ポラリス~導きの天使~

ラグーン黒波

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第五章・死にたがりの【天使】

【第十三節・星堕とし】

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 午後十五時六分。昼の休憩時間、アポロと共に入った飲食店のカウンター席には、珍しい組み合わせの二人が並んで座っていた。肩までの短い金髪に新品の鎧を着た小さな背中と、緑のマントを纏った大柄の男。ちょうど二人の隣の席が空いており、同席させてもらうことにする。

「こんにちは。アレウスさん、ミーアさん」

「ミーアちゃんっ!? もう動いて大丈夫なのかっ!? 身体に穴開いて大怪我したって聞いてたぜっ!?」

「んむ――――!?」

 振り向いたミーアは口一杯にハンバーグを頬張り、なんとか飲み込もうとしているところだった。蜂蜜のかかったパンケーキを前にフォークを咥えたアレウスが、カウンターに置かれていた容器からコップへ水を入れ、慌てるミーアの手へ握らせる。余程空腹だったのだろう、水を必死に飲む彼女の前にはハンバーグの皿以外にも鶏肉のソテーや野菜の汁物、五段乗せされたパンケーキ諸々――――計七品が並べられていた。

「そらもぉ食うわ食うわ、流石ドワーフ族。戦時中も兵糧攻めされて困った程だ、大飯食らいは伊達じゃねぇな」

「――――んっ!! はっ、半分はエルフですってよっ!! 怪我の傷が治るのは早くとも、その分の栄養が必要ですの。人間やエルフだってそうでしょう?」

 アレウスは無言でミーアの隣で立ち尽くす僕らを指し、気付いたミーアは慌てて口元を拭いて振り向く。

「御機嫌よう、ポーラさん、アポロさんっ!! 投与していただいた薬の効果もあって、午前中の検査を最後に無事退院いたしましたわっ!! 街の皆さんにはご迷惑になってばかりで……サリー神官も今どこにいらっしゃるか分かりませんし、お二人ともご存じなくて?」

「俺達が聞きたいぐらいだよ。昨晩から森へ調査しに行ったきりまだ戻ってこないし、狩猟会で動こうにも正体不明の魔物の件もあって、すぐには動けないんだ。ミーアちゃんは襲われた魔物の姿や特徴とか……何かしらでも覚えていない?」

「……ごめんなさい。背後から襲われたもので、何も見ていませんの。同じ病室の……カインさんとおっしゃったかしら? 息子さんと狩猟中に襲われたそうですけど、やはり姿を見ていないとお話していましたわ」

「姿の見えない魔物……ですか。お隣、失礼しますね」

 ミーアの左隣へ座り、続いて僕の隣へアポロが座った。注文を彼女が食べているハンバーグと同じ物を頼み、店員の老婦人からカウンター越しに差し出された水を受け取る。

「俺の見立てじゃ襲われた時刻的に一頭じゃねぇ。姿の見えねぇ魔物は何度か狩ったことあるが、人の手が一切入ってねぇ森の中は厄介だ。何処から襲われるかわかったもんじゃねぇし、複数相手なんぞまともにやってらんねぇよ」

 アレウスがパンケーキをナイフとフォークで切り分けつつ、気怠そうに語る。いつもなら真っ先に動くような彼も、今回は慎重にならざるを得ない相手のようだ。経験があるという事は、発見して狩る手段の心得や手法もあるのだろうか。アポロやミーアも興味深そうに耳を傾ける。

「アレウスさんは当時、どうやって見えない相手に狩りをしたんです? 俺も参考までに聞きたいです」

「おじ様、私にもそのお話を聞かせてくださる?」

「……最初はな、逃げられても追えるよう、刺激を与えると粘着性のある青い花粉を撒き散らす植物の蕾を使ってたんだが、ポーチの中で勝手に弾けたり、握っただけで弾けたり……まぁ、扱い方が面倒くせぇ奴を使ってた。次に狩った奴の時は、派手な液体塗料を仕込んだ包み袋。こいつはまぁなかなか良かったんだが、森へ逃げ込まれて見失っちまった。その次は――――」

 ――――指折りしながら試した手段と結果を説明していき、改良を重ねながらも逃げられたり失敗した例が多かったせいか、アレウスはあまり愉快そうには話していなかった。だが擬態ではなく、完全に肉眼で判別出来ない程姿を消せる魔物は少なくないらしく、彼が上げた九つの例のうち七つはそうだった。

