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第十一話・平日のバイト
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ネットカフェでの夜勤バイトは会社勤めの負担にならないよう主に金曜と土曜に入れてもらうようにしているけれど、途中の平日にも一日だけ短時間で入ることがある。その場合は始発のある時間までで、帰宅後に一時間くらい仮眠した後に出社するというハードスケジュール。昼休憩の時にデスクでうつ伏せて寝てしまうこともあり、いい加減にそろそろ会社から厳重注意を受けるんじゃないかとハラハラする。
大学生の曽根君がブース清掃へ行ってくれている間、島崎君が休憩に入り、私はドリンクバーの床にモップを掛けていた。ドリンクバーは利用料金に含まれているから、一度にグラス何個も使って飲み物をブース内に持ち込む人は多い。何回も取りに来るのが面倒だからというのは分かるけれど、トレーを使って運ぶ際に失敗して床にぶちまけられるのは日常茶飯事。特に酔っ払い客は手元が危なっかしい。気が付いた時には床がベタベタになっていたりして、それを踏んだ靴で店内を人が歩く度に被害が拡大するというある種のトラップが完成する。
暖房の効いた店内で汗だくになりながらモップを動かしていると、フロントの方で呼び鈴が鳴る。私は厨房の入り口の壁にモップを立て掛けてから、急いでカウンターへと駆けつけた。
「大変お待たせ致しました」
入店したばかりの男性客は仕事帰りに飲みに行ってきた後なのか、ネクタイも第一ボタンも外した緩い格好をしていて、呂律の怪しい口調で「初めて来たけど、朝までだったらいくらかかる?」と聞いてくる。終電を逃してホテル代わりに泊まっていく人は珍しくはない。私は料金表を提示しながら、利用時間に応じてパック料金が適応されるようになっていると説明した。
「だから、始発までだといくらだって聞いてるんだけど?」
「今からでしたら、六時間パックが適応されますので――」
「ふぅん、じゃあ、それでいい。席に案内してよ」
「会員カードはお持ちでしょうか?」
「何それ? そんなの無いけど?」
カウンターの上には新規会員募集中のポップもあり、フロントの隅には入会申し込み書を記入できる机も出している。けれど男性客はそんなこと知るかとでも言いたげに、私に向かって怒鳴り始める。
「何、会員制なの、この店?」
「はい。入会申し込み書をご記入いただいて、入会金をお支払いいただければすぐ会員カードを発行させていただきます」
「え、会員になるのに金取んの? その六時間パックとかってのとは別に金かかるんなら、それを先に説明しないといけなくないか?」
入会金は三百円だ。それも入会案内のポップに大きな文字で表示されてはいたのだけれど、男性はフロント中に響く大きな声を出しながら、カウンターの上に身を乗り出して私へと詰め寄ってくる。客が声を出す度にお酒臭い息を吹きかけられて私は顔を顰めたくなった。けれど、これ以上怒らせてはと必死で耐えつつ、一から入会手順について説明する。
「後ろのテーブルに申し込み書がございますので、そちらで記入いただいた後にご本人様の確認書類をコピーさせていただきます」
「はぁ⁉ 確認書類って何? 免許証とか?」
「はい。免許証か保険証、マイナンバーカードをお持ちでしたら……」
いちいち大きな声を出す男性に対して、私は顔を強張らせながら対応していた。それがきっと彼には揶揄い甲斐があると思われたのだろう、ニヤニヤと嫌な笑顔でその酔っ払い客が挑発してくる。女だけだと舐めてきているのが丸分かりだ。
「何も持ってなかったらどうすんだよ?」
「ご本人確認が取れないと入会いただけないので、ご利用をお断りさせていただくことに……」
私が、また怒鳴られるかもと身構えていると、ブース側の扉が開く音が聞こえ、清掃を終えた曽根君が戻って来たのかと横目で見る。するとそこには私と同じ制服を着た学生バイト君の姿はなく、代わりにフロントへと出て来たのは黒色のスーツ姿の高坂さんだった。見知った顔に少しホッとしてしまったけれど、店員でもない彼に助けを求めるわけにもいかず、私は目の前の来店客に対して恐る恐る訊ねる。
「本日は免許証などはお持ちではないでしょうか?」
すると男性客は「無いって言ったら?」とニヤッと笑ってみせる。彼の表情からわざと意地悪で言っているのが分かった。だからと言って、「持ってるならさっさと出して!」なんて言えるわけもなく、私は困惑顔を作って「そうなりますと……」と言葉を濁す。深夜の酔っ払い客からのウザ絡みに、胸の中はモヤモヤが募るばかり。だからと客相手にキレるわけにもいかない。バレないよう私が小さく溜め息を吐いた時、後方からその様子を見ていた高坂さんがカウンターへと近付いてくる。
「駅の反対側にあるファミレスなら、朝まで営業してますよ。ホテル以外となると、この辺りだとそのくらいじゃないですか?」
高坂さんはそう言いながら、カウンターにもう一台ある受付端末の前に行ってから伝票を置く。酔っ払いの男性客は他の客からの冷静な助言にバツの悪そうな表情を見せた後、諦めたように申し込み書を記入しにフロントの後方へと移動していった。
私は高坂さんの退店登録をする為に隣の端末のところへ行き、後ろの客には聞こえないよう小さな声で「ありがとうございました」とお礼を口にする。すると彼は納得できないとでも言いたげに眉を顰めて私に聞いてくる。
「お母さんも店を閉めてパートに出たと言っていたのに、あなたはなぜここのバイトを続けているんですか?」
「あの、それは……」
