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23 回想②薬草工房
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本館への出入りが許されるようになった春のある日、シエルは、お父さまとお母さまが話しているのを見かけた。ダメだと分かっていながらも、聞き耳を立ててしまう。
「ねぇ、あなた、あの子は才能も無いし愛想も無いの。ナハルの練習の時間が削られてはナハルが可哀想よ。あの子にも教養を身につけさせる必要が本当にあるの?あの子は悪魔の子よ!ナハルを虐めて笑っていたのよ!おぞましくて、私、それでも、我が子だから、あの子に髪飾りをあげたのよ。そしたら、あの子は、お礼も言わず、怒鳴ったのよ!信じられないわ!」
お母さまの金切り声に、身体がビクッとした。シエルの頭は真っ白だった。「これ以上聞きたくない」と思うのに、身体は動かない。
お父さまは、いつも優しく笑ってくれていた。
(せめて、お父さまが否定してくれればっ)そんな一縷の望みさえも、すぐに砕き散った。ショックで言葉をうまく聞き取れなかった。音として認識できているのに、曲としての意味を成しては聞き取れない、そんな感覚だ。
「やはり、悪魔の子は悪魔の子か。ナハルの身代わりとして使えるように最低限の教養を身につけさせたかったんだが・・・・・・」
「そんなもの悪魔に身につけさせてどうなさるつもりです。一緒にいたら、私も呪われてしまうわ!どうして悪魔の子を生かしておいたの?!あの時、殺していればっ」
「・・・・・・落ち着きなさい、僕にも色々考えがあるんだ。まあ、家庭教師はナハルにだけつけ、あいつは別館で暮らさせよう」
いつ、どうやって自室に戻ってきたのかは覚えていないが、気がついたらベッドの上にいた。2人の会話が何度も頭の中で繰り返し再生され、諳んじられる程だった。傷ついたはずなのに、シエルは涙ひとつ出なかった。
次の日、シエルはお父さまに呼び出された。昨日立ち聞きしていたことがバレていたのかと思うと、顔をあげられなかった。
「シエル、お前は薬草作りや魔道具作りが好きだと聞いた。どうだ、我が家の商売の手伝いをしないか?」
穏やかな口調に、思わず顔をあげると、お父さまはいつもと変わらず優しく微笑みかけてくれていた。
(昨日のことはきっと夢だったんだわ)
「はい、ぜひやりたいです!そしてお父さまのお役に立ちたいです」
「そうか、いい子だ。おい、入れ!」
「はっ」
お父さまの呼びかけで、1人の男が部屋に入ってきた。背の高くぼやっとした垂れ目の男は、形のつぶれた帽子に、前裾が開く形で切り落とされたフロックコートとダボッとした長ズボンを身につけていた。
「シエル、この人は、薬や魔道具作りを取りまとめているペテロだ。この人の言うことを良く聞くんだよ、言われたことだけをしっかりやる、いいね?仕事が終わるまで帰ってきちゃいけないよ、できるね?約束だ」
よく分からなかったけれど、優しいお父さまのままでいて欲しくて、こくりと頷く。お父さまは、ペテロに何か手で合図をしていた。ペテロに連れられてシエルは部屋を出ていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シエルが連れてこられたのは、むさ苦しい男たちばかりの作業場だった。そこでよく分からないまま薬作りをさせられた。
家に帰ることは許されず、作業場のすぐ横にある小屋で寝泊まりをした。木の板に毛布をひいただけの場所だったが、段々と雨風を凌げるだけマシだと思えるようになった。薬の材料をとりに、森の奥深くの洞窟や凍てついた雪山での野宿は、逃げ出したくなるほどきつかったからだ。
「おそい!そんな速度じゃ間に合わないぞ!このバカが、無理なら先に言え!おい、分担するぞ」
「違う、わりぃ、それじゃない、この薬草を使うんだ」
「バカ野郎ッ、危ないだろうが!!!」
毎日操り人形のように薬を作り続けた。「言われたことだけしっかりやる」という言葉が脳にも身体にも刻み込まれていった。逃げ出す気力も反抗する気概もとっくに消え失せていた。
作業場の男たちは、口は悪かったし、しょっちゅう酒に溺れて喧嘩をするし、下品だったが、シエルに暴力をふるうことも、シエル自体を貶すことも決してなかった。
後から分かったことだが、シエルは辞めた職人の代わりをさせられていたのだ。
「あの子は偉いよなぁ、あの歳で働いててよぅ」
「辞めたやつの代わりだって、まさかこんな子供が来るとは思わなかったぜ」
「ドレーンの旦那もひでぇよな、妾の子だかって聞いたが厄介払いするのがこことは」
「自分の巻いた種だっつーのになぁ。どこかに逃がしてやりたかったんだが、上手くいかなかったな・・・・・・」
シエルはこんな会話がされているとは露知らず、いつになったらお家に帰れるのか毎日のようにペテロに尋ねていた。いつも同じ答えに辟易していた頃、ペテロがいつもと違うことを言った。
「今日でここでの仕事はおしまいです。魔道具工房へ連れていきます」
「え、おしまいならお家に帰れるんじゃないの?」
「旦那さまのご指示です。お約束されたのでしょう?」
「そんなの知らない!もうどのくらい経ったのか分からないけれど、私はお家に帰りたいのです!」
ペテロはこめかみをおさえて、暫く黙っていた。
「今日だけは、何か買ってやろう。だから、明日からはもう少し魔道具工房で働くんだ。いいな?いつか、きっと役に立つ」