「――――で、結局は毒餌でおびき出した獲物へ、塗料仕込んだ【返し付き銀の矢】撃ち込んで追跡。俺から離れりゃ、勝手に【銀の矢】の魔力が途切れて爆発するって戦法よ。最後に狩ったのはでけぇ蜥蜴みてぇな魔物の群れだったが、皆殺しとまではいかなくともほぼ壊滅。矢を刺し損ねた残りの個体も、毒でくたばったんじゃねぇかなぁ」

「今回現れた魔物も、同様の手段で仕留められるのでは?」

「司祭サマ。素人にゃ分らんだろうが、毒って言ってもいろんなもんがある。じわじわ弱らせる遅行毒、即効性の強力な神経毒、唾液や胃液と混ざることで毒性を発揮する特殊な毒。……狩る対象に合わせて、餌の種類や毒の組み合わせも変えにゃならんのよ。もしそいつに耐性があって、逆に毒の付いた牙で噛まれてみろ。肉が腐るかそのままぽっくりだぜ」

 魔物の種類や生態を理解していなければ、毒を用いた駆除はこちらにもリスクがあり危険とのこと。アレウスは話し終えると切り取ったパンケーキを三枚重ねてフォークへ刺し、皿の蜂蜜をたっぷり絡ませ口の中へ入れる。彼の【思考】は好物の甘露の甘さに満たされ、頷きながら満足げな表情をした。並べられた料理の半分ほどを食べ終えたミーアは、口元を拭きながらアレウスの顔を見て小さく笑う。

「おじ様、本当にパンケーキがお好きなのね」

「パンケーキに限らず、甘露は俺に取っちゃ唯一の【趣味】みてぇなもんよ。特に街近辺で採れる蜂蜜はかなりの上物。菓子や蜂蜜酒にしてもいいが、焼いた肉の切れっぱしへちょいと付けても美味い」

「まぁっ、お肉にもっ!?」

「蜂蜜は調味料。とろみを出したい時やコクを出す時に少し入れてやると、案外ちょうどよかったりするんだ。ミーアちゃんは料理をしないのかい?」

 アポロの問いに、ミーアは「いいえ」と首を左右に振る。

「王都ではほとんど兵舎の給仕か外食のみで、包丁を握ったこともありませんわ。台所に立つ機会は、朝晩にハーブティーを淹れるくらいで……それに兵に与えられる個室の貯蔵庫は、あまり大きな物が入りませんの。兵士の中にも料理を嗜む方はいらっしゃるでしょうけど、少数だと思いますわ」

「そうかー、好きな料理を自分で作れるって結構楽しいぜ? 簡単な包丁の扱い方くらいは――――」

「――――お待ちどうさま。ハンバーグと野菜スープだよ」

 カウンター越しに木のトレイに乗ったハンバーグの皿と、注文した覚えのない野菜たっぷりのスープが入った器を差し出される。注文を取り間違えたか? カウンターの向こうにいる店員の老婦人へ尋ねる。

「すみません、僕とアポロはハンバーグしか頼んでいないのですが……」

「ああ、サービスだよ。久し振りにいい食いっぷりの客が来てくれて、爺さんも張り切ってるからね。お礼なら隣のお嬢ちゃんにいいなさいな」

 老婦人の言葉に顔を赤らめ、水を飲むミーアへ僕らは感謝を述べながら受け取り、結局デザートのパンケーキまで付けて貰ってしまった。

***

 午後十七時十分。風通しの悪い懺悔室で額の汗を拭きながら、入院中の遅れを取り戻す為に昨日の書類へ目を通していると、部屋の扉を叩かれた。名乗りもせず【思考】も読めないので、街の人間ではなさそうだが……【獣人族】や【鳥人族】の旅人が教会へ訪れることもあるので珍しい事ではない。

「どうぞ。鍵は開いておりますよ」

 扉の向こうの人物は無言のまま開け、懺悔室へ入り扉を閉めるとこちらへ一礼した。

「失礼、ポラリス司祭。不肖、ティルレット。休暇を利用し、情熱を求めて参りました」

 訪問してきた白黒の上品な服装の女性は、スピカの従者であるティルレットであった。頭には二本の角を隠すようにして、この時期には珍しい肩までかかる灰色のショールを被っている。

