31 / 36
31
しおりを挟む
散々会話を楽しんだ後、私達は貸本屋を出て賑わう通りに戻ってきた。
ここはリッド殿下とも歩いた通りだ。
祭りの飾りに彩られてはいるが、見覚えのある店を何件か見てまわり、ふと一件の店で立ち止まる。
味の想像がつかない、青いケーキが並ぶショーケース。
最後にこれを見たのはラーセ殿下の部屋だ。脳裏をよぎる記憶に胸がざわりと冷えた。
「セチア……」
小さな声が名を呼んだ。
私の気配の変化を感じ取ったのかもしれない。彼を振り仰ぐと、緑の瞳は濡れたように潤み怯えが見て取れる。
「君がここで兄上と楽しそうに話しているのを見たんだ」
そんな気がしていた。
嫌味のように用意されたケーキを見た瞬間、後ろめたいことなどしていないのに、不貞を咎められているような心地になった。
同時に、自分が誤解を招く行動をしていた事に気づかされたのだ。
ラーセ殿下は身体を傾け、私の肩口に顔を寄せる。
「あの日、酷いことをしてすまなかった」
かすれた声音が耳朶を刺激し、そして彼は顔を持ち上げた。
「セチア、僕を許さないでくれ」
「え……」
「君は僕の行動全てを許容してしまうから、それが心地良くてつい甘えてしまいたくなるけれど、逆に凄く不安になることがあるんだ」
「不安に?」
ラーセ殿下は私の髪を撫でた。優しい手の動きが、私の気持ちを撫でつけていく。
「セチアが僕のことを一番大切だと言ってくれる度に、嬉しさと寂しさが混在する。僕は君自身を殺してまで僕を優先して欲しくない。僕に何かを求めることすら、期待されていないのだと落ち込む」
ラーセ殿下の手が私の髪から離れた。閉口してしまう私を見やり、彼は困ったように笑う。
「僕はセチアが甘いものを好むことすら知らなかった。でも兄上は知っていたんだよね。君に接していた時間は僕の方が長いはずなのに、そのことが酷く胸に痛い」
「あ、あの、それは私がお教えしていなかったから……」
「うん。そう言ってたね。きっと君は君なりに、僕を楽しませようと必死なんだろう。その気持ちはとても嬉しい。でも時折、寂しくなるんだ」
二人の間をふうわりと風が横切った。
「モミ様。あちらにあるパンケーキのお店に行きましょう」
私は強引に話題を変えたくなり一件の店を指差した。ラーセ殿下は僅かに瞳を揺らしつつも、そちらを見やる。
「あの店は先日、モミ様のお兄様と一緒に行きました」
「ああ……うん」
どうやらそれも知っているようだ。気まずいのか、彼は口を噤んでしまう。
「モミ様の好きそうなスイーツもありました。どうですか?」
「それじゃあ、あの店で休もう」
「はい」
視線を重ねて微笑み合う。
よかれと思いしてきた行為は、かえってラーセ殿下を戸惑わせていた。
彼の笑顔を増やせたなんて自惚れていたけれど、打ちのめされた気持ちになってしまった。
目的の店は祭りのため、以前よりも混雑していた。そんな中、ラーセ殿下は女性客の視線を集めている。
前回はリッド殿下が注目されていたが、彼は全く気にもしていなかった。
しかし、ラーセ殿下は違うようだ。
「…………視線が痛い」
「仕方がないですわ。モミ様は容姿端麗、眉目秀麗。歩く美の化身ですから」
「ねえ、どうしてそこまで恥ずかしい言葉を、すらすらと言えるんだ?」
ラーセ殿下は赤面してしまい、片手で目元を隠した。その所作すら素敵なのだが一応黙っておこう。
こうやってラーセ殿下と静かに会話をするのは初めてのような気がした。
いつもつい食い気味に話しかけてしまっていた。もしかしたら、そんな会話の中でも、彼を不安に感じさせていたことがあったかもしれない。
再び気分が落ち込みそうになるが、それを見計らったかのように注文の品が運ばれてきた。
私はフルーツ山盛りのパンケーキ。ラーセ殿下は苦みの強いビターチョコのタルト。
濃い目に煮出した紅茶が並び、美味しそうな香りにつられて鼻がすんすんと動いてしまう。
