ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第四章・小さな偶像神

【第五節・我儘】

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 午前九時。朝の爽やかな森林の空気を吸いながら、城の庭園の手入れ作業をローグメルク、ティルレットと共に行う。白百合、金色華、ネジレ花、竜卵草――……こちらの花壇に植えられている物は、元々森に自生していた草花を植え替え、育てて増やしていったものだ。一昨年も去年も綺麗に花や実を付け、文字通り華として楽しませてくれましたが今年はどうでしょうか?

「あ、お嬢。いま摘まんでるそれ、雑草じゃなくて芽っす。間違って花の芽まで抜かないでくだせぇよ?」

「あれ、違うんですか? もうだいぶ抜いてしまったんですけど」

「マジっすかっ!? ちょっとストップっすっ!!」

 生垣の剪定を行っていたローグメルクは剪定鋏を足元へ置き、慌ててこちらへ駆け寄ってきた。いつもの執事服を腕まくりし、庭仕事用の黄色い前掛けをした彼は小さな雑草の山をかき分け、花の芽を探し始める。

「んー……大丈夫そうっすねっ!! ちょうどいいんで、このまま少し株同士の間隔空けて植え直しやしょっ!!」

「すみません……やっぱり向いてないんでしょうか? 父も植物を育てては、すぐダメにしてしまうと有名だったそうですし」

「あー、そういう事もあったっすねぇ。奥様の贈り物用に育てた薔薇を枯らして、そらまぁガチで凹んでやしたよ。得意不得意はあるかもしんねぇすけど、お嬢は初めてなんすからそう気に病むことないっすよっ!!」

 彼はそう言いながらしゃがんだ姿勢のまま、花の芽と雑草が入り混じった小山を手早く仕訳け始めた。
 ローグメルクは本当に何でもできる。本人は頭が悪いと自負しているが、ボクはそうは思わない。見た目や言動に反して歴代の【契約悪魔】の仕事を卒なくこなし、日常業務以外にも様々な事へ興味を示し覚えていく。本来は家事炊事、庭仕事も武闘派である彼の仕事ではないのだが、父が亡くなってからというもの、穴を埋めようと相当努力したという。
 向こうで花壇へ水やりをしているティルレットもメイドとしては有能で、料理以外の事は全て任せられる。ただ彼女の場合【許可】無しに動くことがほとんどなく、【許可】をしなければ【待機】か一日中ボクの傍にいるといった感じだ。無表情で固い口調、独特の価値観。初対面の人にあまり良い印象を抱かれない彼女だが、他人の話も聞くし子供や老人、病人や怪我人には許可せずとも自己判断で動くことが多い。
 二人共個性的で癖のある従者ですが、未熟なボクを主として支えてくれていますし、ボクにとっても大事な家族です。

「……こんなところすかね。こっちの山を大体指二・三本分くらい間隔開けて植え直してくだせぇ。にしてもお嬢が庭仕事を手伝うってのはちょっと意外っす。なんかあったんすか?」

 土の付いた手を払いながら、ローグメルクが不思議そうな顔をして質問してくる。

「いえ、大したことではないのですが……主であるボクも部下の仕事を体験することで、少しは分かることもあるかなと。ボクも毎年庭で咲く花々を楽しみにしていますし、任せっきりにしてしまってはあなた達や花にも申し訳ないです」

「そんなことないっすよっ!! モチロン手伝って貰えるのは嬉しいっすけど、大将は部下に任せていざという時の為に腰据えてるのも大事な仕事っすから。なんつーすかね……【契約悪魔】と主の上下関係はそういうもんだって思ってやした」

「……主従関係としてはその方が正しいです。でも……ボクらは主従関係であり、【家族】です。子が親の手伝いをするのは、一般的な家庭ではよくあることだとお兄さんが言ってましたし、ボクが親代わりの二人の手伝いをしてもおかしくはないでしょう?」

「俺がお嬢の親……へへっ、けど俺は親っていうより年の離れたお兄さんってのが――あでっ!?」

 照れくさそうに眼鏡をかけ直すローグメルクの背中を、音もなく忍び寄ったティルレットが鉄如雨露の先端で突く。怒っているのでしょうか?