「ティルレ――――っ!? ……すみません。休暇を取り旅をしている事は耳にしていましたが、街まで来られるとは思ってもなかったもので……」

「お構いなさらず。本日は忍んでの来訪、客人をもてなすには無理がございましょう」

「……ありがとうございます。どうぞ、お掛けになってください」

「感謝」

 彼女は対面へ設置された椅子に音も無く座ると、深く被っていた灰色のショールを脱ぐ。体温による湿気が籠っていないのか髪型はまったく崩れておらず、顔にも汗の一滴すら無かった。ペントラやローグメルクも【悪魔】だが、人間と同じように人肌程度の体温があり汗もかく。一方、【火の呪詛】を身体に刻み込まれたティルレットは自力で体温制御を行っているからか、手合わせの最中でも汗を流さないのが不思議だった。
 しかし、彼女の両袖や肩回りの部分をよく見ると、縫合された形跡と微かに血が付着し、つい最近怪我を負ったのがわかった。道中、夜間の狂暴な魔物か、噂の姿が見えない魔物に手傷を負わされたのだろうか?

「お話の前に、一つお聞きしても?」

「了承」

「その……両腕の傷は、どちらで負われたのでしょうか? 同じ糸で目立たないよう縫い合わされてはいますが、違和感があったもので……」

「昨日、王都の兵士様と交戦した際、負った傷にございます。既に傷は癒え、体調も問題無し。アラネア様手製の衣装、不肖めには勿体の無い品を、易々と裂いてしまってはあまりに無礼でございましょう」

「王都の兵士? そのお会いした兵士は……二人組で、うち一人は長身黒づくめの女性で剣を携えていたり?」

「正に。もう一人は鎧を纏った耳長の少女。街中でもお見掛けしましたが、怪我も治癒した様子で安心致しました」

 ティルレットは無表情で間を開けず淡々と答えた。彼女の言葉に間違いが無ければ、二人は魔物と接触する前後に彼女と一度は会っている。ミーアは魔物に襲われた状況を説明してくれたが、そのことについては一切触れておらず、サリーもそれほど深くアダム達へ説明していないように感じた。……違和感を覚え、より深く訊ねてみることにする。行方知れずのサリーや姿の見えない魔物について、何か聞き出せるかもしれない。

「ティルレットさん、もう少しだけそのお話を詳しく伺っても?」

「了承」

「ありがとうございます。お二人に出会った状況と、別れた際の状況について聞かせてください」

「少々長くなりまするが――――」

 ――――彼女は情熱を揺さぶる光景を求め森へ入った際、【機神】と魔物が交戦している場面に遭遇。この街にもそれなりに近く、交戦している魔物も率先して人を襲う個体だった為、【機神】が全滅したのを確認し排除。その後、離れた場所でその様子を窺っていたサリー、ミーアと接触し、いくらか会話を交わした後、ティルレットを【悪魔】と確信したサリーと交戦。両腕と肩の傷はその際に負った。
 その最中、姿の見えない魔物の奇襲によってミーアが重傷を負い、自身はサリーが彼女へ止血行い逃走するまでの補助を行い、サリーはミーアを抱え逃走したとのこと。

「――――では、姿の見えない魔物は上手く撒けたのですか?」

「否。そのまま応戦し、氷像へと変えました。熱や打撃に耐性のある水と土の龍による混合種。不肖の【情熱】では手に負えず、真に不本意ながら致し方なく」

「……姿は見えなかったのでは」

「二人が立ち去った後、周囲百歩圏内の気温を下げ、龍種特有の【高い体温】や白んだ息を頼りに掃討。目に見えず、耳に聞こえずとも、熱や呼吸を隠す考えにまでは及ばず。所詮は竜人族に育まれた家畜、魔術師の真似事にも限度がございましょう。一晩かけ、龍二十頭を氷像に。騒ぎに引き寄せられた巨人種七頭、【機神】六体、その他好戦的な鳥獣種十七頭を燃やしました。現在、森の中が安泰であることは不肖が約束いたしまする」

