クールな経営者は不器用に溺愛する 〜ツンデレ社長とWワーク女子〜

瀬崎由美

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第五話・初対面

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 お客様の忘れ物を届けたことなんて、私の記憶ではすっかり忘れ去られた頃。学生バイト達が試験期間から解放されて、シフトがようやくまともに回り出した。日勤を終えて一度着替えの為に帰宅した後、私は駅前のコンビニでサンドイッチを購入してからネットカフェ『INARI』の入り口扉を潜り抜ける。店では賄い制度もあるけれど、メニューにある料理を自分で作らないといけないし、二年も働いてるとやや飽き気味だ。

「おはようございます」
「あ、荒川さん、おはようございます」

 フロント前の床をモップ掛けしていた福山さんと挨拶し合ってから、ロッカールームへと向かう。途中、ドリンクバーで粉類の補充をしていた広瀬君とすれ違ったけれど、お客様に何か説明しているようだったから邪魔しないよう頭だけ下げて通り過ぎる。広瀬君は小柄で愛想が良いから何かにつけて声を掛けられていることが多い。きっと話し掛けやすい雰囲気なのだろう。今もドリンクバーの品揃えについて聞かれているみたいで、ただのバイトなのにと思い切り困惑しているのが目に入った。

 制服に着替え事務所でタイムカードを通してから、フロントに出てカウンターで連絡ノートをチェックする。二十四時間営業だと顔を合わせないスタッフもいて、このノートとタイムカードでしか見掛けない同僚達が何人もいる。半年前に入ったという昼のパートさんとはまだ一度も直接出会ったことはないし、他にも一、二度しか顔を合わせたことの無い人が何人もいたりする。

 しばらく調子が悪かった厨房の排水の工事が終わったという報告の横に確認のサインを記入して、私は連絡ノートをパタンと閉じる。今日は夕方もそこまで混んでいなかったらしく、順調に清掃も終わっているみたいだ。こういう日こそ、溜まりに溜まっている登録業務をするべきだと、私は未登録の入会申込書を引き出しから出して、順にパソコンへと入力していく。ついさっきまで会社でキーボードを触っていたのにまたこれかという気はするが仕方ない。誰かがやらないと、いつまで経っても仮登録のまま放置され続けるだけなのだから。

 こないだ見た時よりもさらに二週間分が増えた申込書の束を片手に、顧客データを端末へ打ち込んでいく。途中、夕勤から夜勤にバイトの顔ぶれが入れ替わり、たまに顔を見る常連客の入店があったり、内線が鳴って料理のオーダーが入ったりしたけれど、今日の夜勤は島崎君以外に学生バイトの曽根君もいて厨房やその他は円滑に機能していた。頭数にしかならない動かない店長が一緒の時はこうはいかない。私は今晩中に全てを入力し終わらせるつもりで集中して登録作業を続ける。

 と、ブースとを隔てる防音扉が開き、伝票を挟んだバインダーを手にした男性客がカウンターへと近付いてくるのに気付いて顔を上げる。スーツ姿の客に向かって、私は普段と同じように穏やかな作り笑顔を浮かべながら声を掛ける。

「チェックアウトでよろしいですか?」
「お願いします」

 伝票に印字されたバーコードを読み取ってから、退店登録をする。表示された利用金額を告げて再び客の顔を見ると、なぜか向こうも私のことをじっと見ていた。背が高く整った顔立ちでスリーピースの黒色のスーツがよく似合っている。いかにもエリート会社員風でこの店にはあまりいないタイプだ。でも何となく既視感がある気もするけれど、きっと初めて会う客だと思うのだが?

「あの、こないだUSBメモリの忘れ物を届けて下さった方、ですよね?」

 そう言われて、私は目の前のモニターに表示されている会員名を確認した。彼はあの『コウサカシュウト』さんだった。見たことがある気がしたのは、免許証のコピーのせいだ。私が「あっ」という表情になったことで確信したらしく、高坂さんは照れ笑いを浮かべながらお礼を口にする。

「わざわざ朝早くからありがとうございました。助かりました」
「いえ、バイト終わりについでに寄っただけですから」

 私は彼がキャッシュトレーに出した金額を確かめてから、会計処理を済ませた。領収書が必要と言われたので、印字されたレシートタイプの物にポケットから出したシャチハタを押して会員カードと一緒に返却する。彼のチェックアウトの処理はこれで終わりだったのだけれど、高坂さんは少し考えている風に横髪を指先で掻いた後、私に向かって遠慮がちに聞いてくる。

「お手数をお掛けしてしまったので、配達していただいたお礼に何か差し入れでもさせていただきたいのですが」

 そう言いながら、私が次にシフトに入る日を訊ね、差し入れの希望が無いかと質問してくる。和菓子か洋菓子かなど、順に候補を口にする。

「い、いえっ、そんな大したことはしてませんし……!」

 私が慌てて首を横に振って断ると、高坂さんは眉を動かして少し困惑した表情になった。彼にとってはあれは相当大事なものだったらしく、本当に助かったのだと簡単には食い下がらない。だったらコンビニのプリンとか缶コーヒーとか、そういう手軽なもので納得してもらうべきかと考えていた後、私の頭にハッと別のことが思い浮かんだ。

「あ、あのっ、でしたらお礼は差し入れとかじゃなくて、ちょっと相談に乗っていただけないでしょうか?」
「相談、ですか?」

 私のいきなりの提案に、高坂さんはかなり驚き顔になった。でも、私はこの千載一遇のチャンスを見逃すなんてできない。

「あー、すみませんっ。こないだ会った営業の方から名刺をいただいて、経営コンサルタントの会社だって知って……」
「まあ、そうですが」

 目の前の男性が少し不審そうな表情になったのは当然だろう。私は気持ちばかり声を潜めて、彼へと必死で頼み込む。

「身内の経営する店のことで、どなたか詳しい人に話を聞いてもらえたらって思っていたところだったんですが、そういう方が周りにはいなくて困ってたんです」
「なるほど……」

 高坂さんの顔からは困惑の色は消えないが、私の事情を何となく察してくれたようでスーツの胸ポケットから名刺を取り出して私へと手渡してくれた。そして、少し事務的にこう言ってきた。

「都合の良い日があれば、ショートメールで連絡してください。可能な範囲で合わせるようにします」
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