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第二十四話・夜勤バイト
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自宅マンションのすぐ手前まで送ってもらうのに、彼の車に乗っていたのは二十分くらいだっただろうか。私達は何事もなかったかのように、とりとめのない会話を交わした。
「今日もアルバイトですか?」
「そうですよ。あ、今月から季節限定メニューが変わったの、ご存知ですか?」
「限定メニュー、ですか? いえ、あまり長い時間を利用することがないので、フード類はほとんど頼んだことがないんです」
「じゃあもし頼まれることがあれば、卵サンドがお勧めです。うちの店が卸してるパンが意外と美味しいのと、からしマヨネーズ入りなのでちょっと大人な味なんです」
唯一の共通の話題であるネットカフェのことを話しながら、私は必死で平静を装い続けた。もし彼が昨夜のことを何とも思っていないのなら、あえて触れるべきじゃない。別に私も嫌ではなかったし、傷付けられたりもしていないのだから。ただ、彼を困らせる存在にだけはなりたくなかった。深追いして彼から嫌われるのだけは避けたかった。
ハンドルを握っている高坂さんの横顔からは彼が今何を考えているのかはさっぱり読めない。でも女性に不自由はしていなさそうだから、きっと彼にとってどうってことのない出来事だったのだろう。寂しいけれど、そう思い込むほうが幾分かは気楽だった。
マンションがすぐ目の前に見えてくると私は密かにホッとする。今は気を使う言葉をあえて投げかけられるよりは、一切触れられない方がマシだ。一方的にお礼を伝え、高坂さんが何か言おうと口を開く前に助手席のドアを開く。
閉めたドアに向かってペコリと頭を下げてから、一歩下がって車が走り去っていくのを見送った。彼は最後まで私を傷つけたり軽んじたりするようなことはなく、とても大事に扱ってくれた。今はそれだけで十分だった。だって彼は私の恋人でもなんでもない。何ならセフレですらもない。
ホテルでしっかり眠ってきたはずなのに、自宅に着くと私は部屋着に着替えてから再びベッドに潜り込んだ。今は何も深く考えたくはない。次に起きる時には夢のような出来事への満たされた気持ちだけが残ってくれたらいいのにと掛布団を頭までこっぽり被って目を閉じる。
いつもなら二日連続で週末はシフトに入るところを今週は土曜の夜勤だけだから、身体はかなり元気だった。ただ、昨晩は店長が夜勤に出てくる日だった上に、飲み会の流れからの学生の団体客が来たらしく、一緒に入っていた島崎君はとにかく大変だったらしい。
「ドリンクバーの機械のメンテをようやく出来ただけって感じっすね。食洗機の洗浄とかまでは手が回らなくて、朝の人達に頼んだくらいで……」
連絡ノートを確認して、本来は金曜の晩に行うはずの揚げ油の交換がまだだと知り、オーダーストップの時刻が過ぎてから作業していると、島崎君が一晩で溜まったうっ憤を吐き出しながら私の真後ろの調理台で野菜の仕込みを始める。
「ほんと、店長が夜勤に入る日はキツイっすよ。ドリンクバーも厨房も全部一人でやらなくちゃいけないし、あの人ブース清掃も行かないじゃないっすか……」
勤務時間中はほぼ事務所スペースに籠っていて、たまにフロントに出てくるくらいだと、ウンザリ顔で吐き捨てる。彼は前から店長のことを毛嫌いしている節があり、シフトで一緒になる度にこうやって誰かに不満を聞いてもらいたがる。
「でも受付業務を丸投げできるから、私は意外と平気かも。自分のペースで仕事を片付けていけるから」
「ええーっ、そうなんすかぁ? 俺的にはもっと裏方仕事もやって欲しいですけど」
島崎君はカウンターでの接客は好きみたいだけれど、それ以外の業務は仕方なくやっているタイプだ。なのに玉川店長と一緒の時はほぼほぼ清掃とメンテナンス業務ばかりになるのが不満らしい。反対に私は決まっている裏方作業をしている方が気が楽だから、接客を請け負ってもらえるならそれ以外を一人でやれと言われても平気だった。特に今日みたいな日は、とにかく何も考えずに黙々と身体を動かす仕事の方が嬉しい。入れ替えたばかりの黄金色に透き通ったフライヤーの食用油を加熱しながら、私はコンロ周りを磨き上げる。
「バイトの募集かけてるって言ってたし、夜勤もあと二人ぐらい増えてくれたら店長が入ることはなくなるんじゃない?」
「そういや、荒川さんもシフト入る日減ったんすよねぇ」
「あー、それに関しては、ごめんなさい。島崎君、お友達とかで誰かバイトしたいって人はいないの?」
私からの問いかけに、島崎君はしばらく考え込むように黙った。この店の学生やフリーターは割と友達同士で来ている子も多いから、求人を出すよりも紹介の方が早く決まったりする。けれど彼は渋い表情を作りながら首を横に振る。
「俺のツレは止めた方がいいっす。バイトはしょっちゅう飛んでるやつばかりで、売上金を持って逃げかねないっす」
「そ、そうなんだ……」