不満だったけれど、なにか買ってくれることが嬉しくてシエルはその日ずっとそわそわしていた。
「ねぇ、あなた、あの子は才能も無いし愛想も無いの。ナハルの練習の時間が削られてはナハルが可哀想よ。あの子にも教養を身につけさせる必要が本当にあるの?あの子は悪魔の子よ!ナハルを虐めて笑っていたのよ!おぞましくて、私、それでも、我が子だから、あの子に髪飾りをあげたのよ。そしたら、あの子は、お礼も言わず、怒鳴ったのよ!信じられないわ!」
お母さまの金切り声に、身体がビクッとした。シエルの頭は真っ白だった。「これ以上聞きたくない」と思うのに、身体は動かない。
お父さまは、いつも優しく笑ってくれていた。
(せめて、お父さまが否定してくれればっ)そんな一縷の望みさえも、すぐに砕き散った。ショックで言葉をうまく聞き取れなかった。音として認識できているのに、曲としての意味を成しては聞き取れない、そんな感覚だ。
「やはり、悪魔の子は悪魔の子か。ナハルの身代わりとして使えるように最低限の教養を身につけさせたかったんだが・・・・・・」
「そんなもの悪魔に身につけさせてどうなさるつもりです。一緒にいたら、私も呪われてしまうわ!どうして悪魔の子を生かしておいたの?!あの時、殺していればっ」
「・・・・・・落ち着きなさい、僕にも色々考えがあるんだ。まあ、家庭教師はナハルにだけつけ、あいつは別館で暮らさせよう」
いつ、どうやって自室に戻ってきたのかは覚えていないが、気がついたらベッドの上にいた。2人の会話が何度も頭の中で繰り返し再生され、諳んじられる程だった。傷ついたはずなのに、シエルは涙ひとつ出なかった。
次の日、シエルはお父さまに呼び出された。昨日立ち聞きしていたことがバレていたのかと思うと、顔をあげられなかった。
「シエル、お前は薬草作りや魔道具作りが好きだと聞いた。どうだ、我が家の商売の手伝いをしないか?」
穏やかな口調に、思わず顔をあげると、お父さまはいつもと変わらず優しく微笑みかけてくれていた。
(昨日のことはきっと夢だったんだわ)
「はい、ぜひやりたいです!そしてお父さまのお役に立ちたいです」
「そうか、いい子だ。おい、入れ!」
「はっ」
お父さまの呼びかけで、1人の男が部屋に入ってきた。背の高くぼやっとした垂れ目の男は、形のつぶれた帽子に、前裾が開く形で切り落とされたフロックコートとダボッとした長ズボンを身につけていた。
「シエル、この人は、薬や魔道具作りを取りまとめているペテロだ。この人の言うことを良く聞くんだよ、言われたことだけをしっかりやる、いいね?仕事が終わるまで帰ってきちゃいけないよ、できるね?約束だ」
よく分からなかったけれど、優しいお父さまのままでいて欲しくて、こくりと頷く。お父さまは、ペテロに何か手で合図をしていた。ペテロに連れられてシエルは部屋を出ていく。
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シエルが連れてこられたのは、むさ苦しい男たちばかりの作業場だった。そこでよく分からないまま薬作りをさせられた。
家に帰ることは許されず、作業場のすぐ横にある小屋で寝泊まりをした。木の板に毛布をひいただけの場所だったが、段々と雨風を凌げるだけマシだと思えるようになった。薬の材料をとりに、森の奥深くの洞窟や凍てついた雪山での野宿は、逃げ出したくなるほどきつかったからだ。
「おそい!そんな速度じゃ間に合わないぞ!このバカが、無理なら先に言え!おい、分担するぞ」
「違う、わりぃ、それじゃない、この薬草を使うんだ」
「バカ野郎ッ、危ないだろうが!!!」
毎日操り人形のように薬を作り続けた。「言われたことだけしっかりやる」という言葉が脳にも身体にも刻み込まれていった。逃げ出す気力も反抗する気概もとっくに消え失せていた。
作業場の男たちは、口は悪かったし、しょっちゅう酒に溺れて喧嘩をするし、下品だったが、シエルに暴力をふるうことも、シエル自体を貶すことも決してなかった。
後から分かったことだが、シエルは辞めた職人の代わりをさせられていたのだ。
「あの子は偉いよなぁ、あの歳で働いててよぅ」
「辞めたやつの代わりだって、まさかこんな子供が来るとは思わなかったぜ」
「ドレーンの旦那もひでぇよな、妾の子だかって聞いたが厄介払いするのがこことは」
「自分の巻いた種だっつーのになぁ。どこかに逃がしてやりたかったんだが、上手くいかなかったな・・・・・・」
シエルはこんな会話がされているとは露知らず、いつになったらお家に帰れるのか毎日のようにペテロに尋ねていた。いつも同じ答えに辟易していた頃、ペテロがいつもと違うことを言った。
「今日でここでの仕事はおしまいです。魔道具工房へ連れていきます」
「え、おしまいならお家に帰れるんじゃないの?」
「旦那さまのご指示です。お約束されたのでしょう?」
「そんなの知らない!もうどのくらい経ったのか分からないけれど、私はお家に帰りたいのです!」
ペテロはこめかみをおさえて、暫く黙っていた。
「今日だけは、何か買ってやろう。だから、明日からはもう少し魔道具工房で働くんだ。いいな?いつか、きっと役に立つ」
不満だったけれど、なにか買ってくれることが嬉しくてシエルはその日ずっとそわそわしていた。
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