「軽口も程々に。調子に乗り過ぎては手元も背後も危うい」

「いや、なんか余計なこと言ったすかね?」

「いたいけな少女、まして主へ言い寄るとは。【契約悪魔】としての節度と礼儀、今一度指導しなければなりませぬ。お嬢様、こ奴へ情熱的指導を行う許可を」

「待ってくだせぇっ!? 誤解っすっ!! 誤解っすからっ!?」

「許可を」

 許可を求めつつも、彼女の持つ取り付け部分が取れた鉄如雨露の先端はローグメルクの喉元へ突き付けられ、既に戦闘態勢だ。
 主の身を案じてくれるのは有難いが、ティルレットはローグメルクに対して少々……いや、かなり厳しい。立場は【契約悪魔】としてお互いの立場は平等ではあるが、今や完全に彼女の尻へ敷かれてしまっている。嫌っているというより、単純にローグメルクの主人や他人に対して距離の近い言動をする事に対し、彼女なりに思うところがあるらしく、結構な頻度でツンツンしているのを見かける。
 面白半分に許可出してしまえば、彼が酷い目に遭うことは必至。けれどティルレットとしても消化不良ですし……。

「では、ローグメルクがお兄さんなら、ティルレットがボクのお姉さんですかね?」

 お姉さん。そう呼んだ一瞬だけ、ティルレットの身体が震えた。ローグメルクが突きつけられて腰を抜かした体勢のまま、『もう一声』と目でこちらへ懇願しているのがわかる。なるほど、手応えありですか。もう少しあざとく言ってみよう。

「ティルレットお姉様、どうかローグメルクを赦してくださいませんか?」

「許しましょう。以後気を付けるように」

 即答。足元に落とした如雨露の取り付け部分を上品に拾い上げ、彼女は踵を返して水やりの作業を再開しに持ち場へと戻った。表情は変わらず無表情で、話す抑揚や足取りもいつもと全く同じ……の筈だが、どこか嬉しそうに見えてしまうのはボクだけでしょうか?

「チョロいっすね」

「お嬢、それ思ってもお嬢が言っちゃダメっす」

「いえいえ、ボクの感想ではなくあなたの感想ですローグメルク」

「あってるすけど、その言い回しはズルいっすよっ!?」

 額の冷汗をまくり上げた袖で拭ってローグメルクは立ち上がり、ズボンへついた土を払う。子は親に似ると言いますが、ボクの口の悪さは父親譲りか、それとも育ての親二人に似たのでしょうかね。

「ん? あいつは……」

 立ち上がった彼の視線の先を見ると、シルクハットにスーツ姿の見知った男が森から出てくるところだった。魔物混じりの冒険家のアラネア。数週間ぶりの帰宅だが、長期の外出であのようにボロボロで帰ってくることも――背中に子供を背負っているような気がするのだが、気のせいか?

「おお~いっ!! ただいまみんな~っ!! 急いでこの子の為にベッドを貸してや貰えないか~っ!?」

 こちらの視線に気付いたアラネアは両手を振り、帰宅の挨拶と共に背中へ糸で結わえた子供を見せる。

「……だそうっすよ。今度は何に巻き込まれて来たんすかねぇ」

「彼がボクらを頼るとしたら、よほど深い事情があるのでしょう。ティルレット、空いている部屋に彼と少年を通してください。ローグメルクは念のため湯を沸かし、応急手当の準備をお願いします。アラネアさんも怪我しているようですから」

「了解っすっ!!」

「了承」

***

 客間で紅茶を飲みながら、遅れて来たお兄さん達からアラネアの置かれている事情を聞く。突拍子のない話でとても驚いたが、ボクらには感じ取れないものをあの少年から感じると【天使】三人が口を揃えて言い、新種の魔物が歩き飛び回っているのだから、古代人の少年が関わっているのは気のせいや間違いではない。