「………………」

「如何なされました」

「……一度に色々なことが解決し過ぎて、混乱してました。すみません」

「左様でございますか」

 一晩。たった一晩で、ティルレットは森の中の脅威を排除してしまった。体躯の大きな巨人も好んで集団で棲む、地図上ではそれなりに広大な森であった筈だが、彼女の手にかかれば少々手間の掛かる【庭掃除】程度の感覚か。ローグメルクやアレウス、パンサー、イシュ、サリー、そしてザガム。……ここ数ヶ月で様々な強者と出会い、時に戦う機会もあったが、彼女は別格だ。
 人間離れした身体能力から繰り出される、高速で力強い技。銃弾さえも見切り、レイピアで弾き落とす動体視力。己を殺す為に刻まれた【呪詛】さえも利用し、手足のように支配してしまう【悪魔】。言葉数少ない彼女について知らない事の方が多く、同じく従者であるローグメルクや主であるスピカも、その出自や経歴について把握しきれていない。
 独特な情熱の価値観と思想は理解に困る時もあるが、交流のある街の人々や僕達にも気遣ってくれているのは見て取れる。今回も独断での行動が、街の人々を救う事となった。……今は表立って礼を述べられないのが歯痒い。

「姿の見えない龍は、次の被害が出ないよう狩猟会やアレウスさんも手を焼いていた件で、他の魔物の掃討も含め大変助かりました。本来であれば町長へ報告を行い、何かしら僕達や街の人々からもお礼が出来ればよいのですが――――」

「――――成り行きと独断故、礼は不要にございます。スピカお嬢様や司祭の人々に対し、慎重なご様子は理解しております。不肖めが介入してしまっては、事を上手く運ぶのが難しくなるでしょう」

 予想はしていたが、魔物の討伐や害獣駆除から街との交流の切り口を築き、関係構築するのは現状難しい。いくら街の人々が異種族を見慣れているとはいえ、【悪魔】を引き入れたとあっては快く思わぬ者や旅人の噂が外部へ流れ出るのを防げない。今回彼女が討伐したのを目撃したなど、他者の証言が無いことも決め手に欠ける。初手の印象をより良く確実に決めるのなら、主のスピカも同伴している時にすべきか。

「ですが一晩掛かりの大仕事、何もしないというのも僕の方の気が収まりません。僕個人や教会からだけでも、それ相応のお礼をさせていただきます。宿や食事の手配など、可能な範囲での頼みであれば何なりと仰ってください」

「感謝。身に余るご好意にございます。お言葉に甘え、宿、食事処、それと――――今晩、不肖と今一度、お手合わせ願いとうございます。許可を」

「はぁ……手合わせですか。構いませんが、本日街へ来られたのも、もしやそちらが目的で?」

「否。ポラリス司祭のお仕事への取り組みや、街の文化を拝見させていただき、スピカお嬢様の手土産を見繕うつもりでございました」

 ティルレットは突然椅子から立ち上がり、手袋を外し僕の左頬に手を当て、瞳を覗き込む。どろりとした液体が、肌へ焼けつくような感覚……【呪詛】は頬から首を伝って胸へ、腹部へと垂れていく。彼女と一番最初に出会った時も、同様の経験をした。青い業火に全身を呑まれ、身体の内側から焼けていく……当時はそんな幻覚を見た気がする。
 しかし――――今は彼女の左手から冷たい【魔力】が流れてくるのも感じられた。拒まず受け入れ、身体へと循環させ、【呪詛】の熱へ対抗していく。いつの間にか、あれ程流れ出ていた汗は止まり、平常時と何ら変わらない状態にまで体感温度も落ち着いた。目の先には高揚したあのティルレットの顔。そこに恐怖は無く、寧ろ嬉しさのあまりに笑ってしまったようにも見えた。

「嗚呼。決して変わらぬ一つの明星。不肖、ティルレット。僭越ながら武の師として、同じ情熱を持つ友として、ポラリス司祭の成長を嬉しく思いまする。取り巻く穏やかな空気に、不肖は懐かしくも温かな安らぎを覚えました。長き旅、三百――――四百年に亘るかもしれませぬ。廻り続ける星の中、決して変わらぬそれは月や太陽より、馴染み深い存在にございました」

 彼女はゆっくりと目を閉じ、手袋を外した右手で僕の右頬にもそっと触れた。肌を【呪詛】が伝う感覚はあれど、もう焼けつく熱さも凍える冷たさもなく、室内に居るのに心地良い日の光を浴びているような……穏やかな熱を全身に感じた。

 ……これが彼女本来の【体温】か。

「天に輝く星へ触れるなど、生涯叶わぬ愚かな夢と思っておりましたが――――星は、確かにこの手の内に在りまする。星の名を冠する【天使】、地に在る星、【導きの天使・ポラリス】よ。不肖の情熱は【創られた神】の前に燃え尽き、こちらへ戻ってからも灰色の虚無の日々にございました。かつての様に無数の氷像を築けど、有象無象の畜生へ情熱を注ぎ込もうとも、燻りを焚きつける答えは見つかりませぬ」

「………………」

「然し、その瞳を見た刹那。再び消えかけた情熱が息吹くのを覚え、不肖の求める答えは、司祭が握っておられるのだと理解いたしました」

「……ティルレットさんは、時折僕の行動を見ていたかのように言い当てるので驚かされます」

「経験から来る直感にございます。当たるも八卦、当たらぬも八卦」

 無表情に戻ると彼女は両頬から手を離し、白い手袋に納めると席へと静かに座り、口を開いた。

「失礼。少々、興奮のあまりにお見苦しい所をお見せいたしました」

「いえ。不思議と汗が引いて、身体の調子が良くなったような気がします。宿に食事、手合わせの件も確かに承りました。夕方頃にもう一度教会へいらしてください。それまでにこちらの方で、手配や準備を行っておきますので」

「感謝。最後に一つ。行方知れずになられている兵士様は、今はまだ存命でございましょう。満身創痍にはございましたが疲労を癒し、いずれ街へ戻られるかと」

「サリーさんのことですよね? 彼女は今何処に?」

「一晩過ごしたあの森に。死に焦がれながらも生きようと足掻く様は美しくもございましたが、それ以上に不肖が【悪魔】であることへ強い憎しみと、恐怖を抱いているように見えたもので、適切な延命処置を施しその場を離れました」

 サリーが森へ戻ったのは、生態調査やミーアを傷付けた魔物への報復でもなく、ティルレットを殺しに行ったのだ。夜間の活発になった魔物達を乗り越え、勝負になるかどうかもわからない程消耗しながらも、【悪魔】である彼女が存在することを許せなかったのか。
 脅威を排除した森は一時的には安全だろう。再び【機神】が住処を求め、侵入してくる可能性もあるが……僕なら仲間がやられた地域へ直ぐに手を出さない。彼らの【思考】は魔物より人に限りなく近い。一度勝てないと理解すれば、確実に勝てる数を揃えるか、諦め別の場所を探す選択肢も彼らにはある。

「……彼女はある事情により、【悪魔】の存在そのものを強く憎んでいます。街へティルレットさんが居ると知れば、民衆の目があろうと再び襲い掛かってもおかしくはありません。僕としてはティルレットさんの安全に配慮し、この辺り一帯から離れることを勧めます」

「司祭がそう見立てるのであれば、不肖は従いまする。野営や自衛の心得も――――」

「――――ですが、その行動は【先延ばし】に過ぎません。彼女は【悪魔】を変わらず憎み、恐れ、明日には王都へ帰還することになります。日頃邪険に扱うミーアさんを必至に助けようとしたのも、近しい存在を再び失うことを激しく恐れているからでしょう。サリーさんの心は未だ過去に縛られたまま、前へ進むことを拒んでいます。……亡くなった仲間の皆さんは、きっとそれを望んでいない」

「………………」

「ティルレットさん。サリーさんが前へ進む為に、危険を承知でのお願いです。僕としても友人のあなたを、彼女の注意を引く存在として利用する形になってしまうのが嫌なのですが……ご協力していただけますか?」

「了承。策の詳細をご説明願います」

***

 午後十八時五十一分。工房の鍛冶道具を使い、型へ流し込んだ金属と金属の柄を溶接。蒸発しない特別な液体でよく冷まし、柄の持ち手へ耐熱性の高い滑り止め用の革素材をはめると、槌とよく似た鈍器が出来上がった。素人鍛冶なので綺麗な出来栄えではないが、何層も折り返す剣と違い単純な構造。【密度の高い鉄塊】として振るうには申し分ない。ただ……アタシや部下の野郎共に振らせるには、ちょいと重すぎるねぇ。
 表で待っていた依頼人のミーアを呼び出し、工房中央の机上へ置かれた完成したての鈍器を見せる。

「手に取っても?」

「ああ、ただ注文より重たいから気を――――」

 ――――ミーアは柄を片手で握ると軽々と持ち上げ、手首の回転のみで素早く振り回し、横や縦、斜めに小さく振るう。作業に携わった周囲の部下も、華奢な彼女が出す鈍器が風を切る音に驚き、口を開けたまま目を離せずにいた。数分間左右の腕で同じ動作を繰り返した後、左手に鈍器を持ったまま、ミーアは額の汗をポーチから取り出したハンカチで軽く拭い、小さく息を吐く。

