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あれから二ヶ月が過ぎた。
カレンの手元には、内々に多くの釣書が集められている。
婚約者はそんなカレンの動きをどこかで耳にしたようだ。気が緩んだのか、『カレン』の物語の通り、ヒロインの実家が所有する領地へとお忍びの旅行へ出かけた。
現地で何をしていたのか、想像もしたくない。
マシューは移動だけで半日はかかる道のりを、夜通し馬車を走らせ急ぎ帰路につこうとした。
旅行の計画を、公務の合間に強引にねじ込んだからだ。
彼女と共にいる時間を長くとるため、他の行程を弾丸でこなそうとしたのだろう。
しかし、それがよくなかった。
その日は朝からよく晴れた一日だったが、夜半から大雨が降った。
視界を乱す風雨の闇に紛れ、賊が馬車を襲ったのだ。
土地勘のない護衛たち。足元はぬかるみ覚束ない。彼らは本来の力を発揮できなかったのだろう。
馬車は転倒し、仲睦まじい時間を過ごした二人は怪我を負う。
普段から貴族にはいい感情のない者たちの集まりだ。二人だけ明らかに身なりが異なっていたせいなのか、賊たちは金品と共に彼女を攫った。
そして第一王子は両足の腱を切られ、挙げ句、戦利品代わりなのか、豪奢な腕輪を嵌めた左手首を切り落とされ奪われた。
翌日、命からがら人里に助けを求めた騎士の報告で、王都から救援が向かった。
近くの村に暮らす医師による、最低限の応急処置と止血はされていたが、危険な状態であることに変わりはない。
そして周辺を捜索したところ、賊たちに犯されて意識を失った状態の令嬢も発見された。
カレンはその報告を、婚約者が王城に運ばれた直後に受けた。
当然、王家としてはカレンを疑っただろう。そして、それからの数カ月秘密裏に調べられていたようだ。
両親は憤慨していたが、カレンに後ろめたい事なんてない。そもそも、賊をけしかけられるような知り合いもいないのだ。
カレンが直接動かなくても、意を汲んだ者の仕業かもしれないと、ケネスも調査された。
――正直、私も疑っているのよね。
ケネスはカレンに従順だ。
そういう目で見てしまう者がいるのは仕方がない。
しかし、彼は毎日カレンのそばにいて、それ以外の時間は、屋敷の使用人たちと接していることがほとんどだった。
数カ月ほど遡って調べてみても、ケネスが一人で屋敷を出たのは片手ほど。
それらもカレンの我儘で、お使いに赴いていただけなので、己の意思で外出できていたわけではない。
どこかで企みを実行していたとは考えられず、結局、王家やカレンも彼は無関係だと結論づけた。
◇ ◇ ◇
あれから半年。カレンは予定どおり、マシュー第一王子と結婚することになった。
彼は左手首を失い、足の腱を切られた後遺症で杖なしでは歩けない。
不貞を犯していたのだから自業自得だと責める世間の声は多い。
貴族はカレンの苛烈さを知っているが、民は関わりが少ないせいで婚約者のカレンに同情的だった。
カレン自身も敵意さえ向けられなければ態度は柔和である。
特に既婚女性の厳しい目が王家に向けられ、王子を寝取った女という汚名を背負った令嬢は、屋敷から出ることもできず、被害の大きさから心を壊しているらしい。
そこにカレンの両親は追い打ちをかけた。
新聞社に『王家には再三、第一王子の不貞を訴えていたのに聞く耳を持たれず、娘は悲しんでいた』というようなネタを持ち込んだ。
王家としても婚姻を成立させることが、一番の火消しになると思い至ったのだろう
我が家も色々と疑われて迷惑をしている。そんな都合のいい婚姻を受け入れられないと、逆に婚約破棄を申し入れたが、そこへ必死に食いついてきたのは王家だ。
「馬鹿ねぇ……」
カレンは口元を歪めて笑う。
自室には婚礼の衣装と床に正座をするケネス。
異様な光景だけれど、これが二人の日常だ。
「お嬢様を虐げたのですから、なるべくしてなった結果です」
「先日のマシュー殿下の顔を覚えている? あの感じでは、いまだに私を疑っているようね」
「往生際の悪い方です」
「きっと陛下たちに、必ずこの婚姻を成立させろと言われたのよ。杖をついて私に頭を下げる姿は滑稽だったわ」
「お嬢様が楽しそうで嬉しいです」
ケネスは穏やかに微笑む。カレンの笑顔は禍々しいのに、彼の笑顔は美しく曇りのない天使のようである。
全肯定しないとカレンの機嫌を損ねて折檻を受けるかもしれない。
だから、大概の者はカレンに対しておべっかを使う。けれど彼は本心から喜んでいた。
カレンはケネスの気持ちが伝わってきて笑う。
――この男が犯人だわ。
どういう方法をとったのかは分からないが、間違いない。理由を問い質したところで、この男は絶対に認めたりしないだろう。
婚礼を急ぎたい王家の意向で、異常な早さで用意された豪奢な婚礼着。
カレンが婚約者に糾弾される日はとうに過ぎた。そして、数日後には渋々承諾した婚礼の日だ。
「いっさい笑わないつもりなのよ」
「沿道のパレードは中止にならなかったのですね」
「ええ。一応馬車の窓は開けないで警備も厳重になるみたいだけど、私のふてくされた顔くらいは、民からも見えるでしょう?」
「もちろん祝う者が大半でしょうが、野次も飛ぶでしょうね」
「それがお父様の意向だもの」
婚姻を承諾するにあたって、怒りの収まらないカレンの父は、不貞を犯した王子が好奇の目に晒されることを望んだ。
「ああ、当日が楽しみだわ」
「僕も楽しみです」
ケネスは蜂蜜色の瞳を細めて、柔らかく微笑む。
――この男だけが、本当の意味で私の感情を察することができるのね。
カレンは前世の話をケネスにしかしていない。
誰かに言わないと頭がおかしくなりそうだった。でも、この男なら否定などしないという妙な確信があった。
――知らないふりをしていればいい。知らなければ、今の関係のままでいられるのだから。
カレンは何の感慨も湧かない婚礼衣装を見やり、膝をつくケネスの髪を撫でた。
◇ ◇ ◇
滞りなく過ぎた婚礼の儀。
概ね事前に想定していた通りに事は運び、危惧していた沿道パレードは警備も厳重で危険なことは何も起こらなかった。
たまに上がる口汚い野次に表情を引き攣らせるマシューの横顔を見るたび、カレンは笑いを堪えるのに必死だった。
今日のカレンは不貞を犯され、望まぬ結婚を強いられた令嬢である。
ぎこちない笑みを民に向けた時の、同情するような眼差しが忘れられない。きっと涙に濡れた可哀想な女に見えただろう。
――やつれた雰囲気を作りたくて、減量に励んできて正解だったわ。
はからずも婚礼のドレスが緩くなってしまい、そんな姿は参列した貴族の目を引いたようだ。
『あの強気の令嬢も、あからさまな不貞を働かれ、此度の出来事で民にも公になり、心労が重なっているのだろう』
そんな会話を披露宴会場で耳にしてしまった。
内心、高笑いをしたい気分だったが、それは心の奥に秘めておいた。
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