伝票のバーコードを読み取って、モニターに表示された金額を伝えながら、私はどう答えて良いのかと口ごもる。彼の退店の手続きが終わると同時に、先程の男性客が書き終わった入会申込書を持って近付いてきたから、高坂さんはそのまま何も言わずに店のドアを開けて出て行ってしまった。
大学生の曽根君がブース清掃へ行ってくれている間、島崎君が休憩に入り、私はドリンクバーの床にモップを掛けていた。ドリンクバーは利用料金に含まれているから、一度にグラス何個も使って飲み物をブース内に持ち込む人は多い。何回も取りに来るのが面倒だからというのは分かるけれど、トレーを使って運ぶ際に失敗して床にぶちまけられるのは日常茶飯事。特に酔っ払い客は手元が危なっかしい。気が付いた時には床がベタベタになっていたりして、それを踏んだ靴で店内を人が歩く度に被害が拡大するというある種のトラップが完成する。
暖房の効いた店内で汗だくになりながらモップを動かしていると、フロントの方で呼び鈴が鳴る。私は厨房の入り口の壁にモップを立て掛けてから、急いでカウンターへと駆けつけた。
「大変お待たせ致しました」
入店したばかりの男性客は仕事帰りに飲みに行ってきた後なのか、ネクタイも第一ボタンも外した緩い格好をしていて、呂律の怪しい口調で「初めて来たけど、朝までだったらいくらかかる?」と聞いてくる。終電を逃してホテル代わりに泊まっていく人は珍しくはない。私は料金表を提示しながら、利用時間に応じてパック料金が適応されるようになっていると説明した。
「だから、始発までだといくらだって聞いてるんだけど?」
「今からでしたら、六時間パックが適応されますので――」
「ふぅん、じゃあ、それでいい。席に案内してよ」
「会員カードはお持ちでしょうか?」
「何それ? そんなの無いけど?」
カウンターの上には新規会員募集中のポップもあり、フロントの隅には入会申し込み書を記入できる机も出している。けれど男性客はそんなこと知るかとでも言いたげに、私に向かって怒鳴り始める。
「何、会員制なの、この店?」
「はい。入会申し込み書をご記入いただいて、入会金をお支払いいただければすぐ会員カードを発行させていただきます」
「え、会員になるのに金取んの? その六時間パックとかってのとは別に金かかるんなら、それを先に説明しないといけなくないか?」
入会金は三百円だ。それも入会案内のポップに大きな文字で表示されてはいたのだけれど、男性はフロント中に響く大きな声を出しながら、カウンターの上に身を乗り出して私へと詰め寄ってくる。客が声を出す度にお酒臭い息を吹きかけられて私は顔を顰めたくなった。けれど、これ以上怒らせてはと必死で耐えつつ、一から入会手順について説明する。
「後ろのテーブルに申し込み書がございますので、そちらで記入いただいた後にご本人様の確認書類をコピーさせていただきます」
「はぁ⁉ 確認書類って何? 免許証とか?」
「はい。免許証か保険証、マイナンバーカードをお持ちでしたら……」
いちいち大きな声を出す男性に対して、私は顔を強張らせながら対応していた。それがきっと彼には揶揄い甲斐があると思われたのだろう、ニヤニヤと嫌な笑顔でその酔っ払い客が挑発してくる。女だけだと舐めてきているのが丸分かりだ。
「何も持ってなかったらどうすんだよ?」
「ご本人確認が取れないと入会いただけないので、ご利用をお断りさせていただくことに……」
私が、また怒鳴られるかもと身構えていると、ブース側の扉が開く音が聞こえ、清掃を終えた曽根君が戻って来たのかと横目で見る。するとそこには私と同じ制服を着た学生バイト君の姿はなく、代わりにフロントへと出て来たのは黒色のスーツ姿の高坂さんだった。見知った顔に少しホッとしてしまったけれど、店員でもない彼に助けを求めるわけにもいかず、私は目の前の来店客に対して恐る恐る訊ねる。
「本日は免許証などはお持ちではないでしょうか?」
すると男性客は「無いって言ったら?」とニヤッと笑ってみせる。彼の表情からわざと意地悪で言っているのが分かった。だからと言って、「持ってるならさっさと出して!」なんて言えるわけもなく、私は困惑顔を作って「そうなりますと……」と言葉を濁す。深夜の酔っ払い客からのウザ絡みに、胸の中はモヤモヤが募るばかり。だからと客相手にキレるわけにもいかない。バレないよう私が小さく溜め息を吐いた時、後方からその様子を見ていた高坂さんがカウンターへと近付いてくる。
「駅の反対側にあるファミレスなら、朝まで営業してますよ。ホテル以外となると、この辺りだとそのくらいじゃないですか?」
高坂さんはそう言いながら、カウンターにもう一台ある受付端末の前に行ってから伝票を置く。酔っ払いの男性客は他の客からの冷静な助言にバツの悪そうな表情を見せた後、諦めたように申し込み書を記入しにフロントの後方へと移動していった。
私は高坂さんの退店登録をする為に隣の端末のところへ行き、後ろの客には聞こえないよう小さな声で「ありがとうございました」とお礼を口にする。すると彼は納得できないとでも言いたげに眉を顰めて私に聞いてくる。
「お母さんも店を閉めてパートに出たと言っていたのに、あなたはなぜここのバイトを続けているんですか?」
「あの、それは……」
伝票のバーコードを読み取って、モニターに表示された金額を伝えながら、私はどう答えて良いのかと口ごもる。彼の退店の手続きが終わると同時に、先程の男性客が書き終わった入会申込書を持って近付いてきたから、高坂さんはそのまま何も言わずに店のドアを開けて出て行ってしまった。
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