「ふぅ……少し重たいですけど、注文以上の出来栄えですわ。鍛冶道具に似た形が良く馴染むのかしら? 王都製のメイスよりも扱いやすく感じますわね」

「お、おう。ドワーフ族の怪力は間近で見ると迫力あるねぇ……」

「すげぇな嬢ちゃんっ!! 俺達は両手で持ち上げるのがやっとだったってのにっ!!」

「全くだ、本物の魔術みたいだぜっ!! 姐さんも俺ら以上の馬鹿力だが、お客さんはそれ以上だっ!!」

「いっ、いえっ!? ただほんの少し、周りの兵士よりも力が強いだけですわっ!! ドワーフの血が流れてなくとも、これぐらい出来る方もいますもの……」

 周りで見ていた部下も珍しい光景を見たことに興奮し、机の周りへ集まる。当人は高飛車な発言をよくしているのに、あまり素直に褒められたことが無いのか、耳を真っ赤にしてハンカチで口元を押さえている。まぁ、王都の兵士ともなれば選りすぐりの集まりだ。【一等兵】の階級にも、彼女を上回る怪力や技量を持つ人間がいてもおかしくは無いねぇ。
 ルシももう少し気を利かせて、低い階級から始めさせてやりゃあいいのに。いきなり才能で成り上がった連中とこの子を並べんのは、ちょいと酷な気がするよ。

「アッハッハッハッ!! 謙遜するんじゃないよっ!! 一芸秀でて王都兵として抜擢されるぐらいだ、ミーアちゃんも自分にもっと自信持ちなっ!!」

「そうそう、オイラ達もなんだかんだペントラ姐さんに拾われた身さ。才能なんてトンと持ち合わせてないが、仕事の出来栄えを褒められて嬉しくねぇワケがねぇし、周りに認められる大変さってのは骨身に染みて分かってる」

「今じゃそれなりだが、数ヶ月前はこの街も浮浪者や借金に首回らなくなった奴、ワケ有で表立って働けない奴が多かった。御膝元の王都なら働き口も多いだろうけど、そういう連中も当然多いだろ? そんな中で手に職持って、兵士として食っていけてるんだ。アタイは立派なことだと思うよ」

「私は……たまたまルシ様に選ばれて……純血の人間か、人間との混血が多い王都で、私のようなエルフ族とドワーフ族の混血を、良く思う人はほとんど居ませんわ」

「だからこそ、お客さんは頑張ってる。チャンスを掴んで、生きる為に必死に考えて、偏見にも負けずに努力してるんじゃないか」

「え…………?」

 ミーアは顔を上げ、集まったアタシらの顔を眺める。

「必死に生きてんだ。アタシもここで働いてる連中も、ミーアちゃんも。血や才能どうこう難しい話は抜きに、厳しい世の中で生きようと考えて、努力してる奴を馬鹿にする奴はここにはいないよ。ましてや親も居ないのに、ホント良く頑張ってるさね」

「………………」

「認められたいって足掻くのは、何もカッコ悪くなんかない。生き意地汚かろうが、楽しく生きたもん勝ちさ。最初に会った時、この街の何が良いか分からないって言ってたね? 当たり前に皆それぞれの居場所を持って、ちょいと贅沢できる程度に稼いで偏見なく他人から頼られ認められる。……アタシは好きだよ? 穏やかに暮らせる田舎街も、そこに住む皆もね」

 首から下げたタオルで、ハンカチに声を押し殺して泣くミーアの涙を拭いてやる。普通に生きることは、この世界じゃ簡単なようで難しい。人並みの生活や幸福を笑う奴もいるけれど、死に物狂いで穏やかな世界を掴もうとしている奴らだって沢山いるんだ。こんなに頑張って生きようとしてる子が、生まれだけで損をするだなんて間違ってる。だからあんたはこの子の友達になったんだろ、ポーラ。

「ごめんなさい……良い人ばかりなのに、酷いことを言ってしまって……」

「いいってことさねっ!! 無理して背伸びしてるのは、なんとなくわかってたし。コカトリスを討伐すんのに協力してくれたり、サリーと一緒に危険な魔物を追っ払ってくれてんのも聞いてる。もし王都が嫌になったらいつでもおいでよ。町長は余所者にも優しいし、教会にはポーラ達も居る。ミーアちゃんにしかできないことは、この街や世界にも沢山あるんだ。あんたは独りじゃないんだからね」