「でも古代人ですかぁ。……一体何年前から現代に来たんですかね」

「五千年前と聞いたことがあります。スピカさんは【箱舟】や【偶像神】といった言葉に、何か心当たりはありませんか?」

「いいえ、今まで聞いたことのない単語です。魔術の類ならシスターやベファーナの方が詳しいでしょうけど、シスターは朝早くから魚人族の港町へ、ベファーナ一行は一昨日辺りから姿を見ていません。困りましたねぇ。考古学者となると遠出しないといけませんし、あの少年狙いで魔物達が寄ってくるなら昼の移動も危険です。……ティルレット、シスターがいつ戻ってくるか聞いていますか?」

「夕方までにはと伺っております」

 夕方……まぁ距離も距離。用事を済ませてくるならそれぐらいは掛かるか。気分屋の【魔女】はいつ帰ってくるかわからない、どうしたものか。というか、個人的にはあの【魔女】に関わらせるととんでもないことになりそうで、あまり気が進まない。そう考えているのはお兄さん達も同じようで。
 丸眼鏡の新人【天使】は会話内容を記録しているのか、忙しなく手帳にペンを走らせる。アダムは落ち着きなくボクの隣に立つティルレットへ視線を泳がせ、ペントラとお兄さんは直ぐ打てる手が無い状況に頭を抱えていた。肝心のアラネアはボロボロのスーツを着替えに行き、ローグメルクが少年の様子を別室で見守っている。
 皆さん移動中の魔物の対処や頭を使い過ぎてお疲れのようですし、一度休憩を挟んだ方が良さそうです。

「今焦っても事態は好転しません。少し皆さん休まれてはどうでしょう? 城に空き部屋は沢山ありますし、人一人二人匿う余裕も十分あります。考古学者に頼るにしろ二人に頼るにしろ、この一件は領地の住民が引き起こした事態です。今日中に解決しないのであれば、こちらに全部任せて貰っても構いませんが……」

「だねぇ。アタシはともかくあの子の傍にいるこいつらはしんどいだろうし、一旦休んだ方がいいかも。魔物達も森の中まで入ってこないみたいだから、お言葉に甘えなさいな」

 小さくため息をついたペントラは腕を組み、特に顔色の悪いお兄さんとアダムを見ながら賛成する。客間と少年が寝ている部屋はそこそこ離れているが、それでも辛いようだ。新人の彼女は【思考】を読み取る力が上手く扱えないのが幸いしてか、大きく体調を崩している様子はないように見えた。

「ではお言葉に甘えて。私は外の空気を吸いに行ってきます。魔物が来たらすぐ気付けますし、これだけ離れていても落ち着きません。何か御用があれば、城の外までお願いします」

 アダムはそう言うとカップに残った紅茶を飲み干してソファから立ち上がり、そそくさと部屋を出て行ってしまった。彼の行動は予想通りだが、体調が悪い原因は少年だけではなく目の前にもある。

「僕はもう少しここにいます。あなたはどうしますか?」

「え? あっ、私ですか。私は……少しだけ、お城の中を見て回りたい――い、いえっ!! 非常事態ですし、そんな余裕ないのはわかってますっ!! なななんでもないですっ!! 私も、ここにいますっ!!」

 上司の問いかけに新人は手帳やペンを床へ落とし、慌てて拾い上げながら自身の要望を訂正する。この子はホントいちいち可愛いですねぇ。

「構いませんよ? スピカさんがよろしければですが……不安なら僕も――」

「なら、アタシと見て回ろうかお嬢ちゃん?」

 落とした手帳とペンを拾い上げ手渡すお兄さんを遮るように、ペントラが会話に割って入る。新人はきょとんとした表情でお兄さんから受け取り「で、でも……」と呟きながらおどおどしている。