「アースは匂いを嗅ぐのが好きなんだね」
「え?」
「よく鼻が動いているから」
「み、見ないで下さいませ」
そんなところを見られているとは思わなくて、咄嗟に鼻を隠すと、彼はくすくすと笑う。
そう言われてみれば、私はラーセ殿下の匂いを嗅ぐのも好きだ。変質者感満載。
頬に集まる熱を誤魔化しながら私はケーキを食べ進んだ。
もぐもぐと無言で食べていると、またしても視線を感じラーセ殿下を見やる。
彼は呆気にとられているようだ。
「どうしました?」
口元を手で隠しながら、咀嚼していたものを飲み込む。
「君は存外、よく食べるんだね」
「そういうことは気が付いても黙っていて下さい」
「す、すまない」
ラーセ殿下は視線を手元のタルトに移した。フォークで器用に切り口に運ぶ。
彼の口角が小さく上がった。
(よかった……美味しいみたいね)
表情の僅かな変化を見て幸せな気持ちになる。
「ん、アースも食べたい?」
ラーセ殿下は、私がタルトに熱視線を送っていると思ったようだ。彼はタルトを一口サイズに切り、フォークに乗せて差し出した。
「え」
私は驚いて身を固めてしまう。
「はい、あーん」
「え、えっ?」
私は困惑しながら、差し出されたタルトを口に含む。口の中に広がる甘味と苦味のバランスが絶妙だ。
味の感想と今起こった事態に、思考がぐるぐる回る。
「こ、こういうの、お嫌いなのでは……?」
「初めてしたけれど嫌いではないよ」
「でも、学園で」
「あそこは僕を知っている者ばかりだからね」
「……?」
「僕は堂々とした出自ではないから、何を囁かれているか気になってしまうんだ」
「も、申し訳ございません! 私、無神経でした!」
「謝らなくていい。僕も伝えていなかった」
「で、でも、モミ様の立場を考えれば気付けることだったのに、自分のことばかり優先してしまいました」
「君の場合、たまには僕より自分を優先した方がいいよ」
そう言ってラーセ殿下は優しく笑った。
ここはリッド殿下とも歩いた通りだ。
祭りの飾りに彩られてはいるが、見覚えのある店を何件か見てまわり、ふと一件の店で立ち止まる。
味の想像がつかない、青いケーキが並ぶショーケース。
最後にこれを見たのはラーセ殿下の部屋だ。脳裏をよぎる記憶に胸がざわりと冷えた。
「セチア……」
小さな声が名を呼んだ。
私の気配の変化を感じ取ったのかもしれない。彼を振り仰ぐと、緑の瞳は濡れたように潤み怯えが見て取れる。
「君がここで兄上と楽しそうに話しているのを見たんだ」
そんな気がしていた。
嫌味のように用意されたケーキを見た瞬間、後ろめたいことなどしていないのに、不貞を咎められているような心地になった。
同時に、自分が誤解を招く行動をしていた事に気づかされたのだ。
ラーセ殿下は身体を傾け、私の肩口に顔を寄せる。
「あの日、酷いことをしてすまなかった」
かすれた声音が耳朶を刺激し、そして彼は顔を持ち上げた。
「セチア、僕を許さないでくれ」
「え……」
「君は僕の行動全てを許容してしまうから、それが心地良くてつい甘えてしまいたくなるけれど、逆に凄く不安になることがあるんだ」
「不安に?」
ラーセ殿下は私の髪を撫でた。優しい手の動きが、私の気持ちを撫でつけていく。
「セチアが僕のことを一番大切だと言ってくれる度に、嬉しさと寂しさが混在する。僕は君自身を殺してまで僕を優先して欲しくない。僕に何かを求めることすら、期待されていないのだと落ち込む」
ラーセ殿下の手が私の髪から離れた。閉口してしまう私を見やり、彼は困ったように笑う。
「僕はセチアが甘いものを好むことすら知らなかった。でも兄上は知っていたんだよね。君に接していた時間は僕の方が長いはずなのに、そのことが酷く胸に痛い」
「あ、あの、それは私がお教えしていなかったから……」
「うん。そう言ってたね。きっと君は君なりに、僕を楽しませようと必死なんだろう。その気持ちはとても嬉しい。でも時折、寂しくなるんだ」
