田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第15章 狐疑

05 圧迫骨折

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 忙しいおかげで、時間はあっという間に過ぎて行く。二月末、オペラ上演まで一か月に迫る。

 今年は雪が多かった。車道の雪は早期になくなるが、歩道は溶けては凍りを繰り返してアイスバーン化する。歩行者は神経をすり減らしながら通勤することになる。スーツ姿にブーツは合わないが、仕方がない。革靴ではツルツルで雪国育ちの田口でも厳しい。 

 最近、バードウォッチング用の長靴を見つけた。柔らかい素材で折りたためるため、専用の袋に収納できるから重宝する。更に機能性も高く、雪道でも滑りにくい。
走っても大丈夫と言う優れものなのだ。

「保住さんにも買ってあげようかな……。あの人、絶対転ぶよな」

 そんなことを呟きながら、早めに出勤をして、部屋を暖かくしていると、みんなが出勤してきた。道が混み合うので、早めに出てくる人が多いのだ。『早めに出る』、『余裕を持つ』というのは雪国の常識。

「また一時間かかったよ……まじめに勘弁してほしい」

 矢部は大きな欠伸をする。

「道に雪ないのに……混むんだよな。絶対、学生だよ。送り迎えしてもらってんだ。今時の学生めっ」

「ですよね……。時間が倍はかかると思って出てこないと。本当、神経使うし、早く春になってほしいですね」

 谷口も頷く。

「うう……うちの娘がその学生だよっ! こういう時ばっかり『お父さん~』なんて猫なで声だもんな……」

「で、そんな娘に負けて送迎する馬鹿な親ですね?」

 矢部のコメントに渡辺は笑うしかない。「そうそう」とか言いながら、渡辺が肩に手を当てて首を横にすると、事務所の扉が開いた。ゆっくりと。一同は、はっとして視線をやる。後、顔を出していないのは保住だけだ。

「係長?」

「おはようございま……す」

 保住はドアノブに手をかけ、屈みこんでいる。

「ちょ、今度は一体、なんなんですか?!」

 田口は慌てて駆け寄る。他の職員たちもだ。

「係長、凍傷ですか?!」

「足痛いの?」

「おはようございます……」

 彼は顔色が蒼白だ。

「転びました……」

「は!?」

「え!?」

「こ、転んだって」

「雪道で、——豪快に……」

 一同は吹き出した。

「いい加減にしてくださいよ。本当」

「子供じゃないんだから」

「大丈夫ですか?」

 考え事ばかりしている男だ。運動も苦手と言っていたし。転ぶのは頷けるのだが——。田口は心配そうに屈む。

「痛みます?」

「笑い事じゃないくらい、痛い……」

「嘘でしょ」

「係長、病院に行った方がいいですよ」

「おれ、連れて行きます」

 田口が、そう言って立ち上がった時。澤井が出勤してきた。

「なにを騒いでいる」

「局長」

 澤井は屈みこんでいる保住を見つける。

「またお前か。今度はなんだ」

「転んだそうです。もしかしたら、ヒビが入っているのかもしれません。痛みが尋常ではなさそうです」

 田口が答える。澤井は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「この忙しい時に」

「——すみませんね」

 彼はそう言うが、本当に痛むのか。冷や汗が滲んでいた。

「おれ、連れて行きます」

 田口は澤井を見る。脱水事件の時みたいに、彼に持っていかれたくないからだ。澤井はじっと田口を見てから、軽くため息を吐いた。

「わかった。行ってこい」

「ありがとうございます!」

「それと、」

「はい」

「こいつの受診が終わったら田口、おれのところに来い」

 ——なぜだ?

 そう思いつつ、「わかりました」と答えた。


***


 田口は、保住の車を庁舎の前に乗り付けてから、彼の車を運転する。こういう時、徒歩だと不便なものなのだと思った。保住の車は、水色の小さい普通車だった。
こだわりがないというか、どうでもいいのだろうな。そんなことを思いつつ、ルームミラーで後部座席の保住を見つめた。

「可愛い車ですね。相変わらず」

「みのりからのお下がりだ。一々言うなよ……いたた」

 乗る時も冷や汗たらたらの彼は、本気で痛むようだ。

「打撲とはいかなそうだ。筋肉ないから。てき面ですよ」

「そう言われても……」

 言葉も出ないようだった。保住はじっと痛みが和らぐ姿勢になって黙り込む。澤井から指示された整形外科に到着し、一時間の待ち時間を終えて通院に漕ぎ着けた。


***


「圧迫骨折?!」

 事務所に戻ったのは昼過ぎ。留守番をしていた三人は、呆気に取られている様子だった。

「腰部の圧迫骨折です。自宅安静だと言っていましたが」

 痛み止めを山のように出されたお陰で少しは動けるが、それでも座っているのもキツイのだろう。

「コルセットができるのに数日かかるので、それまでの間の辛抱です」

 腕で机に体重をかけるが、どうしようもなさそうだ。

「痛い……」

「係長って、本当に話題に事欠きませんね」

「圧迫骨折って、年寄りの病気じゃないんですか?」

「まさか、こんな事になるとは……」

 みんなが心配そうにしている中、田口は澤井のところに向かう。保住は帰さないといけないだろうし、呼ばれていた内容も気になったからだ。

「田口です」

 声をかけると、澤井の声が聞こえてくる。

「入れ」

「はい」

 澤井は詰まらなそうな顔で田口を見ていた。

「——で」

「はい。圧迫骨折です」

 病名を告げると、澤井はため息だ。

「全く手がかかる。早く帰らせろ。安静にしないとダメじゃないか」

「はい。医師からは一カ月は安静にと言われましたが」

「言う事きくわけがないな」

「その通りです。せめて二週間は自宅で安静。コルセットをして、無理をしない約束なら復帰もいいかもしれないが。それも、再受診をしてからの許可がないとダメと言われました」

「だろうな。この忙しい時に。あいつは昔からそうだ。肝心な時になにかしでかす」

 面倒そうな言い方だが、表情は固い。

 ——ああ、そうか。心配しているのだ。そうか。局長はやはり、保住さんが大事。

「ともかく。二週間は、自宅安静にするしかあるまい」

「はい」

 澤井はまた軽くため息を吐いてから田口に書類を一枚差し出した。

「明日から、関口圭一郎とオーケストラが来日する」

 書類の中身は、オーケストラの練習日程と場所が書かれている。

「本来は保住に行かせる予定だったが。あいつが使い物にならないのなら、お前行ってこい」

「おれ、ですか?」

「白丸が付いているところは、佐久間と一緒だ」

 東京への出張が一カ月で五回の予定になっている。
 
「わかったか」

「承知しました。しかし……」

「お前は嫌いだが、少なくとも他の奴らよりは任せられる」

「すみません」

 ——嫌いか。

 田口は素直ではない澤井の態度に笑ってしまった。



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