 独りじゃない。この言葉にどれだけ救われてきたただろう。アタシや皆も誰かに救われ、今日誰かを救っている。不幸は連鎖して広がるもんだけど、幸福も同じく連鎖していくんだ。この子のパートナーの【天使】も、もう少し考えて教えりゃあいいのに。

「ええ、ええっ!! ……私も、ポーラさんとペントラさんの仲を取り持てるよう、微力ながら頑張りますわっ!!」

「ああ、期待して――――……ん?」

 聞き違いか。そう思い、思考が止まる。ミーアはハンカチをしまい、鈍器を腰へ付けるとアタシの右手を両手で掴み、目を輝かせた。

「街の皆様やアレウスのおじ様もお話していましたわっ!! ポーラさんは【恋】が理解できていなくて籠絡に大変苦労しているようですけど、ペントラさんが報われないのはあんまりですものっ!! 部下の皆様もそうですわよねっ!?」

「お、俺は姐さんが幸せならそれでいいっすよ。恩人が恋に破れる方が辛いし……」

「借金まみれの俺も、先週綺麗な嫁さんを貰ったばっかりだ。死にたいと思ってたあの頃と比べれば、今は幸せ過ぎてどうかしちまいそうだよ。結婚ってのはいいもんですぜ?」

「アタイもバツイチだっ!! 恋愛の先輩としてなら、相談に乗りますよっ!!」

「あ、あんた達ねぇ……他人事だと思って――――」

「――――違いますわっ!! 恩人のペントラさんのことだから、皆さん心配しているのですわよっ!!」

 ヤバい、恥ずかし過ぎて今すぐこの場から離れたい。けど、ミーアの力が強くて逃げられない。部下達もニヤけながら真面目に聞いてるし、勘弁しておくれよ。誰か……こういう時ぐらい、皆の注意を引くくらいの珍客が誰か来てくれたりとか――――

「――――失礼。不肖、ティルレット。王都の兵士様と、色恋女へ会いに参りました」

 がらりと開け放たれていた戸口には……角こそ洒落たもんで隠しちゃいるが、白黒服の見慣れた鉄仮面が立っていて、顔から血の気が引くのを感じた。なんで? なんであんたがここにいるのさ?

「おっまっ!? ちょいとまっ――――」

「――――まぁっ、ティルレットさんっ!?」

「…………は?」

 アタシの手を離し、ミーアは駆け足で戸口のティルレットへ近付く。面識があるのかい?

「王都の兵士様。こちらの街へいらしていたのですね。お身体の方は?」

「問題ありませんわっ!! お医者様に適切な処置をしていただいたおかげで、こうして出歩けるようになりましたものっ!! ……寧ろ、こちらが謝らなければなりませんわ。サリー神官が行方知れずで、本人に頭を下げさせることができないのが申し訳ないのだけれど……」

「お構いなく。然し、その件に関してはご内密に」

「え、……ええ、分かりましたわ」

 頭を下げようとしたミーアへ、ティルレットはそっとこちらへ聞こえるかどうかの声で耳打ちをした。アタシにはバッチリ聞こえてんだけどね。なんか良からぬ事に二枚も三枚も噛んでそうじゃないの。今度は何したってんだ。主のスピカちゃんは?

「姐さん、誰ですあの美人? この辺りじゃ見ない顔ですし、人形みたいに色白いっすけど……」

「ん。前に別の街で仕事した時に知り合ったんだよ。……って言っても、馬の合わない知人みてぇなもんさね」

「人間にしては凛としてるっていうか……混血の人ですか?」

「さぁ? アタシも詳しくは――――」

 ――――二人のやり取りを見守っている部下も気になったのか、鉄仮面女について質問してくる。テメェ、流石にここで【悪魔】だってバレたら、スピカちゃんやポーラ達に迷惑かけるどころじゃ済まないよ。話が纏まったのか、ミーアに連れられるようにしてティルレットがこちらへ歩いて来る。暑苦しい工房の中だってのに、汗一つかいちゃいない。

「皆様、お初にお目にかかりまする。不肖は情熱のまま旅をする、しがない絵師。名を【ティルレット】と申します。ペントラ……さんとは、以前主の仕事を手伝っていただいた知人であり、教会のポラリス司祭とは趣味を同じくする友人にございます。以後、お見知りおきを」

 綺麗な姿勢で一礼し、ゆっくりと顔を上げた瞬間目が合った。

「……何しに来たんだい」

「主から休暇を頂き、情熱を焚きつける存在を求め旅をしております。街へ立ち寄ったのは主の土産を見繕う為でございましたが、教会へ訪れた際、ポラリス司祭と会話を交わし、不肖の情熱が再び息吹くのを感じました」

「おーそうかい、そいつは良かった。あーほんと良かった」

 まぁ、最近調子がおかしいとローグメルクが言っていたのをポーラ通して知ってたし、自分でも分からない原因の為に休暇取って、ポーラを頼りに来たまではまだ分かる。主に土産を買っていくのも分かる。でもさぁ――――

「――――アタシん所に寄る理由は無くないかい? 冷やかし?」

「ご名答」

「あ゛?」

「兵士様が武器を見繕いにこちらへいらしていると聞き、いつまでも司祭に想いを伝えず、婚期を逃しかけているペントラさんの顔も、ついでで拝見しに来たのでございます」

「お……おまえぇ……?」

「姐さん、顔が……【冥界】から這い出てきた【悪魔】みたいな、凄いことになってますよ……」

 胸倉掴みかかって、その鉄仮面に頭でもぶつけてやろうか。ティルレットの隣に立つミーアも引いているし、相当酷い表情してんだろうけど、流石に大人のアタシも堪えきれないのさ。

「不肖は、ポラリス司祭に忠誠心とも、友情とも異なる感情を抱きかけているやもしれませぬ」

「は?」

「それが情熱なのか、若しくは――――【恋】なのか。近々確かめるつもりにございます」

「ひっ、人の事散々色恋だの何だの弄っておいて……あああああんたも、アタシをからかってるのかいっ!?」

「否。これは不肖自身の問題。好意を抱いているのは事実でございますし、その在り方が情熱的で美しいと感じているのも事実。より近しい、特別な関係になれば、彼を兄や叔父の様に慕う主もお喜びになられますでしょう」

「………………」

「何か、問題でも?」

 開いた口が塞がらない。ティルレットは冗談を言う奴じゃない。己の情熱を満たす為や主の為なら、冗談めいた馬鹿な事もする奴だ。思わぬ恋敵の登場にどうするペントラ。凄い……なんかもう、色々と勝てる気しないんですけどぉ……。

「恋愛戦争だわ……。一人の殿方を取り合うだなんて、歴史書や聖書・娯楽書でしか読んだことがありませんでしたけど、こんな所でも勃発するものなのね。……ああ、【天使】様。私はどちらを応援したら良いのでしょう?」

「あ、アタイらの姐さんが何処の馬の骨とも分からねぇ奴に、負けるわけないだろぉっ!! なぁっ!?」

「おうともっ!! 最近は特にイイ感じなんだっ!! 司祭様だって、姐さんを選ぶに決まってるさっ!!」

 両手で口元を抑え、アタシとティルレットの顔を見比べ震えるミーア。アタシの肩を持つ部下達。パニクるアタシ。表情は常に同じ筈なのに、恥じらうこと無く好意を抱いている事実を口にし、見下して勝ち誇っているように見える鉄仮面女。この世界の神様は――――戦争だけじゃなく、恋愛にも首突っ込んで来るような野暮ったい奴なのかい?
 ティルレットは白い手袋をしたまま右手を差し出し、淡々と宣言する。

「不肖、ティルレット。変わらぬ星への想いを情熱か否か確かめる為、その華道の前へ立たせてもらいまする。良き好敵手として、握手を」

 ……大丈夫。鈍いポーラが鉄仮面女に恋をするだなんて有り得ない。でも、いろんな意味で何するか分からない変態からあいつを守る為にも、アタシは引くわけにはいかない。アタシもポーラが好きだし、ポーラも一緒に居たいって言ってくれたんだ。深呼吸――――力一杯、熱い右手を握り返してニヤリと笑って握手をする。

「よ・ろ・し・く・ねっ!?」

「良い情熱です」

「い゛ぃっ!?」

 返事をした瞬間、あの高揚した笑顔へと変わり、込めた以上の力で右手を潰される。クッソ熱いうえに痛てぇよ、変態め。

「嗚呼、やはり競い合える特別な仲というものは良いですね。創造力と情熱を刺激されます。お互い初心者、どちらが星を手元へ堕とせるか、楽しみにしております」
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