「アッハッハッハッ!! アタシも城の中を見て回りたいと思ってたんだっ!! 一緒に探検へ行こうじゃないかっ!! あー、あんたは休んでおきなよ? この子はアタシに任せてさっ!! んじゃスピカちゃん、こいつの事よろしくねっ!!」

「あっ、ああっ!! ちょっと、ぺ、ペントラさぁんっ!?」

 情けない声を出す新人を脇へ抱え、ペントラは笑いながら部屋を出て行く。これ人攫い事案では? お兄さんはその光景に苦笑いし、気まずそうに頬を指で掻く。

「ペントラさんにも気を遣わせちゃいましたかね?」

「? ああ、そういう事でしたか……事案かと思いましたよ。ペントラさんのやり方は紛らわしいですねぇ」

「多分、そういう趣味は無いと思いますよ」

「多分ですか」

「……多分です」

 紅茶のカップで手を温めるように持ち、お兄さんはやや不安げに話す。まぁ、ペントラさんはお兄さんにぞっこん。そういう心配は無いとは思う。
 アレウス氏の一件から二週間。彼がお兄さんの住む街へ移り住んだと聞いてはいますが、話からして上手く【狩人】として人々の生活に溶け込めている様子。根は悪い人じゃないうえ、街周辺の警備を【狩人】の後輩君と一緒に任せられるくらいだ。こちらにとっても心強い味方ですねぇ。少々行動が予測できない点を除いて。

「あ、ルシへ尋ねてみるのも一つの手ですよ。古代オタクの彼なら、喜んで協力してくれると思いますし」

「お力添えしていただきたいのは山々ですが、ルシもルシで多忙の身です。部下の都合でいつも動いてもらっていては、業務に支障をきたしてしまいます。それに最近は管理課の方々に目を付けられ気味なので、あまり話を大きくしたくないのが本音です。ですが……新種の魔物達による実害が出ているのも確かで、アラネアさんが僕を頼ってくれた気持ちを裏切りたくはない。……全部何とかしたいと思う僕は強欲なのでしょうか?」

「強欲ですけどボクは好きですよ、お兄さんのそういう考え方。でも上の無能クソ……失礼、【天使】の方々に目を付けられるのは少々面倒ですねぇ。やはり最近近辺で慌しい出来事が続いているせいなのです?」

「いえ……その程度じゃ興味を抱くような方々では無いんですが……その……」

 困ったように口を濁しながら、真剣な表情でお兄さんは紅茶をテーブルへ置く。もしやルシが関わっているのがバレたか、あるいは――

「――【天使】の管轄している他の街よりも……あまりに治安が良すぎて」

「は?」

 想定外の返答に左手で持っていたカップを滑らせ落としてしまう――が、ティルレットが素早く両手を伸ばし、紅茶がこぼれないよう垂直に受け止めた。突然の出来事にも眉一つ動かさず対応する彼女は頼もしいが、突発的な出来事に対しても一切の迷いや動揺もしないのがたまに怖い。

「失礼。どうぞ」

「ありがとうございます、ティルレット。……ですが、治安が良すぎて目を付けられるとは?」

「ええ、僕はなるべく報告書を書く際、周囲から突出しない程度に評価をするのですが、それとは別に地域毎で治安の総評を付けられるんです。どういった基準や項目で評価しているか、詳しくは分かりません。ですが、どうにも皆さんが優秀過ぎて地域で最も治安が良くなっているのにも関わらず、報告書の評価と合致しないのを怪しんでいるようです。近々他の街から視察という名目で、不正がないか【天使】が調べに来るという話も出てますし……スピカさん?」

「お兄さんはもっと自分を誇ったほうがいいですよぉっ!? ボクらの事を考えてくれるのは感謝していますっ!! でもそれでお兄さん達の頑張りが報われないうえ、無能クソったれ【天使】達に因縁付けられるのは間違ってますっ!! 優秀で皆が平和ならそれでいいじゃないですかっ!? 何が駄目なんですかっ!?」

 ソファから立ち上がり、感情的に話しながらテーブルを両手のひらで叩く。お上品でないのはわかっているが、どうにも我慢ならない。
 本当にこの人は他人の事を考えるあまり、自分自身を下に見過ぎている。【地上界】の秩序を守りつつ、人々を導くのが【天使】の生きる理由であり、仕事である以上は良くも悪くも評価が必ず付けられる。歪んだ世界を変えたいと願うのなら、もっと評価に対しても貪欲にあるべきだ。
 暇を持て余している神々に願うより確実に世界を変える方法は、神々でもひっくり返しようのない盤面を作り上げること。そのためにはお兄さん自身の権力、地位、仲間や繋がりも必要になる。その過程で目立たず、組織に根回しをし続けるのに限界があるのはこちらも理解できる。だが、評価を評価として受け止めないのは目標から遠ざかることでもあり、変革を望みつつその場で足踏みをしてしまっている状態だ。
 それ以上に納得ができないのが【平和であることが駄目、もしくは異常である】と判断されてしまっていることだ。クソったれ管理課が平和を望みながら、平和になると睨みつけてくるとかするから治安良くならないんですよ。

「あああぁもぉおっ!? 矛盾してると思いませんっ!? 【天使】の仕事は人々を平和や安寧へ導くことで、それが生まれてきた意味でもあるのに頑張り過ぎると混沌を望むとか何考えてるんですかっ!! それじゃクソったれな神々の思うつぼですよっ!!」

「ぼ……僕もそう思います。治安が良いと上から評価されたのも嬉しいですし。ですが焦って急激な変革を行い過ぎては、結果的にどうしようもない道へ行き詰まることになります。それだけは絶対に避けたいのです」

「なら周囲を巻き込んで変えましょうっ!! 粗探しに来た連中に改定案を見せつけてやって、お兄さんの街だけでなく地域一帯の治安水準を上げるのですっ!!」

「そ、それは逆に目立つのでは……?」

「木を隠すのなら森の中とも言います。隠す森が無いなら木を植えて森作ればいいじゃないですか」

「すごい……力技ですね」

 彼としてはもっと地盤を固めて、少しずつ変えていくつもりだったのかもしれない。しかし、その消極的な姿勢では、いつまで経ってもいいように振り回されるだけだ。振り回す側になる、もしくは振り回す側を増やす機会まで捨てるのは勿体なさ過ぎる。ボクなら視察や総評を逆手に地域全体の評価を上げ、うやむやにしつつも地域から更に外へ根を広げる選択を取ります。

「リスクはありますが、お兄さん達は【地上界】で生きる者としても【天使】としても、正しいことをしているのです。ですからもっと……もっと自分の行っている行為や部下達を評価し、誇ってください。それが後々必ず役に立ちます」

「………………」

 お兄さんは終始灰色の瞳を丸くして話を聞いていた。驚いたのもあったかもしれない。
 これはボクの我儘でもある。以前ならここまで強く誰かに要求したりなどしなかった。排斥される側の自分にはその資格も価値もないと思い込んで、口に出すことすら怖かった。【地上界】と歴史は変えられることなく、このまま森の領地でゆっくりと余生を過ごすのだと。人には人の秩序があり、ボクらとは違う。干渉することも分かり合えもしない存在。お兄さんに出会うまでの十五年間、そう考え生きてきた。

 混じりけのない透明なままのあなた。黒にも白にも染まらず、必要とされる誰かの為に尽くすのは悪い事ではありませんが、もっとあなた自身を優先して行動してください。あなたは自分が思うよりも優秀で人柄も良く、頭も切れる。その高い能力を発揮するのに、ボクらの存在は重荷になってしまっているのだ。
 あなたはそう思っていないかもしれない。でも、全部ひっくるめ自己犠牲の上で導こうとしているあなたを見ていると、ボクはとても辛いです。