二人の間をふうわりと風が横切った。
「モミ様。あちらにあるパンケーキのお店に行きましょう」
私は強引に話題を変えたくなり一件の店を指差した。ラーセ殿下は僅かに瞳を揺らしつつも、そちらを見やる。
「あの店は先日、モミ様のお兄様と一緒に行きました」
「ああ……うん」
どうやらそれも知っているようだ。気まずいのか、彼は口を噤んでしまう。
「モミ様の好きそうなスイーツもありました。どうですか?」
「それじゃあ、あの店で休もう」
「はい」
視線を重ねて微笑み合う。
よかれと思いしてきた行為は、かえってラーセ殿下を戸惑わせていた。
彼の笑顔を増やせたなんて自惚れていたけれど、打ちのめされた気持ちになってしまった。
目的の店は祭りのため、以前よりも混雑していた。そんな中、ラーセ殿下は女性客の視線を集めている。
前回はリッド殿下が注目されていたが、彼は全く気にもしていなかった。
しかし、ラーセ殿下は違うようだ。
「…………視線が痛い」
「仕方がないですわ。モミ様は容姿端麗、眉目秀麗。歩く美の化身ですから」
「ねえ、どうしてそこまで恥ずかしい言葉を、すらすらと言えるんだ?」
ラーセ殿下は赤面してしまい、片手で目元を隠した。その所作すら素敵なのだが一応黙っておこう。
こうやってラーセ殿下と静かに会話をするのは初めてのような気がした。
いつもつい食い気味に話しかけてしまっていた。もしかしたら、そんな会話の中でも、彼を不安に感じさせていたことがあったかもしれない。
再び気分が落ち込みそうになるが、それを見計らったかのように注文の品が運ばれてきた。
私はフルーツ山盛りのパンケーキ。ラーセ殿下は苦みの強いビターチョコのタルト。
濃い目に煮出した紅茶が並び、美味しそうな香りにつられて鼻がすんすんと動いてしまう。
「アースは匂いを嗅ぐのが好きなんだね」
「え?」
「よく鼻が動いているから」
「み、見ないで下さいませ」
そんなところを見られているとは思わなくて、咄嗟に鼻を隠すと、彼はくすくすと笑う。
そう言われてみれば、私はラーセ殿下の匂いを嗅ぐのも好きだ。変質者感満載。
頬に集まる熱を誤魔化しながら私はケーキを食べ進んだ。
もぐもぐと無言で食べていると、またしても視線を感じラーセ殿下を見やる。
彼は呆気にとられているようだ。
「どうしました?」
口元を手で隠しながら、咀嚼していたものを飲み込む。
「君は存外、よく食べるんだね」
「そういうことは気が付いても黙っていて下さい」
「す、すまない」
ラーセ殿下は視線を手元のタルトに移した。フォークで器用に切り口に運ぶ。
彼の口角が小さく上がった。
(よかった……美味しいみたいね)
表情の僅かな変化を見て幸せな気持ちになる。
「ん、アースも食べたい?」
ラーセ殿下は、私がタルトに熱視線を送っていると思ったようだ。彼はタルトを一口サイズに切り、フォークに乗せて差し出した。
「え」
私は驚いて身を固めてしまう。
「はい、あーん」
「え、えっ?」
私は困惑しながら、差し出されたタルトを口に含む。口の中に広がる甘味と苦味のバランスが絶妙だ。
味の感想と今起こった事態に、思考がぐるぐる回る。
「こ、こういうの、お嫌いなのでは……?」
「初めてしたけれど嫌いではないよ」
「でも、学園で」
「あそこは僕を知っている者ばかりだからね」
「……?」
「僕は堂々とした出自ではないから、何を囁かれているか気になってしまうんだ」
「も、申し訳ございません! 私、無神経でした!」
「謝らなくていい。僕も伝えていなかった」
「で、でも、モミ様の立場を考えれば気付けることだったのに、自分のことばかり優先してしまいました」
「君の場合、たまには僕より自分を優先した方がいいよ」
そう言ってラーセ殿下は優しく笑った。
11
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる