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楽しい時間はあっという間に過ぎて、祭りも後半になっていた。気付いた頃には日は落ち、遠くに紫と橙色が混ざる空が見える。
広場に戻ると、所々に設置された照明が淡く灯り幻想的だ。
ベンチに腰かけて談笑している者、音楽に合わせて陽気に踊る者。屋台から聞こえる楽し気な声。
ざわざわとした雑踏に紛れ、私たちの声もかき消されている。
それがとても心地いい。
普段視線に晒される事の多いラーセ殿下も肩の力を抜いているようだ。彼はベンチに沢山の買い物袋を置いた。
「さすがに買いすぎじゃないかな……」
ラーセ殿下は呆れたように告げて、荷物の隣に腰かけた。私もそれに続く。
歩き疲れて足が浮腫んでいる。
「あの、護衛の方たちもきちんと休んでいるでしょうか?」
「交代制だから大丈夫だと思うよ」
「よかったです」
あちこちを散々歩いたので、彼らも振り回してしまった気がして居た堪れない。
私は貸馬車屋の方角を見やる。
「そろそろ、帰らないといけないですね」
ラーセ殿下へ視線を戻すと、彼は私の肩に顔を埋めた。
栗色の髪が頬に触れてくすぐったい。
「……モミ様?」
「セチア。周りも騒がしいのだから、その名前でなくてもいい」
「ラーセ殿下」
「うん」
沈黙がおりてしまった。
ラーセ殿下から伝わる温かさなのか、私が緊張しているからなのか、身体が熱い。
「このまま一緒に駆け落ちでもする?」
「え?」
彼らしくない発言に目を剥いてしまった。
肩で話をされているせいで、ラーセ殿下の声が耳に近い。背中を甘い痺れが伝い胸の鼓動が早くなっていく。
逃げ出したいほど、毎日が辛いのだろうか?
言葉の真意が汲み取れず、悶々と思考を巡らせていると、彼は小さく笑い端正な顔を持ち上げた。
「……冗談だ」
ラーセ殿下は綺麗な笑顔を浮かべている。
きっと幼い頃から何度も練習したのだろう。感情を押し殺した、完璧な作り笑顔。
「ラーセ殿下。実は私、隠していたことがあります」
「うん」
「私は炊事洗濯、そして掃除も出来ます」
「うん……?」
ラーセ殿下は何を言われているのか分からないご様子だ。
「父と母に叱られてしまうので、最近はやっておりませんが、それでも最低限の家事は出来ます。働くことも接客なら出来ます……いえ、出来ると思います」
前世では高校生の頃から飲食店で働いていたので、きっと出来るはず。……多分。
「ですから、きっと最低限の生活は営めると思います」
「…………」
「今から参りますか?」
「…………ええと、そんな無理をして話を合わせてくれなくても」
「無理などしておりません。ラーセ殿下と共にあるなら、きっと楽しいですわ」
「僕と共にいて楽しい?」
「はい。楽しいです」
ラーセ殿下はふはっと息を吐くように笑い、目尻を下げた。
「セチアなら本当にやれそうだ。逆に僕は……苦労しそうだね。何も出来ない」
「お支えしますよ?」
「うーん、そこは格好つけたいから、僕が頑張りたいところだけど」
「本人の資質にあったところで頑張ればよいのです。私は存外、働くのは苦にならないです」
「まるで働いたことがあるように言うんだね」
前世、働き過ぎて過労死したとは口が裂けても言えない。
恋する暇もなく毎日が過ぎてしまったから、転生後の人生は本当に楽しい。
ラーセ殿下は溜息をついて、広場に視線を向けた。
「君はまた僕を甘やかす」
「甘やかしたつもりはないですが……」
「高位貴族の立場を捨ててまで、僕を選ぶなんて正気じゃないよ」
「ラーセ殿下をたった一人で出奔させるのは心配です」
「またそうやって……」
ぼん、と空で弾けた音が響く。
極彩色の花火が夜空を染め始めた。
「わあ……綺麗ですね!」
暫し時を忘れて見惚れていたが、ふとラーセ殿下を見やり、私は息を飲んだ。
見慣れた横顔。
彼は夜空に視線が釘付けになり、瞳が輝いているように見える。
こうやって時折、少年のような好奇心に満ちた表情をしてみせたり、色気を醸し出した甘い表情をしてみせたり、泣くのを堪えて顔を顰めてみたり。
今まで沢山のラーセ殿下を見てきた。
ここにいるのはゲームの画面越しに出会ったラーセ殿下ではなく、同じ時を共有し接してきた愛しい人。
私はこの人に、恋をしている。
「殿下。どうされますか? 今から共に行きますか?」
ラーセ殿下の手にそっと触れると、彼は目を瞠った。
緑の瞳は揺れていたけれど眉を下げて首を横に振る。
「侯爵邸まで送るよ」
ラーセ殿下は立ち上がりエスコートの手を差し出した。
花火の瞬く夜空を背負う姿が、光に飲み込まれそうな気がして怖くなる。