「……少し、考えさせてください。まとまったらまた戻ってきます。……僕も失礼します」

 しばしの沈黙の後、組み合わせた両手を俯いて見つめていたお兄さんは口を開き、いつもより少しだけ暗い笑顔を見せ部屋を出て行った。体調が悪いのもあるが、ボクの言葉に思うところがあったのだろう。なんでしょうか……ボクの存在自体が彼らの足を引っ張ていると思うと胸が痛くて、切られた方の角が疼きます。

「ティルレット、ボクは……我儘過ぎるのでしょうか」

「不肖であれば、お嬢様へ尽くすことに迷いはありませぬ。然し、司祭はお嬢様以外の存在も導く【天使】にございます。故に悩み、迷われるのは当然の事」

 淡々と答えながら、ティルレットはボクのカップへ紅茶を注ぐ。
 彼女の言うこともわかるのだ。わかったうえで、ボクは感情論を彼へ吐き出してしまった。この歪な世界に正しい事なんてない。あるのは自分達にとって都合が良いか悪いかだ。【天使】がどれだけ大変な仕事かも知らないボクが、計画性なく不透明な流れに口を挟むべきでは無かったのでは?
 お兄さんは変わらない、変わるはずがないとボクは思っている。でも、彼は無機質で感情のない道具ではない。選択を迷い誤り、先の見えない不安に悩む、心の有る【人】だ。染まる染まらないにしろ、揺らいでしまったのだとしたら――

「――ポラリス司祭にとっても、お嬢様が特別な存在であるのは確か。矛盾や葛藤を抱くのは、その想いからにございます。情熱的に、ひた向きに、他者へ尽くす事しか知らない。【天使】とは、大変難儀なお仕事でございましょう。司祭は周囲を照らし導けど、自身の進むべき道もまた周囲によって決まります。司祭はお嬢様や皆の安寧を願い、お嬢様は司祭や皆の発展を願う。その相互に必要なのは、互いの情熱でございましょう」

「情熱で全てを解決できれば、お互いこんなに悩みませんよぉ。はぁ……あとでお兄さんに謝らなければいけませんねぇ」

「否、その必要はございません。どちらも正しく、どちらも間違ってはいないのです。スピカお嬢様は自身の情熱を示されました。それに応えるかどうか、司祭の情熱次第でございましょう。今暫く、司祭に焚きつけた種火が燃ゆるのを見守りましょう」

「ティルレットはまるで未来が視えているように話しますねぇ。もしかして、本当に視えてたりします?」

「恐れ多い。僭越ながら不肖、ティルレットにそのような力はございませぬ。然し――」

 紅茶を注ぎ終わったカップをテーブルに置かれたソーサーの上へ戻し、ボクの隣へ行儀良く座る。青い瞳はボクの瞳を真っ直ぐと見つめ、抑揚のない発音で言葉を続けた。

「――これは不肖の願いであり、大変身勝手な我儘にございます。そうであったら良い、そう歩んで欲しいと司祭を想う。不肖は司祭と立場、出生性別、何もかも異なりまする。不肖の心に迷いが無かれど、司祭の心の在り方まではわかりませぬ。されど同じ芸術を愛する身、客人ではなく一人の友として想っております」

「……ボクと同じですね」

「左様にございます」

 不安なのだ。ボクもティルレットもお兄さんも。答えが無く前例も無い試みなのだから、切り拓くための行動は全て博打。彼は皆を引っ張り、道なき道を作りながら導いて行く。ボクらはそれへ着いて行き、彼の火が消えないよう支えるしかない。一歩踏み間違えば全て水の泡。【天使】や神々が【信仰】を力に変える能力はあれど、お兄さん達だけではまだ足りない。

 ああせめて、彼らの為に何かボクらに出来ることがあればいいのだが。

***

「アチャ~……これはこれハ。思ってた以上に箱舟の影響ってのは強いみたいだネ」

 時刻は十二時。帰宅した領地内で眠るように倒れる面々を見て回りながら、ベファーナは冷静に感想を述べた。城の一室で件の古代人の少年を見つけたものの、いつものような賑やかさは無く、屋敷内も静まり返っていた。

