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8.治癒魔法

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「カリム、治療を頼む」
 荒い足音と共に現れたレオナルド様は抱えていた若い兵士をベッドに下ろした。

 若い兵士は怪我をしたようで、左肩の方からかなりの出血をしている。

 床には赤い滴が点々と入きたドアの外からずっと続いている。
 
 穏やかそうだったカリム医師がその様子を見て、表情を一変させると急いで兵士の治療を始める。

 カリム医師は治癒の魔法が使えるようではあるけれど、この魔法はパッと傷が治る訳ではない。
 血管、皮膚を少しずつ繋ぎ合わせるようにしていくのだ。
 だから、すごく神経を使うし時間もかかる。
 大した傷ではないのなら、普通に手当をした方が早いくらいだ。
 しかし、カリム医師の腕は確かなようで、徐々に出血は止まっていく。

 あちらこちらに血が付いているレオナルド様は治療の様子を厳しい顔で見ている。
 あの兵士の血なのかレオナルド様が怪我をしているのか…

「レオナルド様が怪我を…?」
 若い兵士の怪我の治療の様子を呆然と立ち尽くして見ていたが、レオナルド様が怪我をしたかも知れないと思うとつい口から言葉が漏れてしまった。

 レオナルド様はこの場にわたくしがいることに今初めて気づいたようで、ハッとしたように鋭い視線をこちらには向けた。

「ジュリア嬢…どうしてここに?…ああ、そういえば見学したいと言っていたか」
 ディナーの後で辺境伯と話していたことを思い出したのか、返事をする前に一人で納得しているが、厳しい顔は変わらない。

「今は怪我人がいるから、見学は遠慮してもらっていいかな」
 
「ちょっと待ってください!」
 直ぐにでも部屋を追い出されそうな気配に慌ててレオナルド様の近くに駆け寄った。

「レオナルド様にお怪我は?大丈夫なんですか?」
 手を伸ばしかけたが、推しにお触りするのはさすがにまずいとなけなしの理性で何とか堪えて、間近で怪我の有無を確認する。

 少し日に焼けた顔は血も付いてないし、いつもと変わりなくかっこいい。
 程よく筋肉を纏った身体も長い手も足も普通に動かしているし、立っているのが辛そうな様子もない。

 レオナルド様は怪我がないかを確認する為に自分の周りを回る奇妙な女に戸惑いを隠せない。

「あの…俺に怪我はないぞ」
 ぼそりと呟くように言った。

 怪我がないことにはホッとしたけれど、その顔が少し赤い気がする。

「熱があるということは?」

「ない!怪我をしたのはあいつとこいつだけだ」
 あの若い兵士の横たわるベッドと扉付近に佇んでいるそれよりも更に若い顔にまだ幼さの残る少年を指差した。

 左手で右腕を押さえていて、さっきの兵士程ではないが、怪我をしているようで出血している。

 あれくらいなら、わたくしでも止血できると思うけど、まだここで働く許可を得ていないので、勝手にする訳にはいかない。

 治療してあげたい気持ちはあるけれど…

 カリム医師を見ると、若い兵士の治療は大体終わったようで、傷口にガーゼを当てている。

「ジュリアさん。あなた治癒魔法が使えるって言ってましたよね。ロンの怪我を診てやってくれ」

 カリム医師の言葉に頷くと、少年を椅子に座るように促した。

「カリム!?」
 カリム医師が治療の許可を出すとは思わなかったのか、レオナルド様が咎めるよう鋭い声が飛ぶ。

「大丈夫だ。恐らくこのお嬢さんは結構慣れてる。血に怯えていないからな。それに俺が側で見てるし、下手だったら止める」

 カリム医師の言葉に苦笑いする。
 色々お見通しで、これは採用試験らしい。

「大丈夫よ。わたくし、これでも怪我人は何人も治してきてるからね」
 見ず知らずの女に治療されるからか、不安そうにしている少年に優しく語りかける。

 うん。大丈夫。
 得意じゃないけど、実績はあるのだから。

 血まみれになっている腕に水魔法で血を洗い流す。

 顕になった患部に少しずつ少しずつ魔力を流し込んで修復していく。

 出血を止めて、皮膚の修復もある程度まで施した。

「もう大丈夫よ。痛みや違和感はない?」
 ホッとして少年に笑いかけると、右手をグーパーしたり、腕を曲げ伸ばしした後、パァッと顔が明るくなった。

「ありがとうございます。もう全然痛くないです」

 少年のその様子が嬉しくてうんうんと何度も頷く。

「お見事だよ。ジュリアさん。得意じゃないなんて言ってだけど、その腕なら治癒師として十分通用するだろう」
 カリム医師は褒めてくれたけど、それをそのまま受け取ることはできない。

「そう仰ってくださるのは嬉しいですが、お世辞は結構ですよ。いつも手際が悪いって言われていたんで、足りてないことはよく分かってます」

 いざっていう時に王族の治癒ができるように、騎士団で怪我人が出ると時々呼び出されて治癒魔法の練習をさせられていた。

 ただでさえ、押し付けられたギルバートの仕事と王子妃教育で疲弊していたのに、これも王族に嫁ぐ者の義務だと引っ張り出される。

 治癒魔法を教える王宮の医師はいつも感じ悪くて、ダメ出しばかりしてくる嫌なやつだった。

 治癒してあげた騎士たちはそれを聞いていつも申し訳なさそうにしていた。
「モントレート侯爵令嬢の治癒は完璧ですから、あんな男のことは気にしなくて大丈夫ですよ」
 性格の悪いその医師の姿が見えなくなると、こっそり慰めてくれたけど、そんな慰めの言葉を間に受けることはない。

 一応、曲がりなりにも王子の婚約者で侯爵令嬢なんだから気も使うだろう。

 あの医師はお父様とは別の派閥の腰巾着だから、そんな気も使わないし、あたりもキツいけれど。

 王宮にはほんと碌な思い出がないわ。


「お世辞な訳じゃないんだけど…まあ、いいよ。レナード様からオッケーが出たらまた来てくれ。歓迎するよ」
 カリム医師が頭をぽりぽりと掻きながら、治療院で働くことを認めてくれた。

 やったー。これで少しはレオナルド様のお役に立てるわ。

 るんるんと浮かれているわたくしをレオナルド様が何か言いたそうに微妙な目で見ていることには気づかなかった。
 
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