびらかしてやるといい」

「おうっ!! こいつら剣よりも硬くてすっげぇ斬りがいのある奴らだよっ!! これで人助けにもなるんだから【四石五鳥】だねっ!!」

「【一石二鳥】だ。勘違いするな、これは情けではない。俺の求めるものをこの鉄臭い魔物共に奪われるのが、ただひたすら腹ただしいのだ」

 触手の先端を死体と石材の山へ放り投げ、携えた剣の柄を力強く握る。魔術人形か魔物擬きか知らんが、【地上界】最底辺のゴミ共に、これ以上俺の人生を蹂躙されてたまるものか。魔物共は殺す。例え話が通じようとも、貴様らは本能のままに消費するだけの肉袋にしか過ぎないのだから。

「俺も行くよ族長さん。魔物達が目覚めちゃったのは俺が遺跡に入ったからだろうし、冒険家としても興味深いことが色々ある。今度は足手纏いにならないよ」

 アラネアはシルクハットを取り、申し訳なさそうな表情で族長へ同行することを懇願する。奴の細い手や背中から生える手(足?)は毛に覆われていたが、首から上は人間とほぼ同じ様だ。ただ整った顔立ちの額には赤く小さな複眼が六つ付いており、彼が魔物混じりだと実感させられる。

「うん? どうしたんだい、ミスター・ツメイ。魔物混じりがそんなに珍しいかい?」

「……いや、いいスーツだと思ってな」

「おお、流石は貴族さんっ!! 機能美と格好良さを兼ね備えたスーツの素晴らしさをわかっていらっしゃるっ!!」

 心にも無い褒め言葉に、アラネアは嬉しそうににっこりと笑い、胸を張ってスーツの襟を整える。魔物混じりにして危険や世間の偏見を恐れない冒険家。よほど逃げ足に自信があるか、世渡り上手なのだろうな。
 ジオはその光景を鼻で笑ったあと、アラネアから受け取った血が付いたままのハンカチを自身の胸ポケットにねじ込み、下って来た遺跡へと続く坂方面へゆっくりと歩みだす。

「決まりじゃな。さて、ダグもそろそろ準備ができる頃じゃろうて。鉱山で作業してる連中が腹空かして戻ってくる前に、全部終わらせてしまおうか」

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