『急いでは来たのだが、間に合わなかったか』

「おおおおうっ!? みんな死んでるのかっ!? でもペントラちゃぁんやクソガキ共からはまだ魔力の反応があるぜェっ!? 寝てるだけじゃねぇのかっ!?」

 廊下から室内へ顔だけを覗かせたエポナはうろたえながら、床をどすどすと忙しなく足踏みしている。私にもわからんよ。しかし、どうやら【魔女】にとってはこの惨状も計算内らしい。古代人の少年の眉間へ人差し指を置き、トントンと感触や硬さを確かめるように動かしている。

「なるほどなるほド? 皆揃いに揃って【箱舟】へご乗船してるのネ。ウチや君らが行く手間が省けたと考えるべきカ、それとも死んでしまうかもしれないと哀しみ焦るべきカ……どうすればいいと思ウ?」

『「行く手間が省けた」と君が言ったのなら、我々が行かなくとも無事に解決するという意味にも捉えられるが。違うかな、ベファーナ嬢?』

「ンモー、ザガム君はオマセさんですナー。もう少しこウ、ワクワクするように勿体ぶってもいいんじゃないのかイ?」

『戦場で過程から結果を推測していては、決断してからの歩みが半歩遅れる。出鼻を見て戦況を判断する能力を求められることが多かったものでね。気を悪くさせたならすまない』

「ハハァ、さては途中の数式過程すっ飛ばして問題文だけで答えを導き出せるタイプ? ダメダメそんなんジャッ!! ベファーナ先生は点数付けてあげられまセ~ンッ!!」

 そうだとも、昔から回りくどいことは苦手だ。座学然り、兵法然り、会話然り……常に素早さを求め続け無駄を極力無くし、他人よりも一手一足先を読み、自らが動いて一の動作から十の結果を導き、逃げ場を失くして追い込む。ザガム大将はそういう男だ。

「けどその慢心のせいで一から十を導き出せてモ、十一以降は見出せなかッタ。十を結果だと思い込んでしまったせいだネェ」

『否定はせんよ』

「ブルルルゥッ!! 主殿ぉっ!! しょんぼりしてる場合じゃないでしょうがぁっ!! どーすんだよっ!? 俺様達本当に何もしなくていいのかよぉっ!? みんな唸って苦しそうだぜェっ!?」

 自分一頭ではどうにもならないといった風に、エポナは足踏みをしながら廊下をぐるぐると回り始める。
 君は本当に優しいな。いや、スピカ嬢達が日頃我々に対し、毒気なく接しているせいでもあるだろう。互いに共通した悩みの種を抱えているのも相まって、私にも彼らに対し小さな仲間意識が芽生えつつある。

「悩みの種ってウチの事? イヤァ、モテモテで照れるナァ~ッ!!」

『ああそうだな。では、結果までの過程をご教授願っても構わないかね、ベファーナ先生。私達にも彼らを助けるためにこなすべき課題があるのだろう?』

 ベファーナは怪しくニヤリと笑うと【指先の魔術】で古代人の少年をベッドから宙へ浮かせ、部屋から運び出そうとする。

「あるとモッ!! 君達向きの仕事がネッ!! そうだナァ、とりあえず城の中や領地内で倒れてる人達を客間に集めといてヨ。ウチは家で【偶像神】に埋め込まれた【箱船】の中かラ、みんなを引っ張り出す作業をするからサ」

『承知した』

「イーヒッヒッヒッ!! 六十億人の頭の中はどんな居心地だろうネッ!? ワオッ!! 考えただけでも愉快だヨッ!! みんな仲良く手を繋いデ、【箱舟】から出れるといいネェッ!! アア、待っててネッ!? 今すぐ【親友】のベファーナちゃんが助けてあげるかラッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
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