私は慌ててラーセ殿下の手を強く握った。
広場に戻ると、所々に設置された照明が淡く灯り幻想的だ。
ベンチに腰かけて談笑している者、音楽に合わせて陽気に踊る者。屋台から聞こえる楽し気な声。
ざわざわとした雑踏に紛れ、私たちの声もかき消されている。
それがとても心地いい。
普段視線に晒される事の多いラーセ殿下も肩の力を抜いているようだ。彼はベンチに沢山の買い物袋を置いた。
「さすがに買いすぎじゃないかな……」
ラーセ殿下は呆れたように告げて、荷物の隣に腰かけた。私もそれに続く。
歩き疲れて足が浮腫んでいる。
「あの、護衛の方たちもきちんと休んでいるでしょうか?」
「交代制だから大丈夫だと思うよ」
「よかったです」
あちこちを散々歩いたので、彼らも振り回してしまった気がして居た堪れない。
私は貸馬車屋の方角を見やる。
「そろそろ、帰らないといけないですね」
ラーセ殿下へ視線を戻すと、彼は私の肩に顔を埋めた。
栗色の髪が頬に触れてくすぐったい。
「……モミ様?」
「セチア。周りも騒がしいのだから、その名前でなくてもいい」
「ラーセ殿下」
「うん」
沈黙がおりてしまった。
ラーセ殿下から伝わる温かさなのか、私が緊張しているからなのか、身体が熱い。
「このまま一緒に駆け落ちでもする?」
「え?」
彼らしくない発言に目を剥いてしまった。
肩で話をされているせいで、ラーセ殿下の声が耳に近い。背中を甘い痺れが伝い胸の鼓動が早くなっていく。
逃げ出したいほど、毎日が辛いのだろうか?
言葉の真意が汲み取れず、悶々と思考を巡らせていると、彼は小さく笑い端正な顔を持ち上げた。
「……冗談だ」
ラーセ殿下は綺麗な笑顔を浮かべている。
きっと幼い頃から何度も練習したのだろう。感情を押し殺した、完璧な作り笑顔。
「ラーセ殿下。実は私、隠していたことがあります」
「うん」
「私は炊事洗濯、そして掃除も出来ます」
「うん……?」
ラーセ殿下は何を言われているのか分からないご様子だ。
「父と母に叱られてしまうので、最近はやっておりませんが、それでも最低限の家事は出来ます。働くことも接客なら出来ます……いえ、出来ると思います」
前世では高校生の頃から飲食店で働いていたので、きっと出来るはず。……多分。
「ですから、きっと最低限の生活は営めると思います」
「…………」
「今から参りますか?」
「…………ええと、そんな無理をして話を合わせてくれなくても」
「無理などしておりません。ラーセ殿下と共にあるなら、きっと楽しいですわ」
「僕と共にいて楽しい?」
「はい。楽しいです」
ラーセ殿下はふはっと息を吐くように笑い、目尻を下げた。
「セチアなら本当にやれそうだ。逆に僕は……苦労しそうだね。何も出来ない」
「お支えしますよ?」
「うーん、そこは格好つけたいから、僕が頑張りたいところだけど」
「本人の資質にあったところで頑張ればよいのです。私は存外、働くのは苦にならないです」
「まるで働いたことがあるように言うんだね」
前世、働き過ぎて過労死したとは口が裂けても言えない。
恋する暇もなく毎日が過ぎてしまったから、転生後の人生は本当に楽しい。
ラーセ殿下は溜息をついて、広場に視線を向けた。
「君はまた僕を甘やかす」
「甘やかしたつもりはないですが……」
「高位貴族の立場を捨ててまで、僕を選ぶなんて正気じゃないよ」
「ラーセ殿下をたった一人で出奔させるのは心配です」
「またそうやって……」
ぼん、と空で弾けた音が響く。
極彩色の花火が夜空を染め始めた。
「わあ……綺麗ですね!」
暫し時を忘れて見惚れていたが、ふとラーセ殿下を見やり、私は息を飲んだ。
見慣れた横顔。
彼は夜空に視線が釘付けになり、瞳が輝いているように見える。
こうやって時折、少年のような好奇心に満ちた表情をしてみせたり、色気を醸し出した甘い表情をしてみせたり、泣くのを堪えて顔を顰めてみたり。
今まで沢山のラーセ殿下を見てきた。
ここにいるのはゲームの画面越しに出会ったラーセ殿下ではなく、同じ時を共有し接してきた愛しい人。
私はこの人に、恋をしている。
「殿下。どうされますか? 今から共に行きますか?」
ラーセ殿下の手にそっと触れると、彼は目を瞠った。
緑の瞳は揺れていたけれど眉を下げて首を横に振る。
「侯爵邸まで送るよ」
ラーセ殿下は立ち上がりエスコートの手を差し出した。
花火の瞬く夜空を背負う姿が、光に飲み込まれそうな気がして怖くなる。
私は慌ててラーセ殿下の手を強く握った。
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