彼の交友関係に疑問を抱いたが、よく考えたら島崎君自身もギャンブルで作った借金の返済中だった。私は半笑いを浮かべながら、「誰か応募してくれたらいいのにねぇ」と三口コンロの油汚れを拭き取る手に力を込めた。
「今日もアルバイトですか?」
「そうですよ。あ、今月から季節限定メニューが変わったの、ご存知ですか?」
「限定メニュー、ですか? いえ、あまり長い時間を利用することがないので、フード類はほとんど頼んだことがないんです」
「じゃあもし頼まれることがあれば、卵サンドがお勧めです。うちの店が卸してるパンが意外と美味しいのと、からしマヨネーズ入りなのでちょっと大人な味なんです」
唯一の共通の話題であるネットカフェのことを話しながら、私は必死で平静を装い続けた。もし彼が昨夜のことを何とも思っていないのなら、あえて触れるべきじゃない。別に私も嫌ではなかったし、傷付けられたりもしていないのだから。ただ、彼を困らせる存在にだけはなりたくなかった。深追いして彼から嫌われるのだけは避けたかった。
ハンドルを握っている高坂さんの横顔からは彼が今何を考えているのかはさっぱり読めない。でも女性に不自由はしていなさそうだから、きっと彼にとってどうってことのない出来事だったのだろう。寂しいけれど、そう思い込むほうが幾分かは気楽だった。
マンションがすぐ目の前に見えてくると私は密かにホッとする。今は気を使う言葉をあえて投げかけられるよりは、一切触れられない方がマシだ。一方的にお礼を伝え、高坂さんが何か言おうと口を開く前に助手席のドアを開く。
閉めたドアに向かってペコリと頭を下げてから、一歩下がって車が走り去っていくのを見送った。彼は最後まで私を傷つけたり軽んじたりするようなことはなく、とても大事に扱ってくれた。今はそれだけで十分だった。だって彼は私の恋人でもなんでもない。何ならセフレですらもない。
ホテルでしっかり眠ってきたはずなのに、自宅に着くと私は部屋着に着替えてから再びベッドに潜り込んだ。今は何も深く考えたくはない。次に起きる時には夢のような出来事への満たされた気持ちだけが残ってくれたらいいのにと掛布団を頭までこっぽり被って目を閉じる。
いつもなら二日連続で週末はシフトに入るところを今週は土曜の夜勤だけだから、身体はかなり元気だった。ただ、昨晩は店長が夜勤に出てくる日だった上に、飲み会の流れからの学生の団体客が来たらしく、一緒に入っていた島崎君はとにかく大変だったらしい。
「ドリンクバーの機械のメンテをようやく出来ただけって感じっすね。食洗機の洗浄とかまでは手が回らなくて、朝の人達に頼んだくらいで……」
連絡ノートを確認して、本来は金曜の晩に行うはずの揚げ油の交換がまだだと知り、オーダーストップの時刻が過ぎてから作業していると、島崎君が一晩で溜まったうっ憤を吐き出しながら私の真後ろの調理台で野菜の仕込みを始める。
「ほんと、店長が夜勤に入る日はキツイっすよ。ドリンクバーも厨房も全部一人でやらなくちゃいけないし、あの人ブース清掃も行かないじゃないっすか……」
勤務時間中はほぼ事務所スペースに籠っていて、たまにフロントに出てくるくらいだと、ウンザリ顔で吐き捨てる。彼は前から店長のことを毛嫌いしている節があり、シフトで一緒になる度にこうやって誰かに不満を聞いてもらいたがる。
「でも受付業務を丸投げできるから、私は意外と平気かも。自分のペースで仕事を片付けていけるから」
「ええーっ、そうなんすかぁ? 俺的にはもっと裏方仕事もやって欲しいですけど」
島崎君はカウンターでの接客は好きみたいだけれど、それ以外の業務は仕方なくやっているタイプだ。なのに玉川店長と一緒の時はほぼほぼ清掃とメンテナンス業務ばかりになるのが不満らしい。反対に私は決まっている裏方作業をしている方が気が楽だから、接客を請け負ってもらえるならそれ以外を一人でやれと言われても平気だった。特に今日みたいな日は、とにかく何も考えずに黙々と身体を動かす仕事の方が嬉しい。入れ替えたばかりの黄金色に透き通ったフライヤーの食用油を加熱しながら、私はコンロ周りを磨き上げる。
「バイトの募集かけてるって言ってたし、夜勤もあと二人ぐらい増えてくれたら店長が入ることはなくなるんじゃない?」
「そういや、荒川さんもシフト入る日減ったんすよねぇ」
「あー、それに関しては、ごめんなさい。島崎君、お友達とかで誰かバイトしたいって人はいないの?」
私からの問いかけに、島崎君はしばらく考え込むように黙った。この店の学生やフリーターは割と友達同士で来ている子も多いから、求人を出すよりも紹介の方が早く決まったりする。けれど彼は渋い表情を作りながら首を横に振る。
「俺のツレは止めた方がいいっす。バイトはしょっちゅう飛んでるやつばかりで、売上金を持って逃げかねないっす」
「そ、そうなんだ……」
彼の交友関係に疑問を抱いたが、よく考えたら島崎君自身もギャンブルで作った借金の返済中だった。私は半笑いを浮かべながら、「誰か応募してくれたらいいのにねぇ」と三口コンロの油汚れを拭き取る手に力を込めた。
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